六十四

庭のつづきです。撮れたてというだけの写真ですが。

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m.zuiko 60mm 2.8 macro
002-LR-MK315661-Edit-2-2-.jpg
m.zuiko 60mm 2.8 macro

上田義彦のインタヴューは以前も引用しましたが別サイトから、

 8×10で30年くらいやってきたものですから、そういう見方や構え方になってきたと思います。実は、僕は35mmでも立ったところでそのまま撮るのですが、そういう身体にもうなってしまっているのです。重要なことは、身体と写真はすごく関係しているということです。僕の場合は、やはり8×10という非常に不自由なカメラのおかげで、身体を先に先にという感覚になっていったと思います。身体はドキドキしたり、動けなくなったりするわけですから、そこにカメラさえあれば、その感覚は写るだろうし、そのまま写ってほしいと思います。カメラで撮ってるというよりは、目とどこか、ある人に言わせれば魂の場所で撮るといいますか、そういうことだと思います。(赤い林檎との親密な残像を求めて

かれの言う「そういう場所・撮り方」とは、『自分が立ったそこが「写真の場所」なのです。カメラを担いで立つと、その前にスッとカメラが来て、そこが写真の場所になる。要するに、身体が自然に止まってしまったところが、ということです。カメラを構えてからああだ、こうだとは僕は一切やりません。自分が見ている場所があって、それを写せばいい。』ということだそうです。

エイト・バイ・テンはずっと憧れのカメラでした。20代の頃は”f64”に憧れていたし。

64で、
 昭和六十四年一月先輩の柩ひきずるラガーの歡呼   (塚本邦雄:黄金律)

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