無用の

またふる~い写真を持ち出して、むかしはものを思わざりけり、です。

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いかにもありがちないちまいも、反省をこめてペタッ。

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これまで二度も引用したアンドレ・コント=スポンヴィルの文ですが、その冒頭は次のように始まっていました。

 みなさんにお伝えしたいことが二つあります。良い知らせと悪い知らせです。悪いほうは、私たちは全員死んでゆくということです。良いほうは、私たちの大半がやがて死んでゆくにしても、その原因はコロナウイルスとは別のものだということです。

 モンテーニュが、『エセー』のなかでこう書いていました。「病気にかかったから死ぬのではない、生きているから死ぬのだ」。自分たちが死すべき者であることにもっと頻繁に思いを巡らすようになれば、私たちはますます生を愛することでしょう。つまり、生が脆く、短く、時間的にかぎられていることに思いいたり、だからこそ生は貴重なのだと気づくようになるでしょう。だからこそ、伝染病は、逆にこれまで以上に生を愛するよう私たちを促してくれるはずです。


伝染病に限ったことではなさそうです。自分は死すべき者と思えば、たとえダメ写真でも撮れるだけで幸せかも。

 無用ノ介の明眸ひとつ 星月夜にはかにかきくもり梅雨(つゆ)至る   (塚本邦雄:風雅黙示録)

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