フォークをにげまわる

こんどは関町の残りものでもいいですか。(学習の成果が出ています!)

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s.nokton 29mm 0.8
前に大塚英志「2020年の撃ちてし止まむ」(webちくま)から引用しましたが、同じ著者のこの言葉を。

ぼくは、自分の生活、日常に公権力が入り込み、そこに「正義」が仮にあっても、それはやはり不快である。そして、その「不快である」ということ自体が言い難く、誰かがそれを言い出さないか互いに牽制しあい、「新しい日常」を生きることが自明とされる。そういう空気はきっと近衛新体制下の日常の基調にあった、と想像もする。
 ぼくはそのことがとても気持ちが悪い。
webちくま 「ていねいな暮らし」の戦時下起源と「女文字」の男たち

公権力に守られていると分かってはいるのですが、時々、誰を守っているのだろうと思います。
ものが言いがたい空気の中でものを言うのは老人の役割と思うのですがpithecantroupusは臆病ものです。

 平穏無事に五月過ぎつつ警官のフォークを遁げまはる貝柱   (塚本邦雄:日本人靈歌)

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