同化

これはもう残りものという言葉も使えない、残渣というかとごりというか。

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排除アート”という言葉を聞いてその気味悪さにぞっとしました。
3歳のころ奈良公園でベンチで横になって眠ったpithecantroupusを父が撮った写真の背景に乞食の母子が写って、その母親から猛烈に叱られたという記憶はないのですが、父から一度だけ聞かされました。

前にも引用した「スーパー獣医 野村潤一郎先生の動物エッセイ」を読んで思い出しました。

当時浅草に暮らす物乞いの男性は非常に印象的だった、何と愛犬を連れていたのである。白い雑種だったが、どこかで拾ったと思われる造花で飾られ、主人と一緒になって神妙な顔つきできちんと並んで座っていた。

これを見た私は、犬にこんなことをさせるなんて反則だよと腹立たしさを覚えつつも、彼の愛犬の遠慮ぶかげにこちらを見る瞳の中にその主人と同化した心を見てしまったのだ。

犬は主人そのものをうつす。・・・

だからこそ、犬を飼う者は克己の精神の下に心と体を鍛え上げ、命を燃やして勤労して税金を納め社会に貢献し、恥ずかしくない人生を送り、犬が尊敬できる人となるべきだ。


pithecantroupusには無理だぁ。

 飼犬百合若逝いて九年家中(いへぢゆう)のどこにも彼の肖像がない   (塚本邦雄:獻身)

認知症の男

もうあきあきでしょうか。

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あるある、と読んだのは凪一木「その172 認知症の男」(図書新聞 2023年01月01日)でした。

 自分の記憶を疑うべきか、機械やシステムの不備を疑うべきか。なんと病院で、前回分(きっかり三週間前)が未払いだと請求を受けたのだ。機械に記録がない、と。私には記憶があり、どの機械を使用したかも、そのときの「こんな小さな金額でも勿体ないなあ」と思った記憶も鮮明で濃い。
 「監視カメラの映像は無いのか。ハッキリ記憶にも残っている。そのときの様子も、電光掲示板の番号がヤケに早く表示されたなあと感じた記憶もあります」
 さらに、そのとき貰った領収書を、自宅の目立つ場所にしばらく置いていて、(昔みたいなトラブルももうないし)要らないだろうと、先週その紙を破って捨てた記憶さえある。


このあと、筆者は5年前にも同じような経験があり、病院で並んだ前の人の請求金額を払っていた(らしい)と書いています。
でも、彼が問題にしているのは、記憶と機械(システム)の関係です。システムに人間(記憶)が否定されることへの不満です。

機械にお前が間違っていると言われるとへこむもんなぁ。人に言われたら強弁したり言いつくろったりできるけど、機械はそうはいかないもん。

 特高と呼ばれし凶器摩耗して牡丹荘養老院にほほゑむ   (塚本邦雄:黄金律)

生知恵

なお、なお。

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ChatGPTをようやく試してみましたが、うまくできませんでした。
"Age of Pen"で引用している塚本邦雄の短歌をネット上で探してと命じたのですが、きっちり著作権の壁に阻まれました。
googleだったらいくつも見つけられるのですが、なまじ知恵がついているので役立たずでした。

 姓名學に凝つたあげくの改名の「すばる」何畫と思つてゐるのか   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

田と心

フジばっかりですが。

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2年前の元旦に加藤典洋「大きな字で書くこと」(岩波書店)から『もう一人の自分をもつこと』の一節(ふつう生活している場所のほかに、もう一つ、違う感情で過ごす場所をもつこと。それがどんづまりのなかでも、自分のなかの感情の対流、対話の場を生み、考えるということを可能にする。)を引用しましたが、その文の冒頭に、

思う、という漢字は(頭蓋骨を象った)田と(心臓の)心からできている・・・。思うという心の動きは、脳の働きと心の働き・・・が合体したもの・・・。
だから、二者をもたないコンピューターにとって、もっとも苦手なことは、気持ちに左右されながら、優柔不断に「思いなやむ」ことだろう。


と書いてありました。何でもかんでもChatGTPとつなげて考えてしまうpithecantroupus。


 鮮しき生命が二つ濡れてゐむはるかなる山の藤の霧雨   (塚本邦雄:歌誌『靑樫』1947 6月)

老睡

きのう一日お休みしました。こころあらたにといっても相変わらずのフジです。

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 百人永眠、千人老睡、この國は眞晝間も齒軋りが聞えて   (塚本邦雄:汨羅變)

薬を包装されたまま飲むなど超高齢者の話と思っていたら身近で起こって昨夜は救急車を呼んだり病院へ付き添ったりで帰宅が遅くなりました。超高齢者と失礼なことを考えていました。ごめんなさい。

あめたぬき

フジのついでにシャクナゲも撮りました。

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雨かんむりにタヌキという字、霾(つちふる)を初めて知りました。備忘のため引用しておこうっと。

黄砂を示すのは雨冠に「貍(たぬき)」。ただならぬ感じがしないでもない。 ・・・<霾や空海越えし海一つ>有馬朗人。壮大な話ではあるが。(中日新聞夕歩道 2023年4月13日)

 言葉なき思想のすゑをひきずりて石楠花(しやくなげ)白き山に入りゆく  (塚本邦雄:透明文法)

問へ

いつものアマノジャクの虫が出て。

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きのうの引用に、『太宰の既作品があってのことだが、ある種の表現に偏ったものをランダムに仕込んで、文章を造れば、文字通り「新しい」魅力を持った作品が誕生し・・・』とあったのを読んで、先々日引用した長田弘「対話の時間」(晶文社)に、、

コンピューターの入力と同じです。入力すれば答えはでてくる。だけど、入力の仕方が変わらなければ、答えは変わらない。・・・入力は問いであって、問いが違ってはじめて答えが違ってくる。つまり、答えというのはじつは問いであり、問い方なんです。

と書いてあったことを思い出しました。
ChatGTPが、毎回同じ答えを出せば信頼に値するが、毎回違う答えを出さなければ限界を超えられないのだと読みました。30年も前の文ですが。

 遠き日は水涸るる邊の水葵われよりもきみみづからに問へ   (塚本邦雄:摩多羅調)

あいや

きのうのフジの続きを。そうは見えないとしたら成功ですが。

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フジだという証拠写真も一枚。
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最近のAIでつくった写真がコンテスト入賞というニュースを読んで、Modern Timesに載った『人間にとって「書く」こととは』(村上陽一郎)から引用します。

彼(太宰治)の作品を分析、データ化させて、学習させれば、太宰治の新作を造るのは、今の段階でも容易いことになるだろう。この場合、太宰の既作品があってのことだが、ある種の表現に偏ったものをランダムに仕込んで、文章を造れば、文字通り「新しい」魅力を持った作品が誕生し、新しい「作家」が誕生したことにもなる。

恐らく、近いうちに、文芸誌の新人賞応募作品のなかに、ChatGTPを利用した作品が現れるのは必定だろう。現代の棋士のように、人工知能を師と仰ぎ、文学修行に励んで、芥川賞を獲る作家志望者も出てくるだろう。もう一度書くが、それを止める術はない。

ただ、徒手空拳、机上の原稿用紙を前に、万年筆の出具合を確かめながら、その空白を、自分の頭、自分の手指を使って、一字一字埋めていくときの楽しさ(苦しさ)は、そこにはない。


AIだから”あい”。
 うるはしき間投詞たち あいや、うぬ、いざや、なむさん、すわ、されば、そよ   (塚本邦雄:獻身)

ふさこもごも

お昼ご飯ついでに写真に友人がとなりの市のフジの木があるお寺へ連れて行ってくれました。

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毎年のように撮っているので撮りにくくて困りますが、ことしはフジの花の匂いにあらためて気づきました。匂いは写らないけど。

これまでにも引用した「みんなのミシマガジン」連載、「こんな座右の銘は好かん!」(仲野徹)最新は『沈黙は金』で、
言葉の意味を単純に理解していたpithecantroupusはちょっとした言葉の端々に教えられました。
面白かった部分ではないけれど、”読みました”という御朱印代わりにちょっとだけ引用。

(沈黙は金という言葉を広めた)カーライルは英国の人だから、沈黙の方が雄弁よりも良しとして書いたのだろう。
しかし、他の国では逆の意味として広がったようだ。
日本へは英国から輸入されたが、芭蕉が詠んだように「物言えば唇寒し秋の風」のような土壌がある国だ。「沈黙は金」が一人走りして大きく育った。といったところなのではなかろうか。


 藤は夜も白妙(しろたへ)のふさこもごもに命觸(ふ)りつつ移(うつ)ろひゆかむ   (塚本邦雄:靑絃帖)

わからない

なお残り物。うぐい川。
コントラスト低めにしたので、お口直しに雑草の中から咲くツバキも。

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長田弘「対話の時間」(晶文社)におさめられたエッセイの中に、

 数学が苦手だったために、一つだけ学んだのは、解らないというのは、解るの反対じゃないということでした。・・・
あるときあっそうかと思うまでの時間をもちこたえるということが、解らないということ。
数学にかぎらず、・・・


とありました。もしかしたら、出来ないというのも出来るまでの我慢の時間なのかもしれないと、できない自分を慰めました。

 花曇り水銀のいろたれにしろ死は死ののちにしかわからない   (塚本邦雄:不變律)

あの時へもどれたら

一日中くもりで気温の上昇を感じない日は、くずかごをごそごそして下の方からくしゃくしゃになった3月末の写真のシワをのばして。

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5年も前の記事ですが「ご存知ですか? 4月18日は寺山修司の「天井桟敷」旗揚げ公演の日です」というのがあって、あの時代の熱気を懐かしく思い出しました。もどれないのかなぁ。

天井桟敷に”毛皮のマリー”というのがあったので、
 濃霧の街の底の光に白馬色の毛皮賣られつ戀しランボオ   (塚本邦雄:水銀傳説)

底の地獄へ

きょうも残りものから。3月末の。

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”残りもの”なので、残を含む歌を。
 われの耳翼(じよく)に齒型を殘し遠ざかる彼奴(きやつ)、萬綠の底の地獄へ   (塚本邦雄:獻身)

しが

古い写真に飽きて先日の甲賀うぐい川の残りものを。

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先日むつごろう先生が亡くなりましたが、「畑正憲 たばこと生きる力」という記事を読んで急に身近に感じました。
このVoiceというサイトでは、「たばこの販売を禁止すべきか? ―喫煙問題の倫理学」という記事もあって、pithecantroupusお気に入りのサイトです。

二十歳の誕生日からショートピースを吸い続けましたが、最近健康のためにピース・リトル・シガーに変えています。
こちらは箱にニコチンやタールが何mgと書いてない分、健康に良いのです。

シガーって書いてある歌で、
 國籍のなき戀人がかくしもつ旅券のうらにあるただしがき   (つかもとくにお:透明文法)

春祭

きのう頭を使わないでつくった肉じゃがに肉を入れ忘れました。
すき焼きのたれを使ってこれまで何度も作ったのに、ネットでレシピを見ながら作ったのに、肝心の肉を忘れるとは。
もう駄目だという気持を回想法でなでなでして。

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 春祭木末(こぬれ)はためく夕映に青年外科医笛吹きゐたれ   (塚本邦雄:豹變)

ネットニュースはお手軽なのでよく使うのですが、先日の奈良知事選結果をうけた県連会長のニュースがすぐに消えたり、そのうえ彼女のニュースではコメントのトップがいつでも彼女推しであったり、きのうはフィギア国別のニュースで日本の銅ばかり見出しで、韓国が初出場で銀の扱いがしょぼかったり。
こんなところで自分はコントロールされているのかと思うとちょっと情けないけど、googleの検索も同じだなぁと、使わない頭がどんどん錆びついていきます。

ひひらぎ

雨の日は頭を使わない日。

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 ある日歌すてて六根あきらけくひひらぎに夕霙雲母(きらら)なす   (塚本邦雄:詩歌變)

つつじ

寄り道のついでにツツジを。むかしのですが。

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やっぱりサクラも。これもむかしのですが。
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跨がっていますが、”ツツジ”で、
 靑天の靑昏みつつジュリアーノ・ジェンマが滅多毆(う)ちのふともも   (塚本邦雄:されど遊星)

九十まで

きのうの犬に味をしめて動物系の一枚を。
きのうもきょうも犬山らしいのですが昔のことで記憶がありません。(涙)

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水増しは好物の窓を一枚。
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坂本龍一が10年前、“もんじゅ君”とかわしたインタビューで言ってました。

「死ぬ前にこれだけは読んでおきたい」っていう本のリストをエクセルでつくってある。

もともと昔から、引退したら柳田國男と折口信夫の全集を読んで暮らしたいと思っていました。でも、やっぱりギリシャ悲劇も全部読まないうちには死ねないとか、やっぱりもういちど漱石全集は読みたいなとか、・・・。

そういう「これだけは読んでおかなきゃ」という本がたくさん出てきちゃったので、そうするとあと20年だと足りなくて、あと30年くらい生きようかなと(笑)。
・・・90歳まではとにかく生きて、読みたいものは読むというのがいちおう人生の目標なんです。だから仕事なんかしている暇はないんです、ほんとうは。
(じんぶん堂『特別公開:坂本龍一さん3万字インタビュー前編「音楽の大きなテーマは、亡くなった者を悼むということ」』)

 銀木犀燦燦と零(ふ)り不惑より九十まで四十三萬時間   (塚本邦雄:魔王)

木木

とうとう昨日は写真の色調がくるってきたのはアマノジャクの虫が反抗しているのだと反省し、気分転換に昔の”何撮ってるの”で反抗心をおさめます。

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助手席に乗った犬のほうが撮ってる自分より偉いように見えた日。
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今さらのことですが備忘のために。

 オーストラリアのクレイドルマウンテンに行く途中に、僕のお気に入りの撮影場所がある。観光客も写真家たちも、ここに足を止めるものはほとんどいない。なぜなら、心はクレイドルマウンテンでいっぱいで、途中の景色には関心を払わないからだ。

 でも誰も関心を払わないところに、自分の世界を見つけ出し、そこにまずは足を止める。これが第1歩だと思う。

 2004年、初めてタスマニアで個展を開催するためのプレゼンで、学芸員の女性から「あなたは1000人の写真家のうち999人が通り過ぎた場所を、立ち止まって作品にした1人だと思う。私が欲しい作品は、その立ち止まった、たった1人の作品。だから私はあなたの個展を開催したい」といわれた言葉を思い出す。
(婦人公論jp フォトグラファー相原正明「〈木〉をどう撮るか。1000人の写真家のうち999人が通り過ぎる場所に足を止めるのが、オリジナル作品を作り出す第1歩」

 心やすらふ公園午(ひる)の光さし幼くて病める木木の群がり   (塚本邦雄:日本人靈歌)

残りものの季節

そろそろ残りものの季節です。

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藤井聡太六冠のニュースを見て、むかし、「巨人、大鵬、大山康晴」と無敵のイメージを抱いていたことを思いだしました。
ずっと後に、羽生善治が「兄は頭が悪いので東大に行った」という言葉がふたたび将棋を思い出させました。
藤井六冠のニュースで、将棋への関心をみたび起こさせられます。

棋士のかわりに騎士で、
 銅版の網目のきずにデューラーが騎士うらわかき四肢にじむかな   (塚本邦雄:されど遊星)

に飽き

そろそろ堪忍袋の限度かもしれませんが他にないので。

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季節が合いませんが「飽き」で、
 人間に飽きて如月(きさらぎ) 獣園のうらわかき豹とほほゑみ交す   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

「考えすぎない」のではなく「考えない」

満開の桜を撮れたのがうれしくてきょうも甲賀市鮎河うぐい川。

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クラシコム「北欧、暮らしの道具店」というサイトの『日々は言葉にできないことばかり』第五回「孤独や言葉にできないというのは、心あたりのある感情」の一部分です。文筆家大平一枝という人が写真家川内倫子とインタビューしていました。

彼女の創作は独特だ。
 撮るときはあまり考えすぎないようにしているという。体の反応をなにより優先する。その時々で反応した、撮りたいものを撮る。
 のちにまとめる段階で、「なぜ私は反応したんだろう」と考える。
 写真と対話を積み重ね、一冊の写真集や写真展に仕上げる。撮影以上に、この対話の時間が重要だ。まとめ終えたところで、ああそういうことだったんだとあとからテーマが見えてくることもある。


撮るときにpithecantroupusは「考えすぎない」のではなく「考えない」のだけれど、その時々で撮りたいものを撮るのは一緒かも。

 ゆく春をともにをしまむ一人無し近江洪水伊賀崖くづれ   (塚本邦雄:魔王)

昭和尽き

なお鮎河、なおうぐい川。

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 昭和盡きむとしつつ花冷え靑葉寒(あをばざむ)朗々の歌あとを絕ちたる   (不變律)

三省堂の国語辞典について、『三省堂国語辞典』編者の孫見坊行徳が『消えたことば辞典』を出版した記念対談を、三省堂の現役辞典編集者飯間浩明としていました。

飯間:私が『三省堂国語辞典』の初版、第二版あたりを見ていて特に感じるのは、「古い時代に決別したい」というお祖父さまの決意です。例えば、軍事用語、兵隊用語はかなり消えてしまいましたね。
 以前、毎日新聞の取材に答えたことがありますが、「軍靴の響き」など比喩的に使われる「軍靴」という項目も、お祖父さまは削除されましたね。
 お祖父さまとしては「もうこれからは軍靴が響くような時代じゃないんだ」と考えていらしたのではないかと想像します。

見坊:私もそう思います。「軍靴」の隣の「軍足」(軍人のはく靴下)も『三省堂国語辞典』の初版まで残りましたが、第二版で消えて、その後復活しませんでした(編集部注:「軍靴」は第七版で復活)。


購買層を考えて、なんでしょうね。子どもたちには軍靴が響くような時代にしたくないと。
だからこれはpithecantroupus向きではありません。

うぐひ

水曜日に友人が誘ってくれて桜の名所へ連れ出してくれました。きのうきょうの写真です。
あたらしいアイテム、Laowaは発色がわるいです。

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発色をモノクロでごまかして。
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ここは、滋賀県甲賀市土山町鮎河地区のうぐい川沿いです。
”千本桜”と名付けられた名所だそうです。
アマノジャクは観光写真を撮りたくなのです。
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うぐい川の代わりに”うぐひす”で、
 うぐひすの衰ふる夜を紅梅の葉隠れの花いよよ濃かりし   (塚本邦雄:黑曜帖)

猫の

夢が気になっています。先月あたりから映画やテレビドラマのような夢を見るのです。
そしてとうとう、昨夜はヒト語をしゃべる動物ばかり出てくる夢でした。
あと少ししたら周りの人がヤギやウサギやクマにみえてくるのではないでしょうか。

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“みんなのミマガジン”サイト連載「語尾砂漠」(松樟太郎)の最新回『話題の「ChatGPT」に「ネコ語尾」でしゃべってもらった』から引用します。

 最近、話題の「ChatGPT」。これが面白くて、毎日のように使っています。
「こういう人はこういう語尾を使いがちである」というビッグデータから、人間の語尾を解析することもできるはずです。

 ということで、やってみました。
私:「ネコのような語尾で何か話してください」
ChatGPT:「にゃーん、今日はとってもいい天気にゃ! お外で遊ぶにゃん? それともお昼寝するにゃ? にゃはは、私はお昼寝が大好きなんだにゃ〜」

 おお、ChatGPT先生、ちゃんと「ネコ語尾」を使ってくださっている!
 これはもうビッグデータ的にも「ネコの語尾はニャ」だと証明されたといっても過言ではないでしょう。もちろん、現実には「語尾ににゃをつけて話すネコ」は皆無ではあるのですが。

 犬の「だワン」はどうでしょうか。「犬のような語尾で何か話してください」と質問したところ、このような答えでした。

ChatGPT:「わんわん! 今日も楽しそうな匂いがするにゃん! 一緒に走り回ろうぜ! あっちに何かあるぞ! ガウッ! あ、ごめん、ちょっと興奮しちゃったわん。でも、こんな日は外で思いっきり遊ぶのが最高だぜ!」


犬のキャラはスギちゃんだったと驚いて、このあとゾウ、イカ、西郷隆盛が続きます。

 猫の名を「藥子(くすこ)」と決めて五分間のちに流涕(りうてい)するははうへよ   (塚本邦雄:獻身)

老蛙

サクラが続くので目くらましの一枚。新しいアイテムの試し撮りです。

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マニュアルフォーカスのレンズはいくつか使いましたが、今回のLaowaは絞りがボディー側でコントロールでした。
そんなことにも気づかずにパシャッ。

「ためしどり」を変換したら「ため死鳥」と変換。pithecantroupusはもう長くないかも。

超広角の超で、
 超人類と呼ばば呼ぶべしほほゑみて輕妙に「海征かば」を歌ふ   (塚本邦雄:不變律)

レクイエムのなる

きのうのつづきを。

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 兩岸にレクイエムの響(な)る河をゆく船、たそがれて薊色の帆   (塚本邦雄:水葬物語)

ピアニスト

昨夜ブログを更新した直後に訃報を知りました。
坂本龍一の死にすこしでも弔意を表せればと。

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同じ年の同じ月に生まれたというだけであとは、何も似ていないけど勝手に身近に思うのです。
 石に坐し明日の世界を彈きいだす冷酷なピアニストを戀ふも   (塚本邦雄:装飾樂句)

こそ思へ

変り映えなし、です。

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 父母兄弟みな亡(う)せてけるふるさとの花こそ思へ雨の夜櫻   (塚本邦雄:汨羅變)

花見むと

きょうも一枚。肉体的だけでなく精神的にも生産力が低下しているようで。

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きのうの阿川佐和子は、自らが認知症になった母に近づいているという、どんでん返しのきいたミステリーのようなエッセイでしたが、子供じみた遊びをやってしまう健全性について、同じ婦人公論JPに別の記事がありました。(曽野綾子 「自分の病気に大騒ぎして、他人の病気は痛くもかゆくもない。「自分もその立場になったら」という不安を持つ能力に欠ける「幼児化」した日本人がなぜ増えたか」)

この文も、自分の幼児性を棚上げした話ではありますが、幼児性を否定的に語るほどに憧憬が感じられます。

平和は善人の間には生まれない、とあるカトリックの司祭が説教の時に語った。しかし悪人の間には平和が可能だという。

それは人間が自分の中に十分に悪の部分を認識した時だけ、謙虚にもなり、相手の心も読め、用心をし、簡単には怒らずとがめず、結果として辛うじて平和が保たれる、という図式になるからだろう。

つまり、そのような不純さの中で、初めて人間は幼児ではなく、真の大人になる・・・



 印度大麻劑(ハシツシユ)のみて冰河の紅き花見むと髪燒けり幼妻の火の髪   (塚本邦雄:水銀傳説)