言葉で誤魔化す

昨夜は地元の小さな夏祭りでした。
前にいったのは3年前でしたが、昨夜の写真は間に合わないので今夜は毎度のトオヌップ3枚と昨日の昼間の写真1枚とで。

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15日に「敗戦記念日」に言及したので、塚本靑史「わが父塚本邦雄」を長々と引用します。

「『耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍び』て言うんは、絶対に国民を慰労した言葉ではないんやで」
 一九四五年(昭和二十年)八月十五日(水)正午に始まった玉音放送についても一家言ある。
 歴史の一駒として有名になったフレーズへの誤解を、邦雄はよく論(あげつら)った。
「あれはアメリカ占領後の、予想される苦難の時代に突入する天皇自身の、屈辱に塗(まみ)れる覚悟を言うてるだけや」
 戦後七十年にもなろうとする今でも、八月になればテレビのどこかで戦争の特集が組まれ、無条件降伏の件(くだり)には定番のようにこの台詞(せりふ)が繰り返される。
 そして、ほぼ皆が皆、空襲や食料難に苦しみ抜いて、なおかつ生き残った国民への感謝や犒(ねぎら)いと受け取っている。
「天皇を奉じた軍部に、あれだけ非道い目に遭(あ)わされといて、そのうえ勝手に誤解してるんや。日本人て世話ないな」
 広島や長崎に原爆が投下され、ようやく日本は無条件降伏した。要するに太平洋戦争に負けたのである。相手側から『撃ちてし止まむ』(※「撃ちてし止まむ」は「銃の撃ち手がいつまでも弾を撃ち続ける」ではなく、「攻撃をしつづけて完全に攻め滅ぼすぞ」の意味だと、直前の文にある)を実行されて、どう言い訳しょうが、完全な敗北を喫したのだ。
 それでも政府関係者は、それを素直に認めようとはしない。良く言えば、日本人の劣等感を助長しないように努めたのだろう。
 そこを塚本邦雄は、決して「終戦」とは言わず、意識して「敗戦」なる語を用いた。「終戦記念日」ではなく、絶対に「敗戦記念日」でなければならぬのである。つまり、政府(大本営)やマスコミが当たり障(さわ)りのない言葉で、本質を誤魔化しているとの怒りがそう言わせるのだ。
 本質とは、日本人に負ける(徒労に終わる)戦争という災禍をもたらしたうえに、若者たちからかけがえのない青春を、いや、命すら無駄に奪ったということである。
 何の意味もないことで、日本史上に汚点を作ったのであった。
 確かにそれまでの大本営は、大空襲があって大勢の国民が死んだり、重傷を負って苦しんでいるにもかかわらず、「我が方の揖害、軽微」などと、常に国民へ嘘を吐(つ)いて欺(あざむ)いてきた。
 戦争の推進者は、全国が焦土と化しても、この戦争の無謀さに気づかないほど無能だった。いや、ようやく気づいた振りをしても、今度は「終戦」という語で誤魔化すつもりだと、塚本邦雄には映っていた。それよりも、喉元過ぎれば何とやらで、気がつくと再び同じような時代にならぬかと、警戒していたのかもしれない。

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