すべてを変えてしまう突然の

きのう頭が回っていないといいましたが、きょうは頭がクルクル回っている証拠写真を。クルクル・パーってか。

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m.zuiko 30mm macro

積ん読のままになっている一冊ハワード・ノーマン『ノーザン・ライツ』に関して、著者のインタビューの一節が紹介されていました。(みすず書房トピックス「ここでは死者たちも生きている」)

 ところで「あなたの小説では写真と絵画が重要な役割をはたしていますね」とインタビューで問われた作者のハワード・ノーマンはこう答えている。「写真と絵画ですか、たしかに。しかしわたしにはもう一つ書きたいものがあって、それはラジオについてなのです。わたしのほとんどの小説ではラジオが、チェーホフが言ったところの『すべてを変えてしまう突然のニュース』をもたらします。」

 チェーホフは中学時代に買ってもらった本が「積ん読」のままですが、3.11を機に読んでいる黒川創「いつか、この世界で起こっていたこと」にも『チェーホフの学校』という短編がありました。積読から解放しようかなぁ。

 ところでウクライナの大統領が”侵略の津波”という表現をしたことに違和感を持ちます。
いまなお、津波の記憶に苦しんでいる人々を前にして、戦争が悲惨だとはいえ、そうは言わなくてもいいでしょう。
戦争の非人道性は現実を正確に言うだけでいい。日本におもねる装飾語は不要と思います。

塚本邦雄「不變律」中の『遡行的一月暦』という段に『一月二十九日 木曜 太陰暦元旦 アントン・チェーホフ生誕』と詞書がある歌を引用して、
 ぬばたまの晩年やわが歌ひたることの結論は「幻を視ず」   (塚本邦雄:不變律)

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