2023/01/31
一月の死をおもふとき
まだ降った雪が残っているとはいえ、雪が隠してくれていたアラが復活しかけています。アラを隠した写真で。
m.zuiko 75mm 1.8

samyang 135mm 2.0
子育ての話がかまびすしくなっていますが、『2年前に出産して以来、ろくに本を読む時間がない。』といっている作家で大学で教えてもいる谷崎由依がヴァージニア・ウルフの小説を引用しつつ、
幼い日に寄宿学校でおなじ時をすごした彼らは、その時間が原体験となり、大人になって老いてからも、その感覚をつねにどこかで恋しがっている。それはたとえば林檎(りんご)の木の葉や、水盤に浮かべた花びらであり、何よりも互いを互いと峻別(しゅんべつ)しがたい、隔たりのなかった状態である。
幼少期とは多分そうしたもので、わたしの子どもを見ていても、自分と他人との区別が大人よりも曖昧(あいまい)なようだ。体も、痛みも、意識でさえも。
彼我の区別があいまいな時間にまた戻っていくのかなぁ。もう兆候が出ているような。
一月尽につき、「遡行的一月暦」一月三十一日の歌で、
われの顱頂(ろちやう)にはららぐ霰一月の死をおもふとき詩歌鮮(あたら)し (塚本邦雄:不變律)