シヲトゲ

5月初めの頃に行った田植え直後の農村での残りものを。

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WEB中公新書の記事『「を」はすごい』で、「を」の読み方をいろいろ聞いて興味を持ちました。
筆者が『かぎのを』と読んできた「を」を、職場の先輩から「一般的には『わをんのを』」と指摘されたで始まるコラムです。

「かぎのを」は「ヲ」を想像すればむかしの錠前の鍵が容易に思いつきますが、電話口で聞いてもとっさに「を」とは気づきません。
「わをんのを」なら「あいうえお・・・わをん」と五十音から「を」と気づけそうです。
筆者によれば、つなぎの「を」、くっつきの「を」、小さい「を」などという言い回しもあるそうで、pithecantroupusは「つなぎの」で聞いたことがあります。

「ヲ」が出てくる歌で、
 浅蜊汁夏なほぬるし口ずさむ「オノオノソノココロザシヲトゲ」   (塚本邦雄:詩歌變)

のある風景

つまらない続きを。

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みんなのミシマガジンで「タバコのある風景」(三砂ちづる)という記事を見つけて、喫煙者を勇気づけてくれるのかと思いきや、ちょっと違う趣旨でしたが、pithecantroupusに都合のよいところをコピペ。

 ついこの間まで、タバコは男らしさの象徴であり、かっこいい男はタバコを吸うものであり、渋い男のいる風景にはタバコがなければならなかった。ああ、このように書いていても、今や、「男らしさの象徴」などという言葉が、まるで冗談のように聞こえるのではあるまいか

1970年代には、タバコは"自立"していっぱしのものを考えている、と周囲に示したい女の象徴でもあり、ボブカットの桃井かおりがそれは素敵にタバコを吸っていたりした


ハンフリー・ボガードはたばこをくわえていなければスターじゃないものなぁ。モンローだって八千草薫だって。
シャーロック・ホームズなんて薬物中毒だったし、時代変化は仕方ないかなぁ。

紫煙を見つけそこねて”シエン”で、
 シェーンベルク祭<ナポレオンへの頌歌>もて畢り紅き椅子の屍(し)は充つ   (塚本邦雄:綠色研究)

五月終り

大原で撮ったのですがそれらしい写真が少ないのでつまらないのばかり集めて。

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「変わる日本語、それでも変わらない日本語」の著者塩田雄大(NHK放送文化研究所主任研究員)インタビュー記事(インタビュー 言葉の変化がかわいくて)から。

〈私情により欠席させていただきます〉

 この「私情」の使い方を初めて見た時は(著者は)驚いたという。これまで「仕事に私情を差し挟んではいけない」というふうに使われてきた。だからダメだと言いたいのではない。

「○×にはしたくない。こんな言葉が生まれたとか、使い方がこう変わったとか探すのが楽しいわけです」
 「おっ!と、たぶん新種の植物や虫を見つけるのと一緒。変化する言葉がかわいくてしょうがない」とにっこり。


○×はつけてしまうなぁ。気持わるい使い方ってあるもん。

 五月終りて森あたたかき暗がりに脂(やに)垂りし樹樹牝よりあはれ   (塚本邦雄:水銀傳説)

そのむかし

忍耐力に欠けるpithecantroupusはまた大原に戻って。

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 山紫陽花にめぐるわれの血そのむかし男は死のために死せりきと   (塚本邦雄:天變の書)

時閒は寒天色

大嫌いなマイマイまであげて季節感を出したので、きょうはマイペースに戻ってまた氷川丸。

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サイト「考える人」の連載、村井理子『村井さんちの生活』から。

90歳の義父が筆者に話します。
「実はな、この前は『早く本妻のところに戻ってくれ』と(義母に)言われたんや……」
「わし、悲しくなってしまってな。『それじゃあお前は、俺のこと、どう思ってんねん?』って聞いてみたんや」

私は食べていたフィレオフィッシュを吹き出しそうになった。笑いを堪えるのに必死で、鼻がピクピクしてしまった。

愛しているんだな、彼は。義母がどういう状態になろうとも、彼は彼女のことを愛しているのだ。だから、彼女の言動に振り回され、もう愛されていないと思って、怒りが募ってしまうのだろう。

こんな介護だったらとうらやましく思いつつ読んでいます。

 時閒は寒天色に流れて老人寮新入りが「テキサスの薔薇」うたふ   (塚本邦雄:水銀傳説)

うるむ宿

山下公園へ行った同じころ京都大原へも行ったようですが、「らしくない」写真ばかりで、せめて季節感を。

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ヤドリギの”宿”で、
 玻璃戸二枚かなたに沖のうるむ宿友と來て新婚(にひめとり)のごとし  (塚本邦雄:天變の書)

月に

10年以上の過去でした。

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長田弘が「ねこに未来はない」に詩人吉行理恵のことを書いていて。

(ネコの)薬子がいなくなった夜、吉行さんは夢のなかにまで薬子を捜したのだそうです。すると、吉行さんはしのびこんだ廊下で、和服を着た萩原朔太郎とすれちがったのでした。薬子は、その朔太郎の足もとでわらっていました。
「めざめたとき、薬子が死んでしまったことを感じました」


さらに吉行が夢の中で、いまそだてている雲と蜻蛉という仔ねこに「おかあさん」「ママ」とよばれたと聞いて、

そのとき、ぼくはなぜかふいに、夢のなかで雲と輯蛤が人間の声でママとよんだのではなく、ほんとうは夢のなかで吉行さんがねこの言葉で、雲ちゃん、輔蛤ちゃんとよんだのではないか、という奇妙にありありとした疑惑にいっぺんにとらわれてしまったのでした。

<うまくかくしてはいるが、吉行さんはきっとねこの言葉を話せるにちがいない。そうだぞ。そのうえ吉行さんが詩人で、素敵な詩をいっぱい書けるのは、彼女がきっとねこの言葉で詩を書いているためなんだ>



朔太郎に会えるなんて、うらやましい。pithecantroupusは足穂に会いたいなぁ。
 死によりて救はれし者眠るゆゑ墓原昏く月にほふかな  (塚本邦雄:装飾樂句)

うそ寒

在庫が切れてむかしむかしのバラつながりで。10年以上むかしです。

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内田樹が『50歳になったせいで守備範囲に入った本』を見つける法則を書いてました。(婦人公論jp「50歳からの読書案内」)

 個人的な法則を思いついた。
「自分が生まれる前についての想像力の広がりは実年齢に相関する」というものである。。要するに「10歳の子どもは自分が生まれる10年前、20歳の人は自分が生まれる20年前くらいまでの昔については、何となくどんな時代だったか想像がつく」ということである。
この法則を適用すると、(1950年生まれの)私が50歳の時なら1900年(明治33年)についてまでなら、その頃の人がどんなものを食べて、どんな服を着て、どんな家に住んで、どんなことを考えていたのか、何となく想像がつくということである。


たいへんです。pithecantroupusは今なら1880年代の作品が守備範囲です。幸田露伴なんて雲の上なのに。

露伴が「他」に「ヒト」とルビをふっていたと聞いた(長田弘「対話の時間」)ので、
 他人の葬儀三つつづきてうそ寒き五月 十藥の花吹かれをり   (塚本邦雄:黄金律)

バラたまへ

のこりものでお茶をにごすことに。

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 薔薇をたまへこよひ宴に招かるる戀人の声蒼きさざなみ   (塚本邦雄:タイトル未詳の連作)

アダム

バラを撮りに行ったのですがヤマボウシ。

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先日の長田弘「対話の時間」のつづきに、長田が『(アメリカ人には)どんな大都市にあっても、都市というのはじつは倒錯の森なんだ、倒錯した森にすぎないんだという意識が、たぶんすごくある。』というと、辻井喬が、

 だから地霊を探していくと、逆さになっていた町がでてくるかもしれない。・・・アンセル・アダムズの写真とか、あるいはかつて見たダリウス・キンゼイの「森へ」とか、最近のリチャード・ミズラックの「デザート・カントス」とか、そういった写真があらわそうとしていたものは、わたしたちがニュー・ヨークやシカゴに見ていたのではないアメリカで、それをわからせたかったんだなということ。・・・

回想の「ゾーン・システム」。50年前に戻りたい。

アダムスのかわりにアダムで、
 「アダムの林檎」はゴルフボールの大きさと訓へられつつ少女冷笑   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

詩人

きょうも一枚。わけもなく疲れて。

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長田弘「対話の時間」で辻井喬相手に長田が。

 詩の言葉は・・・記憶された言葉をとおしてリレーされてゆく、・・・と思うんですね。
 詩のありようというのを考えるとき、・・・新しい大統領(クリントン)が最初に宣言をして、その次に、じつは詩人が詩を読んだ。マヤ・アンジェローという黒人の女性の詩人が詩を読んだんです。
 ところが日本のTVは、そこになったら中継をカットしちゃった。そして、クリントン政治のこれからについてというような、日本の政治学者のスタジオ解説に切り替えた。それで詩の朗読が終わったら、また中継にもどした(笑)。
 しかしそういうふうにしてしまうことで、アメリカについて見落としてしまったものは、じつは大きかったんじゃないかなと思う。


そのあとケネディのときはロバート・フロストという詩人だったと紹介しで、それを意識して発言したのは衆議院議長土井たか子だったと言及しています。美智子妃のことは書いてないけど。

 ここは詩人の死ぬ巷ゆゑ一ひらの花と焰が遺󠄁しおかれき   (塚本邦雄:透明文法)

バラに飽きて、のこりものの雑草を一枚だけ。きょうはお疲れ。

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 聽かねどもバッハ「旅行く最愛の兄に寄す」てふ 雨の草市   (塚本邦雄:されど遊星)

フオンテーヌ

花苦手なのに続いているので。

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moderntimesサイトの記事『「知ったつもりになってしまう」という情報化社会の罠』に、タイトルだけ読んで知ったつもりになる、Googleで検索したことを自分の頭の中にある知識と思う、とありました。(『Googleの手柄を、自分の知識だと思い込んでしまう』)

自分も周りも同じだと感じました。

検索をみつけそこねて検診で、
 檢診のこの亂脈はまたの世に噴泉(フオンテーヌ)喇叭飮みせし咎(とが)   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

積木で建て

暑い日は夏眠することにしました。

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 薔薇の木の積木で建てた尖塔のうしろの國につづく旱(ひでり)が   (塚本邦雄:透明文法)

いつの日に

なおバラ。

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ヨコハマ経済新聞『「長田弘の読書会」~よこはま本への旅~』から。
春風社の三浦氏をインタビュアーにした連続講座の一回です。彼が長田の本のタイトルに言及すると。

長田 タイトルというのも不思議なものです。J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(白水社、訳者は野崎孝)という本がありますね。この本はずっと後に、村上春樹さんが『キャッチャー・イン・ザ・ライ』というタイトルで翻訳されました。しかし、『ライ麦畑でつかまえて』という最初のタイトルを超えることができないのです。

 ドストエフスキーに『白痴』がありますが、あれは直訳すると「バカ」という意味だそうです。「あれを『バカ』と訳したら、はたしてこれほど読まれる小説になっただろうか」ということを書いていた人がいました。・・・

 訳題でも原題でも、タイトルには大きな意味があります。・・・本も商品ですから、時代の常識に左右される。しかし、時代にあわせてタイトルを作ると、本そのものが羊頭狗肉になってしまいます。タイトルも作品のうちと考えるのが、本当はいいのです。


写真のキャプションももしかしたら同じかなぁ。でも後付けだけど。

 死にいたる戀いつの日に少年の黄の聲「ライ麦畠横切り」   (塚本邦雄:驟雨修辞學)

六、七年經てば

うつくしく咲いているのに素直に撮れないアマノジャク。

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 薔薇紅茶たちまち澁し六、七年經てば彼女も海驢(あしか)のたぐひ   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

過去なきごとき

生気が失せつつあるpithecantroupusを憐れがって友人がバラ撮りにつれて行ってくれました。

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以前も引用した三省堂サイトのコラムが面白かったので。( 地域語の経済と社会 第332回 井上史雄さん:地方議会の方言―アホ・バカ分布再考―
地方議会会議録を横断検索できるシステムで「あほ」を調べたそうです。

 地方議会のまじめな場面で使われるか心配しましたが,議員さんも結構くだけたことを言っているようです。「あほな」は645例見つかりました。主に近畿地方で,「あほな質問しましたな」などと生き生きと活用されています。対抗馬「ばかな」は11,267例で,日本全国で使われます。「こんなばかな話はない」などと使われます。

 様々な言い方の一つ,ダボは,・・・某兵庫県民(特に名を秘す)は,以下のように書いています。
  いくら兵庫県議会のヤジでも,「そんなあほなこと言うな」はスルーされるでしょうが,「何言うとんね,ダボ」は審議が一時中断する事態になるだろうと思います。


省略しましたが『ダボ』は兵庫県加古川市周辺の方言のようなので、「かこ」で、
 われに過去なきごとき不可思議 蛇(じや)の髭に碧玉の實は犇きあひつ   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

みんなの○○

目的は田圃でした。

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東京大学・科学技術インタープリター養成プログラムが名称変更したサイトに載せているコンテンツから。

アムステルダム国立美術館は、改修の際に10年も閉館を余儀なくされた経緯がある。・・・この美術館の改修が長引いたのは、オランダ人のアイデンティティである自転車のためだ。美術館の中央には自転車で通れる道があるが、改修後はその道が狭くなることを知った市民たちが反対の声を上げた。それを知った美術館側は、市民との話し合いの場を設ける。アムステルダム市民は議論好きというが、それは本当らしい。館長だろうが市民だろうが、納得しない限り黙らない。そして、皆がようやく折り合いのつく設計に至るまで、10年も費やすことになった。

この場合は、専門家と非専門家間のオープンな議論を通じて、結果的にみんなが誇る美術館の完成に至った。しかし、例えば、自分の専門で「みんなの○○」に置きかえると、容易には答えが出ない。専門家だけで閉じない専門知のあり方を探り続けるのが、科学技術インタープリターの役割だと考える。
内田 麻理香「みんなの専門知」

引用しなかった文中にレンブラント「夜警」が言及されていたのに、ネロとパトラッシュを思い出していたpithecantroupus。ルーベンスの肉感が頭から離れないのです。

 オランダの鬱金香園(チューリップゑん)夜の壁に紅し その平和もうたがはし   (塚本邦雄:日本人靈歌)

けぶりのごと

たいくつな雨の日はきのうのつづきを。

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何をしても一時間もせず飽きてしまい、ベッドで横になってうたたね。その合間に三食の用意や洗濯。そんなとき介護の仕事をしている人の言葉は救いです。前にも引用したみんなのミシマガジンから。

 「あのように老いることができたらなぁ~」と感じさせる人は、おおかた、ぼけのあるお年寄りだった。穏やかで物分かりがよいというわけではない。むしろ逆だった。突然、いなくなってしまうし、何キロも歩き回ったり、おしっこが漏れているにも拘らず、決してトイレに行こうとしない人だったりした。・・・僕はそんな老人になりたい。そして、長生きをしたい。村瀨孝生「老い方研究所」を立ち上げる」

世間からは「まだ早い」、「これからじゃないですか」と励ましならぬ、お叱りのような言葉を頂くが、そのような言葉に踊らされてはならない。人生100年時代といわれるようになったが、決して若々しい時間が伸びているのではない。老人を生きる時間が増えているのだ。よって、老人としての自覚を持ちたいと思う。』という筆者は研究所という連載を始めるようです。期待しています。

 煙(けぶり)のごとく父老いたまふ大和國高市郡明日香村祝戸(やまとのくにたかいちぐんあすかむらゆはひど) (塚本邦雄:豹變)

名は神のたまもの

きのうのつづきで。

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きのう芥川賞作家李琴峰の『んだ(のだ)』を引用しましたので、忘れないうちに、同じ人の講演から。(日本翻訳連盟「作家として、翻訳家として――日本語を慈しみ、中国語と戯れる」

おおむね人間の言語は、まず少数者、マイノリティの人たちにレッテルを貼る、スティグマを付与するところで言葉ができあがります。そしてその後に、マイノリティ側からマジョリティ側を指して呼ぶ言葉も必要になり、対となる言葉を作り出します。

たとえば、健常者が普通だと思われている世の中に、まず「障害者」という言葉ができてしまう。そして次に、障害者ではない人たちをどう呼べばよいかということで「健常者」という言葉ができあがる。同じように、「同性愛者」に対して「異性愛者」、「聾者」に対して「聴者」、「トランスジェンダー」に対して「シスジェンダー」という言葉ができあがる。言葉は時には人間のアイデンティティに名前を与える、あるいはアイデンティティそのものを与えるという役割を持っていると思っています。


片仮名の話も面白かったのですが、備忘のため真面目な方を引用しました。

 名は神のたまものなれど白き鷹見ず夜(よ)は花のあやめわかたず   (塚本邦雄:新歌枕東西百景)

なんだ

だるさ、疲れやすさ、意欲わかない、悲観、眠れない、食欲がないが五月病の症状だそうです。pithecantroupusは一年中こんな症状あるけど、一年中五月で時計が進んでないという事かな。
ただし食欲は年がら年中旺盛です。

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台湾生まれの芥川賞作家李琴峰が書いていたのを引用。(TRIPPER 李琴峰「日本語からの祝福、日本語への祝福」第11回

「~んだ」(およびその類似形「~のだ」「~んです」「~のです」「~んである」「~のである」など)というのは恐らく無数にある日本語の文型の中で、最も複雑で、最も説明しづらく、使いこなすのが最も難しい項目と言えるかもしれない。難しいのにあまりにも頻繁に登場する

私の名前は李琴峰なんです。宜しくお願いします。』という自己紹介に感じる違和感について、このあと「んだ」の専門的な説明を素人向けに説明してくれるのですが、『これで終わりだと思ったら、甘い。「~のだ」から派生した文型はまだまだ無数にあり、その意味・用法も「~のだ」単体の時とは大いに異なる。・・・日本語で一番難しいのは単語でも発音でも敬語でも動詞活用でもなく、このように似ている無数の文型をきちんと区別し、使い分けることだ。』と続きます。

バカボンのパパと単なる音便の話と思ったら大間違いでした。

「んだ」で、
 紅梅白梅暮れよ祖父(おほぢ)が若き日はこぶしもてぬぐひたりける涙(なんだ)   (塚本邦雄:詩歌變)

牢獄出でて

田圃を撮りに行ったのですがいつものとおりよそ見して。

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みすず書房サイトのジョン・グレイ『猫に学ぶ』鈴木晶訳紹介文から引用します。(『この猫の目と出会ったら読んでみてください』2021年11月11日)

ジョン・グレイさんはぐいぐいと理詰めで書いてくる。例えば、猫好きは猫に人間感情を投影していると非難されるが、それはちがうと断言します。

「(…)愛猫家は猫のなかに自分自身を見出すから猫を愛するのではない。猫が自分とはあまりに違うから愛するのだ。
犬とはちがい、猫は人間もどきにはならなかった。猫はわれわれ人間と交流するし、彼らなりのやり方で人間を愛するが、その存在の最も深い次元では、われわれとはまったく異質の存在だ。猫が人間世界に入ってきたおかげで、人間は世界の外を見られるようになった。われわれ人間は自分自身の思索という牢獄から解き放たれ、必死に幸福を追求してもかならず失敗するのはなぜかを、猫から学ぶことができる。」


頭の悪いpithecantroupusには、分かるような分からないような話です。

 サンテ牢獄出でてはるけきアルプスに今日桃色の古き雪は見ゆ   (塚本邦雄:水銀傅説)

五月空

きのうのつづきで。

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 眞鯉緋鯉びしよ濡れのこの五月空(さつきぞら)故鄕は遠くありて忌まはし   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

さなぶりの

本日のお昼ご飯ついでに写真はさなぶりを。

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 黒すぐり皿に熟れつつ早苗饗(さなぶり)の従兄をわれはななめに愛す   (塚本邦雄:星餐圖)

うぶぎはためけ

何が面白くて撮ったのか、もう覚えてないのです。

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リンクさせていただいている『新・千秋歳時記』にあったChatGPTの記事と同じような話をブレディみかこが書いていました。
ChatGPTに事実無根のことを返答されたと書いたそばで、音声認識ツールについても彼女の咳をAIが言語化して、

「BOTるんで、るんですってほっです」ってわたしはそんなこと言ってないのに、先方は自信満々で入力していく。
人間はまだAIに取って代わられるわけにはいかない。あいつら、「すみません、わかりませんでした」とは絶対に言えないらしいからである。
(婦人公論jp ブレイディみかこ「息子がチャットGPTに『ブレイディみかこ』と聞いてみた。・・・」)

 あやまちて生(あ)れしか產衣(うぶぎ)はためける天よりも濃き紫丁香花(むらさきはしどい)   (塚本邦雄:水銀傳説)

LIVING

行き詰まりを回想のシロップで癒すことにして、またむかし犬山。

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黒澤のリメーク版『生きる LIVING』の脚本を書いたカズオ・イシグロが黒澤の映画から得たことについて語ったくだりを。

イシグロは、「一生懸命に努力を重ねて結果を出したとしても、それを他人が認めてくれないかもしれないし、ほかの人の手柄になるかもしれない。もしかしたら感謝されてもすぐに忘れられるかもしれない。つまり、称賛を求めることをモチベーションにしてはいけないということを私はこの映画から学んだのです。『正しいと思うことを、いいカタチで成し遂げることができた』という自分の中の達成感こそが大切なのだと。運よく私は成功を手にし、ノーベル賞までいただきましたが、その生き方は今も変わりません」と持論を述べた。クランクイン

癒されるなぁ。写真が賞賛されることでなく撮った達成感を目指せばいいんだ。

 映畫果てて出口の光あざらけし疾く出よマクベスの妻が來る   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

手紙

いろいろと行き詰って。

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大江健三郎がスーザン・ソンタグとかわした往復書簡から、大江の言葉を引用します。

私はこの国に柔らかなファシズムの網がかけられる時、若者たちが国境の外へインターネットの窓をあける、そのような共同体を夢想します。

次の四半世紀に、この国に「新しい人」が現われなければならない、と私は書きました。・・・「古い人」-私もそのなかに入ります-によってはこの国の窮境を乗り切ることができないだろう、と考えているのです。私はかつてこれほど切実に、自分の小説への、若い人たちからの反響を待ち受けたことはないと感じます。

私があまり大きい反響を期待することができないのを、・・・認めねばなりません。それでも私は、自分のスタイルが、少数者によっては確実に受けとめられることを信じています。
(「暴力に逆らって書く」)

 「二人の妻への手紙」読み終らず四方(よも)の新緑とみにつのるごとし   (塚本邦雄:豹變)

訪問入浴

変り映えなしを、なお。

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ブレイディみかこ「転がる珠玉のように」(婦人公論.jp)から、自分が身近に経験している事を書いてくれていたので。

わたしは平素、「英国はこうだけど、日本はその点ダメである。もっと変わったほうがいい」みたいなことばっかり言うと思われているので、ここで日本スゴイとか言い出すのも気が引けるが、日本の介護業界はマジでスゴかった。・・・何よりびっくりしたのは訪問入浴サービスである。

後で英国にいる連合いや息子にこの訪問入浴サービスのことを話すと、・・・わたしのホラ話としか思ってもらえなかった。

日本はもうダメだとか、底が抜けているとかコメントしている人たちの姿を帰省中にテレビで見たが、いや、しかし介護業界の人々の働きぶりを見る限り、底は抜けていない。むしろ、高齢化が進む社会の底を抜かさないように両手両足で踏ん張っているのは、高齢者ケアに携わる市井の労働者たちだと思った。

妹がしみじみ言った。
「本当に高い賃金を貰うべきなのは、ああいう仕事をしている人たちよ。あれは誰にでもできる仕事やなかもん。実際に見たら、すごいよ、やっぱり」


 鯉幟くたびれはててヴェランダに その下に三十歳の老人   (塚本邦雄:獻身)

先はうつつ

この場所でシャクヤクは何度も撮っているので進歩のない、否退化しつつある証明写真を。

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 ここより先はうつつはつなつ薄明に一人の夢の藍の芍藥   (塚本邦雄:天變の書)

オシッコをまき散らし

きのう一日気分転換をしたので植物系に戻って、お昼ご飯ついでに写真を。お茶とシャクヤクです。

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先日引用した「スーパー獣医の動物エッセイ」の筆者が飼犬と愛犬家との“テレパシー通信のような現象”を書いていました。(野村潤一郎「犬と人のテレパシー通信」)
彼はかなりの頻度で遭遇しているそうです。
飼い主が犬を病院に預けていつ戻るかもわからない長い旅に出た後で、予告もなく帰ってきたとき、

朝からぺスの様子がおかしい。何かに興奮し、まん丸の真剣な目でエレベーターの数字ばかりを見ている。夕方になった。エレベーターのモーターがシュルシュルと鳴り、表示が変わった。1、2、3……ペスの足踏みが速くなる。これはもしや……。

「ハーイ! ペスちゃん、ママよ〜」

出た!やったぜブラボー! ペスは嬉しさのあまりオシッコをまき散らしながらシッポを大回転させて、我々の掃除の手間を拡大させた。


彼は自分の愛犬ビオラの例もあげていて、

当時の愛犬ビオラと私には“とうちゃん、ビオちゃん通信”という謎の遠隔通信網が確立されていて、イヌから離れると常に「とうちゃん、ビオちゃん、とうちゃん、ビオちゃん……」と頭の中で繰り返される状態だった。

しかし飛行機が離陸して遠ざかるにつれ、「とうちゃん、ビオちゃん、とう……ビオ……」と通信は途切れ途切れになり、日本の領空を離れる頃にはそれはすっかり消滅した。


やっぱり話を盛っているとしか思えないけど、信じたい気持ちです。

小便の歌があったはずですが見つけ損ねて”尿”で季節外れですが、
 花崎喜兵衛、尿酸、遊離脂肪酸つもりつもりて新秋に死す   (塚本邦雄:豹變)

労働祭・五月祭

花が苦手なのにそればっかり続くので一日だけ気分転換で何撮ってるのという写真を。

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メーデーという言葉がノスタルジックにひびきます。
もう死語になったのでしょうか。

 勞働祭(メーデー)負債のごとし夕ぐれ明(あか)き地を靑年がころげまはるフープで  (塚本邦雄:日本人靈歌)