外にゐよ

美濃も日野もネタが切れてきたので、そのころ撮った亀山市関の写真で。

こっちへ来るな!
そらブレてしまったじゃないか。
カメラはお前のおもちゃじゃないぞ。
あっちへ行け!
怖くなんてないぞ。
001-LR-SDIM2645-Edit-2-.jpg

002-LR-EA060103-Edit-2-.jpg

読売編集委員芥川喜好の新聞連載「時の余白に」が本になって、その書肆WEBに本のあとがきの抜粋(「関心に従って書けばそれはそのまま世の余白だ、という妙な確信があった」)がありました。

 地域情報誌「かがり火」の発行人菅原歓一さんの言葉に出会ったことは、このコラム(新聞連載「時の余白に」)にとっては一つの光明でした。
菅原さんは、この国は有名になった者が勝ちといわんばかりの社会になってしまったと言っています。
政治家、学者、作家、芸能人、誰もが有名になりたがり、名前を売りこむことに汲々としている。
その結果、売れるかどうかが最大の関心事になり、売れたものがいいものだという転倒した価値観が定着してしまった。この考えが日本の社会を汚染した――と。


早即「かがり火」を検索したら、pithecantroupusもたまに利用する弁当屋さんの話が載っていて身近に感じました。
このお弁当屋さんの“社長係”インタビューも面白いものでした。

「仕事ができるできないを個人の能力、個人の責任のように扱っているけれど、・・・『仕事かできる』という一部分を切り取って、人の優劣を評価するのはあまりにも乱暴で知性のない行為だと思います」

「・・・いまの社会は『できる』をかさに着て、人の上に立てるかのような錯覚を持つようになっている。子どものころから学校で勉強ができることが偉いとしている社会風潮のせいだと思うけれど、僕は人間らしくないと思っていました」



 犬と殺人者(キラー)は外にゐよてふヨハネ黙示錄台二十二章を愛す   (塚本邦雄:魔王)

コメント

非公開コメント