ぺん

のこりものですが。

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kowa 8.5mm 2.8

オリンパスがかつて開いていた“ペンすなっぷめい作展”によせた遠藤周作『ケントウ違い』を長くなりますが全文引用。

 安岡章太郎は大学の時、私より一年上だったし、文学、人生の上でも先輩だが、しかし私の趣味向上のため啓発してくれた良き友人である。ただ・・・。

 ただと書きかけて私の筆は少し鈍るのだ。五、六年前、カメラの使い方を教えてくれたのは安岡だった。シボリもシャッターの押し方も知らぬ私を彼が怒鳴り、おだてて、どうにか一人前に写せるようにしてくれた、おかげで私も素人写真コンクールに出品できたのである。あの時、進んで被写体に彼がなってくれた友情も忘れられぬ。「だめだナ。お前のこの写真は。」と彼は私の作品を笑い、そのコンクールに自分も模範的作品を出したのである。その結果、彼の模範的作品は落選し、ふしぎにも私の作品は金賞をとった。審査員は木村伊兵衛氏をはじめ一流のプロだったと覚えている。

 自動車について詳しい知識を私に教えてくれたのも彼である。「お前は全く機械白痴だな」彼はそう言って日本の車から世界の車の型や性能について語りつづけたのである。あれから三年、ふしぎをことに私はハード・トップを自由自在に運転する身になったが、彼は免許証さえ、とっていないらしい。車というのは「見る」ものではなく「動かす」ものである筈である。

 むかし、仲間たちと集まった時、彼はよく古いシャンソンを怒鳴った。それは彼が学生時代に新宿の光音座でみた仏蘭西映画の主題歌だった。歌っている彼にはシュヴァリエのような気持になり、セーヌ河やモンパルナッスの風景がまぶたに浮かんでいるらしいのだが、聞かされる我々は、なにかブリキとブリキをすり合わしているような気持ちになり、そう言うと、また彼に怒られるから、情けない顔をしてうなだれているのであった。「だめだナ。お前は、音楽がわからん。」とその時も彼は言った。

 その彼が最近ステレオにこり、西洋、日本のステレオについて知識をつんでいるとは・・・私はあとは何も書かない。



展覧会の”ぺん”をとって、
 詩に滅ぶこころあれどもシャープペンシル替芯の睫毛のひびき   (塚本邦雄:星餐圖)

猫を目印にした話

おひな様に戻って。

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kowa 8.5mm 2.8

去年「へそを落とした話」を引用しましたが、同じ筆者がその対になる話を書いていました。

実はこの話は対になっていて、もう一つ逸話がある。
 それは、
 「猫を目印にした話」
 という。
 極度の方向音痴で有名な栗原さんが、神楽坂の友人宅を遊びに訪れた際、行く道で、塀の上で昼寝していた猫を目印にしてしまい、数時間後の帰り道ではまんまと道に迷って、結局駅までたどり着けなかった、という、涙が出るようないい話である。
『はたらかないで、たらふく食べたい 増補版――「生の負債」からの解放宣言』解説 早助 よう子

彼女は、『はたらかないで、たらふく食べたい』を書いた栗原康の友人だそうです。栗原の専門がアナキズム研究ときくとがぜん興味がわいてきます。

めじるしの代わりにメジロで、
 繍眼兒市(めじろいち)疾風のごとく驅けぬけてむごし若者の網布(チュール)のシャツは   (塚本邦雄:水銀傳説)

ウサギ

今年がウサギ年だったことを唐突に思い出して。

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kowa 8.5mm 2.8

写真が唐突ならこれも今更ですが、先月の東京新聞に載った磯崎新追悼文から。

 それにしても、なぜ最後は沖縄に居所を定めたのですか、と問いたかった。・・・それは、戦後のすべてがこの地の来歴に含まれている、というメッセージではなかったのか。沖縄返還交渉の最前線で挫折した若泉敬さんが吐いた「愚者の楽園」という言葉を思い出します。われわれの世代は、一見、安心で安全な経済の夢の中を生きてきた、言い換えれば、「愚者の楽園」で惰眠を貪ってきただけなのかもしれません。自らの終焉の地を沖縄に選んだかに見える磯崎さん。これも彼なりの批評精神の当然の帰結だったように思えてなりません。「磯崎新さんを悼む 時代を創った建築家」 建築家内藤廣

若泉敬は沖縄返還交渉における佐藤首相密使でしたが、のちに自著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』で密約を暴露して沖縄県民に謝罪した人。こんなことももうpithecantroupusは忘れていましたが、磯崎新が思い出させてくれました。

 秘すれば花、秘しても核と、笑ひごとめかして文武大臣不在   (塚本邦雄:風雅黙示録)

無口で

きょうは無口で。

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茂吉忌だそうなので、
 茂吉『朝の螢』手に入るべく出でて源氏「玉鬘」の巻中斷   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

死し虫

関町は何回も撮っているので目先をかえるため無理してとりました。
小賢しいマネを。

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kowa 8.5mm 2.8
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kowa 8.5mm 2.8
一週間前に引用した芥川喜好「時の余白に」の続編から、

かつて司馬遼太郎さんは日本文化を語って美意識ということに言及しています。
日本の社会は宗教のような絶対原理で組み上がっていない。
それでも秩序がうまくいったのは、「恥ずかしいことをするな」「そんなことを言ったら笑われる」という「世間の基準」のようなものがあったからだ。それはモラルではなく美意識なのだと。

法令違反や規制無視は、取り締まることができる。社会は壊れない。厳しくやればいい。
しかし人間の倫理観の喪失や美意識の崩壊は、取り締まることができない。見えないところで社会は蝕まれ、壊れていく。その虫食い音が、ほら、さくさくとかすかに聞こえています。(「なぜここまで壊れたか」)


pithecantroupusは司馬遼太郎が好きでないし、大ウソつきとも思っているのですが、これは賛成。(大見得を切った言い様は嫌いです)

 血族一人殖え一人死し蟲干の乳白の巨いなる女靴   (塚本邦雄:日本人靈歌)

たそがれ

いろいろと反省する日。

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nocticron 42.5mm 1.2

きのう「感覚なんていい加減という証明」と書きましたが、さらに考えると、女性は数式が苦手だろうとか、男性はキスをされるのでなくする方だ、といったジェンダーバイアスが歌の作家への思い込みになったと思います。

思い込みつながりで、三省堂のWEBから、

筆者は水原弘が紅白歌合戦で歌った「黄昏のビギン」という曲で、「タソガレ」という語を知ったような気がしている、と書こうとして、ねんのために調べてみたら、何と、水原弘は紅白歌合戦でその曲を歌っていなかった。いったいどこでその曲を聴いたのだろうか。今野真二『日本国語大辞典』をよむ第77回 黄昏のビギン

pithecantroupusも黄昏のビギンを小さいころに聴いたような記憶があります。すくなくともちあきなおみよりもはるか前でした。
検索して、中村八大と永六輔の曲とはじめて知りました。

 黄昏に白馬沈めりつみとがのみなもとに人のをみなごの聲   (塚本邦雄:陽

権力

一昨日撮った関なお。

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きのうの短歌の作者、杉田抱僕はてっきり男性と思っていたら女性のようで、二宮冬鳥は女性かと思っていたら短歌では名のある男性だそうです。pithecantroupusの感覚なんていい加減という証明でした。
こういうときは確かな人の言葉を引用して、賢しこぶらなくちゃ。

 「権力者支配(powercracy)」という言葉が思い浮かんだ。(筆者の造語です)

 「パワークラシー」の国では、権力者が権力者であるのは、政治的に卓越しているからでも、知的に優れているからでも、倫理的に瑕疵がないからでもない。すでに権力を持っているからである。「パワークラシー」の社会では、「権力的にふるまうことができる」という事実そのものが「権力者であること」の正統性の根拠になるのである。

 先日、ある政治家が国会議員を引退するに際して息子を「跡目」に指名するということがあった。日本ではよくあることである。その息子は、近親者に三人の総理大臣を含む何人もの国会議員がいるという「毛並みのよさ」を誇示してみせた。たぶん本人も、それを提案した周りの人間も、それが一番アピールすると信じたからそうしたのだろう。「パワークラシー」信仰をこれほど無邪気に表明した事例はさすがに珍しい。(Kishiさんのことかな)

 まことに困ったことに、「パワークラシー」の国では、権力者だけでなく、市民までがその影響を受けて、「権力者であるような顔つき」を競うようになる。
 知者が統治する国なら、人々は自分を知者のように見せようとするだろう。有徳の人が統治する国なら、人々は自分もまた有徳者であるように見せようとするだろう。権力的にふるまう者が統治する国では、上昇志向に駆られた人々はそれを真似ようとする。
内田樹「パワークラシーの国で」

季節外れですが”権力”で、
 權力ははたと晩夏のわが心斷つ たらちねのははもはりつけ   (塚本邦雄:靑き菊の主題)

ニッパー

こんにちは、ニッパー。

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小学館のブックマガジン「本の窓」最新号に穂村弘インタビューが載っていました。
プロアマ問わず集めた短歌のアンソロジー「短歌のガチャポン」刊行記念だそうです。

その中に紹介されていた杉田抱僕という方の歌。
(7×7+4+2)÷3=17

これが短歌と分かる頭がすごいと思いました。
五七五七七なんだそうです。

そう言われてもピンとこないpithecantroupus。
かっこナナ かけるナナたす ヨンたすニ かっことじわる サンはジュウナナ

同じ記事の中にあった二宮冬鳥という方の作にはすぐ共感したけど。
くちづけをしてくるる者あらば待つ二宮冬鳥七十七歳


 淡雪の泡さながらの生靈(いきりやう)に短歌は完全に包圍されてゐる   (塚本邦雄:黄金律)

千の情報

きのうまでの関町は10云々年前、きょうの関町は今日撮ったお昼ご飯ついでに写真。
今年初めてカメラを持ち出しての撮影に、時間が足りずにしり切れトンボでしたが。

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きのうの松岡正剛「千夜一夜 『模倣の法則』 ガブリエル・タルド」の中に、

 模倣力・連想力・類推力をどう見るかということが、今日のウェブ社会や検索社会に投げかける問題も少なくない。そもそも連想検索がどのようにあるべきなのかということは、「意味の模倣的構造性」をとりこまないかぎりは、新たな展望は生まれないはずなのである。連想検索だけでなく、連想再生も重要だ。
 たとえば、たんに蓄積可能なものを選ぼうとするより、模倣可能なものを選んだほうが蓄積可能になっていくというようなタルドの指摘は、今日のITコンテンツ時代の先頭を走りたい者ならば、よくよく心すべきことなのである。


とあって、最近のgoogleをめぐるニュースを思い出しました。タルドのこのフレーズはAIにも使えそう。
松岡がこれを書いたのが2009年ということに驚きです。

千夜一夜だから”千”で、
 千の情󠄁報今蒼白に泡だちてブイグがアルゼンチンで永眠   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

まね

なお。
都合の悪いところはカットして。

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以前に鶴見俊輔を引用したひとつに、
亡命する直前のヴアルター・ベンヤミンの言葉を思いだすんだ。「自分はいまは二百ほどの引用文をもっている。だから自分はゆたかな感じがする」。びっくりしたね。二百の引用文が発想のもとになって、ものを書いているわけ。いろんな本から慎重に考えぬいて書きぬいた、その二百があれば、自分が使える伝統をもっていることになる
というのがありました。

ベンヤミンのパサージュ論のことを言っていると思ったものの、手を出しかねています。かわりに、松岡正剛「千夜一夜」1318夜 『模倣の法則』 ガブリエル・タルドから。

 世の中で一番つまらない信仰はオリジナリティ信仰である。

 ジャン・コクトーが「ぼくの一番嫌いなこと、それはオリジナリティだ」と言ったはずなのに、世の中では「人をまねしてはいけません」と教え、芸術や思想は模倣を蛇蝎のように扱ってきた。

 模倣は想像力の欠如、独自の想像力に恵まれない者の慰み、その行為は卑劣で唾棄されるべきものと社会は糾弾してきた。ところがタルドはこれらに全面的に反論し、「社会の本質が模倣である」とまで言ってのけた。


確かに誰かに模倣されないものなんて残らないもんなぁ。
写真集を開いたり他人の撮った写真を見ることも楽しいし。


”真似”のかわりに”招く”で、
 金星のわれを招かば掌上の辰砂きさらぎの野に棄て赴(ゆ)かむ   (塚本邦雄:されど遊星)

あり得ざる

なお関町。
レシオを変えて目くらまし。

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pithecantroupusはイヌが苦手です。きのうの写真も、カメラをかまえていなければ後ろ向きに逃げたい場面でした。
苦手だけど気になります。
ネット・ニュースで”ペットも長生き 「認知症」増加”という見出しを見て初めてイヌに認知症があると知りました。
このごろ”認知症”という単語にはすぐ反応します。

 トタン屋根の上の夕露、犬の自死、殉國、つひにあり得ざるもの   (塚本邦雄:風雅黙示錄)

外にゐよ

美濃も日野もネタが切れてきたので、そのころ撮った亀山市関の写真で。

こっちへ来るな!
そらブレてしまったじゃないか。
カメラはお前のおもちゃじゃないぞ。
あっちへ行け!
怖くなんてないぞ。
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読売編集委員芥川喜好の新聞連載「時の余白に」が本になって、その書肆WEBに本のあとがきの抜粋(「関心に従って書けばそれはそのまま世の余白だ、という妙な確信があった」)がありました。

 地域情報誌「かがり火」の発行人菅原歓一さんの言葉に出会ったことは、このコラム(新聞連載「時の余白に」)にとっては一つの光明でした。
菅原さんは、この国は有名になった者が勝ちといわんばかりの社会になってしまったと言っています。
政治家、学者、作家、芸能人、誰もが有名になりたがり、名前を売りこむことに汲々としている。
その結果、売れるかどうかが最大の関心事になり、売れたものがいいものだという転倒した価値観が定着してしまった。この考えが日本の社会を汚染した――と。


早即「かがり火」を検索したら、pithecantroupusもたまに利用する弁当屋さんの話が載っていて身近に感じました。
このお弁当屋さんの“社長係”インタビューも面白いものでした。

「仕事ができるできないを個人の能力、個人の責任のように扱っているけれど、・・・『仕事かできる』という一部分を切り取って、人の優劣を評価するのはあまりにも乱暴で知性のない行為だと思います」

「・・・いまの社会は『できる』をかさに着て、人の上に立てるかのような錯覚を持つようになっている。子どものころから学校で勉強ができることが偉いとしている社会風潮のせいだと思うけれど、僕は人間らしくないと思っていました」



 犬と殺人者(キラー)は外にゐよてふヨハネ黙示錄台二十二章を愛す   (塚本邦雄:魔王)

自転車

きのう美濃おとつい日野きょうまた日野むかしだけど。

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ちょっとずれていますが、
 自轉車の荷臺に極樂鳥花(ストレリツイア)搖れゆれて今日新天長節とか   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

また美濃むかし。ひな祭りやっていたようです。

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桃の節句というと清らかだけど、桃色と聞くと下半身がむずむずして血圧が上がりそう。
 群衆の昏き貌見きたまゆらを桃色にひらく冬の花火に   (塚本邦雄:透明文法)


配達に来る郵便局のバイクの音がこのごろプリウス風と思ったら電動バイクだそうです。
市販品の改造ではなく郵便局専用と聞きました。さすがホンダの地元。

雑草ですがなにか。

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m.zuiko 30mm 3.5 macro

3日前に『写真たるは我々が無許可に、カメラという魔法の機械でもって本来あるべき場所から景色を勝手に盗んできたものであるということを。』を引用した新納翔の連載回からもう一度。(第11回 写真家とSNS / 写真の著作権を放棄せよ

現在、私は一度このウェブという大海原にアップしたものについては著作権の放棄をせよというスタンスに変わっている。盗用に関する問題は各個人の倫理感に委ねるとして、ウェブ上における写真保護の状況はなんら改善はされていない。

もちろん撮影データの著作権は通常撮影者にある、それは保護されてしかるべきなのは当然だ。ただ、(勝手に保存されたくないという)それはSNSを軽視する姿勢でしか無いように感じるのだ。


筆者は、下手な写真をSNSにばらまくのは猥褻物陳列罪とも書いていて、pithecantroupusなどは公序良俗を乱した罪で叱られそう。


 二月、山上にて若者ら猥談す冰煮て熱湯となる閒を   (塚本邦雄:日本人靈歌)

前頭葉を刺激

なお。

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去年ブログでマユにツバをつけながら引用した和田秀樹が「医師・和田秀樹による50代から80代までの世代別「人生の指南書」4選」を書いていたので一部を引用します。

 脳のなかでも最も早く萎縮し始める(=老化し始める)のが、前頭葉です。
 老化によって、(前頭葉の主な機能の)⓵自発性や意欲が減退する、感情が老化する、⓶ある感情や考えから別の感情、考えへの切り替えが悪くなる・できなくなる、③新しい発想や、創造的なことができなくなる・・・

 カギとなるのが、70代の過ごし方です。
 同じ店で、同じものを食べているうちは、前頭葉を刺激しません。
 読書が趣味の人なら、・・・たまには別の作家や、別のジャンルを読んでみることをお勧めします。


引用元を読んでいるとつい本を買ってしまいそうになります。あぶない、あぶない。
これからは意識して、巨乳だけでなく貧乳の写真も見るようにしなくては。

 母にも妻にもとほき地獄に薄陽さしわれらの葵色の乳暈(にゆううん)    (塚本邦雄:水銀傳説)

好物

きのうつづきで。

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直木賞の千早茜がエッセイ「好物の名前」を書いていました。

 先日、直木賞を受賞した『しろがねの葉』という小説の主人公がウメという名のせいか、梅干しや梅味のものをちょくちょくいただく。・・・旧知の編集者が「それ、いいですね」と言った。
「好きな食べ物を主人公の名にすると好物をもらえるってことですよ。次に生かしましょう」と。

 私はストリップ鑑賞が趣味のひとつだが、踊り子さんの芸名がときどき「めろん」や「りんご」といった果物名のことがある。友人の踊り子に聞いたら、懇意のお客さんから好物の差し入れがあるらしい、とのことだった。
自分も芸名に「いくら」や「マンゴー」を入れておけば良かったと彼女は嘆いていた。・・・


pithecantroupusも、dark boxとかobscuraという名前がよかったかなぁ。

 三歩前進五歩退却の詩境にて佇(た)ちつくす暮るる紅梅の下   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

本物の反対語も本物か

むかし美濃ひな人形なおです。

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うちばやししゅんという「写真を中心とした視覚文化史の研究家・・・」のnoteから引用します。

大学院のとき、指導の先生に「ある作品を見て、あとのことなど考えずいますぐその作品の展示ケースを叩き破って作品を盗みたいという衝動」と、「大好物の大トロの握りを目の前で嫌いなやつに食べられてしまったとしても、それはすでにオレがもぬけの殻になるくらい見尽くしたもので、お前が食っているのはその残滓だと言えるくらいの眼」をもてと散々いわれた。へんな話だと思われるかもしれないが、それはとりもなおさず本物に触れろということだったのである。(「#本物に触れてほしい」の重みーコロナショックから写真文化を考える )

先日引用した新納翔の連載記事に『一度考えてみて欲しい。写真たるは我々が無許可に、カメラという魔法の機械でもって本来あるべき場所から景色を勝手に盗んできたものであるということを。盗品を盗まれたと主張することのナンセンスさを。』とあったので、「本物」の記事を探しました。

 算術のつたなきわれにアラビアの牝馬がくはへ來し僞金貨   (塚本邦雄:透明文法)

恍惚を思い

スーパーへ行きましたがレタス買うの忘れました。
ボケたのではありませんよ。ボケたらメモに書いた買い物を忘れるから。(笑)

多分むかしむかし美濃市へ行ったのだと思います。自信ないけれど。
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きのうの残りもの
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 蟻が蟻地獄に引かれゆく恍惚を思ひをり死ののちにも詩歌   (塚本邦雄:波瀾)

れたす

テレビで紹介されたアイテムがとなりの市でつくられていると知って招待しました。

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物心ついたとき、将来の夢はうさぎだった。野菜嫌いだったわたしに、母はレタスを食べればうさぎになれると言った。それを信じて、一生懸命レタスを食べていた。』というのを読んで思わず笑いました。

すばる文学賞を受賞した作家大谷朝子が受賞記念に書いたエッセイの一部です。彼女が中学生で出た弁論大会「将来の夢」の一節だそうです。

今、わたしの夢は、作家になることだ。この先また将来の夢は変わっていくかもしれない。でもそのたびに、うさぎになりたくてレタスを食べた気持ちを忘れないようにしたい。』と弁論は続いたそうで、今の彼女は『わたしの夢は、それからずっと変わらなかった。中学生のわたしに、教えてあげたい。信じられないよね。長い間レタスを食べ続けていたら、本当に叶えられたよ。』とエッセイを結んでいました。

う~ん。明日はスーパーでレタスを買おうっと。今からでは遅いかなぁ。

 花は朽ち鳥は老いゆくゆふがすみいかなる春か住みよかるべき   (塚本邦雄:露とこたへて)

ついにつきたり

あたまがクルクル、クルクル。目がまわっています。

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きのう引用するつもりでしたが、頭のククルクルのせいで一日遅れました。
きのうは太平洋戦争において、ガタルカナルから一週間にわたり3団に分かれて撤退した最後の集団が島を離れた日だったそうです。
毎日新聞2月3日余録『「粉味噌も遂につきたり…』から一部を引用します。

 「粉味噌(みそ)も遂(つい)につきたり、明日よりは、塩ふりかけて粥(かゆ)はすすらむ」「米なくば椰子(やし)をくらいて、椰子なくば草の葉嚙(か)みつ闘いて止(や)まじ」。餓島と呼ばれた南太平洋のガダルカナル島で米軍と戦った日本軍兵士の和歌である▲2万人の死者のうち4分の3は病死や餓死とされる。敗勢が決定的になると、生き残ったジャングルの「ヒョロヒョロの兵士」たちに非常招集がかけられ、1万人が撤退を迫られた。80年前の2月上旬のことだ

このあと撤退を転進と表現した「戦争のウソ」から、今のウクライナとロシアの話になります。
もうガ島は死語なのかなぁ。

 昭和十九年大寒或る眞晝乾電池かじらむとせしこと   (塚本邦雄:魔王)

枯れて

なんだか同じような写真ばかりで手詰まりです。どうしよう。

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新潮社PR誌「波」2023年1月号の阿刀田高インタビューから。彼が最近出した『小説作法の奥義』刊行記念イベントだそうです、

(インタビュア)この本の最終章のタイトル「花は散るために咲く」は最近心に宿っている言葉だそうですね。

(阿刀田) 全然枯れないバラの花はつまらないですよ。そりゃあ単なるモノとして見るならば永遠に枯れない造花の方が上等でしょうけれど、明日は枯れるのだと思って見る花は、人間の心に様々な感興を呼び起こします。そう考えると明日死ぬ花の方に価値がある。さらに突き詰めていくと、死ぬから価値があるんだという気もしますね。自分の心を花に同化させるのかな。


明日は枯れるかぁ。もう枯れているけどなぁ。だから価値はないよなぁ。


 ヴェネツィアは水の底なる玻璃の檻きさらぎはわが唇枯れて   (塚本邦雄:歌人)

セクシー

日野なのか長浜なのか、そのあたりです。

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 先月、ハッピー数や幸運数の記事を引用し、2023は幸運数などと書きましたが、世の中にはpithecantroupusにぴったりの数字もあることを同じサイトで知りました。セクシー数!(セクシーばんざい)

 実は、「セクシー素数(sexy primes)」の「セクシー」の意味するところは、このような性を意味する「sex」に由来しているのではなくて、ラテン語で6(six)を意味する「sex」に由来している。(なぁ~んだ)

 まずは、「素数」とは、「1 より大きい自然数で、正の約数が 1 と自分自身のみである数」のことをいう。・・・素数については、今なお未解決な問題がいくつか存在している。(ふぅ~ん)

 そのうちの1つに、「双子素数が無数存在している」との予想がある。「双子素数(twin primes)」とは、「差が 2 である2つの素数の組(p, p + 2)」のことで、(3,5), (5, 7), (11, 13), (17, 19),等がこれに該当している。(あかん、あたまが・・・)

 この概念の延長として、「差が 4 である2つの素数の組(p, p + 4)をいとこ素数(cousin primes)」、「差が 6 である2つの素数の組(p, p + 6)をセクシー素数(sexy primes)」とよんでいる。(それがど~した)

 2017年は「セクシー素数」の年である。というのも、2017は2011とのセット(2011、2017)で「セクシー素数」に該当しているからである。
因みに2023(=2017+6)も一見すると素数に見えるかもしれないが、2023は、7、17、119、289で割り切れる。
(おしい〜)
「セクシー素数-お堅いイメージの数学にも一見粋な名称の概念が存在しているって知っていましたか-」ニッセイ基礎研究所 中村亮一

 六郎太四郎太かなた枯原の一點の緋は父の肺腑   (塚本邦雄:天變の書)

ウーグヒ

日野ノスタルジアなお。

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家庭画報のサイトに『新連載「季節のオノマトペ」。ウグイスの声は、いつから「ホーホケキョー」?』(2023/01/05 山口仲美(日本語学者))があって、

ずっと昔から、日本人はそう聞いてきたんじゃあないのと私たちは何となく思っています。
違うんです、江戸時代からにすぎません。古くはウグイスの鳴き声を「ウーグヒ」と聞いていた。だから「ウグヒス」という鳥の名がついたのです。


とあって、へぇ~と検索したら、認定NPO法人 産業クラスター研究会というサイトの『禅と鶯』(Posted in まちかど文庫, エッセイ on 1月 7th, 2018 新井 記)という記事に、

・・・その鳴き声「ホーホケキョ」は「法法華経」という漢字が当てられ、・・・法華経という経典が存在して初めて鶯の鳴き声は存在するのである。また、仏教には「三宝」という言葉があるが、・・・この三宝の「法」が「ホーホケキョ」の「ホー」に当てられたのである。

 とありました。そして室町前期には「ホケキョ」だけが聞きなされ、室町後期に「ホー」の前句を蓮如が「(鶯は)法ほきゝよとなくなり」と言ったとか。また室町末期の細川幽斎の狂歌に「ホフ法華経」という句が見られるが感心するために使われた言葉としての「ほう」であろうと。

知恵がついたけど何の役にたつのだろうと思いましたが、このサイト内にはウグイスの話題が豊富で、いろいろ勉強になります。pithecantroupusは覚えてもすぐ忘れるから、勉強のやりがいがあります。(笑)

 鶯の飛ぶさま見しや土木技師横光梅次郎長男利一   (塚本邦雄:汨羅變)

こよみは立春

近江日野なお。おまけも。

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一日遅れの節分記念写真をおまけで。
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 肝胆相照らすといへどひひらぎてけさ立春の雪ちる近江   (塚本邦雄:豹變)

終焉は近からむ

節分の写真を撮り損ねて、10日前の写真でお茶を濁すことに。

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m.zuiko 60mm 2.8 macro
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m.zuiko 60mm 2.8 macro

雑誌が、ことに写真の雑誌が廃刊になっていく季節に、新しい雑誌『写真』を出したふげん社サイトの連載から新納翔(にいろ・しょう)「第18回 来るべき2045年 人口知能が写真家を駆逐する日」の一部を引用します。

一つ私の立場を明確にしておくと、デジタル時代になった頃から写真という媒体に終わりが近づいていると考えている。4K、8Kと動画がどんどん高解像度になり、シャッタースピードの問題などもやがて解決され、動画から切り出された静止画で十分なクオリティのデータが取り出すことが出来る時代が絶対やってくるだろう。別に現場でシャッターを押す必要がなくなるに違いない、いわば決定的瞬間の消失が起きると予期している。

あと10年もすれば人力で行くのが難しい険しい現場でもドローンで撮影した動画から美しいプリントを作り出す技術ができていてもなんらおかしくないのだ。


同感!
そのうえで、「名作」といわれる写真は残るのでしょうか。「記念写真」は、「その他大勢」の写真は、「自己満足」の写真は。
きのう、「写真集の本 明治~2000年代までの日本の写真集662」(カンゼン)が届いて、パラパラしながら思いました。

 終焉は近からむ若き幾人(いくたり)か春ふけて羽蟻の群にまじりし   (塚本邦雄:透明文法)

おしだまり

きのうの写真よりもさらに一年前の近江日野で。

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写真を撮った場所は塚本邦雄の生地に近いので、
 刎頸の友が神(しん)病みふるさとの伊豆の安良里におしだまりゐる   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

昏れて明るき

長浜の記憶なお。

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やはり加賀乙彦の記事は磯崎新同様あまり出てきません。
彼は生前鴎外記念館名誉館長だったそうです。2020年9月の館報に「カミュの『ペスト』を久しぶりに読む」を書いていました。当時90歳!

ところで私はカミユの諸著作を次々に読みながら、何か物足りない気持にもなった。・・・カミュは、文章力は一涜かも知れないが、
作品の視野が狭いのだ。・・・ヨーロッパ支配の終鳶をどこかで示す術写がほしかったと思う。


この歳にして破綻のない文を書けることに驚きつつ、論理の展開に老化を感じます。
カミュと加賀の間に16年の年齢差があり、それに伴った戦争体験の差を感じざるを得ません。加賀はアプレゲールです。

 花胡桃(はなくるみ)昏れて明るきそのかみやわが死甲斐のアルベール・カミュ   (塚本邦雄:閑雅空間)