あいつ、今日

毎日「窓から写真」では中性脂肪が増加するばかりなので、きょうは「玄関から三歩写真」です。
たとい3歩でも体を動かしたので、パチパチ撮って戻って、ぜんざいをいただきました。(笑)
3歩ですから写真の出来は棚に上げて。

「さんぽ」の歌を引用して、
 三方金の詩集賣り拂つて哭いてゐるあいつ、今日「鉛婚式」か   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

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nikkor 135mm 2.8
6日、戦後日本が民主主義のお手本にしてきた国の出来事に驚きました。

「クーデター未遂」前の記事ですが、
 マルクスは『ブリュメール18日』で、人間たちはまったく新しいことをしているつもりでいるときに「過去の亡霊」を呼び出し、過去の「スローガンや衣装を借用」すると書いています。その通りだと思います。今もまたアメリカ人たちは、遠い昔に誰かが使った台詞を繰り返し、埃を払って古い衣装に手を通しているのです。(内田樹「アメリカ大統領選を総括する 2020-12-3」より末尾の部分)

同じようなことをどこかで読んだと思ったら、幸田露伴が「新年言志という事について」に続いて「簡素治新ということ」を書いていて、
 新しくさえすればいいと思って、新しいつもりで昨日とちがったことを今日やりだすと、今日やりだした事が実は新しくなくてかえって去年既に行われたことであることが稀でない。つまり知ることの少いものには新しいものがおおい道理で、小児には大抵のものは新しい、老人には新しいものは少い。・・・・世人はおおく自己の出あいつけぬ事物に出あった時、それを新しいといい、然様でないものを古いというのである。
と書いていました。

しかしさすが文豪は、
 沈滞して流れぬ、それを古いといいたい。生々活動する、それを新しいといいたい。・・・・斯様いうようにいうと一切のものは皆日に新しい。・・・・
と結んでいました。

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