昨夜のゆめ

そろそろ菅島を卒業しないと、と思いつつ今日も菅島です。ノスタルジアは甘美だからなあ。

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ときどき引用する歌人の穂村弘を今日も引用します。(世界が比喩になっていく Webちくま「絶叫委員会」第126回)

 新幹線以前の特急の名前は、例えば「つばめ」とかだった。最高時速200キロとも云われる鳥のスピードに肖っているのだろう。「つばめ」は実体のある生き物だ。ピイピイ囀って餌を食べて糞もする。それに比べると「こだま」や「ひかり」は実体感が薄い。生き物じゃないし、手で触ったりもできない。とはいえ、音や光は一応体感することができる。だが、「のぞみ」はさらに進んでいる。もはや実体はどこかへ溶けてしまった。
 話は新幹線に限らない。時代が下るにつれて、ネーミングセンスというか、その背後にある我々の感受性が、どんどん実体から遠ざかってゆく、という現象があるんじゃないか。・・・

 ・・・イメージ化によって欲望を無限に肥大させること。お金の動きをベースとした社会にとってはこの点が重要で、その結果、ほとんどの実体は溶けてゆく。最後に残る実体とは死。これだけはまだ避けられない。我々はその直前までイメージや比喩の夢の中にいるのだろう。

そういえば写真も同じかもしれませんが、くやしいことにpithecantroupusはまだ前世紀から抜けていないようです。
だいたいからして、”ぜんせいき”を変換しても”全性器”と出てくるようではpithecantroupusの新世紀は遠いなあ。(笑)


 アルプスの禽(とり)啖(く)ふ昨夜(よべ)のゆめさめて性器みのりしわかもの步む   (塚本邦雄:水銀傳説)

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