忘却の歓喜

きのうのつづき。ここは愛知県瀬戸。

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白水社WEBマガジン「ふらんす」連載の四方田犬彦「老年にはなったけど…」第2回『忘却について』から。
かれは、認知症になって、ビートルズの記憶が消えてしまったらと想像します。記憶が消えた後で、偶然に「イエスタデイ」や「ヘイ、ジュード」を耳にしたときの感動を想像します。

いつでもそれ(ビートルズの曲)を口遊むことができる。
退屈なとき、嫌なことに出逢って気持ちが鬱屈しているとき、それが自分の心に安堵をもたらしてくれることを、わたしは体験的に知っている。

とはいえそれは、初めてラジオの深夜放送でビートルズの「新曲」を耳にしたときの驚異とはまったく別のものである。

音楽というものは、厳密にいうならば、一回かぎりの体験だった。わたしは「ヘイ、ジュード」を聴きながら、いったい自分はどこへ連れ去られていくのだろうという、途方もない気持ちを抱いていた。もしこの偉大なという曲の記憶が都合よくなくなってしまったなら、わたしはその新鮮な感動をふたたび自分のものにできるかもしれないのだ。



 仏蘭西料理と心中せしか古希過ぎて日蔭に蠶豆(そらまめ)を剥けりシェフ   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

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