今更はつゆき

わたしの家の付近にきょう初めて雪がふりました。
いまさら、雪だ雪だと騒いでいるのは私ぐらいのものでしょうが。

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E-M5mk2 60mm

何もかもうまくいかなかった昨日の記録(ヤマザキマザック美術館)も、です。
今年こそは正直者になりたいから。

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きのうのイソップ童話に出てくる「すっぱい葡萄」ですが、wikiの解説には、
『自分のものにしたくてたまらないにもかかわらず、努力しても到底かなわない対象である場合、人はその対象を「価値の無いもの」「自分にふさわしくないもの」と見なそうとし、それをあきらめの理由として納得し、心の平安を得ようとするものである。 』
と書いてありました。
でもイソップを読んだ子供は、『それをあきらめの理由として納得し、心の平安を得ようとするものである。 』という理解をするでしょうか。

この後半の部分は、心理学におかされた大人の言い分ではないでしょうか。
欲しいけど手が届かないときに「すっぱいブドウさ」と捨て台詞を吐くのは、キツネ(=ずる賢い大人)のよくやること。もっと正直でいきましょうよでは単純すぎますか。

そもそも、なぜブドウは手の届かない高いところにあるのか。
きっと、低いところにあったブドウは、狐より先に来た動物が食べたのです。

それは、サルや猫ではありません。彼らは木に登れますから。
それは、イノシシや犀ではありません。彼らは木に体当たりして上のほうのブドウも落として食べてしまいます。
だから、下のほうのブドウを食べたのは、イヌか馬か鹿です。

狐はおそく到着したのでチャンスを逃したのではないでしょうか。
もっと早起きして散歩に出ればよかったのです。

でも外出した狐は、食べられなかったけれどブドウを見ることができました。
私のように、今日は寒いから外へ行くのはやめようと言っていると、すっぱいブドウさえ見つけられないのです。
何もかもうまくいかなかったなどと嘆いておらず、もっとカメラを持ち出さないと写真は撮れないですよね。
反省、反省。

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