歌うたふ

たった10分のお散歩だから残りものもこれだけ。
天地逆さまが気にならない、ただの大根に引きつられる「恍惚の人」。ボケないぞと思ってももうだめかも。

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7artisans 50mm
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7artisans 50mm

 夏大根に家中(いへじゆう)の口しびれつつ今日終る 國歌うたはず久し   (塚本邦雄:日本人靈歌)


10年前にレビー小体型認知症と診断された樋口直美「間の人」(晶文社スクラップブック)に、

 「誰の手も借りずに歯を食いしばってがんばるのは、自立ではなく孤立だ」と読んで、ギクリとしたことがある。・・・
 人間関係は、基本的に面倒で、煩わしさがつきものだ。40年前に故郷を離れ、そんな面倒を避けて生きてきて、辿り着いたのが、この「孤立社会」か。自由で気楽で快適な生活を、誰もが当たり前のように求め、謳歌してきた結果がこれなのか。そう思うと、スーッと体が冷たくなる。2年近く続くコロナ生活の中で、孤独が骨まで沁みてくる。


と書き、人間の弱さを語ったあと、天体望遠鏡で見た銀河の星々のあり様に気付かされて、

 もし今、未来が見えなくて、不安を抱えていたとしても、衰えていく中にあるとしても、あなたは、大切な人だ。
  「あなたは、大切な人だ」
 私も自分に繰り返し言おう。どんな病気でも、若さを失っていっても、仕事がなくても、お金がなくても、孤独の中にいても、あなたは、大切な人だ。
 だから人に助けてもらうことに引け目を感じたりすることなんてない。いろんな人に助けてもらいながら、どうにかやっていけたらいい。自分もできることがあるときは、手を貸したりしながら。そんなふうに少しずつ、つながっていけたらいいなと、今、思っている。


恍惚でもいいんだ、大切なんだ。よかったぁ。

遊ぶ二つの

お散歩のつづきを。何撮ってるののつづきでもあります。

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7artisans 50mm
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7artisans 50mm

小田雅久仁「残月記」を読みました。

いつもは見えない月の裏側を見た瞬間にパラレルワールドに行ってしまう、3篇の冒頭「そして月がふりかえる」が面白かったです。初稿を書き直したとは思えないバッドエンドでしたが。
表題作「残月記」は映像化されることを見越したようなエンタティメント、ゲーム感覚の今様で、年寄りはクラクラしました。

ゲームは遊戯なので”遊”で引用して、
 霞へだてて遊ぶ二つのいかのぼり父にかくし子母には連れ子   (塚本邦雄:閑雅空間)

草色の証

きのう仕事の昼休みにお散歩を10分ぐらいした成果を。何撮ってるの?と聞かれても。

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7artisans 50mm
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7artisans 50mm

きょうはバスに乗ろうとして行き先を間違えました。これも老化現象?
そんな頭で撮った写真が何撮ってるか分からないのは当然です。(笑)

 心毒はしづかに六腑めぐりをり若草色の健康保險證   (塚本邦雄:不變律)

はじめの初便

2022年の初仕事でした。ヒーこらフー。

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m.zuiko 20mm 1.4

”初”で、
 孔雀飼ひはじめたりと父の初便りああ死の外(ほか)に飼へるはそれか   (塚本邦雄:風雅黙示録)

歯を抜かるる

きのうにつづき神島。

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先日勇気をふるってほんとうに歯を抜いたので、(怖かったぁ)
 琴歌譜(きんかふ)の伊勢の神歌よよよよと春夜歯髄(しずい)を抜かるるわれに   (塚本邦雄:歌人)

小田雅久仁「残月記」を読み始めました。
表題作は、独裁政権下にある近未来の日本が舞台だ。〈月昂(げっこう)〉というウイルス性の感染症を発症した青年・宇野冬芽(とうが)の生涯を描いた中編である。 発症が確認されると強制的に収容施設に入れられ、徹底した監視のもと隔離される。そこで冬芽が目にしたのは、・・・』(大矢博子 「残月記」書評 非現実を地続きにする描写の力

「残月記」の雑誌掲載は2019年、コロナ禍と関係なく書かれたそうです。

一日ふかす

神島という島が伊勢湾の入口に見張りのようにぽつんとあって、むかし三島由紀夫が潮騒を書くときに”歌島”のモデルとして滞在したという話を聞くと、即物的理科的唯物的なpithecantroupusでもロマンティックな気分が高揚します。ひと昔前の神島行きフェリーで。

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1月24日犬の俳句記事を引用したサイトには、「文豪のおもしろエッセイ」という連載もあって、そこに太宰「酒ぎらい」が紹介されていました。「酒ぎらい」の一節を青空文庫から、

(太宰が来訪者を酒でもてなして、さて来訪者は満足したろうかと気にしたうえで、)
ことにも(来訪者のひとり)W君が、私の家の玄関にお酒を一升こっそり置いて行ったのを、その朝はじめて発見して、W君の好意が、たまらぬほどに身にしみて、その辺を裸足で走りまわりたいほどに、苦痛であった。
(”苦痛”というのがいいなあ)

(いっぽう別の来訪者があったときには、)
もう一軒、顔出しせねばならぬから、と、ともすれば、逃げ出そうとするのを、いや、その一軒を残して置くほうが、人生の味だ、完璧を望んでは、いけませんなどと屁理窟言って、ついに四升のお酒を、一滴のこさず整理することに成功した・・・
(”人生の味”という語が説得力を持つには、pithecantroupusにはもっと時間が必要で死ぬまでに間に合わないかも。)

 味酒(うまさけ)身は文弱の徒(と)に過ぎずル・ジタンを日がな一日ふかす   (塚本邦雄:汨羅變)

薔薇

きのうお下品な言葉をつかってしまったので蟄居謹慎。最新作も色をうすくして。

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7artisans 50mm
 囚人や死者への椅子は空席のまま 薔薇園やみ濃くなりぬ   (塚本邦雄:水葬物語)

ピストル型

料理洗濯掃除のどれかが趣味だったらよかったのですが、写真や本では何の役にも立ちません。
そんなことに考えも及ばなかったひとむかし前の写真で。

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 あるところ(【いつの時代も愛される相棒】俳人による“犬の俳句”7選)に西東三鬼「栗咲けりピストル型の犬の陰」が紹介してあったのですが、ピストルの影の写真が添えられていることに疑問があって検索したら、やっぱり『陰』に「ホト」とルビをふった引用がいくつもありました。
 ピストルは雄犬のチンチンでした。
 だから、栗の花のスペルマ臭とつながるし、もっといえば犬の幸丸は交接のときにメスの器官の中へ移動して結合がとれないようになるそうですから、凶器を連想しても突飛じゃないと感じました。

西東三鬼「広島や卵食ふ時口ひらく」つながりで、
 卵食ふ時も口ひらかず再度ヒロシマひろびろと灰まみれ   (塚本邦雄:獻身)

ここにいたり

ひとむかし前に滋賀県高島マキノで。

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コロナ禍になってからたびたび日本人の行動規範や国民性について同質の言辞に接します。ステレオタイプな記述に反感しつつ、ついつい肯定している自分がいます。きのうの「兎烏」が出てきた文の続きから引用します。交通法規の話から始まって、

 こんな話を聞いたことがある。エレベーターに乗って、ドアが閉まらないと、「閉」の ボタンを押す人がいる。わずか1秒か2秒のことだろう。たまたま乗り合わせた外人から「あなたは、機械を信用しないのですか」といわれという。
 うーん、これも難しい。自分一人なら、自動的に閉まるのを待てるとしても、たまたまボタンの前に居たときなど、奥にいる他の人から、「閉」のボタンを早く押せという無言の圧力を感じ取るのも日本人の特性なのだ。・・・

 今年のノーベル物理学賞受賞者で、文化勲章にも輝いた真鍋淑郎さんは米国籍の人だが、「日本人は他人の迷惑にならないことばかり気にしている」と記者会見で述べた。・・・
 今回のコロナ騒動で、今まで経験したことがない日本の意外な実像を数多く学んだような気がする。つい外国と比べてしまうのだ。日本人が他人の目を気にするように、外国からの評価にはとりわけ敏感だ。「ざんぎり頭をたたいてみれば文明開化の音がする」と自虐的に嗤(わら)った明治初期の欧化主義がトラウマになっているのかもしれない。
(重金敦之「マカロニの穴から豆腐の角を見る」)

メタセコイアで有名な場所で写真を撮ったので、メタセコイアの別名「アケボノスギ」のアケボノで、
 逐はれつつここにいたりて群靑(ぐんじやう)の豹となるあけぼのの男ら   (塚本邦雄:歌人)

うごきそめ

三歩写真ののこりもの。

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7artisans 50mm
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7artisans 50mm


 いざさらば霜雪みぞれ海石榴市(つばいち)に椿の花芽うごきそめたり   (塚本邦雄:玄珠帖)


あるところに、
コロナ騒動で失った2年は、馬齢を重ねた身にとって、とてつもない損失だった。20代の若者の2年と80代の老人の2年では、その兎烏(うと)の重みが違う。

とあって、阿呆なpithecantroupusは馬齢を重ねて「兎烏(うと)」を知らず、検索のお世話になりました。(汗)

太陽の中にいる烏 (カラズ)と 、月の中にいる兎 (ウサギ) のことで、兎烏と続けて年月や歳月の意味になるそうです。
知ったかぶりできそうな知識ですが、明日には忘れているに違いないと思います。(笑)

トラはれて

お年玉年賀はがきで去年は10枚以上切手シートが当たったと報告しましたが、ことしは期待値通りの確率で6枚当たりましたので、記念写真を撮りました。
切手のデザインは、”ゆるキャラ”のような、素人が描いたとしか思えないトラでした。

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7artisans 50mm
残りものも一枚。
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m.zuiko 30mm 3.5

”とら”の歌で、
 とらはれてわが手の檻の指格子連雀(れんじやく)の息かすかにはげし   (塚本邦雄:されど遊星)

大寒の

大寒だそうです。聞いただけでも寒い。じっと動かず回想法で御在所岳の氷柱と樹氷。

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 大寒の朝の屈辱われ措(お)いておとうとが處女雪を蹴散らせり   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

ゆくへいまさら

まいど玄関から三歩で。
枯草ばかりの中でわずかにツバキだけです。

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m.zuiko 30mm 3.5
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m.zuiko 30mm 3.5
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m.zuiko 30mm 3.5

 下僕ひとりのゆくへいまさら飛火野に椿咲きたり椿落ちたり   (塚本邦雄:豹變)

身もくらみ

むかしお正月に”御在所岳”へ行きました。

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御在所岳について地元の菰野町の広報誌では『菰野の里に伝わる単なるはなしです』とことわりつつ、

 古くから御在所山の名のおこり、いわれには次のようなはなしが伝えられています。
 垂仁天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)が 天照大神の神霊を奉じて、大和の笠編 (かさぬい) の宮から伊勢の五十鈴川の川上へお遷しする とて長い旅をされました。そのとき桑名の野代 (のしろ) から亀山へと向かわれる途中、 菰野あたりで一時、仮の屯宮を設けられたことから御在所、 すなわち御在所山とよばれるようになった


と。倭姫命は神宮の地を求め各地を訪れて今の伊勢の地を見つけられた王女だそうです。

 神風の伊勢にしあればちちのみの父の訃(ふ)に身も冥(くら)みゆくかな   (塚本邦雄:源氏五十四帖題詠)

鎮魂曲

あの地震から27年だそうです。早朝に大きな揺れで目が覚めたことを覚えています。
三重県では、後に、この日出張していたという文書が出てきてカラ出張が暴かれました。

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 貴族らは夕日を 火夫はひるがほを 少女はひとで戀へり。海にて   (塚本邦雄:水葬物語(鎮魂曲=帆の章))

玄関から三歩の位相空間

きょう玄関から3歩あるいて撮った写真で。

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7artisans 50mm

 花婿の位相空閒 海石榴市(つばいち)の八十(やそ)のちまたに雪ふれるらし   (塚本邦雄:閑雅空間)

のみのら

一昨日につい口が滑ってバナナの猥褻な妄想を言ってしまったので、昨日はイヌの話題で知ったかぶりしようとしたら、無知をさらけ出してしまいました。
そういえばわが幼少の頃にいた「野犬」という言葉を最近は聞きません。
wikiで野犬を検索したら、ヤケン、ノイヌ、ノライヌの違いが書いてあって、また「へぇ~」と思ってしまいました。

きょうは、”なに撮ってるの”です。

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”のら”の歌で、
 盲ひたる禁慾僧のみのらせし最初の桃の果(み)のひかる森   (塚本邦雄:透明文法)

われに犬

寒かったぁ~。

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犬を飼ったことはないのですが、

「昭和の非常識」が「平成の常識」になった事例は数多い。たとえば犬に服を着せる行為である。平成初期までは、虐待であるとか人間の自己満足に過ぎないとか散々な言われようであった。それが近年ではむしろ推奨されるようになっている。・・・

 なかでも注目すべきは動物行政の変化である。2000年(平成12年)から施行された新しい動物愛護法は、保健所の仕事を殺処分から譲渡先を探す愛護の方向へとシフトさせる大きな改正であった。
 実際、この法改正によって犬猫の殺処分数は大幅な減少を見せている。平成元年において犬が約70万、猫が約34万であった殺処分数が、令和元年においては犬5635、猫2.7万と激減した(残念ながら殺されてしまう犬猫はまだまだいるのだが)。
犬とともに生きるということ──「なぜ犬は人を幸せにするのか」登壇後記 吉川浩満

ときいてむかしの常識で生きているpithecantroupusはビックリです。
こちらも参考になりました。

 不眠の夜明けて茫茫たるわれに犬捕りの針金がみづみづし   (塚本邦雄:日本人靈歌)

星ふりひめ

のこりものの季節です。鏡餅でつくるぜんざいみたいなもんです。
鏡開きをのこりものと言ったら神罰があたるかな。

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 年末で印象に残ったのは似たり寄ったりのバラエティ番組、歌番組、既視感に満ちたスポーツニュースではなく、30日にCNNニュースが報じた”ジョセフィン・ベーカーがパンテオンに埋葬”でした。
 ジョセフィン・ベーカーと聞くと、バナナを腰にぶら下げた写真を思い出して、pithecantroupusはいつも「バナナの下はスッポンスッポンだろうか」と想像するのです。でも助平ジジイの想像を超えて、彼女は崇高な理念を現実の行動とした人だったとwikiで知りました。ツメのアカでも煎じて飲まねば。(汗)

 黑人に赤き星ふりひめぎみがくちづけによみがへりし童話(どうわ)   (塚本邦雄:花にめざめよ)

おおはるかなる

せっかくの雪なのに野暮用の一日でした。残念なのでむかしご近所で撮った一枚で。

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 おおはるかなる沖には雪のふるものを胡椒こぼれしあかときの皿   (塚本邦雄:感幻樂)


きのうの引用は、ゴルゴダの丘での会話と交錯しながら、例示として出ていた部分です。
筆者は「独り」という悲しさ、残酷さを二人の伴走者を通じて綴っています。長くなるので抜粋して。

イエス・キリストが十字架にかけられたとき、同時に磔にされていた犯罪者の一人がイエスをののしる。
「お前はメシアではないか。自分と我々を救ってみろ。」(ルカによる福音書23章39節 聖書協会共同訳)

同じく磔になっている別の強盗は、
「イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください」(同42節)

イエスは「私を思い出してください」と語った犯罪者に対して、こう答える。
「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」(同43節)

「あなたは今日、楽園にいる」ではないところに意味がある。「あなたは今日、私と一緒に楽園にいる」。孤立したこの男に、イエスは伴走することを約束したのである。楽園がどんな場所であるかなど、男にとってもはや問題にもならなかったはずだ。自分と一緒に最期まで、そして最期の向こうまで伴走してくれる人がいる。そのことこそが重要なのだから。


pithecantroupusもブログを続けることで、孤独ではない、「わたしだけ」ではない確認をしているのでしょうね。
下手を続ける事にも意味はあるんだ。(笑)

わたしだけ

となりの市に”石山観音”とよばれている霊地があります。あったとさ。

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晶文社スクラップ・ブックから。

 ある難病で苦しむ人と接したことがある。その人は難病の当事者会にも参加したという。だが、そこに参加していた別の人からの一言が、その人を深く抉った。
 「あなたはまだ症状が軽いから、わたしよりずっといいよね」
 ・・・苦しむ当事者が「こんなに苦しいのは、わたしだけだと思う」と語るのを、わたしは何度も耳にしてきた。いや、それはその人が孤独だからそう言うだけじゃないか。じっさいに仲間と出会えれば、そんなこと言わなくなるよ……そうだろうか? なるほど、そういうこともあるかもしれない。だがわたしには、そんなに単純なこととは思えない。わたしの、わたしだけの苦しみ。この「わたしだけ」の「だけ」の部分にこそ、苦しみの苦しみたる所以があるのではないか。
沼田和也「いのり、いのち 東京牧師日記」第5回

「だけ」の歌を。
 たましひの聲にしたがふわが生のなかばうすあかねの空木嶽(うつぎだけ)   (塚本邦雄:詩歌變)

地上に光もれ

平凡社の雑誌「太陽」だったと思うのですが、神谷バーと電気ブランの写真を見てからずっと憧れていました。
アルコール加水分解酵素が欠けているpithecantroupusには、バーも酒も無縁のものですが、憧れるのは自由ですよね。
hinmi3さんのブログ”hinmi's Blog 3”で、電気ブランが瓶詰で売られていることを初めて知りました。

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 地上に光洩れ地下(ちか)酒場(バー)のとまり木の雌雄厄殺の刻待てるなり   (塚本邦雄:日本人靈歌)


細谷雄一『戦後史の解放Ⅱ 自主独立とは何か』(新潮選書)の「はじめに」から。
話は坂本九「上を向いて歩こう」からはじまります。そして著者は『今の日本には、希望が足りない。』と言います。
そのうえで、歴史上困難な時代に国家を担ったピット、タレーラン、チャーチル、そして吉田を例にして、

 苦しい現実の世界で希望を抱くということ。それは自然な感情や惰性ではない。それは意志である。希望を求める強い意志によって、自らの国を正しい方向へと導こうとして、それに成功したのだ。

「正しい方向」に違和感を感じますが、希望を抱くということは意志であるという言葉につよく共感しました。

風立ちて

お正月らしく松と、pithecantroupusらしい何ともいえない写真。

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 風立ちて戀は微塵の松の花空ゆかざりしもの地に零(ふ)れり   (塚本邦雄:されど遊星)

縦横無尽

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きのうの三枚目はタテ位置で撮った写真を90度回転しました。
よそんちの洗濯物をときどき撮ってしまいますが、いえ、けっして下着泥棒をやったことはありません。干してある服には住んでる人の気配を感じるのです。

 母國信ぜずこのスケートの靑年ら春冰縱横無盡に傷(いた)め   (塚本邦雄:日本人靈歌)

われも魚にして

変り映えしない写真で。

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以前ブログに書いたネコの腎臓病治療薬開発というニュースの当事者東京大学宮崎徹教授のインタビューが載っていました。10月現在2億以上集まっているそうです。

「治らない病気」の共通点について考えてみると、腎臓病やアルツハイマー型認知症などの病気は、体から出た何らかの「ごみ」が溜まった結果、発症するということに気づいたのです。・・・アルツハイマー型認知症はアミロイドβというタンパク質の断片が脳内に溜まることが原因だと言われています。つまりは、体内の「ごみ掃除」の機能を高めれば治せるようになるのではないか

ということではじめた研究が、おなじメカニズムをもったネコの腎臓病に効くクスリの研究になり、将来ヒトの病気にも有効かもしれないという話でした。
pithecantroupusはアルツハイマーのクスリがいますぐ欲しいのですが。(汗)


 われも流されゆく魚にして一盞の酒に悲しみを遣らはむとする   (塚本邦雄:相聞歌)

心中(しんちゆう)に蔑(なみ)

滋賀県高島だったような。一回り以上昔だから。

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”たかしま”の歌を探し損ねて”たかむら”で、
 篁のうちらかがやくレノール・フィニ心中(しんちゆう)に蔑(なみ)しつつ來て   (塚本邦雄:天變の書)

もらった年賀状にいろいろと文句をつけていると、自分のも送りつけた相手からいろいろ言われているのかなあと想像します。
フォントの選択や文字飾り、文字色に正月早々いらいらさせられています。(去年もそうでした。)

硝子なす天幕

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 黑硝子なす夜の天の天幕に網膜のあみみはれカナンよ   (塚本邦雄:感幻樂)

あとにさす朝

ブログ開設以前の写真を現像しなおして。(汗)

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琵琶湖大橋の朝日だったので、
 ギタールと麒麟と少女消え去りし曲馬團(シルク)のあとにさす朝の月   (塚本邦雄:水葬物語)

さやさやき

正月につき、むかし初詣の行き帰りで撮った写真。たぶん滋賀県海津だったような。

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 正月の若菜さやさやきみにのみ聽(ゆる)すこころのこの眞紅(まくれなゐ)   (塚本邦雄:彈琴帖)

二日

引きこもり中につきむかしの初詣のときに撮った写真で。

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 二日月紅にうるみて他界よりわれを拒むといふ初便り   (塚本邦雄:獻身)

姦計

つつしんで新年のごあいさつを申し上げます。

ドラえもんは青いタヌキブログ

 老人の日常には「努力」の引き金となるような野心や欲望、「ねばならない」の責任感や「よし、やったぞ」という達成感によってきざまれる、つよいリズムは存在しない。むしろ心身ともにそのリズムで生きることがむずかしくなって、はじめて人は老人になるといったほうがいいくらい。津野海太郎「記憶力のおとろえを笑う」

と書いてありました。つづけて、

 いくら「努力せよ」といわれても、「では」といきおいこんでラッパに吹き込んだ息が、そのまま音もなく尻から抜けでてしまう。
 その種のむなしさは、・・・いやというほど味わった。その結果わかったのは、どうやら老人には「努力」という処方は通用しないらしいということ。・・・


とあったので、ことしは「努力」と言わないことにします。(笑)
昨年、「足元の明るいうちに」と言ったのに、4月ごろから急速にあたりが暗くなってしまいました。
だから、ことしは努めて何事かしようという助平な気持ちを払拭しよう。あっ、「何々しよう」なんて思ってはいけないのだ。

 今年二千首をくはだつる淡雪の元旦の計姦計に似つ   (塚本邦雄:不變律)