部屋の

色不足を軌道修正する日です。むかしスイレンで。

pithecantroupusのプンクトゥム
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pithecantroupusのストゥディウム
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 部屋部屋の名に花々をちるばめたりホテル「イザベラ侯爵夫人」   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)


朝6時台のNHKが報じていた、国葬発表に至る首相の動向や発言のまとめは、他では見なかった面白い内容だったのに、ネットに再録もなく、7時以降の番組でも無視。ようやくニュースらしいニュースだったのになぁ。

一歩ひきうつ

なお。
3枚とも昨日と同じ10ウン年前の8月31日に撮ったようですが、写真が勝手にそう言っているだけです。

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いつか読もうと積読している本をパラッと開いても「エーッ。むずかしい」ともう一度本の山の中へ戻してしまうpithecantroupus。
どんどん退化していくそのスピードに一周遅れになりそう。

 正法眼藏(しやうぼふげんざう)より一歩退(ひ)き鬱症のなんぢ枯蓮の沼の上あゆめ   (塚本邦雄:詩歌變)

いらいらとして

きのう浮気をしたのでまた民家と街道に戻って大黒屋残りもの。自己中ですね。

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 八月盡いらいらとして戀しきは芭蕉てふ朦朧たる存在   (塚本邦雄:不變律)

作家中島京子『ワンダーランドに卒業はない』の試し読みから、『「不要不急」と灰色の男たち――ミヒャエル・エンデ『モモ』』の一部分を。

 しかし、この、コロナ禍で読み直して、(悪役の)「灰色の男たち」が、むしろ「正しさ」のマスクをかぶって現れることがあると、気づいたのだ。

 状況によっては、(無駄な時間を排除しようとする)「灰色の男たち」のほうが「善」に見えるような事態が起こりうるのだ、ということ。

 そう考えて、わたしはちょっとギョッとした。そしてそれは、とてもとても気をつけなければならないことだと、気を引き締めたのだ。


葉月過ぎむとする

夏が終わるというのに夏らしい写真が欠乏しているので。
民家や街道は好物ですが気分転換です。
むかしむかし四国へ行ったらしい。

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 花火跡情事の痕に似て胡亂(うろん)なりけり葉月過ぎむとするに   (塚本邦雄:汨羅變)

かつちう

中山道宿場町には違いないのですがどこでしたか。

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 甲冑(かつちう)の群はなやかに渡らふは何の亂(らん) 酒肆(しゆし)「ノア」の窓にて   (塚本邦雄:白妙)

Tobacco

煙草はやめられません。中山道宿場町なお。

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 煙管(きせる)に詰める「撫子(なでしこ)一つまみこれで畢(をは)る大日本帝國への戀   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

確認もせずに看板はTABACOだとばかり思いこんでいたけど写真を見てTOBACCOだと気付きました。今さらに。
いいや、ずっと昔にTOBACCOと脳に刻んだのに、いつかそれを忘れて、刻んだ言葉がTABACOに書き換えられていたのでしょう。
老化です。

宿題宿命宿泊宿場

大黒屋なお。

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宿で、
 屋上苑排水孔に夕映は及ぶ 健康と呼ばるる宿痾   (塚本邦雄:魔王)

出血、無

中山道細久手宿大黒屋。写真がそう言うのですが。

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数日前からうっかりミスが重なっています。ミスしないようにと準備するのですがその準備をミスしたりして自分自身が信用できない。ミスよりもこの脳の終焉を怖れます。

 父の眼底出血、無花果の結實、終末の相ふたつとも慶(よ)し    (塚本邦雄:日本人靈歌)

窒息中

時間を窃盗して一枚だけです。

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  中風の、中毒の中、中傷の、中陰のかつ中絶の中   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

ぺたのみ

きのうは参道の案内板のガラス戸に移った景色で、きょうは古いけど立派な寒暖計。どちらも太郎坊というところ。

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ぺたっ

更新するのが精一杯なので一枚だけ。

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睡りをつ父

なんとかなっている瞬間にとりあえず動物系で。
むかし受験勉強していた頃も、寝る前に日記を書くことが救いでした。いまはブログかもしれません。

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 かくて熱き死魚のごとくに睡り堕つ 父なる河よ父なる沼よ   (塚本邦雄:水銀傳説)

気がついたころ

個人的事情で更新が不規則になるかもしれません。またブログを訪問することが難しくなるかもしれませんがご容赦ください。

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 敗戰忌氣がついたころ舊友の三人がうすずみのサングラス   (塚本邦雄:獻身)

その時よみがへる

きのうまでの万灯会は滋賀県の正明禅寺と法輪寺だったらしいです。きょうはそのときに寄り道した太郎坊宮と思うのですが、多分。

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きのうの引用を引きずって、
 餓死したる邯鄲二匹火にはじきその時よみがへる「逃避行」   (塚本邦雄:魔王)

もちろん、とうひこうは「討匪行」のパロディですが、『どこまでつづくぬかるみぞ』は軍歌嫌いの父の数少ないお気に入りでした。満州は行ったことがあったらしいけど、話はしたくないようでした。
匪という字に政治の都合を感じます。

透明無比

鎮魂の日も遠くなったように感じます。

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塚本邦雄「魔王」から。
 狂氣透明無比の一瞬硝子戸に敗戰の日の鶏頭映る   (塚本邦雄:魔王)
 射干(ひあふぎ)のみのるまひるまひらかるる全國徴兵忌避者大會   (塚本邦雄:魔王)
 一九四五年八月を忘れて啖(くら)へ苺の氷菓(ソルベ)   (塚本邦雄:魔王)

文春オンラインにガタルカナルで全滅した一木支隊が死後旭川に帰営する有名な話が載ってました。
その中で、作家保阪正康が、『(戦死した兵士たちの幽霊を見たという)そこには、兵士たちがあの戦争で抱かえていた不満や追悼の念、生き残ってしまった負い目など、さまざまな深層心理が影響しているはずです。そのことを私たちはもっと思いやるべきではないでしょうか。』と言ってました。年々想像力が枯渇していってるような気がします。

のように図々しく

きのうのクモ写真は近江日野の鎌掛小学校で撮りました。そのつづきを。

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先月引用したサイトから再び引用します。(阪大人間科学研究科 入戸野宏「「たとえ」の力」
漱石の言葉だそうです。

 夏目漱石が久米正雄と芥川龍之介に宛てた手紙がある。
大正5年(1916年)8月21日付なので,漱石は49歳,亡くなる約3ヶ月前である(同年12月9日没)

 勉強をしますか。何か書きますか。君方は新時代の作家になるつもりでしょう。僕もそのつもりであなた方の将来を見ています。どうぞ偉くなって下さい。しかしむやみにあせってはいけません。ただ牛のように図々しく進んで行くのが大事です。


同じ言葉を三島と大江健三郎に言って欲しいと思いました。
三島なら牛になるくらいなら死ぬと言いそうだし、大江は牛でなく豚だと気取りそうですけど。

 コルドバの牝牛の皮の靴ひずみ父あゆむうつくしき惑ひの齡(とし)   (塚本邦雄:綠色研究)

風立ち

静物や植物が続いたので、きょうは動物系。
きのうの万灯会と同じ日に撮りました。

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ついでに何撮ってるのも一枚。ほんとに何撮っていたのだろう。
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児童文学とは思えない「ブラッカムの爆撃機」(岩波書店)を読んだのは、テレビで「メンフィス・ベル」を見たせいです。「頭上の敵機」を毎週見ていたのは中学生の頃。郷愁が映画「メンフィス・ベル」を見させたのですが、その郷愁を断ち切れなくてつい「ブラッカムの爆撃機」まで手を出してしまいました。

でも、『ヒットラーの屋敷の庭でストリップ』とか『(おどかした娘の)パンツが見えて色までばっちり』など青少年健全育成に反するのじゃないかなぁ。
無線通信機から聞こえてくる、『ママ、左手がとれちゃったよ。指が操縦桿に焼きついて、もげちゃった』と、燃えて墜落していく敵パイロットが叫ぶ声なんて残酷過ぎてR18指定にならないかなぁ。

戦争の残酷さ、戦争に巻き込まれる若者(ほとんど少年に近い)の悲しさ、平和の価値を児童には読み取って欲しいのかなぁ。
時代遅れのビッカース・ウェリントン、それと同じくらいの大きさの双発爆撃機を改造した夜間戦闘機ユンカースJu88、ハンブルグ爆撃、ドレスデンを児童は知っているのだろうか。
宮崎駿の漫画が載っているけど、“風立ちぬ”の軽薄さを再確認する思いでした。ナウシカやポルコは今でも好きだけど。

 風立(かぜた)てば飛(と)びかふ谷(たに)の薄紅葉(うすもみぢ)耀(かが)よふや今日(けふ)のいのちの焔(ほむら)   (塚本邦雄:風神牧歌)

無能

慰霊の日なのでむかし近江で撮った万灯会の写真で。

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きのうの武田砂鉄インタビューの続きを。こちらの方がメインで、昨日引用したのは枝葉末節。
最近亡くなった小田嶋隆のことを武田が語った部分です。

 小田嶋さんと、「どちらかというと、不真面目なことをやってきたはずなのに、最近は自分たちが真面目なこと言わざるを得なくなっちゃったんだよね、対象のほうが不真面目になっちゃったから」と話していましたね。
 
 小田嶋さんの原稿もそうだし、自分の原稿もそうだと思いますけど、ほんとうは、「バーカ、バーカ、ちゃんとやれ、逃げんな」で終わるはずなんです。

 とりわけ第2次安倍政権以降は対象となる政治家の言動がとんでもないので、これまで研究を積み重ねてきた学者に訊くよりも、小田嶋さんのような、目の前にバカなものがあったら、ぐるぐる回りながら、最後に蹴っ飛ばしてくれるだろうという感じに期待するのはよくわかります。
GQジャパン 武田砂鉄のコラム論「『バーカ、バーカ、ちゃんとやれ、逃げんな』で終わるはずなんです」

国葬にするという、外交では無能だった人が、何をしたのか忘れないように引用しました。

 無能無才なればこそこそ末弟もわれとつつけるこの初鰹   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

逃げよ

美濃赤坂で撮ったのは確かですがどこで撮ったと言ってもいいような。

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武田砂鉄の新著刊行にあわせたインタビュー記事から。(神谷晃(GQ) 武田砂鉄のコラム論「『バーカ、バーカ、ちゃんとやれ、逃げんな』で終わるはずなんです」──新著『べつに怒ってない』インタビュー)

聞き手がいちばんきれいな応接室を用意しましたというと、武田はある芥川賞作家が、『小説家には、「編集者が最寄り駅まで来てくれるタイプ」と、「出版社まで呼びつけられるタイプ」の2種類がいると。』言った言葉を紹介しつつ、
裏を読むというか何がしかの計算をしているわけです。それはちっとも悪いことではなくて、それを想像するって面白いことですよね。』と続けます。
編集されているのでしょうが、聞き手は何の反応もなく次の話題に移ります。武田はきっと”呼びつけられた”。駅まで迎えに来るという行動がなかったお前は俺にリスペクトしているのかと言いたかったのかなと感じました。

 戀の歌創り餘して目つむるに聲あり三十一文字より逃げよ   (塚本邦雄:歌誌『玲瓏』52号 2002年5月)

售(シュウ)が書けない日

また美濃赤坂へもどって、と言っても、どこでも撮れる写真ですが。

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はずかしながら留飲を下げるヤツもまだ。
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 婦人公論WEBにあった『50歳からの読書案内』連載は知らなかった本を教えてもらったり、「本を読もう」という気にさせてくれて、年寄りの背中を押してくれます。
 そこに作家関川夏央が鴎外『じいさんばあさん』を紹介していました。

 大人にはわかる。大人を超えて老いに至ると、しみてくる。
 それは、恋愛欲、性欲、自己主張欲、それに競争意識など、中年期までの社会生活で骨がらみとなったものの厄介さが、この短い物語で客観されるからだろう。また、それらから自由になったその先の生の短さが予見されるからだろう。
 若年時、ベルリンにおける恋愛の相手を日本に呼びよせるという事件を起こし、陸軍当局に出す「始末書」を兼ねた文学『舞姫』を27歳で書いた鴎外は、大正4年(1915)53歳で、この大人のための小さな物語を書いた。成熟とは、こういう書きものをいうのだと思う。


さっそく青空文庫で全文を読みました。連載記事のお蔭で鴎外の漢文調の硬い文も理解しやすかった。

 鷗外讀みつつ微笑(ほほゑみ)ぞ湧く李商隠「東家の老女嫁せむとして售(う)れず」   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

官許製造

長崎の日なので、古いけど長崎で撮った写真を。

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まだ神戸(かんべ)石取祭もゴミ箱の底から拾ってきたのを。
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 原子爆彈官許製造工場主母堂推薦附避妊藥   (塚本邦雄:透明文法)

祭とまかりいづ

留飲を下げるためにのこりもをかき集めて。

撮ったのは2017年8月でしたが、当時のブログ記事や翌年1月にアップしたカレンダーに使ったので、のこりものがほとんどありません。だから毎日目くらまし。

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カレンダーも小さく再録して。
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歌も祭の入ったものを引用して、
 日露戰争百年祭とまかりいづ萌黄縅の蛾の幼蟲が   (塚本邦雄:汨羅變)

もどきの

きのうのつづきですが、5年前にアップしているのでなかなか残りものが見つかりません。

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引用もきのうを引きずって。
 核家族、核分裂の寢室に一瞬硫黄もどきの臭ひ   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

狂ふよりほかなくて

となり町の夜祭撮りに友人から誘われましたが、その時間に留守に出来ないのであきらめました。
5年前の写真で留飲を下げようとくわだてましたが1枚だけ。

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ヒロシマの日なので。
 原爆記念日を鳴きとほす寢室の鳩時計狂ふよりほかなくて   (塚本邦雄:魔王)


四方田犬彦が白水社WEBに連載「老年にはなったけど…」を書いていました。(第1回 もうすぐ70歳 2022.08.01)

1953年生まれのわたしは2023年に70歳になる。これまでは老人見習いのような感じであったが、これからは本格的に「高齢者」の域に突入する。さあ来たぞ。来るなら来い。 (元気いいなぁ。一年前ならボクもそう言ったよ)

かつてわたしにとって憧れの老人であった吉田健一は、生きていて一番いい時期は老年であると書いた。(青年期にもう老人だったヨシケンらしい! でも吉田健一は70になる前に亡くなった)

誰もが年老いる。だが老人のプロはいない。すべての若者が「青春」という言葉に振り回され、わけもわからぬうちにその青春を終えてしまうように、ひょっとして多くの老人は老人であることの意味も充分にわからないままに老年を終えてしまうのではないか。(分かる前に早く死にたい! でも老人のプロはいるぜ)

エロジィー

きのうの写真は美濃赤坂宿でした。証拠写真が箱の底から出てきました。

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大好物のバイシクルも出てきたのですかさず拾いました。(汗)
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先日図書新聞の茨木のり子を題材にした連載記事引用で、元記事には書いてあるのですが、「寂しさの釣りだし」は茨木の創作でなく金子光晴「寂しさの歌」が元でした。
金子が苦手というか嫌いなpithecantroupusは「寂しさの歌」を引用したくなかっただけです。
同じエロ爺なのに、彼の精力を嫌悪しつつ嫉妬しているのでしょう。

 無精卵から生れし鳥がいつよりかうら若き火夫の胸毛にやどり   (塚本邦雄:水葬物語)

めくるめくアルツハイマ

ひと月前に、”何でもいいからみず~ぅ、。ピンボケでもいいから水ぅの写真”といった再現です。ここは大垣だったか赤坂だったか、岐阜県は確かです。

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無機質を補って有機物(?)も。
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 あしひきの峻嶮名に酷似してふと眩暈(めくるめ)く「アルツハイマー」   (塚本邦雄:風雅黙示錄)

昨日のことです。日傘をさして少し腰の曲がったおばあさんが手押し車を押して前を行きます。抜かしざまに挨拶するのも面倒だなぁと思いつつ、歩調を合わせて歩くのもまた面倒。次の角を曲がるまでに追い越そうと決めて歩きましたが、曲がる角までに追い越すことが出来ず、ちょっとショックでした。
少し前には自転車で私より年上と思われる爺ちゃんに追い抜かれたなぁ。
たまたま元気な年寄りに出会ったと思いたい。(汗)

日記夏に入り

なお明治。

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 那須百合子刀自の句日記夏に入りて亡靈といふ季語に執(しふ)せる   (塚本邦雄:魔王)

某国立機関の「ことば研究館」に載った他愛もない記事に、変体仮名の話が出ていて、懐かしく思いました。父はつい最近まで毎年博文館当用日記を変体仮名の崩し字でつけていました。あの世代は日記を書く習慣が広く残っていたように感じます。戦争中に、戦死した日本人兵士の日記からアメリカが情報をえていたという話はどこで聞いたのかなぁ。米兵は日記をつけることを禁止されていたとも聞いたなぁ。

明治のにほひ

窓は全部閉めたのにすき間風が寒いなぁと思いつつ、これは夢ではと思い至った瞬間に目が覚めて、クーラーのスウィッチをあわてて弱めました。夢とうつつの境もあやしくなりつつあります。
明治はとおくなりにけり、と。

菅島灯台管理舎(?)
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たぶん旧制第四高等学校校舎
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漱石旧宅のネコ(にせものだけど)
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茨木のり子の「寂しさの釣りだし」について書かれた文から一部を引用します。評者はウクライナ侵攻に抑えきれない何かに突き動かされて書かれたといういくつもの反戦詩に対して、『私はこの「抑え切れない何か」を、正直、とても疑っている。』と言います。

 かつて茨木のり子は著書『詩のこころを読む』のなかで「寂しさの釣りだし」という言葉をつかって、おいしい餌に簡単に釣りだされてしまう心と、その釣りだしを手助けする自己顕示欲のあやうさについて書いた。・・・
 (きびしさ、さびしさに耐えきれなかった当時のみずからの心たちを、上手に釣られた結果、戦争になったという茨木のり子の考える)「寂しさの釣りだし」という危機は戦時中に限ったものではなく、今もなお日常に潜んでいる。・・・
 だから茨木のり子は寂しさそのものを警戒し、衝動買いや旅、友人への電話にいたるまで、おのれの心を点検し、とくに出所進退をあきらかにしなければならない大事なときは、「寂しさの釣りだしにあってるんじゃないでしょうね?」と厳しく自問した・・・
図書新聞連載「裏百年まち」杉本真維子2022年06月04日

 鶏頭百本群れゐるあたりおそろしき明治のにほひよどめるなり   (塚本邦雄:獻身)

明治に

昨日までの古い7月写真を終わって同じ10ウン年前の八月に撮った写真は明治村でした。

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 明治にはかに昨日(きのふ)のごとし諒闇の夜陰大正琴彈くはたれ   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

亡くなった祖父が「しんにょう」と言ったとき、訛っているのは明治生まれだからと思ったまま何年も経ちました。
ところが「辶」は、最近は「しんにょう」が主たる読み方と知って、「しんにゅう」派の自分の常識がまた一つ壊れました。

アンケートを基にした生地(※ママ)は、2006年1月23日(月)朝日新聞の紙面『ことば力養成講座』というコラムの「続々・しんにょう」で発表されました。内容は、50代がほぼ全員「しんにゅう」、30代以下は逆に「しんにょう」が大多数、40代は揺れがある、ということでした。
理由は昭和30年代の小学校の国語の教科書は「しんにゅう」だけを示すものがあるが、40年代からは「しんにょう」だけか、「しんにゅう(しんにょう)」などと併記する形が増え、「しんにゅう」だけの教科書はなくなったことによるようです。(道浦俊彦/とっておきの話)


学校で覚えたことっていつまでも残っているのですね。