権力

一昨日撮った関なお。

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kowa 8.5mm 2.8
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m.zuiko 75mm 1.8

きのうの短歌の作者、杉田抱僕はてっきり男性と思っていたら女性のようで、二宮冬鳥は女性かと思っていたら短歌では名のある男性だそうです。pithecantroupusの感覚なんていい加減という証明でした。
こういうときは確かな人の言葉を引用して、賢しこぶらなくちゃ。

 「権力者支配(powercracy)」という言葉が思い浮かんだ。(筆者の造語です)

 「パワークラシー」の国では、権力者が権力者であるのは、政治的に卓越しているからでも、知的に優れているからでも、倫理的に瑕疵がないからでもない。すでに権力を持っているからである。「パワークラシー」の社会では、「権力的にふるまうことができる」という事実そのものが「権力者であること」の正統性の根拠になるのである。

 先日、ある政治家が国会議員を引退するに際して息子を「跡目」に指名するということがあった。日本ではよくあることである。その息子は、近親者に三人の総理大臣を含む何人もの国会議員がいるという「毛並みのよさ」を誇示してみせた。たぶん本人も、それを提案した周りの人間も、それが一番アピールすると信じたからそうしたのだろう。「パワークラシー」信仰をこれほど無邪気に表明した事例はさすがに珍しい。(Kishiさんのことかな)

 まことに困ったことに、「パワークラシー」の国では、権力者だけでなく、市民までがその影響を受けて、「権力者であるような顔つき」を競うようになる。
 知者が統治する国なら、人々は自分を知者のように見せようとするだろう。有徳の人が統治する国なら、人々は自分もまた有徳者であるように見せようとするだろう。権力的にふるまう者が統治する国では、上昇志向に駆られた人々はそれを真似ようとする。
内田樹「パワークラシーの国で」

季節外れですが”権力”で、
 權力ははたと晩夏のわが心斷つ たらちねのははもはりつけ   (塚本邦雄:靑き菊の主題)

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