日日の糧にまじり

一身田のこりもの、
なぜ撮ったか自分でも分からない。
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olympus pen-f 17mm
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olympus pen-f 135mm
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olympus pen-f 17mm

きのう、クジラアタマの王様という書名に違和感があると書いたのは、「くじら頭」という言葉がpithecantroupusを不安にしたからです。
クジラの頭ってどこからどこまでだろう、クジラに首ってあったっけ、と思ってしまうのです。こういう脳をチクチクさせる言葉はずっと気になるなあ。


以前にも別の記事を引用した穂村弘の最新のエッセーは、

 ・・・(うろこはここへいれてください、という貼り紙を見て、)言葉の不気味さに慄きながら、私は強烈な異変の匂いを感じていた。世界は変わった。そこには人魚の幼稚園がある。ウイルスから身を守るために新しい人類はうろこで身を覆ったのだ。
 だが、次の瞬間、予兆は消えてしまった。アラームが鳴って「しまった」と気づいた神は、幼稚園の前に呆然と佇む人間の思考に素早く「鯉のぼり」という一語を差し込んだ。たちまちすべての辻褄が合って、その者は納得。現世の綻びは修復され、辺りはいつもの日常を取り戻す。異変は未然に防がれた。ただ世界に新型コロナウイルスだけを残して。

とあって、また納得してしまいました。


 われらが日日の糧にまじりて死の泡のかたまりし晒鯨がにほふ   (塚本邦雄:日本人靈歌)

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