ぬけがら

やっと年賀状に着手しましたが、先に進みません。年末までに間に合わないかも。
そういえば、おつきあいの中に、新年になってから賀状を出すという方がみえます。
見倣おうと決心するにはあと2、3年はかかりそうです。

きょうも昨日ののこりもののつづきで。
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まえに吉本隆明の「ワンちゃん、猫ちゃん」のことを書きましたが、その部分をもう少し引用します。

(積極的で、粘り通して思いを成し遂げる)ワンちゃん型の人といったらいいのかなあ。
そういう人に会うと、こいつはすばらしいねって呆れかえるっていうか、諦めるっていうか、こっちはわあって感じになりますね。
ただ、ワンちゃん型の人であっても、当初の強さ、積極性が貫徹するっていうことはなかなかなくって、だんだん積極性が失われていったときに、なんとなくその人のぬけがら、残骸が残ったみたいな感じをさせるっていうことも多い。(「フランシス子へ」)

最後の部分の「ぬけがら」「残骸」は、当時の著者にすればマイナスのイメージはないと思います。自分自身が「ぬけがら」で「残骸」であることを自覚していたでしょうから。
pithecantroupusは、もちろん、消極的人間ですから、かれの気持ちが分かるような気がします。

 ヴァレリー忌 きみが叡智のぬけがらの兒はあゆむ肉桂水(につきすい)を捧げ   (塚本邦雄:水銀傳説)


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