終焉は近からむ

節分の写真を撮り損ねて、10日前の写真でお茶を濁すことに。

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m.zuiko 60mm 2.8 macro
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m.zuiko 60mm 2.8 macro

雑誌が、ことに写真の雑誌が廃刊になっていく季節に、新しい雑誌『写真』を出したふげん社サイトの連載から新納翔(にいろ・しょう)「第18回 来るべき2045年 人口知能が写真家を駆逐する日」の一部を引用します。

一つ私の立場を明確にしておくと、デジタル時代になった頃から写真という媒体に終わりが近づいていると考えている。4K、8Kと動画がどんどん高解像度になり、シャッタースピードの問題などもやがて解決され、動画から切り出された静止画で十分なクオリティのデータが取り出すことが出来る時代が絶対やってくるだろう。別に現場でシャッターを押す必要がなくなるに違いない、いわば決定的瞬間の消失が起きると予期している。

あと10年もすれば人力で行くのが難しい険しい現場でもドローンで撮影した動画から美しいプリントを作り出す技術ができていてもなんらおかしくないのだ。


同感!
そのうえで、「名作」といわれる写真は残るのでしょうか。「記念写真」は、「その他大勢」の写真は、「自己満足」の写真は。
きのう、「写真集の本 明治~2000年代までの日本の写真集662」(カンゼン)が届いて、パラパラしながら思いました。

 終焉は近からむ若き幾人(いくたり)か春ふけて羽蟻の群にまじりし   (塚本邦雄:透明文法)

コメント

Re: No title

そうですね、おっしゃるとおりシャッターを切る位置の問題がありますね。大きな移動だけでなく数歩の前後でも差が出ますよね。
数歩の前後はズームで画角は変えられてもボケ具合はレンズの焦点距離だけで決められませんし。
自動露出がカメラに搭載されるのが当然になってしまい、それに自分がとらわれていると改めて感じたのは、マイケル・ケンナのオリジナルプリントを見たときでした。オリジナルはこれからも生きていけるだろうと希望を持っています。

No title

こんにちは。

私も基本的には新納翔氏の意見に賛成です。但し、カメラが「自力で」移動出来る様になれば、という条件がもう1つ必要だと考えてます。

カメラは基本的に、据え付けられた場所からの風景しか切り取れませんから、そこを人間がこなさないといけないうちは、カメラは人間に運んでもらわないことには始まらない、という関係性を乗り越えられないと思います。

もっとも、ドローンやロボットが自律的に動ける様になるまで、そこまで時間は掛からないかと思えますので、それらにカメラが搭載されて、より良い画角を求めて自力で動ける様になるのもそう遠いことではないのかも知れませんね。
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