ラファエロ・ミケランジェロ・チェロ

なお関町。

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あるところにカメラは煩悩の機械と書いてありました。
エッチな写真をせっせとスクラップしているというみうら・じゅんのインタビューです。

長年「エロスクラップ」をやってますけど、これも諸行無常なところがあって、すべてのものはカタチが変わって、最後に無くなるんですよ。「エロスクラップ」も36年間で560巻くらい作ったけど、初期の1巻目とか見たら、ピッチピチしたその女性は(そのままの姿形で)もう居ないってことに気がついて、萎えるんですよね。エロは永遠には突き進むけど、終わるとこには向かわない。「無」から生まれて、「無」に戻る人生のプロセスの、一番良いとこを止めているのが写真なんじゃないですか? 貴族の特権階級で楽しみだったヌード画が廃れたのは、写真のせいだと言います。写真は、記録のためじゃなくてそもそもエロで進化したんじゃないですかね。どうにかして目に焼き付けたいという男の煩悩がそうさせた。男ってモノ残すの好きじゃないですか。 だから人間は生きた証が欲しいんですよ。それが写真なんです。人間は無いところから生まれて、無いところに向かうのに、どうにか「在った」ということにしておきたい。という意味では、カメラは煩悩の機械ということになります。(FUJIFILM 一枚の写真の力 vol.33)

余人はさておきpithecantroupusにとって、”ぼんのう”という言葉が甘いささやきに聞こえるから、きっとカメラは煩悩の機械です。解脱は遠いなあ。

エロを探して引用。
 チェロの絃(げん)もて括る五月のからたち葎(むぐら)、不安なる結實のまへ   (塚本邦雄:日本人靈歌)
 卵管の径2ミクロンその中を潜つてミケランジェロも生れき   ( 〃 :約翰傅偽書)
 齒痛やまざる秋夜の底にラファエロの粗描「美しき女園丁」   ( 〃 :天變の書)

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