一月の死をおもふとき

まだ降った雪が残っているとはいえ、雪が隠してくれていたアラが復活しかけています。アラを隠した写真で。

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m.zuiko 75mm 1.8
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samyang 135mm 2.0

子育ての話がかまびすしくなっていますが、『2年前に出産して以来、ろくに本を読む時間がない。』といっている作家で大学で教えてもいる谷崎由依がヴァージニア・ウルフの小説を引用しつつ、

幼い日に寄宿学校でおなじ時をすごした彼らは、その時間が原体験となり、大人になって老いてからも、その感覚をつねにどこかで恋しがっている。それはたとえば林檎(りんご)の木の葉や、水盤に浮かべた花びらであり、何よりも互いを互いと峻別(しゅんべつ)しがたい、隔たりのなかった状態である。
幼少期とは多分そうしたもので、わたしの子どもを見ていても、自分と他人との区別が大人よりも曖昧(あいまい)なようだ。体も、痛みも、意識でさえも。


彼我の区別があいまいな時間にまた戻っていくのかなぁ。もう兆候が出ているような。

一月尽につき、「遡行的一月暦」一月三十一日の歌で、
 われの顱頂(ろちやう)にはららぐ霰一月の死をおもふとき詩歌鮮(あたら)し   (塚本邦雄:不變律)

強ひて

長浜ノスタルジーなお。

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ポスターに七月と書いてあるけど写真は10年前の1月7日撮影と言ってます。
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ニュースのタイトルに「強雪」と出てきて、「豪雪」のスペルミスかと引っかかりました。
気象庁サイトで用語を検索すると「強い雪」という表現はあるようですが、「強雪」という単語はありません。
この気持ちの悪い単語はウェザーニュース起源でしょうが、漢字圏の外国語を見せられたように感じました。

季節外れですが、「強}の歌で、
 敢へて生きば強ひて歌はむ敗戰のその日を定家葛(ていかかづら)の花を   (塚本邦雄:汨羅變)

ふる雪の白

きょうは唇まで寒いような。

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samyang 135mm 2.0

去年6月に五木寛之『捨てない生きかた』から引用し、今年年賀状でふたたび『「モノ」は記憶を呼び覚ます装置』を引用しました。集英社「青春と読書」に宮本輝が同じようなことを書いていました。

宮本輝「よき時を思う」の中で、主人公の祖母徳子が、〈見ていると幸福な気持ちになる。それはやがて「もの」ではなく幸福そのものになる〉と。
この言葉は僕(宮本)自身が言いたかったことです。それがあると何だか知らないけど幸せな気持ちになる。そういうものって確かにあるんです。


pithecantroupusにとってカメラや写真集がそれかな。見ているだけで幸せになれるもんなぁ。

 ふる雪の白壽の父が寝返れば六腑鏘然とこはるるひびき   (塚本邦雄:波瀾)


はひはひ

父のコレクションと雪の日の、それぞれの記念写真。きのうの帰宅が遅かったせいか、一日中ぐ~たらです。
このゆめとうつつの間を行くような感覚は疲れているからです。けっしてボケて来たのではありません。ありませんよ!

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summilux 15mm 1.4
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samyamg 135mm 2.0

 寒(かん)はひはひは撓むかけはし驅けくだり生ありしものの嗄(か)るるこゑごゑ   (塚本邦雄:透明文法)

さながらに

一年で数度のお仕事の日。帰路が寒くて頭の血管が切れそう。いや、とっくのむかしに切れたような気がします。

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7artisans 35mm 0.95

 帚草枯れゆく庭に薄陽射し死後さながらにつづけり生は   (塚本邦雄:汨羅變)

巻き戻すことはできない

雪が降った記念写真も一枚。

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m.zuiko 75mm 1.8

サラリーマン勤めの後、いまは料理人をしている人の文から引用します。(考える人 連載「お客さん物語」稲田俊輔

 ご存じの通りコロナ以降、それまで誰もが当たり前だと思っていた忘年会の習慣は、めっきり失われてしまいました。もちろん平月の宴会も激減です。
 しかしそれはコロナばかりが理由ではありません。・・・多くの人々が「こんな風習いっそ無くなればいいのに」と、潜在的に思っていたわけです。賑やかな宴会の片隅でつまらなそうにしていた人々は、いつの間にか少数派ではなくなってしまったということなのかもしれません。

「風呂に入る前は億劫だけど、入って後悔する人はいない」
 という名言(?)があります。僕が参加する側だった時の宴会は、まさにそんな感じでした。宴会だけではありません。先輩が時折半ば強引に連れ回して奢ってくれる店には、自分ひとりや同年代の仲間たちだけではとても辿り着けない、宝石のような店がたくさんありました。

 宴会廃止、少なくとも参加不参加は自由、先輩の誘いは断っても何の問題もない、そういう風潮が定着しつつある現代は、多くの人々に救済をもたらしているはずです。しかし僕はどうしても、そこで失われる様々なものにも思いを馳せてしまいます。
 そしてそれは半ば、飲食店側の責任でもあります。本当はもっとやれることがあったのではないか、そんなことも考えますが、時計の針は決して巻き戻すことはできないのです。


 明日へあるひは過去へ時計のねぢ巻くとわが指に夜の蕺藥(どくだみ)臭ふ   (塚本邦雄:水銀傳説)

位相空間

気象予報が大当たりです、いつも半分しか信じてないのに。
この地方で珍しいほど雪が降りました。こたつで丸くなって、長浜の回想にふけりました。

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 花婿の位相空閒 海石榴市(つばいち)の八十(やそ)のちまたに雪ふれるらし   (塚本邦雄:閑雅空間)

前(さき)の世の

風が強くなって気温も下がってますので、雑草の庭でチョコチョコっと。

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7artisans 35mm 0.95
 海石榴園(つばきゑん)あゆむ一人は前(さき)の世の刎頸の友、われが見えぬか   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

幸運

雑草の中で。

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m.zuiko 60mm 2.8 macro
きのうハッピー数を引用した元の記事は『「ハッピー数」や「幸運数」という名前の数字があるってこと知っていますか?』というタイトルだったのですが、「幸運数」のほうは読んでるうちに頭のてっぺんがくすぶり出したのでハッピー数だけ引用しました。

でもほんとうは幸運数を記事にしたかったぁ。
2023という数字が比較的数少ない幸運数なのだそうです。
でも頭の上が燃え出したら困るから、何故と考えるのはやめときます。(笑)

 「天壌無窮の幸運」とこそ聞きゐしか 卯の花腐(くた)し人間腐し   (塚本邦雄:約翰傅偽書)
 

アンハッピー数

10年以上むかし長浜へ行ったと写真が言います。

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きのう寺田先生のnやm、xyzで頭が爆発したので、あたま休めの話を引用します。
小泉堯史監督「博士の愛した数式」に出てくる「完全数」や「友愛数」などと同様、世の中には「ハッピー数」という数があるそうです。

「ハッピー数(happy number)」というのは、自然数の各桁を1 桁毎に分解して、それぞれの二乗和を取り、新しくできた数についても同じ処理を繰り返すことによって、最終的に1 となる数を指す。

「23」という数字を例に考えてみると、以下の通りとなる。
「23」を「2」と「3」に分解して、 2^2+3^2=13
「13」を「1」と「3」に分解して、 1^2+3^2=10
「10」を「1」と「0」に分解して、 1^2+0^2=1
これにより、「23」はハッピー数と言うことになる。

「ハッピー数(happy number)」でない自然数は「アンハッピー数(unhappy number)」と呼ばれ、全体の自然数の7 分の1 がハッピー数に、残りの7 分の6 がアンハッピー数に分類される。
アンハッピー数の場合、同じ処理を繰り返すことによって、最終的には4となる。

因みに、100 以下のハッピー数は、1、7、10、13、19、23、28、31、32、44、49、68、70、79、82、86、91、94、97、100。

また、ある数字がハッピー数なら、桁の順番を入れ替えた数もハッピー数となる。例えば「23」はハッピー数なので、「32」もハッピー数となる。さらに、ハッピー数の途中に0 を挿入した数もハッピー数となる。例えば「203」や「2030」などもハッピー数となる。(ニッセイ基礎研究所 中村亮一)


遡行的一月暦の二十二日の歌で、
 今日まで生かばわが惡(にく)みけむ父母(ちちはは)と思ひたりふたたびは思はず   (塚本邦雄:不變律)

n個とm個

発展途上です。

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年賀状しまいの文言が増えましたが、pithecantroupusは『や~めた!』と言われても自己満足のために『もらってくれ!』と出し続けてます。面倒なのですが年賀状つくりが楽しく、つくれば出したい。俗物ですね。

寺田寅彦「年賀状」から、

 友人鵜照君、・・・わがままで不精な彼にとって年賀状というものが年の瀬に横たわる一大暗礁のごとく呪わしきものに思われて来たのだそうである。・・・
 ところが、不思議なことに数年前から彼鵜照君の年賀状観が少なからず動揺を始めた。・・・まあ例えばこういう事をいう。

「空間の中にn個の点がある。そのおのおのの点から平均m本の線を引いて他のm個の点に結ぶ。そうすると合計nかけるのm本の線が空間に複雑なる網を織りだす。仮にnが一千万、mが百とすると十億本の線が空間に入乱れる。・・・その数々の線の一つずつには、線の両端に居る人間の過去現在未来の喜怒哀楽、義理人情の電流が脈々と流れている。何と驚くべき空間網ではないか。」

「年賀はがきの一束は、自分というものの全生涯の一つの切断面を示すものである。・・・人情と義理と利害をXYZの座標とする空間に描きだされた複雑極まりない曲面の集合の一つの切り口が見える。これをじっと眺めていると、面白くもあれば恐ろしくもある。」


だめだぁ。三次元座標なんて無理だぁ。頭から湯気出てる。n、mなんて意地悪にしか思えない。

 全紙三囘折つてオクターヴォを成すと童女に訓へをり春夜なり   (塚本邦雄:魔王)

せいき

なお試行錯誤、否、発展途上ということに。

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きのう磯崎新のザハ・ハディッド追悼文を引用するにあたりザハを検索したら、wikiに次のようにありました。

2022年FIFAワールドカップで使用されるカタールの新スタジアム「アル・ジャヌーブ・スタジアム」を設計した。コンセプトは、カタールの伝統的な漁船「ダウ船」をイメージしたが、発表されるとインターネット上では「女性器に似ている」と話題になった。・・・米『ニューズウィーク』系のニュースサイトでは「芸術作品の本質において、鑑賞者の反応は作家が伝えようとした意図と同様に重要である」とし、「女性器に見えるという感想は誰も非難すべきものではない」と結んでいる。

女性器に見えて何がわるい、ば~か。
pithecantroupusが尊敬する写真家アルフレッド・スティーグリッツの妻で、アメリカを代表する画家の一人ジョージア・オキーフが描く花だって女性器そのものじゃないか。

女性器の歌を見つけ損ねて「世紀末」で、
 世紀末的獻立(メニユー)としてあたためむ寺山修司風がガスパーチョ   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

追悼

試行錯誤。

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先日磯崎新が亡くなりましたがニュースであまり取り上げられなかったように感じました。きょう加賀乙彦が亡くなりましたがこちらもニュースバリューは低いのでしょうね。「死に時」というものがあるのかなぁ。
磯崎が建築家ザハ・ハディドへ追悼文を書いていたことを今更に知りました。

 〈建築〉が暗殺された。
 ザハ・ハディドの悲報を聞いて、私は憤っている。
 ・・・デザインのイメージの創出が天賦の才能であったとするならば、その建築的実現が次の仕事であり、それがいま始まったばかりなのに、不意の中断が訪れた。・・・そのイメージの片鱗が、あと数年で極東の島国に実現する予定であった。

ところがあらたに戦争を準備しているこの国の政府は、ザハ・ハディドのイメージを五輪誘致の切り札に利用しながら、プロジェクトの制御に失敗し、巧妙に操作された世論の排外主義を頼んで廃案にしてしまった。・・・

 〈建築〉が暗殺されたのだ。
 あらためて、私は憤っている。


 暗劍殺の一年ぞ經し 地震(なゐ)・政變、滅びる國があるだけ幸福(しあわせ)   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

ことしも変らぬ愛顧を

寒いです。ぶるぶるしながら、これはウン年前の滋賀長浜ではないかと。

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塚本邦雄「不變律」の遡行的一月暦から、
 なほ後(あと)を絕たざる賀狀酒場(バア)「キキ」が今年も變らぬ愛顧を願ふ   (塚本邦雄:不變律)

八つ手

お茶を濁してます。

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お茶がにごっているのはこの制作途上のせい。う=ん、うまく撮れないや。
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 おほよそは飢ゑにかかはるものいひのさむざむと霜に咲く花八つ手   (塚本邦雄:透明文法)

空さむ

室生なお。

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 花に遠き夕空寒しそのむかしむかし屍(かばね)は樹上に棄てき   (塚本邦雄:波瀾)

きのうの「ぼくたちの五段活用」がピンとこなかった理由は、「っ」がつけば5段活用という文を、5段活用には「っ」がつくと間違って読んだせいですが、もうひとつ、「コピペる」という言葉がpithecantroupusの辞書に載ってなかったからだと気付きました。

pithecantroupusの辞書には、「コピペする」という単語で登録されています。この言葉に「っ」が入る余地はありません。
もともと、「って」と聞いたとたんに何の音便だろうと考えてしまったのです。
一回ですっと頭に入ってこなかった理由が分かって、さてシナプスは復活するのでしょうか。(笑)

コピペる

シナプスがますます危ういです。

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NHKの研究所に「ぼくたちの五段活用」という記事があったのですが、一回読んでもすっと頭に入ってきません。
「ネットの記事をコピペっておくかな」というとき、『コピペって』みたいに『っ』が入ってる動詞は,五段活用だそうです。

コピペらない,コピペります,コピペる,コピペるとき,コピペれば,コピペろと,ラ行五段活用で,『~て』を付けると『コピペって』と『っ』が入る。

同じ[きる]でも,
『着る』は,着ない,着ます,着る…と,『き,き,きる,きる,きれ,きろ』の一段活用で『~て』を付けると『きて』になるが、
『切る』は,切らない,切ります,切る,切るとき,切れば,切ろの五段活用で『~て』を付けると『きって』になる。


文法の問題だから「透明文法」から、
 骰子(さい)を振る女に考古學者らが贈るトレドの麥稈帽子   (塚本邦雄:透明文法)

それいゆ

つまらないけど、父と母のノスタルジアで。

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 母の綺羅さむざむとして向日葵(ひまわり)の枯れつくすまで七十五日   (塚本邦雄:閑雅空間)

シナプスの確認

室生なお。

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 睦月、無理矢理婿にされたる羞(やさ)しさの後架に犇と喇叭水仙   (塚本邦雄:汨羅變)

「犇」がひしめくと読めなかったのは何度目?
シナプスがまたひとつ死滅したに違いありません。

桃色の

父のコレクション第2弾です。

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 サンテ牢獄出でてはるけきアルプスに今日桃色の古き雪は見ゆ   (塚本邦雄:水銀傳説)

室生無才

正月疲れです。ダウンです。

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室生に似ているので無能で、
 無能無才なればこそこそ末弟もわれとつつけるこの初鰹   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

彼の岸の

こけしは父のコレクション。バックは環境省が毎年webにあげているカレンダー

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きのう引用した本について同じ慶應出版会noteの書評には、

本書のタイトルは「犬に話しかけてはいけない」となっているがこれは内陸アラスカ先住民の人々の「交感しすぎない」「構いすぎない」という知恵を意味している

内陸アラスカ先住民の人々のありようから人間か自然かではなく人間と自然がどのような関係性のもとで生きてゆけるか、その意味での「自然との共生」を問い直す

さらに直前に引用した平川克美と伊藤亜紗の対談でも似た話があって。

平川 誰かが「金がない」と言うと「しょうがねぇな、またかよ」と言って出すんですよ。「しょうがないな、本当は助けたくないのよ」「だけど、ほら持って行け」と。それでいいんだと思っているんですよね。

伊藤 いやほんとに、村瀨さん(村瀨孝生、「ぼけと利他」は元々伊藤と村瀬の往復書簡)の介護論もそうで。一番いやなのは「ハートフルな介護」というやつだそうです。ハートマークが送迎バスに書いてあるのとかがすごく嫌だって(笑)。
しょうがなくて、「なんで俺がついていかないといけないんだ」という気持ちを殺さないでお年寄りについていくというのが大事だと。


遡行的一月暦一月十一日、
 彼の岸の女人が負へるみどりごにわがこゑとどく とどく儚さ   (塚本邦雄:不變律)

黙秘

おとこはだまって。

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一昨日、”言葉を置くと現象が変わってしまう”という語を引用しましたが、それは慶應義塾大学出版会noteの近藤祉秋『犬に話しかけてはいけない/内陸アラスカのマルチスピーシーズ民族誌』冒頭を読んで興味を持ったからでした。

 2015年夏のある日、内陸アラスカ先住民ディチナニクのダニエル・イーサイと私はボートに乗り、蛇行するクスコクィム川を上ってニコライ村まで向かおうとしていた。・・・その日、私は前を向いてボートの運転に集中しているダニエルに「雨が降るかもしれない」と告げた。彼は一瞬顔をしかめてうなずいたあと、何も返事をしなかった。案の定、雨雲は私たちに追いつき、雨に打たれながら私たちは家にたどり着いた。

 家に着くとダニエルから「君が雨を呼び寄せた」と小言を言われた。

 もう一つは、クマ狩猟をめぐるものだ。2014年10月に、私はダニエルの甥たちとともにクマ狩猟に出かけていた。・・・しかし、さまざまな事情があり、狩猟行に出かけるのが延期になるたび、私は村の男たち数人が共同で使っているサウナで、「今日もボートが出なかった」と友人たちに報告していた。

 その後、ある友人は酒の席で「君がクマについて話すことで狩猟パーティの運をまるつぶしにしてしまった」と忠告した。


引用したのは本のテーマではありませんが、言葉が気象現象や野生動物に影響したということに、”言葉を置くと現象が変わってしまう”との共通項を感じたのです。

 水曜醉狂木曜默秘權行使金曜禁忌土曜貪欲   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

遊ばされつ

滋賀琵琶湖の北岸だったような気がします。自己中の見本です。

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 猪鹿蝶(ゐのしかてふ)しか知らぬ白壽の伯母上に遊ばされつつ虛無の正月   (塚本邦雄:獻身)

いちだんらく

きのうのつづきはこれでおしまいです。

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みんなのミシマガジンの連載「ぼけと利他」は以前にも引用したかもしれませんが、最新のアップに、平川克美がこの連載の当事者伊藤亜紗と対談していたので興味を持ちました。
そこから少し。
平川が伊藤の研究テーマ「利他」について問うと、

伊藤 親鸞の研究とか、(先行研究が)いろいろあるんですけど、結局「利他」ということばが「利他」を殺すんですよね。学問の性なのですが、言葉を置くと現象が変わってしまうということがあって、その最たるものが「利他」なんです。なので、先行研究も大事なんですけど、世の中に起こっている現象から捉えようとすると、ちょっと頭を切り替える必要があるかなと。

”言葉を置くと現象が変わってしまう”という語が実感をもってせまります。
 親鸞も女愛せしとぞ おろかなる花曇り三日つづきて   (塚本邦雄:黄金律)

鈍刀

きのうのつづきを。

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遡行的一月暦の一月六日、
 鈍刀のごとき靑年われに侍すこれぞこれ一月のやすらぎ   (塚本邦雄:不變律)

遅刻

ほんとうは年末の仕事だったのに今さらですが去年撮った写真でカレンダーを。選べる写真がありません。

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遅刻の歌で、
 風花うるさし『マイン・カンプ』の半ばまで讀みたどりあはれ夕餐(ゆふげ)に遅刻   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

蔑しつれど

リタイアしてるのにすこし多忙なのは肉体的な条件のせいです。とくに首から上。

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遡行的一月暦と題された章から一月四日の歌を、
 初詣で蔑(なみ)しつれども住むかぎりわれや素戔嗚(すさのを)神社の氏子   (塚本邦雄:不變律)

かたらくた

自転車でたらたら走っていたら電線のカラスにフンをかけられました。
正月早々、運が付いたのか、三日にして運が尽きたのか。

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NHK放送文化研究所の元旦公開の記事『「 大人」は続くよ,どこまでも』から。

昨今,「大人」,または「おとな」「オトナ」という語を見かけることが多い。
一方,最近気になるのは,「中高年」「高齢者」,外来語で「シルバー」「シニア」と言われる世代を指す狭い意味の「大人」だ。

私自身がまさにその年齢なのだが,老いを感じ始める憂うつな時期に,直接的な「中高年」,手あかのついた「シニア」とは呼ばれたくはない。

(50・60代を「実年」と呼ぼうという国の動きがあったが定着しなかったし,それに代わることばもない。)それに比べて「大人」は幅広く使えるし,現役感も出るので,使い勝手がよく,抵抗感の少ないことばなのだろう。さらに「おとな」「オトナ」と書くと軽快さも加わる。

とはいえ,「中高年」にイラッとして,「オトナ」で気分がよくなるなんて,いい年をして大人げないなぁ。(東美奈子)


pithecantroupusは「おとなのおもちゃ」とか「大人の時間」とかをすぐ連想するなぁ。「おとな」とカナ書きされると字がピンク色に見えるのは緑内障?

 白内障(カタラクタ)こころにうかぶ夕露のたまゆらにふるさとも亡びよ   (塚本邦雄:風雅黙示錄)

忘れ忘れて

玄関から一歩も外へ出ず。年賀状も来ない日。
写真は以前にも同じものをアップしたような気がするのですが、老化して物忘れが激しくて。(汗)

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 忘れ忘れて死ぬかも知れぬ秋の愁ひの杏仁豆腐   (塚本邦雄:魔王)

初笑

つつしんで新年のごあいさつをもうしあげます。

ことしもよろしくおねかいしますブログ2

 初霰・初日・初蝶・初陣(はついくさ)・初捕虜・初處刑・初笑   (塚本邦雄:魔王)