まね

なお。
都合の悪いところはカットして。

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以前に鶴見俊輔を引用したひとつに、
亡命する直前のヴアルター・ベンヤミンの言葉を思いだすんだ。「自分はいまは二百ほどの引用文をもっている。だから自分はゆたかな感じがする」。びっくりしたね。二百の引用文が発想のもとになって、ものを書いているわけ。いろんな本から慎重に考えぬいて書きぬいた、その二百があれば、自分が使える伝統をもっていることになる
というのがありました。

ベンヤミンのパサージュ論のことを言っていると思ったものの、手を出しかねています。かわりに、松岡正剛「千夜一夜」1318夜 『模倣の法則』 ガブリエル・タルドから。

 世の中で一番つまらない信仰はオリジナリティ信仰である。

 ジャン・コクトーが「ぼくの一番嫌いなこと、それはオリジナリティだ」と言ったはずなのに、世の中では「人をまねしてはいけません」と教え、芸術や思想は模倣を蛇蝎のように扱ってきた。

 模倣は想像力の欠如、独自の想像力に恵まれない者の慰み、その行為は卑劣で唾棄されるべきものと社会は糾弾してきた。ところがタルドはこれらに全面的に反論し、「社会の本質が模倣である」とまで言ってのけた。


確かに誰かに模倣されないものなんて残らないもんなぁ。
写真集を開いたり他人の撮った写真を見ることも楽しいし。


”真似”のかわりに”招く”で、
 金星のわれを招かば掌上の辰砂きさらぎの野に棄て赴(ゆ)かむ   (塚本邦雄:されど遊星)

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