時代は過ぎ

きのうの別冊太陽「写真集を編む」つながりで、本の上にペンをおいてパシャ!

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m.zuiko 30mm f3.5 macro
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m.zuiko 30mm f3.5 macro
pihcantroupusは活字の使徒です。

説得力のある評論もいくつか書いている写真家大西みつぐが”日本カメラ”休刊のことを書いていました。(『「日本カメラ」休刊の報に接し』)
彼は、一年前のアサヒカメラの休刊とも重なり、単に雑誌がなくなるということにとどまらず、日本の「写真の現在」が途端に希薄なものになっていくような不安も感じると言いつつ、

大げさにいえば、日本における「写真」という出来事ないしは「行い」の基盤が揺らいできているのではないかと思えます。少なくとも「写真」に関わる全ての人たちにとっての「転換期」であることに間違いはないでしょう。何かしらの考え方を変えていくことも必要かもしれません。

と書いたうえで、『写真をカメラで撮ること、見ることと写すこと、写真を飾ること、写真で飾ること、写真で時代を綴ること、写真に夢をどのように託していくこのか、写真と共にいかに生きていくのか。』について考える契機ととらえつつ、その方向性については無言です。

時代で引用して、
 水煮つつ半身おぼろなる母よ夏よ青銅時代は過ぎし   (塚本邦雄:感幻樂)

コメント

Re: No title

onorinbeckさん、こんばんは。
スマホで撮っているのをよく見ます。以前に、借り物のキャノン5Dで撮った写真よりも、スマホの方がきれいに撮れたからと、広報誌にスマホの方を使ったという話を聞きました。
もう少しの時間、私がカメラを年のせいで持てなくなるまで、カメラにがんばってほしいです。

Re: No title

日本カメラは私もほとんど買うことがありませんでした。アサヒカメラもです。でも本屋でぱらぱらとよく立ち読みしました。もっと昔のカメラ毎日は面白かった記憶があります。廃刊ちょくぜんの一年間はヌード写真のタブーに挑戦していたし。やっぱりpithecantroupusはヌードに弱い。(笑)

No title

ほんとそうですよねー。
今の子はスマホでパッパと撮ってアップするのが重要なのかも。
僕は、やっぱり丁寧に撮った写真が好きなんですよ。そう言う場所ってブログしか残されて無いような気がします。

No title

日本カメラの廃刊は私もショックでしたが、
考えてみたら、私も20年以上買っていなかった。
写真始めたころは、アサヒカメラと両方買っていたのに、
最近は立ち読みさえ、していなかった。
本を購入していないのに、廃刊はショックだ、というのも変な話だなと、我ながら可笑しかった。
罪滅ぼしに、最終刊はネットで購入しましたよ。
定価より大分高価でしたけど(^^

誰かのブログで読んだのですが、
カメラを趣味としている人間は、フィルム時代と今でも変わらないのでは無いか、ということ。
確かに、そうかもしれないなと、思ったりして。
女性のカメラ趣味人口は、フィルム時代よりも確実に増えてると思いますけど。

Re: No title

たいやきさん、こんばんは。カメラを使って写真を撮る行為は何か特別な意味があるようにかんじます。私が撮るのは、物理実験の記録や解剖スケッチの代わりやメモではありません。記憶の一部、脳に記憶が保存されているとすれば、 写真はすでに身体の部分。
たいやきさんが“儀式”という感覚に激しく同意です。

No title

多くの若者にとって、写真は画像になったのかもしれません。
僕にとって写真は写真機を使うことであり、儀式です。
スマホで撮ると写真を撮ったという気持ちに何故かなりません。
だから、人から見ればたかが画像ファイルなのかもしれませんが、カメラで撮ります。
ときどきフィルムカメラを使うと、喜びが増します。
古い人間になったのだなと思います。
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