再審最新細心と再訪

郷愁の写真はとなりの市の坂本棚田で撮ったと写真が言ってました。
ノスタルジーに浸っているpithecantroupusをあわれに思った友人がもういちど坂本棚田へ誘ってくれました。

むかしはピントが甘かったぁ。
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きょう撮った写真も。進歩してないなぁ。
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dg summlux 15mm
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7artisans 50mm

”再訪”の”再”で、
 再診と再審と早合點してあゝ出藍の山ほととぎす   (塚本邦雄:汨羅變)

あゝいくさそのゆくへ

きのうの郷愁の地元写真の続きで。
4枚目は前にもブログにあげたかすかな記憶がありますが、自分の記憶なんて信じられないから。

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きのうの筒井康隆のつづきに、『戦争が好きとあえて言ってみたらどうか。それが小説家だと思う』という文があります。

 戦争について議論すると、みんな戦争反対ばかりですが、それでは議論は深まらない。人間の本質として戦争はなくなりません。戦争は面白いものなのですよ。小林信彦が『ぼくたちの好きな戦争』なんて小説を書いているし、僕も昔からそう思っていました。面白くなければ、こんなたくさんの戦争映画ができるわけない。

戦争反対ばかりでは議論は深まらないという言い方は間違っていると思いますが、皆が同じことを言う時に真逆を言うのは大事なことだし、それができる人は限られていると感じます。

テレビの悲惨な映像に戦争反対を醸成させられているpithecantroupusは、もしも勇ましい映像を見せられたら戦争賛成になるのではないかと、自分自身が信用ならないのです。
風呂にも入らず、トイレは水洗でなく、ときには瓦礫のかげでこっそりビクビクしながら用を足し、尻を拭く紙もない。悲惨だけど、滑稽でもある。そうでも思わなければ生きていけない。

 薔薇戰爭・阿片戰爭・核戰爭 あゝいくさそのゆくへも知らぬ   (塚本邦雄:汨羅變)

美人美女はルッキズム

ブログを始める以前に撮った写真で。地元の山村(?)で撮ったと写真が言うのですが思い出せません。(汗)

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文春サイトの筒井康隆の文から引用します。元の文は文藝春秋 2022年2月号だそうです。(《「美人」「主人」「奥さん」は使わないほうがいい?》断筆宣言の筒井康隆氏が考える現代の“言葉狩り”

 聞くところによると、いまは「美人」「美女」という言葉は、「ルッキズムだ」ということで、使いにくくなっているそうですね。このルッキズムというのも変な言葉ですが、外見至上主義とか、外見にもとづく差別や偏見を意味するのだとか。「美女」という言葉を使っていけないのであれば、もっと下品な言葉で、いくらでも言い換えはできます。まあ、ここでは止めておきましょう(笑)。

 (30年ほど前に「断筆宣言」の中で)私はこんなことを書いています。
〈小説に美人が登場しても差別につながるという常識が一般化した社会を想像することもでき、そんな想像を現実よりも先にしてしまうのが「炭坑のカナリヤ」としての作家であろう〉


差別を錦の御旗にするマスコミとは、オレは違うぞということがよく分かります。
ここで引用している塚本邦雄も、言葉のタブーに頓着しないもんね。
pithecantroupusも、1950年代のピンナップを見てよだれを垂らしているのが差別と言われたら、”バーカ”って言ってやる。

 美少女に夜の山百合あかつきの向日葵は美少年の覺めに   (塚本邦雄:味蕾帖)

あお

なお白馬。ピントが甘いけど自分にも甘くして。(汗)

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 石原慎太郎が亡くなって歯車がカチリと動いた音を聞いたように感じました。
webちくま連載「重箱の隅から」引用します。

 先日、石原慎太郎の訃報を目にして新潮社の社史を思い出したのである。
新潮社社史には、昭和31年と32年を代表している本と雑誌(「週刊新潮」創刊号、井上靖『氷壁』、『ヘルマン・ヘッセ全集』、『太陽の季節』)が載っている。(週刊新潮、ヘッセ全集、氷壁は現在でも通用する本のデザインなのだが、)これは通用しないと断言できるのが『太陽の季節』の装丁である。・・・
 ・・・現在はどうか知らないし、いつ誰がどのようにして広めたのかを知らないのだが、新聞の文化欄(の片隅)や、ある種の編集者(と言えば、むろんとっくに定年退職している年齢)が語っていたのを覚えているのだが、新潮社の本作りは丁寧で美しいとされ、同じように、明朝体の活字はその繊細さで精興社の名が伝説的に口にされたものだ。たとえば、心ならずも大衆小説を書いていた作家が純文学に野心を持ったりすると、精興社の活字で組んだ本を念願かなって作った、などと随筆ページで洩らしたりしたものである。・・・
 ・・・私は最近滅多に眼にすることのなくなった書籍用語というか製本用語の「並製」という言葉を思い出したのである。・・・戦後の昭和30年代前半に上梓された本にはしばしば「粗製」と書いた方がふさわしいような本があったのを思い出す。・・・
金井 美恵子「墓場とユリカゴ①」より

 濃霧の街の底の光に白馬色(あをいろ)の毛皮賣られつ戀(こ)ほしランボー   (塚本邦雄:水銀傳説)

いまごろになって「青鬼」を「あおに」と読むことを知りました。恥ずかしい事この上なし!いや、聞いていたけどこの瞬間まで忘れていたのかも。より一層恥ずかしい!

さてpithecantroupusは思うのです。
「並製」でも石原は満足しただろうし、「並製」だから大ベストセラーになったのではないかと。
あの熱に憧憬するのです。

老い来る

郷愁の青鬼村なお。

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電車での帰り道にうっかりうたたねして、目が覚めたら電車の進行方向が家から遠ざかる方向だったので、どうしてどうして!と、どうしょうどうしよう!で頭が混乱。
そのうちに自分が右と左を間違えていることに気付いて無事に帰着出来ました。こんなことは初めてです。
でもこれからはそんなことが頻繁におこるのでしょうね。情けない。

 花の若狭知らず靑葉の加賀も見ずわれに愕然として老い來る   (塚本邦雄:閑雅空間)

鞭痕に

なおノスタルジー。やっぱりここは白馬だったようです。多分。青鬼村と記憶がいってます。

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 金雀枝(えにしだ)の風吹き及ぶ白馬(あをうま)の腿の鞭痕にほふばかりに   (塚本邦雄:天變の書)

おせっかいの受付係

きのうの写真と同じときに撮りました。ノスタルジーの海で泳いでいます。

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自治会と固いなまえになってますがむかしは町内会って言っていたような気がします。おせっかいなおじさんが町内会長ってよばれてました。歳をとるとそのおせっかいがありたく感じます。きょうは自治会の集会で受け付け係をやりました。

 隣家令孃恐怖の高音域演習はじむ名づけてシニョリーナ・フロン   (塚本邦雄:汨羅變)

10ウン年前の記憶

10ウン年前をもう少し。白馬か安曇野か、その辺だったと思いうのですが、記憶が不確かです。

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 花冷えの志木公園に老女らがつどふ國かたむくるくはだて   (塚本邦雄:不變律)

あはつけきP(ピー)

お昼ご飯を食べに行く途中で、去年も行った大きなフジの木があるお寺に寄りましたが、フジの花はまだ咲きかけで、雨まで降って来ました。

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laowa argus 25mm apo
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laowa argus 25mm apo
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laowa argus 25mm apo

ことし撮ったサクラの写真は昨日で払拭したのですが、つまらないので、
10ウン年前に撮った写真を。でも肝心のサクラがボケボケでした。

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四月の一瞬だけ軽薄だったと自覚する塚本邦雄がうらやましいpithecantroupusは、四六時中軽薄。
 歌を得たりと思ふ四月のあはつけきわれのこゑうつそみを離るる   (塚本邦雄:詩歌變)

花すでに終んぬ

のこりものの底をひっかきまわしてサクラもこれがさいごです。

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7artisans 35mm
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7artisans 35mm

 花すでに終んぬころ漆黑の肩の稜々(かどかど)しき頼朝像   (塚本邦雄:波瀾)

ちりぬるを

残りものにつき注意!(笑)

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samyang 135mm
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7artisans 35mm

馳星周という名前を見たときに、駆け出しの若い歌手だろうと勝手に想像していました。
少年と犬という題を見たときに、文部省推薦図書か読書感想文指定図書のひとつだろうと想像しました。

心を入れ替えて1円の古書を買いました。
小説の題名が気になりました。「少年と犬」であって、「犬と少年」ではないことがです。

むかし「老人と海」というのを読んだなあ。
映画も見たなあ。映画は文部省推薦だったような気がします。
あれは老人と海でなければダメだ。海と老人ではダメだと感じます。

「少年と海」、間違えた、「少年と犬」という題の必然性を手に入れたく思いました。
それで本を買いました。


 鬱金櫻ちりぬるきはをおもえば深沈として不會(ふゑ)の明日あり   (塚本邦雄:波瀾)

うすむらさきの煙

気分転換に季節感のない写真で。

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s.nokton 29mm
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dg nocticron 42.5mm

圓井義典『「現代写真」の系譜』から、

 それぞれに違う立場と視点で時代に向き合った土門と植田。土門は撮影者自身によってすらあらかじめ答えをもちえない、撮影現場で見出す「カメラとモチーフの直結」の瞬間を求めます。・・・
 一方の植田は「なんらかの美意識、内面的な何かを求め」て「自らを賭け」る、「シリアスな写真」を求めました。・・・彼が作品を通して見たかったものは、個性的な視点と信念をもって写真に向き合う、そんなアマチュア写真家たちの姿でした。



季節外れですが灰皿があったので「煙」で、
 夏の夜のわがわかものの髪けむり火刑とはうすむらさきの罰   (塚本邦雄:水銀傳説)

サクラのくちはつるころ

音はちゃんと聴こえるけれど聞き間違いが増えたような気がします。
耳はいいけど脳が老化しているのでしょう。

テレビCMが”本挽きカレー”といったのが”ポン引きかれー”と聞こえたのです。

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7artisans 35mm
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samyamg 135mm

薦められて『「現代写真」の系譜』(圓井義典 光文社新書)を買いました。大好きな植田正治と彼の友人土門拳の話から読み始めています。なんだか懐かしい気分です。

 鬱金櫻の朽ちはつるころ輪唱のわがバスを彼のバリトンが逐ふ   (塚本邦雄:詩歌變)

うつむきて

のこりものでお茶をにごします。

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nokton 60mm
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nokton 60mm
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nokton 60mm

 殘酷なる四月夕べをうつむきて歩めりき蜜月の花婿   (塚本邦雄:驟雨修辭學)

待たず

アラカルトは御衣黄、落ちたツバキ、しでこぶし、木蓮。まとまりのないこと、この上なしです。
まとめるという能力がどんどん低下してます。

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7artisans 35mm
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laowa argus 25mm apo
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m.zuiko 75mm
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m.zuiko 75mm

 五月(さつき)待たずに更紗木蓮散りつくしサハラにて行方知れずの戀人(アマン)   (塚本邦雄:汨羅變)

鮮(あたら)しきあはれみ

御衣黄を1枚と、届いたばかりのニュー・ギアで撮った2枚。

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samyang 135mm
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laowa argus 25mm apo
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laowa argus 25mm apo
新アイテムで撮ったRAWは、開放でのフレアがこれまで使ってきたNokton 25mm 0.95とは比べものになりません。
Noktonの低コントラストや彩度の低さはpithecantroupus向きでしたがコマ収差には困っていたので、新アイテムは正解でした。
なおビネットはRAW現像の過程でソフト的に落としているので、元画像はもっとまともです。

 鮮(あたら)しきあはれみ生(あ)れつサッカーの敗軍の將フランコもどき   (塚本邦雄:汨羅變)

がんたふはガンダム

サクラを急ぐと言いつつ、毎日サクラをつづけられない三日坊主のpithecantroupusは、毎度の「何撮ってるの?」パターンへ逃避します。

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dg nocticron 42.5mm
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s.nokton 29mm
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s.nokton 29mm

 以前に武田砂鉄が書いた将基面貴巳「従順さのどこがいけないのか」書評から、ド・ラ・ボエシを孫引きして「私たちは、私たち自身の内面に確立されてしまった、服従する『習慣』と戦わなければならない」、「その服従する『習慣』とは、思考の惰性でもある」を引用したような気がしているのですが、その続きから、

 「集団は、誰かが声を上げなければ形成されません」とある。声を上げる行為を、特別な行為にしてはいけない。そんなの、いつだって、どこだって、平然と行われなければならない。自分が不満に感じたことについて、相手を選ばず、不満ですと言う。それを繰り返していけば社会は変わる。繰り返さないと社会が硬直する。

不満を繰り返していけば自分の写真も変るかも。変わりたいpithecantroupusは社会よりも自分が大事。(汗)

ガンダムの”ガン”で、
 雁塔聖教序(がんたふしやうぎやうじよ)まねびて口かわく眼底に花見えたるこころ   (塚本邦雄:黄金律)

人におくれて

なお御衣黄記念写真で。

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samyang 135mm
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kowa 8.5mm
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kowa 8.5mm

ウコン桜と御衣黄の違いを知りませんが、
 人におくれて死するに及(し)かず高壓線ふるるは鬱金櫻の天邊(てつぺん)   (塚本邦雄:波瀾)

御衣黄は

友人が「御衣黄をとりに行こう」と誘ってくれましたので、記念写真を2枚。

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7artisans 35mm
LR-PF124187-Edit-2-2.jpgm.zuiko 60mm macro
 御衣黄(ぎよいくわう)は蘂のみのこし愛人が「今來む」と昨夕(さくゆふ)もささやいた   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

うつくしき道化

急がないとサクラが終わります。アマノジャクらしくサクラ以外も一枚だけ。

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dg nocticron 42.5mm
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nokton 60mm
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m.zuiko 20mm
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s.nokton 29mm

 春滿月父戀(ちちこひ)のそのみなもとに立てり髭うつくしき道化師   (塚本邦雄:陽帝領)

よそむきて

サクラを撮りに行ったときのよそ見写真と関町の残りものです。

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nokton 60mm
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s.nokton 29mm
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dg nocticron 42.5mm
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s.nokton 29mm
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dg nocticron 42.5mm

 さくらばな見るかげもなきわれはまたよそむきて歌ふ神の頌歌(ほめうた)   (塚本邦雄:透明文法)

薬効かざれば

サクラ撮りだったはずですがアンプルもきれいだったのでパチリ。
田んぼの水とサクラも撮ってバランス感覚に優れたpithecantroupus。
単に冒険できないだけなんです。

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s.nokton 29mm
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nokton 60mm
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m.zuiko 20mm

アルツハイマーに効くクスリが欲しい、切に。
 藥種商モナ・リザを商標として藥効かざればしぶとく榮ゆ   (塚本邦雄:装飾樂句)

菓子屋「閑太」に

サクラを目的にしていたのに他のものを撮ってしまうpithecantroupus。
カエデとガチャガチャと、申し訳ないのでサクラも一枚。
ガチャの「セキノト」は、亀山市関町の茶菓子「関の戸」です。

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om zuiko 50mm 1.4
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s.nokton 29mm
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dg nocticron 42.5mm
 菓子屋「閑太」に人一人入りそのままの長夜星よりこぼるる雪   (塚本邦雄:豹變)

あへて言はば

堀江謙一がヨットで太平洋を横断したのはpithecantroupusが小学生のときでした。皆が騒ぐほどには感動しなかった記憶があります。でも今は違います。彼は神様です。太平洋をヨットで横断したからではなく、ひとりぼっちで目的を遂げたから。
ひとりぼっちに憧れます。
一昨日の亀山市関町をもう少し。
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s.nokton 29mm
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s.nokton 29mm
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om zuiko 50mm 1.4
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om zuiko 50mm 1.4

組織のネコという生き方があるそうです。
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 会社などの組織における働き方を、ネコ目の動物にたとえて4タイプに分類しています。
  横軸は組織の中央志向か、組織よりは自分の意志を重視するか。
  縦軸は組織の中で大きなパフォーマンスを発揮しているかどうか。
  右上が群れを統率するライオン。社長や役員といった、まさに王道をゆく立場です。
  左下のイヌは、そんな組織にとことん忠実、ルールに従って動きます。
ネコはそこまでルールに縛られず、出世などにも興味がない。ネコにとって、あこがれの存在がトラ。
 変わり者と思われがちで組織の中央からは外れているれど、自分の使命を追求し、めざましい成果を上げている。
でも、・・・イヌの皮をかぶったネコ=「隠れネコ」がそれなりの数いて、組織といえば〈イヌ派=多数派〉という図式ができあがっているようです。
 ただ、・・・ネコというと自由気ままのイメージですが、「組織のネコ」は、わがまま放題というわけにはいきません。そうではなく、あくまで自分にとって意味のある仕事か? という〈自らに由る〉価値観で判断するのが「組織のネコ」という意味だそう。
寅年に「組織のネコ」を目指して生きよう

ライオンになれないイヌ、いや隠れネコだったと後悔するpithecantroupusは、「ひとりぼっち」の勇気がなかっただけです。

 をがたまのかをる二の宮狛犬もあへて言はば權力の飼犬   (塚本邦雄:不變律)

まかりとほれ

もう季節が終わったけれど、おひな様を亀山市関町できのう撮りました。
狂った季節感元にもどすためにサクラも一枚。

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s.nokton 29mm
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om zuiko 50mm 1.4

 山櫻垂りて弧をなすこの徑(こみち)まづは死者よりまかりとほれ   (塚本邦雄:波瀾)


絵本作家の五味太郎の本にありました。

 「むかしむかし あるところに・・・」という語り出しの定番は、・・・僕には写真集を見る時にとてもふさわしく感じる。・・・(手近にある写真集を開いて)「むかしむかし あるところに・・・」たとえば爺さんが煙草を吸っていたり、子どもが駆けていたり、兵士が休息をとっていたりするのを眺めて楽しむ。そう、写真は過去にシャッターを切られたものであってすべてむかしむかしあるところに、なのだ。(ブロンズ新社「6Bの鉛筆で書く」)

 pithecantroupusの写真が郷愁を帯びてしまうのはこれだと思いました。

はじめてのつばくろが

写真を撮り始めた当時は45mm程度のレンズが固定されたカメラで何でも撮ってました。
ふと、そんな昔を思い出して撮ったツバメがかえって新鮮に感じるのは懐古趣味?
終ってしまう前のサクラも一枚いれて現代趣味?に戻そうとしますが、レンズがフィルム時代の懐古趣味。

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s.noktom 29mm
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om zuiko 50mm 1.4

紺靑の血潮したたる はじめてのつばくろがひつかきたる蒼穹(そら)   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

朗々の

ふらふらしながらまたサクラを。

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dg summilux 15mm
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nokton 17.5mm
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nokton 17.5mm

 昭和盡きむとしつつ花冷え靑葉寒(あをばざむ)朗々の歌あとを絕ちたる   (塚本邦雄:不變律)

われに落ちくる

サクラをつづけられないアマノジャクは荒れ放題の庭で。

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nokton 25mm

たびたび引用する内田樹のwebから、

 この100年間、思想のたたかいは、世界を単純な論理や図式で「正邪、理非、善悪」の二元論で割り切ることをめざす「敵をつくる思想」と、個人と集団の奉じる多様な価値の共生を受け入れる「敵をつくらない思想」が拮抗してきた過程として見ることができる。そう僕は思います。戦況は一貫して「二元論」的、対立的な思考とそれが分泌する他責的で攻撃的な語法が優勢で、「いろいろあっても、いいじゃないか」的な寛容の思考を壁に追い詰めつつあります。・・・
 このような全体的趨勢の中で、メディアの語り口はほとんどつねに「正邪、理非、善悪」の二元論に寄り添ってきました。・・・「語り口が穏やかである」とか「考えが深い」とか「反対者に対して忍耐づよく説得を試みている」といったことを政治家の美質に数える習慣をメディアはほぼ完全に放棄しました。
内田樹の研究室「危機の危機」より)

侘助じゃやないけど、
 他者の死に支へられつつわれに落ちくるは血紅の侘助椿(わびすけ)の花   (塚本邦雄:約翰傳僞書)

うすら冷えつつ

ご近所ザクラを、なお。

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om zuiko 50mm 1.4
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m.zuiko 75mm
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om zuiko 50mm 1.4

 山櫻うすら冷えつつ遠ざかる夜を他界よりきたれり言葉   (塚本邦雄:詩歌變)

いつしかまた

きのう撮ったご近所ザクラで。

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dg summilux 15mm
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om zuiko 50mm 1.4
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om zuiko 50mm 1.4
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om zuiko 50mm 1.4


 花の雨 後架のありかたづねそこなひていつしかまたバッハ論   (塚本邦雄:汨羅變)

 米国ではウィル・スミスへの風当たりが強いようですが、文化や歴史、宗教の違いを感じてしまいます。家族が公の場ではずかしめられたら刀を抜くのが正義だと育てられました。