そこに第六次元

扉を見ると、ついこれは『どこでもドア』ではないか、と思ってしまうpithecantroupus。
あそこを開けると広がっている世界はどんなのだろう。

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nokton 25mm 0.95
どこでもドアは空間的にも時間的にもどこでも行けてしまうので、季節感のある写真も1枚おまけです。(汗)

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nokton 60mm 0.95

立ち止まったまま歩き出せずにいたのですが、ここを読んで、また歩いてみようかと考えています。多和田葉子「献灯使」です。

やっぱり、ぎくしゃくしながらです。たとえば、小説の中に新しい「記念日」がでてくるのですが、
「勤労感謝の日」にたいして「生きているだけでいいよの日」とか、性交を奨励する「枕の日」とかのなかに、インターネットがなくなった日を祝う「御婦裸淫の日」というのがあって、すぐに分からず、だいぶたって「オフライン」と気がつく始末です。


ドアの歌が見つからないので、「な『どあ』らぬ」で、
 みどりごの顳顬(こめかみ)、そこに第六次元の發信基地などあらぬ   (塚本邦雄:汨羅變)

コメント

Re: No title

そうですね、ドアがあれば楽なのにと思うことも多いのですが、行ったこともない遠くも行きたいところがいっぱいあります。写真は田舎の道を歩いていて見つけたドアですが、こういうのを見つけたとたんに空想、いえ、妄想がうかんできます。

No title

どこでもドアーが欲しいと切に願ってます
このドアを開ける勇気はないかも
魅力ある写真ですね
ドアそのものも味があって色々想像させられます
左上の同じ四角形のはモニターに映像が流れてるようにも見えて、
外のようで室内なのか、混沌としていて面白いですね!

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