労働を忌みつつ

きのうの窓つながりで。

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テレビやネットで水木しげるの記事をよく見かけると思ったら生誕100年だそうです。
雑誌「有隣」に作家京極夏彦が書いていた一部を引用します。
彼は、水木がいつも幸せそうに見えたといいます。

実際、水木さんは「幸福は隠すのが大変デスよ」とおっしゃっていた。別に隠す必要はないと思うのだが、どうもそれは違うのだという。・・・ご家庭に雑誌の取材が入った際に、食卓にあがったトンカツを隠してまで貧乏アピールをしたという逸話が残っているくらいだから、本気で隠していたのである。京極夏彦「水木しげるさんとシアワセのこと」

京極は水木の言葉をいくつも引用しています。「人生は70を超してからですヨ」「80を過ぎてからの方が幸福が実感できますネ」「世の中には不幸な人が多いし、自分は不幸なのだと思い込みたい人はもっと多いンだ」「大した苦労はなくても、血の汗を流しているようなフリをするのが肝心なんですヨ。あんたも苦しんでいるフリをしなきゃイカンのです」「そりゃエラかった(大変だった)」「どうであっても働かにゃ死んでしまうんデス!」

水木は父より少し年上です。父にも「どうであっても働かにゃ死んでしまうんデス!」という時代があったと思います。そのことは息子の職業選択にも影響しています。

 勞働を忌みつつ生きしわが上に空梅雨の市電火花散らしつ   (塚本邦雄:綠色研究)
わが上がわが父上と読んでしまうpithecantroupus。

まどろめば

また松代。行きつ戻りつして。

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窓の写真なので”まど”で、
 まどろめばこの紺の夜に兵の屍(し)を吊りて練絹のパラシュート泛(う)く   (塚本邦雄;水銀傳説)


図書新聞サイトから引用します。筆者が「知の巨人」あるいは「知の怪物」という元韓国文化長官で、『恨の文化史』『縮み志向の日本人』の著者の訃報に接してその思い出をあれこれ書いている中から。

 結婚式に招かれると、こんな祝辞で一座を沸かせた。曰く、結婚生活は映画史の進化に逆行する。新婚当初は70ミリ総天然色の薔薇色だが、いつしかそれは35ミリのモノクロ・フィルムに縮小し、さらには、ふと気がつくと家庭生活は無声映画になりかねない、そのあたりにくれぐれも心せよ、との訓示であった。( 稲賀繁美『「十二支:韓中日の東アジア比較文化史」の余白に――李御寧先生の追憶 』 2022年07月09日)

映画史の進化に逆行という言い方がいいなぁ。
もう結婚式で祝辞をのべる機会もないだろうけど、どこかで使えないかなぁ。

体育はスポーツ

残りものです。冷汗かいてます。

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7artisans 50mm 0.95

体育はスポーツに変わるそうです。体育の日も国民体育大会も変るそうです。国スポと言われても気が抜けるなぁ。
河北新報のコラムを引用します。

突然、2021年7月23日は何があった日か、と問われて、即答できる人はどのくらいだろう。では1964年10月10日はどうか。かつての「体育の日」だから分かる人は多いはず。いずれも東京五輪の開幕日▼2度目の開幕からきょうで1年となる。東日本大震災からの「復興五輪」を標榜(ひょうぼう)していたと記憶する。復興庁が昨年11月に岩手、宮城、福島3県と東京都の各1000人に実施したアンケートが物語る▼五輪・パラリンピックが「感謝、復興の姿を世界に伝えることに寄与したか」との質問に、「思う」29・8%、「思わない」38・8%。「最も良かったこと」は「なかった」39・6%。復興に関するレガシーは「ない」が40・1%。回答の都県別は公表していない▼苦い光景だった。2018年晩夏、整備中の競技会場などを視察した。晴海埠頭(ふとう)では選手村の高層宿舎群を建てるため、30基に上ろうというクレーンが天へと林立し、周辺あちこちで新しい施設が威容を現し始めていた▼被災地では爪痕がなお深く、小さな集会所の完成にも「前へ進んだ」と喜んでいた。復興五輪。選手やボランティアらの奮闘は消え去るものではない。コロナ禍が輪をかけたのは無論だが、出発点の違和感が記憶への刻印を遠ざけている気がしてならない。(2022・7・23)

 體育祭は雨、敎頭がびしょ濡れの腕に刺靑の蠍一匹   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

こゑ過ぐ

毎日のラジオ体操で体力がつく一方で頭の脳力が落ちて、バスの窓からちょっと見た”PINETEA"をピネテアと読んで何のこっちゃと思ったり、”やさしいスウィーツ”をやらしいスウィーツと読んで一瞬食べたいと感じたり。
きょうは写真もわけの分らんものをUPして、野暮用で忙しいので貼り逃げします。

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 おほぞらを父のこゑ過ぐ七月の墓碑のそびらのわが名の緋文字   (塚本邦雄:黄金律)

身の涯(はたて)

以前の記事で間違えた”うばすて”じゃなくて”おばすて”。
pithecantroupusは”鉄トリ”じゃないので列車がなくても駅があれば満足です。

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 世の終焉(をはり)、否、身の涯(はたて)、慄然と巴里北驛(ギヤール・ド・ノール)の塵芥箱(ごみばこ)のリラ   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

そういえば今月は巴里祭の月でした。
まだ学校へ行く前だったと思うのですが、となりの市には信号機のないロータリー交差点があったし、映画に出てくるような広告塔もあり、”街”へ来たという感情でウキウキしていた幼児はその先にパリを幻視していたと思います。

ロータリーも広告塔も撤去された今はちょっと大きい田舎町に成り下がりましたが。

いつネオ

もう食傷気味だけど、他にないので。パンシロン要りますか。

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7artisans 50mm 0.95
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kowa 8.5mm 2.8


 向日葵の種子こぞりたちわれはいつネオ・ナツィズムに惹(ひ)かれそめける   (風雅黙示錄)

一隅なるゴビ

いろいろとあって1枚だけ。

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kowa 8.5mm 2.8
きのう引用した短歌にもあった「誤謬」をずっと「ごびょう」と読んでました。
さっそく検索したら、「ごびょう」と間違って覚えていた人が結構いるようで、慣用的誤読なんて書いてある辞書もあるようだし、間違っていたからと言ってそんなに恥ずかしがらなくてもよさそう。(汗)
現に、
検索で見つけた某公共放送の文書は、昭和7年は「ゴビユウ」を間違いとしているのに、2年後の審議会ではアナウンサーの誤読の例として「ごびょう」とあげています。

西歐七月暦七月三十一日と題された歌で「ごび」を、
 文學の塵掃きすててなほわれの部屋の一隅なるゴビ砂漠   (塚本邦雄:不變律)

みすのまま

ひまわりの顔も三度といいますから、ひまわり畑のよそ見写真で。

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7artisans 50mm 0.95
やっぱり色気がなくて寂しいので仏の顔も三度という戒めを破って、
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kowa 8.5mm 2.8

先日引用したラジオ体操の記事はネットの情報に助けられているとしていましたが、
情報の不確かさを「手間を惜しまず」確認する、
「今更ながら」新しいことを知ったら喜ぶと理解しました。

実際「捕虜の死」をネット検索したら、コピペのようなワンパターンの記述が多く、長歌の全文に至っては、青空文庫のような信頼できるテキストが見つからず、個人サイトに2つほどありましたがその一方には誤記がありました。

 「一旦緩急アレバ」は「アラバ」の誤謬(ミス)のまま一天萬乘の君々々   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

くちびるは灰色

なおヒマワリ。ソフィア・ローレンはいないけど。

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dg elmarit 200mm 2.8
ソフィア・ローレンではなくもっと可愛げのなさそうなのがいますが。
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dg elmarit 200mm 2.8
色付きも。
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dg elmarit 200mm 2.8

 仁王のくちびるは灰色にむずと閉ぢつひに娶らざらむこころばへ   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

ラジオには

ひまわりの続きを。ひまわり畑らしく。

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7artisans 50mm 0.95
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7artisans 50mm 0.95

夏休みになって小学生のラジオ体操が始まり、町内会の役割分担で毎朝お手伝い。
起床時間が1時間早くなって、昼間のウトウト時間が1時間伸びました。

ラジオ体操の記事から引用します。
筆者は、夏休みになった子どもと一緒にラジオ体操に通っていて、『身体の動かし方は何となく分かるが,何のための動作か正確に分からない部分もある。ネット上でラジオ体操の動画を検索するといろいろ見つかる。「なるほど,こういう意味のある体操だったのか」と30年たって初めて学んだ。』といいます。そのうえで、

 「手間を惜しまないこと」そして「自分がこれまでとんでもない間違いをしてきたことに今更ながら気づいて恥ずかしい思いをするかもしれないという恐れに打ち克つこと」。ネット時代の生涯学習は,怠惰と恐怖を克服することが鍵となるだろう。
 知識が間違っていても,自分がそれに気づかなければ,いい気持ちでいられる。年齢や役職が上がるにつれて,間違いを指摘してくれる人がだんだん減ってくる。また,注意されてもプライドがひどく傷つくようになる。自分の間違いを認めて直せる柔軟性があるかぎり,人は「若く」いられるのかもしれない。
阪大人間科学研究科 入戸野宏「ラジオ体操」

今更「若く」は望まないけど、「爺くさく」なるのはご免です。
間違いを指摘してくれる人が減り、どうでもいいプライドがひどく傷つく。耳が痛いなぁ。

 ラジオには靈歌高まり暑き夜の地(つち)につながりゐるアース線    (塚本邦雄:驟雨修辭學)

ひまわりの

撮れたてということで、出来は問わないように願います。(笑)

過去に撮ったものと同じにならないことを至上の命題にしているのですが、このごろ記憶力があやしくなって、いっそ気楽にシャッターが切れるようになりました。(汗)

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kowa 8.5mm 2.8
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kowa 8.5mm 2.8

 向日葵の林立の首刎ねる刎ねる彼奴(きやつ)も女よりうまれたるか   (塚本邦雄:詩歌變)

ついの座右の

また何撮ってるの伊勢志摩回顧バージョンです。

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みんなのミシマガジンで連載している「こんな座右の銘は好かん!」から『努力は人を裏切らない』を。

筆者がむかし在籍した研究室のとなりにいた教授の「週に7日働いたら、他の人が7年かかるところを6年でできますわ」ということばが筆者の脳裏に刻み込まれているそうです。「正しすぎるだけに、こういった理論(?)で努力を強いられたら反論することは難しい」といいつつ筆者は、

 とどのつまり、世の中は、運の要素があるからやっていけるのではなかろうか。努力と成功には相関関係、いや、より厳密には因果関係があってほしい。しかし、がんじがらめだと息苦しすぎる。だから、「努力は人を裏切らない」などというのはいささかの虚偽があって、「努力はおおよそ 人を裏切らない」とか、「努力はできるだけ裏切らないでほしい」というあたりが正しいのではないか。

 どないです? 誤解なきように言うときますが、努力に意味がないとはまったく思っとりません。でも、報われると思いすぎないことが大事とちゃいますやろかということです。怠け者だからそういうことを思うのだというお叱りをうけるやもしれまへんけど、そういう態度はハラスメントにつながりかねませんで。
(仲野徹元大阪大学教授)

努力が苦手科目のpithecantroupusは、努力家を尊敬しますが自分が見習おうとは思いませんから、これは座右の銘になりそうです。

 『惡の華』われには終(つひ)の座右の書を 火口に、否や涙湖の底に   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

文字に寄す

先送りのツケがたまって、あれもこれもしなければならないことがいっぱいです。
と先に言い訳しておいて一枚だけ。

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写真が一枚の代わりに、字数をいっぱい。
一昨日の窪田空穂を、空穂歌集が見つからないので、三枝昂之「昭和短歌の精神史」より引用します。

シベリアの涯(はて)なき曠野(くわうや)、イルクーツクチェレンホーボの バイカル湖越えたるあなた、炭山(たんざん)を近く望みて あはれなる宿舎むらがる。名にこそは宿舎ともいへ、土浅く広く掘りては かりそめの板屋根を葺き 出入り口一つ設けし 床(ゆか)すらもあらぬ土室(つちむろ)、戦前は囚人住みて 労役に服せるあとか。かかる室(むろ)ならび群がり 鉄条網めぐらす内に、在満の我兵五千 捕虜として入れられにける。

厳冬のチェレンホーボは 氷点下五六十度か、言(こと)絶ゆる畏き寒威 人間の感覚を断ち、おのが息真白き見ては 命なほありと思ふに、労力の搾取のほかは 思ふなき国にかあらし 働かぬ冬は食ふなと 生きの命つなぐに足らぬ高粱(かうりやん)のいささか与へ 粥として食はしむるのみ。夜となれば床(とこ)なきままに、土に置く狭き板の上(へ) 押並び二人(ふたり)いねては、一枚の毛布かぶりて 体温をかよはし眠る。目的を失へるどち 言ふことの何のあらむや、つぶやくは常つづく饑(うゑ) 眼に迫る恋しき祖国、口にすれば暫しまぎるる かひあらぬ訴(うたへ)のみなる。

わりなきはただ一着(いつちやく)の 身につくる軍服なるかな、薄くして寒気のとほり、著(き)きらしてぼろぼろなるに、著がへなきそのシャツをしも、おのれ等が巣どころとなし 饑うる身を食となしつつ ふえにふゆる虱の族(ぞう)よ、その数(かず)は幾そばくぞ。臍(ほぞ)のあたり手もて探せば いく匹をとらへは得れど、脱げば身のこほる寒気に 捕り減らすことすらならぬ。全員の五千に巣くふ この虱チフス菌もち、吸ひし血に代へて残せば、あはれ見よ忽ちにして 大方は病者となりつ、高熱にあへぎにあへぐ。医師をらず薬餌(やくじ)のあらず あるものは高粱のみの、この患者いかにかすべき。悲しきは生を欲する 人間の本性なるよ、食はざれば死せむと思ひ 強ひてすする堅きその粥、衰へし腸ををかして 一たびの下痢を起せば、その下痢やとまる時なく 見る見るに面形(おもがた)かはり、物言ひをしつつ息絶ゆ。ここの水ははなはだ悪るし 高熱の渇きこらへて 飲むなゆめと相警むれ、飲まざるも命堪へえで 一日(にち)に何十人は 息せざる者となりゆく。チェレンホーボ長き一冬(ふゆ) 千人や屍体となりし。

戦友のこの悲しきを いかさまに葬りなむか、全土ただ大氷塊の 掘りぬべき土のあるなし。ダイナマイト轟かしめて 氷塊に大き穴うがち、動きうる人ら掻き抱(だ)き その中にをさめ隠しつ。初夏(しよか)の日に氷うすらぎ あらはるる屍体を見れば、死ぬる日の面形(おもがた)保ち さながらに氷れるあはれさ。その屍体トラックに積み 囚人の共同墓地ある 程近き岡に運びて、一穴(けつ)に五人を葬り、捕虜番号書ける墓標を 人の身の形見とはなし、千人の戦友の墓 さびしくも築(つ)き並べけり。

死を期(ご)して祖国を出でし 国防の兵なる彼等、その死(しに)のいかにありとも 今更に嘆くとはせじ。さあれ思ふ捕虜なる兵は いにしへの奴隷にあらず、人外の者と見なして 労力の搾取をすなる 奴隷をば今に見むとは。彼等皆死せるにあらず 殺されて死にゆけるなり、家畜にも劣るさまもて 殺されて死にゆけるなり。嘆かずてあり得むやは。この中に吾子まじれり、むごきかな あはれむごきかな かはゆき吾子。
(窪田空穂「捕虜の死」)

 夫須(ふしゆ)の花咲くやそれよりも切切と文字にし寄する一人の心   (塚本邦雄:黒曜帖)

異端調組曲

伊勢か鳥羽か志摩かその辺の続きを。

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先日引用したGQジャパン小田嶋隆追悼記事(コラムニスト・小田嶋隆が残した功績)から、きょうは武田砂鉄の文を引用します。
2020年『災間の唄』を出版した際、武田は小田嶋にインタビューをしたそうです。

私(武田)が、「双方向性って嫌いな言葉なんですが、それが表現のメインストリームになって、わかるわかる、高め合っていこう、ってな感じになると、小田嶋さんも、そして自分もそうかもしれないですけど、この手の書き手は『ただのイヤなヤツ』に位置付けられますね」と聞くと、こう返してきた。

「でも、そのイヤなヤツってのが、とても大切になっていく。今、ものを言う時に、『批判ばっかりじゃないか』っていうことを言い出すヤツがふっと現れて、良いことを探して交換し合おうよ、みたいな提案をする。すると、そっちがすっかり建設的とされる。何かについてケチをつけてたり批判をしてたりする人間って、頭が良いんでもなく、鋭いんでもなくて単に性格が悪いんだよね、っていう風にまとめちゃう見方がある。俺、それ全然違うと思っている。良い人だから褒めてるっていう風に判断するヤツってのは、批評眼ってのが顔についていない人なんです。『悪い事だけじゃなくて良いとこだけを見ようよ』とかいう人がいたら、おい、お前の薄っぺらさは何だってことを批判しなきゃいけない。けなす事より褒める事に習熟したほうが世の中が良くなる、役に立つんだよっていう『褒めよう運動』みたいなものに対して、とても気持ち悪いものを感じてます」


異端児でいいんだ。写真も異端児でいいんだ。(汗)

塚本邦雄「約翰傅偽書」のなかの『異端調組曲』と題された一節の冒頭句、
 源氏識らざるを沽券とするまでに癡(し)れたり 鉛色の紫陽花   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

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骰子はいつもちょう

伊勢か鳥羽か志摩かその辺だったと思うのですが、10年以上前のことだから。

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元首相が撃たれた日、夕方にニュース速報が出てすぐに「国葬」と「中曽根康弘」を検索しました。
生前に大勲位をもらい死後従一位になった中曽根が党・内閣合同葬でしたので、撃たれた元首相に国葬はないと安心したアホのpithecantrouousはすぐに裏切られました。葬儀は生きている者のために行われるものでした。

 葦むらにつづく囚徒の列を見しそれからの骰子(さい)はいつも偶(ちやう)の目   (塚本邦雄:水葬物語)

中曽根のwikiで海軍主計中尉という履歴を見て、小泉信三の「海軍主計大尉小泉信吉」を思い出しました。
さらにそこから、同じく息子の死を書いた窪田空穂「捕虜の死」を思い出しました。
イルクーツクチェレンホーボという無機質な地名と対峙する「むごきかな あはれむごきかな かはゆき吾子。」という絶唱に老化して涙もろくなった爺はいつもウルウルしてしまうのです。

つむじのうづ

多分、松代で撮りました。何も松代でなくても撮れたと思うけど。

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加藤周一「日本文化における時間と空間」(岩波書店)から中原中也を引用します。

 (一九)三六年に陸軍の「皇道派」は「軍事クーデター」を企てて、権力奪取に失敗したが、・・・慮溝橋から上海へ、上海から南京へ。・・・その後に来るのは、「大政翼賛会」と太平洋戦争であった。
 そのとき詩人中原中也は、雑誌『文学界』(一九三七年五月号)に、痛烈無残な詩「春日狂想」を書いていた。その一行に日く、
   ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
 ・・・要するに「御一緒」が重要なので、御一緒に何をするかが重要ではない社会。その社会の、「私」を無くして集団に奉仕するのを美しいとする美学。その美学は、集団の目的を問わない。・・・誠心誠意行えば、何を行ってもよろしい、いや、そもそも何を行うかはその時の、現在の、大勢に従えばよろしい。
 ・・・そのことは帝国議会においても、「詩壇」においても、変らない。三好達治は、中原について、「生来のつむじ曲り」といったことがある。・・・


「つむじ曲り」がいいなぁ。アマノジャクは親近感を持つなぁ。
春日狂想が発表された一九三七年五月(4月?)から彼の死まで半年しかありません。


 月光につむじのうづの炎なすなんぢ母ありて生れ來しや  (塚本邦雄:海の孔雀)

学校とよぶ

きのうの場所は松代藩文武学校だったようです。画像検索で分かりました。
年々、何事もいい加減になってきて、写真の場所もどうでもよくなってきたようです。
先日のブログ記事も、姨捨とすべきところを姥捨と書いてしまったママです。

きょうはどこで撮ったかはっきりしてます。証拠写真がありますから。
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撮影場所を探すためにネット検索を使いましたが、「姨」と「姥」の違いを検索しても求めているような答が出てきません。
古典がどうのとか地名がどうのなんてことでなく、白川静ばりの解説がほしいのに。

 「血の通ふ敎育」とやら血みどろの硝子の檻を「學校」と呼び   (塚本邦雄:約翰傅偽書)


元首相を5.11の犬養になぞらえ、両者ともに肯定的に書いてある記事に違和感を感じました。
犬養は、首相の地位をとるために陸軍をさんざん利用し首相になると彼らを弊履のごとく捨てた人物と記憶しています。
宗教を利用してそのツケを払わされた点は似ていなくもないけど。

肝にしみ

きのうの信州の写真の続きなんですが、はてどこだったのかなぁ。弓道場ってことは分かるけど。

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 霰酒肝(かん)に沁みつつきのふより讀みさしの「椿說弓張月(ちんせつゆみはりづき)」   (塚本邦雄:風雅)

をおもひつつ慄然と

なお信州。なお14年前。

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 女人柱(カリアテイド)もつ神殿をおもひつつ慄然と高熱のわが脚   (日本人靈歌)


6月26日に小田嶋隆を引用しましたが、彼を追悼する記事が載ったGQジャパンから、鈴木正文の文の一部を引用します。

 このところの、NHKもふくむ各テレビ局の・・・画一化された没個性の「事実報道」の羅列が横行する「多様性」の欠如した光景は、あまりにも寒々しい。

 ちかごろの日本のメディアの退屈さとジャーナリズムの退廃は、もはや極まりつつあるのかもしれず、それもこれも、メイン・ストリームのメディアが、「コラム=柱」なき建築物になってしまっているためだ。しっかりした柱の列がなければ、建築物は、もはや自立して立つことができない。同様に、しっかりしたコラムのヴァラエティがなければ、独立したメディアは存在しえない。・・・

 長いあいだ雑誌の編集をやってきた身としては、コラムこそは雑誌の個性をかたちづくるものであり、雑誌のいのちであるとおもってきた。・・・特集テーマであるよりは、むしろ毎号の、ほぼ固定された筆者たちによる数本の、あるいはもっと多くの本数のコラム記事こそが、ひとつの雑誌を別の雑誌とわかつ「個性」を、いいかえればその雑誌の「本質」を、かたちづくるものになる、と僕はかんがえてきた。


没個性は写真にも当てはまりそう。
他人と同じ写真を嫌いつつ、むかしの写真と同じ写真を撮っているアホのpithecantroupusは、他人様のコラムをもっと読んで勉強しなくっちヤ!(汗)

丁子は弔辞

きのうの写真は季節感に欠けていたので、バランスをとって(?)、同じ日に撮ったアジサイを。

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昨日の嫌いな人、好ましく思う人に池田勇人が入っていません。母親が「(池田は)貧乏人は麦を食えと言った」と非難した言葉が記憶に残っているです。しかし、彼の浅沼委員長への弔辞を読むと、そうした感情が緩みます。

作家の秦恒平のwebから、佐高信「遺言と弔辞」の一部を引用します。
    
国会議員が亡くなると、その党の議員ではなく、反対党の議員が追悼演説をする習慣がある。一九六〇(昭和三十五)年十月十二日、十七歳の少年によって刺殺された日本社会党(当時)委員長、浅沼稲次郎のそれは、自民党総裁であり、首相だった池田勇人が行った。秘書であった伊藤昌哉が書いたといわれる・・・
 遺書も弔辞も、返事を期待しない"手紙"だが、それだけに片思いに似た切なさがある。


このあと池田の弔辞が引用されるのですが、その最後の部分。

私どもは、この国会において、各党が互いにその政策を披瀝し、国民の批判を仰ぐ覚悟でありました。君もまたその決意であったと存じます。しかるに、暴力 による君が不慮の死は、この機会を永久に奪ったのであります。ひとり社会党にとどまらず、国家国民にとって最大の不幸であり、惜しみてもなお余りあるもの といわなければなりません。(拍手)
 ここに、浅沼君の生前の功績をたたえ、その風格をしのび、かかる不祥事の再び起ることなきを相戒め、相誓い、もって哀悼の言葉にかえたいと存じます。 (拍手)

残念にも「かかる不祥事」が繰り返されてしまいました。

弔辞のかわりに丁子で、
 丁子・茴香・肉桂・胡椒夕映に妻は選るまたはかなきことを   (塚本邦雄:閑雅空間)

いつの日に解かる

10ウン年前のあの日は松代へも行ったようです。ここは松代駅。

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しかと理由を論理で説明できないけど嫌いな人はいます。Kishi、Sato、Abe・・・。同様に好ましく思う人もいます。Tanaka、Ohira、Takeshita・・・。
しかし、どちらにしろ、見も知らぬ人から勝手に愛憎、評価の対象にされることに24時間晒されている彼らは、とてもえらい人だと感じます。
以前読んだ柊サナカ『人生写真館の奇跡』に出てきた走馬灯が思い起こされました。彼はどんな走馬灯を見ているのだろう。願わくば美しい走馬灯であってほしいと思います。

いつもの内田樹が信濃毎日に寄稿したものをサイトに再録していました。「政治的暴力を抑止するために必要なのは、警察や軍隊の強化ではない。十分な信頼に足るだけ、論理的で、感情豊かで、かつ節度ある自由な言論をもう一度作り直すことだ。その作業なら今すぐここから始めることができる。

走馬灯の”馬”で、
 夏いまだ童貞の香の馬を責む戀いつの日に解かるる魔法   (塚本邦雄:されど遊星)

われに人ひとり

こ、こ、これは半夏生では。もう半夏生はとっくに終わったのに。きのうの姥捨が入っていた箱の隅にありました。

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 半夏生(はんげしやう)の水はほのほのごとく滿ちわれに人ひとり宥せし恥   (塚本邦雄:感幻樂)

田毎

姥捨というところへ行ったのは10ウン年前の7月。もう自分が捨てられる歳に。
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 田毎にぞ月照るこよひすぎゆきし夏のかなしみしろがねの色   (塚本邦雄:連火帖)

あとのあ

時事ネタを、先日来の丹生からの帰途寄り道した琵琶湖周行から一枚。

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お口直しを、きのうの残りもので一枚。

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 死に近き胸に祕めしは戀人の足あとのあるタビのきりぬき  (塚本邦雄:水葬物語)

曖昧至極の

なにもない日。いっぱいあった日。むかしの今日とった写真。

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 雨脚急(きふ) ゆくさきざきも曖昧至極の日本のいづくに急ぐ   (塚本邦雄:獻身)

今日の七夕記念写真もペタッ。
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暑暑暑

あっチッチ、水ぅ、何でもいいからみず~ぅ。ピンボケでもいいから水の写真を。
ということで、きのうと同じ丹生で撮った中から。

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 文月(ふづき)シャワーの銀のしぶきに風邪引いて暑中お見舞申上げず   (塚本邦雄:候黄金律)

星より通信あり

ものいえばくちびるさむし。

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ここは滋賀県北部の「丹生」という場所だったと思います。
村の中をうろうろしましたが怪しいと思われただろうなぁ。

塚本の歌集「不變律」中の「西欧七月暦」から七月五日の歌を、
 星より通信ありと思へば燦爛と鼻先に七月の銀蠅   (塚本邦雄:不變律)

ラジオに

今日も時間が循環中。進化しないなぁ。

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俳優の佐野浅夫死去のニュースがテロップに流れて、wikiを見たら、「私は貝になりたい」にも出演されていたと書いてありました。
さらに広島大学のペスタロッチ賞をもらったとも書いてありました。
pithecantroupusが幼少のみぎり愛聴した『で~てこい、でてこい、でてこい、お話でてこい、お話でてこい、どんどこどんどこでてこいこい』の朗読も彼だったそうです。
いかんなぁ、時間がどんどん循環している。

 ラジオには靈歌高まり暑き夜の地(つち)につながりゐるアース線   (塚本邦雄:驟雨修辭學)

時間のすみやかにたつ

循環する時間に溺れて、琵琶湖湖西の辺りのむかしむかし。

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きのう引用した『循環する時間としての季節と、後戻りできない生物としての線的な時間』が面白いと思ってネット検索したら、時間論として常識で、あちこちに同様の時間への言及がありました。pithecantroupusが無知だっただけでした。恥ずかしいことです。

ネット検索には助けられていますが、簡単に先入観や思い込みも引きづり込んでしまいます。
先日の大鵬の戦争体験も、大鵬のwikiでは大鵬だけが運が良かったように読みましたが、当の疎開船沈没のwikiを見ると、大鵬母子が乗った疎開船には1,500人の乗客がいて、稚内で内900人が船長の勧めに従って下船したそうです。(それでも残った約600人の乗客と約100人の船員・軍人が潜水艦の攻撃で600人以上が犠牲になったと。)


 薔薇たとへば死後の時間のすみやかに經(た)つゲルマンの直系の藍   (塚本邦雄:綠色研究)

二十四の

残りものの季節。

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m.zuiko 17mm 1.2
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laowa 25mm 0.95
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m.zuiko 17mm 1.2

「tree」というサイトの文芸誌「群像」2019年4月号に掲載された関口涼子エッセイから、

 昨年秋、フランス語で17冊目の著作になる『Nagori』をパリの出版社、P.O.L社から出版した。日本の「名残」の概念から出発し、(季節を意のままにしたいという願望がどのように文学に書かれてきたか、線的時間と循環する時間、複数の季節を同時に生きることなどを)書いたエッセイだ。フランス語での著述活動を始めてもう20年ほどになるが、日本語の題名にしたのは今回が初めてだ。

 本書では、日本での「二十四節気」「七十二候」ブームについても多少苦言を述べている。日本人は、季節に頼りすぎているように見える。循環する時間としての季節と、後戻りできない生物としての線的な時間を二重に生きているのが人間だとしたら、日本人は、循環する季節の時間が浄化してくれるものに寄りかかりすぎ、人間が主体として作り出す、線的な時間としての歴史的意識に欠けているのではないか。特に東日本大震災後の様々な言論を見ていると、自らの行動を歴史的時間の中で考える責任感に欠け、自然に任せる物言いが多すぎるように思う。・・・裏には、・・・現実の環境を直視したくない、という子供じみた願望もあるのではないか、と思えてならない。


たしかにpithecantroupusも生物としての線的な時間はなるべく見たくないなぁ。停滞してもいいから同じところをグルグル回っていたいなぁ。


 玩具函(おもちやばこ)のハーモニカにも人生と呼ぶ獨房の二十四の窓   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

残んの生

残りものさえ少なくなって一枚だけ。

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s.nokton 29mm 0.8

 拱手(こうしゆ)して殘んの生をかなしむか晩夏木賊(とくさ)のしろがねの黴(かび)   (塚本邦雄:歌人)