それいゆ

集中力に欠けるpithecantroupusは、ちょっとふるいカメラで息抜きです。
母がすてた雑誌を拾ってきてパシャッ。

ソレイユはひまわりのことだと思っていたら太陽の意味だそうなので、塚本邦雄も太陽で、
 世界畢る夕映薔薇色にわれの太陽神經叢くろこげに
 太陽がちぎれちぎれに野分後の民衆廣場(ポポロひろば)の潦(にはたづみ)百
 われよりながくきたなく生きむ太陽に禮(ゐや)する父と反芻(にれが)む牝牛

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pen-f m.zuiko 25mm
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pen-f m.zuiko 25mm

カメラはオリンパス・ペンEMです。ハーフ判としては大きかったし、故障しやすかったそうでこれも動きません。
フィルムの自動巻き上げという先進的なカメラでしたが評判はいまいちだったそうです。デザインなどはいまどきのデジタル向きのようにも見えますが。



ところで、きょうの「世界畢(おわ)る」の歌でちょっと思い出したこと。

 新聞のミチコ・カクタニ「真実の終わり」の書評を読んで、おもわずamazonでポチッとしそうになりながら、「?」と思い止まりました。
 新聞書評に目を止めたもともとは小さな疑問でした。

 なぜかれが大国の大統領なのか、なぜ「イギリスの○○」という異名の新首相なのか、なぜあの首相や官房長官は大統領と同じような言い方をするのか。
 なぜこんな世界になってしまったのだろうという疑問があって、答えをくれそうな著作ではないかと期待したのです。

 書評の前半が不可解な現状をまとめてくれています。

 『大統領就任式に集った聴衆の規模から、地球温暖化の否定まで、トランプ政権が流した嘘は数限りない。なぜ真実と理性とは衰退したのか。なぜ人々は政治的操作を受け入れるのか。本書の問いはここにある。
著著によれば、はじまりは啓蒙主義的価値観の拒絶だった。自由な社会の維持には理性と倫理観、憲法への敬意が不可欠だという考えが攻撃され、かわって人種的・宗教的な不寛容や政府への憎悪、陰謀論が勢いづく。肝心なのは客観的真実ではなく人々の実感を裏づける真実だ。信憑性や迫真性が重視される中、真実に見せかける手腕が重宝されていく。ソーシャルメディアが疑似事実の拡散に拍車をかけた。』

 そして私の疑問への回答のように書評はつづきます。

 『強調されるのは、20世紀後半に興隆しだポストモダニズムの影響だ。客観的実在の存在を否定し、真実は視点や立場に左右されるとするこの立場は、自己中心的な「わたし」主義と共振し、主観性の原理の称揚につながった。これを乗っ取ったのがトランプ政権だ。
いかなる真実も書き換え可能、反論されれば「もう一つの事実」だと言えば良い。ニヒリズムの登場である。真実が分からなはれば、陰謀論を信じるのも簡単だ。』

 残念ながら書評はこのあと、本の主題にかみ合わない論調になってしまうのですが、わたしの「?」は、『ポストモダニズム』でほんとうにいいのかという点でした。

 ポストモダニズム以前にも、ヒットラーだっていたじゃないか、大本営発表もあった、フロイトもいた、ニーチェもいた。SNSはなかったけどラジオがあった。
 なぜあんな時代を経験したのかと考えるのと、なぜこんな時代を経験しているのかを考えるのは等価ではないかと感じるのです。

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