正気のフリをして

きょうは正気のフリをしてカマトト風に。

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カマトト振るのも疲れるので、ほんねで正直な写真も。

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きのう引用した「年寄りの読書」記事は、同じサイトのこちらの内容を先に読んでから見つけたものです。

 ・・・黒澤明監督の『七人の侍』の場合――この本(濵田研吾『俳優と戦争と活字と』ちくま文庫)でしらべたら、7人のサムライ役のうち、最年長(敗戦時40歳)の志村喬をのぞくと、ほかの6人すべてが、それぞれのしかたであの戦争に深くかかわって生きていたことがわかった。(中略)
○志村喬(島田勘兵衛)1905年生。年齢が年齢なので召集はまぬがれたが、以前、新劇人だったため特高警察に連行されたことがある。
○三船敏郎(菊千代)1920年生。陸軍航空隊の反抗的な古参上等兵として6年、熊本の特攻基地で敗戦をむかえた。
○木村功(岡本勝四郎)1923年生。戦争末期に文化学院を繰り上げ卒業後、召集されて1年間を海軍でおくる。広島在住の両親は原爆で死亡。
○稲葉義男(片山五郎兵衛)1920年生。日大芸術科をでて芸術小劇場在籍中に応召する。
○加東大介(七郎次)1911年生。陸軍衛生伍長。中堅歌舞伎役者だった経験を生かし、ニューギニアでもっぱら慰問劇団づくりにはげんだ。
○千秋実(林田平八)1917年生。新築地劇団の若手俳優だったが、陸軍に召集され、終戦寸前まで樺太国境警備隊に勤務する。
○宮口精二(久蔵)1913年生。文学座「移動演劇隊」の一員として戦時下の日本各地をまわりながら終戦をむかえた。
 こう並べてみて、あらためておどろいた。ときは戦国時代末期。あの、主家を失って放浪する7人のおんぼろ侍に扮した俳優たちのほぼ全員が、敗戦後、解体された軍隊から瓦礫と化した街に戻ってきた復員兵だった・・・

このあと、「七人の侍」の最後のシーンの「今度もまた、負け戦だったな」という科白も切実なひびきを帯びると続きます。
戦争を知っていた世代の生死観や表現はpithecantroupusの想像力を越えます。ちょっと悔しい。

 戰爭のたびに砂鐡をしたたらす暗き乳房のために禱るも   (塚本邦雄:水葬物語)

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