除夜

ブログをことしご訪問いただいた皆様にお礼申し上げます。また折々に心やさしい言葉をかけていただきありがとうございました。
あすの準備をして。
写真の「トラのもん」は、22世紀から来た「ネコ」型ビジネスロボットだそうですが、「トラ」という名でご容赦を。

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2018年大晦日は年賀状をアップして『ことしは老いを実感』と書き、2019年は『ことしは健康について深く考えさせられ』と書き、2020年は『来年は『足元が明るいうちに』を心がける』と書いてました。
ことしは日々に追われて何も考えられないpithecantroupus。

 除夜根深汁一啜り空虛なる「歡喜の合唱」とやらを聞きつつ   (塚本邦雄:汨羅變)

牛の神のすぐ立ちて

あと2日、あと1日。行ってしまうウシと先日の地蔵モニュメントで。(ほんとうはゴミ箱の底から。)

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m.zuiko 20mm 1.4
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s.nokton 29mm 0.8

 見ずやきみ牡牛の神の直立(すぐた)ちて芹川わたる夜の春の霜   (塚本邦雄:摩多羅調)

にして老い兆す

カレンダーに戻って。これで一年分。

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 時閒てふ沼のさざなみ靑年は戀のはじめにして老い兆す   (塚本邦雄:されど遊星)

ネットで「18歳と81歳の違い」という記事を見て面白いと思い、さっそく検索したらいっぱい情報がありました。
どれもが面白かったのですが、「まだ何も知らない18才、もう何も覚えていない81才」ががもっともわが身に近かったような気がするpithecantroupus。きょうも買い物に行ってあれも忘れこれも忘れて帰ってきました。(涙)

あきがきて

きのう律義者と言った舌の根もかわかないうちにカレンダーを3日続けることに飽きてしまったpithecantroupus。
きょうは10ムニャムニャ年前の郡上再びです。三日坊主にも及ばない!

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ことしは日々身辺の人々の老いていくのを見てきました。
一年前の記事を思い出しました。ゴロというハムスターの話です。(日比嘉高研究室「ゴロが死んだ話」

 ハムスターの一生を、たかがねずみの一生を、人間のそれになぞらえることは馬鹿馬鹿しいことだろうか。しかし私は、彼の猛スピードで駆けていく一生を、子供と重ね、自分と重ね、私の父母や義母と重ねずにはいられなかった。彼の二年三か月の一生に付き添いながら、私はヒトの子供のどこまでも伸びていけるような成長の力を再確認し、力強く落ち着いた成年者の完成を感じ、そして衰微していく命のたよりなさを危ぶんだ。
  *
 私は大病を得た母のことを考えずにはいられないし、衰えが目立ってきた父や義母のことを考えずにはいられない。さらにいうならば、二十数年先に待っているだろう自分の老いのことも。


このあと筆者は『私たちは増えすぎたのかもしれない。』と言い出します。一歩一歩と死に向かっていることを自覚した瞬間でしょうか。

「飽きる」で、
 一期一會(いちごいちゑ)、二會(にゑ)、三會(さんゑ)はや飽きが來て金木犀が鼻持ちならぬ   (塚本邦雄:汨羅變)

もなかにありて

律儀なpithecantroupusはやりかけたことはさいごまで。出来は問わないで。(汗)

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”こよみ”に似ているから”こよひ”で、
 悲しみのもなかにありて伊勢少女(いせをとめ)こよひ紅梅の實を煮るといふ   (塚本邦雄:天變の書)

おくれさきだつ花暦

ブログのこの一年を振り返って。

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 わが愛におくれさきだつ花暦わかものの丈たちばなを越ゆ   (塚本邦雄:蒼鬱境)

降誕祭だけど年賀状作り

きょうはせっせと年賀状つくってます。

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 降誕祭鷭(ばん)の肉より灼熱の金串抜かむとて息彈む   (塚本邦雄:驟雨修辭學)

みをしづめ

あれもこれも、やらなきゃならないことが山積みです。
見えないふりしとこう。(汗)

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 一壜の酢に橄欖(オリーヴ)の果(み)をしづめその死待つ愛の巢の十二月   (塚本邦雄:水銀傅説)

ヒトの壁

年賀状が完成しそうです。12月25日をゴールにしてつくっているのでいやでも完成です。
写真は回想の滋賀県在原、なお。です。

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歳をとるにつけて老人のインタビューのほうに関心が傾きがちです。84歳の養老孟司のインタビューから引用します。(解剖学者・養老孟司が語る、コロナ禍の世界の壁

- いまの若い人たちには「間違ったことをしたくない」という傾向があるように思います。
養老:若い人に限らず、そういう判断ができると思っているんでしょうね。「なぜ自殺しちゃいけないんですか」と聞いてくる人がいる。その裏には「言葉で論理的に説明ができるはずだ」という前提があります。すべてが「ああすれば、こうなる」という調子の論理で説明がつくと思い込んでいるんです。日本も「始めに言葉ありき」の聖書の世界になったんですよ。聖書は言葉で書かれているから、そこに論理矛盾はないわけです。だけど、日本はそれでいいのか。本当にそうでしょうか。生まれた時から口がきけたわけではなく、言葉以前の無意識的なものや感覚があるに違いないはずです。日本も欧米式の「理性的」な社会になってきたんですね。その行き着く先がAIです。すべてを理性でコントロールしようとする。できると思い込んでいる。


 インタビュアーが、愛猫を亡くしたばかりの養老に「私も昨年飼っていたネコを亡くしましたが、時々、近くにいるんじゃないかなと思うことがあります。先生も『たまに遊びに来ているんじゃないかな」と思うことがありますか?』というと、

養老:ありますね。部屋に入るとき、「いつもの場所に『まる』が座っていたらどうしようかな?」とかね。 ・・・

寂聴がなくなった今、もうすこしの閒、元気でいてほしいと思いました。

 描き上げて壁に凭(よ)せたる繪の湖(うみ)の底に釘うつ音せり冬夜   (塚本邦雄:日本人靈歌)

魂魄のわだかまれるあたり

年賀状の試行錯誤、なお。です。

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 臘月の月光うつそみに零(ふ)れり魂魄のわだかまれるあたり   (塚本邦雄:詩歌變)

善の研究

雪はふったけれどストーブの前でで丸くなっていたので、回想の雪でごまかしごまかし。(汗)
ここは滋賀県在原。

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鳥羽和久「善が偽装(ぎそう)された世界に生まれたあなたへ」(WEBちくま『十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス』 第12回) から引用します。

 それにしても、みんなはしょうもない世界に生まれてきました。人類の歴史の中で、これほどに、あらかじめ悪いことができないように設計された社会はなかったはずです。
 未成年者が酒やタバコを手に入れようと思っても、年齢認証システムなどにより購入することが難しくなりました。近所の気になる危険な場所は、あらかじめ立ち入ることができないように鉄条網(てつじょうもう)で囲まれています。友達の家を覗(のぞ)いてやろうと思っても、オートロックのせいで近寄ることもできません。他にも、PG-12やR-15、R-18などの映画のレイティング、有害サイトへのアクセスを未然に防ぐフィルタリングなど、例を挙げ始めたらきりがありません。有無(うむ)を言わさぬシステム網が子どもたちをあらかじめ制御しているので、それに身を委(ゆだ)ねていたら、あなたは自動的にいい子になる。いまはそんな社会です。・・・
 システムによる悪の排除によって、確かにあなたは悪をなさなくなるでしょう。それは社会にとって良いことです。だから、大人は今日も悪の排除を進めるのです。でも、悪をなさないあなたは、善をなしているわけではありません。そして、悪をなさないとしても、それはあなたが悪を克服したことを意味しません。


そうだね、ニュースで『いつもはいい子なんです』って言ってるもの。
年をとるほどに自分が悪人だって分かってくるから、瀬戸鬱寂聴なんて、「善人」という単語は死語に等しかったんじゃないかなぁ。

 「善の研究」求め來つその見返しにあるは血紅の蔵書印のみ   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

失敗に鈍感

年賀状の失敗作を。
これではいい年は来ないよね。

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以前引用したWEBちくま連載、金井美恵子「重箱の隅から」最新記事から引用します。

 テレビ朝日の「報道ステーション」の新キャスターとなったNHK政治部記者は、報道各社のオンライン取材に応じて、次のように語る。
〈影響力の大きい番組だけに権力側から「圧力」を受ける懸念もある。「今の日本で露骨に圧力をかけてくる場面が果たしてあるか」と言う一方で、「勝手に、圧力をかけられていると感じる心理、(権力者への)忖度がないとはいえない。そこで問われるのは鈍感力。『そんなのかけられていないよ』と思えばいい。鈍感力で勝負だ」と語る。〉(東京新聞’21年9月25日)


金井は、彼の記者がかつてNHKテレビでした発言を『女性にとり入ろうとしているか、あるいはじゃれついている、ということが、鈍感力を持つ本人以外には明白だろう。セクハラと言ったっていい。元NHK記者が新しい職場で発揮するはずの鈍感力とは、おそらくそういうものだ。』と指摘し、

 渡辺淳一が、そういう(鈍感力という)タイトルのエッセイ集を出したのを覚えている。読んでいないので内容は知らないが、微妙なところでNHKの元記者の使う意味とズレがあるにしても本質的にはようするに、通常の意味で鈍感なのであり、図々しいという意味なのだから、同じなのかもしれない。

と結んでいます。意図して鈍感なふりをするのとオツムが弱くて鈍感なのとは違うよなあ。pithecantroupusが後者なのは明らか!

どんかんに似ているから、
 ドン・フワン。それの系譜に連なれる石工がきざむ盲少女像   (塚本邦雄:水葬物語)

窓窓の

Windowsつながりで、自転車同様に好物の窓を。
相変らず何を撮っているのやら、どこがいいのやら、という写真ですが。

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 窓窓の男に戀をささやかれ夜は月のしづくするソンブレロ   (塚本邦雄:水葬物語)

尾羽うちからし

だんだんと切羽詰まってきて”年賀状うつ”です。気持ちを切り替えるには過去へ逃避するに限ります。郡上八幡。

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 陰陽博士(おんやうはかせ)尾羽うちからし晩秋の柿原鮮魚店右どなり   (塚本邦雄:詩歌變)

でも離さぬ

きのうに合わせて今日も自転車。

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郡上八幡にちなんで、
 玩具屋の八幡の藪にわれ迷ふ死んでも離さぬ喇叭はいづこ   (塚本邦雄:黄金律)

窓一つうがち

10ムニャムニャ年前の12月に郡上八幡だったと写真が言うのですが、本当かなあ。
自転車は外せません。

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きのうwindows10を更新したら、windows11になってしまいました!

PCのセキュリテキがアップされただろうからOKなのですが、古いアプリを使うといちいち”正常に動作されなかった可能性があります”とおせっかいを言ってきます。

windowsの歌で、
 北に窓一つうがちて他人(ひと)の墓肩よせあへるさま瞰下(みおろ)さむ   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

ぶれて還る

なお試行錯誤中。

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先日の”お昼ごはんついでに写真”の残りものも一枚。
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きのうメルケルの退任式の記事を引用したので、別の記事から引用します。(産経新聞「メルケル首相が残した言葉の重み」

 メルケル氏には、必要と思ったとき、方針を修正する決断力がある。
 欧州連合(EU)で新型コロナウイルスが大流行すると、「他国の債務には責任を持たない」とする長年の方針を引っ込め、共同債務による7500億ユーロ(約96兆円)の復興基金を実現させた。コロナ規制では今年3月、1日で政策撤回を迫られ、「私の失敗だ。混乱を招いたことを国民におわびする」と謝罪した。11年の福島第1原発事故後には原発支持の立場を大転換し、脱原発を決めている。
 政治家が「ブレる」ことは通常、信念の欠如とみなされる。だが、メルケル氏は常に「なぜ方針を変えたか」を説明した。ほぼ毎週、3分前後のインターネット動画を発信し、国民に政策を語った。06年の開始から600回以上続いた。各国首脳がツイッターで発信を競う中、あえて短文投稿は避け、自分の肉声で伝えることにこだわった。メルケル氏の真の強さは「言葉の重み」にある。


ブレないことが美徳のように言われるのに違和感をもっているpithecantroupusは、「ブレない」を怠惰、保守的、原理主義の言い換えだと思っています。

”ぶれ”で引用、
 枇杷の花など知らぬが花かつひにして詩は志やぶれて還るところ   (塚本邦雄:黄金律)

生(な)せしもの

残り日数が少なってきて「年賀状うつ病」中です。記録写真を。

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きのう音楽のことを書いたので、ドイツのメルケル首相退任式の記事を引用します。

(本人が選曲して軍楽隊が演奏する慣例で、)旧東ドイツで育ち、牧師の娘でもあるメルケル氏は、18世紀のキリスト教の聖歌のほか、戦後ドイツの人気女優・歌手ヒルデガルト・クネフの「私には赤いバラが雨のように」、さらには、東ドイツ出身の人気パンクロック歌手ニナ・ハーゲンが東独時代にヒットさせたポップスの曲を選んだ。
 ニナ・ハーゲンの曲は1974年の「カラーフィルムを忘れたのね」。恋人がカメラにカラーフィルムを入れるのを忘れたため、旅行の記念写真が白黒になってしまったと怒る若い女性の、アップテンポの曲は、当時の東ドイツの物不足の状況を描いたとされる。多くの東独出身者には、「この国がどれほど美しかったか誰も信じてくれない」という歌詞が、特に印象に深く残っているという。
(BBCニュース)

謹厳な態度で聞き入っているメルケルが一瞬わずかにリズムに合わせて頭を振ったので、さらに好きになりました。

 きりぎりすその複眼に映りつつ惡魔なり 音樂を生(な)せしもの   (塚本邦雄:綠色研究)

香濃き音楽

きのうのつづきで。また何撮ってるの、というか、どこが美しいねん、という写真。

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m.zuiko 20mm 1.4

昼食に誘ってくれた友人の目的は、高さ3メートル稲わら作りの「かさじぞう」を撮ること。友人に敬意を表して記念写真も。
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m.zuiko 20mm 1.4

新潮新書「ビートルズ」(北中正和)の発刊記念に著者の北中がピーター・バラカンとした対談から引用します。

北 当時は音楽にまつわる情報がイギリスでも少なかったかもしれないけど、日本ではもっと少なかった。そのぶん想像を膨らませて過大な期待を、夢を抱いたこともあった。それが楽しかったんですけどね。音楽が本当に未来を創る手立ての一つになるかもしれない。ディランを聴き、ビートルズを聴き、ストーンズを聴き、ジミ・ヘンドリックスを聴いていると、幻想を抱くなというのも難しいですよね。
バ そうだよね、幻想だと思ってなかったからね。本当に音楽で世界を変えられるって言って、みんな本当に思っていた。でもね、あの時代をリアルタイムで生きた僕らの世代は、北中さんはどうかわからないけど、いまだに僕はどこかそういう甘い理想が、残ってるんですよ。捨てられない。捨てきれないっていうのかな。それでいいとどっかで自分も思ってます。


えっ、幻想だったの。うそぉ~。音楽で世界は変えられるとpithecantroupusは今でも信じてるけど。

 市長深夜李をくらふ 人よ時に死の香濃き音樂を流せよ   (塚本邦雄:天變の書)

新しき

きょう撮りたてのホッカホッカお昼ご飯”ついでに写真”を。金曜日に到着した新しいレンズで。

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m.zuiko 20mm 1.4

 新しき噴井堀りをり巨き錐を花も紅葉もなき地(つち)に刺し   (塚本邦雄:驟雨修辭學)

ひげを剃る

むかし多賀町の残りものです。どうせむかしなら、残りものでなく他の日に撮った写真にすればいいののに。(汗)

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先の月曜日、90を超えた父の宅へ行きつけの理髪店の方が来て散髪していってくれたと知ったのは3日前のことでした。
父が60年以上、月1回通った理髪店です。
きょうお礼を申し上げに行ってきました。

 髭・鬚・髥この美しきくさむらの主が死を懸けたる戀ありき   (塚本邦雄:汨羅變)

とらひ

むかし金剛輪寺なお。

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試行錯誤の記憶も。
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試行錯誤中の”トラ”で。ほら、「ひ」トラ「ひ」って。
 ひとらひそけく藁婚式の食(け)にあるを貨車よりおろさるる牛の群   (塚本邦雄:装飾樂句)

ていたい中、ていてい

むかし多賀町へ行った帰りに湖西三山の金剛輪寺に寄り道したみたいです。記憶は怪しいけど写真がそう言ってます。

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年賀状作りが停滞中です。
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 亭亭(ていてい)と樅(もみ)は立(た)てりきわが愛(あい)はふゆぞらのそのあゐのはたぐも   (塚本邦雄:白露帖)

にっくし

きのうのつまらないツバキの写真に打ちのめされて今日は過去へ逃避中。

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年をとるといつまでもぐずぐずこだわります。オリンピックの反省文を引用。(本間龍『ウソと借金まみれの祭典の真実』

 バッハ氏や橋本氏、丸川氏らは863人という数字を、全体からすればごく少数だと言いたいのだろう。だが、感染当時者にとっては、それは統計ではない。一人一人が、血の通った人間である。
 コロナには様々な症状があり、中には、今も後遺症に悩まされている人もいるだろう。その多くは、五輪・パラリンピックに従事しなければ感染しなかった可能性が高い。責任者たちの言う「五輪の成功」は、大勢の人々の計り知れない犠牲の上に成り立っていることを、彼らはもっと謙虚に認めるべきではないか。


多々ある問題点の中で一番気になるのは、

 (スポンサーになったマスコミが)ネガティブ報道をまったくしなければさすがに批判されるから、後々問題にならないよう、アリバイは作っていた。一回くらいは記事にしても強く批判はせず、後追い記事は出さない・・・人々は、大会が始まって日本人選手が金メダルを取れば熱狂する。帝政ローマ時代に遡る「パンとサーカスの提供」が現代の日本で再現されたのだ。

大東亜戦争から何も学んでいないということでしょうね。やっぱりそうなんだ。

 侘助ひらかむとして臘月「大東亞戰争」の「大」ほとほと憎(にっく)し   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

セルフポートレート

落葉はセルフポートレート。10ムニャムニャ年前にはそんなこと感じなかったのに。

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撮りたての写真をと思ったら、こちらもツバキの落花で、やっぱりセルフポートレート。
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一生(ひとよ)は薄墨色の繪巻と觀(くわん)ずるに一夜(いちや)にて落ちつくしし侘助椿(わびすけ)   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

寒のその

きのうの写真と同じ日に撮った”自己満足的”写真。

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きょうは歯医者さん。
駅から歯医者への道は住宅地の路地です。その路地で道を横切ったり遊んだりしていた何匹かのネコが、先月あたり気がつけば姿がありません。ああ寒くなったなあ。

 項(うなじ)搏つ寒雷のそのしろがねに死におくれつつ生きおくれたり   (塚本邦雄:星餐圖)

むかし思ふ

何撮ってるののむかし写真で。
たぶん滋賀県多賀町のあたり。

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季節外れですが、”むかし”の写真なので”むかし”の歌を、
 むかし思ふ六月の夜のちちははよ金婚の花石榴くれなゐ   (塚本邦雄:炭焼き「花ざくろ」)

楽天の詩

またわけの分らん写真を一枚。お口直しに年賀状づくりの努力の記憶も。

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玄侑宗久公式サイトに瀬戸内寂聴の追悼文が載っていました。(追悼「楽天力の人」
玄侑は、寂聴を『どうでもいいことは無論だが、どうでもよくないことからも寂聴さんは自由だった。楽天力とも言うべきその自由なパワーが大勢の人々を救済したのは間違いない。』と。
ショーケンこと萩原健一の禅寺での謹慎を週刊誌がスクープしたいきさつへの寂聴の関りや、玄侑が書いた真言宗の『理趣経』にもとづく尼僧の性愛を描いた作品に、「どうせならお経の話は省いちゃったら?」と感想を寄せてくれたと書いています。
 『私(玄侑)にとっては、『理趣経』あればこそ書いた物語だったわけだが、寂聴さんには言い訳に見えたのかもしれない。所詮、不良の格が違うということだろう。
 また、玄侑と寂聴の対談を寂聴がNHKに撮影させて、後日NHKと新潮社との間で版権などを巡る争いが起きたことも、『寂聴さんにとってはどうでもいいことのようだったが、私がようやくどうでもいいと思えたのはそれから数年後のことだった。』(2021/12/04 図書新聞 第3522号)

楽天で、
 薫生(あ)れ出でし春夜(しゆんや)をあはれみつ白樂天の詩をそらんじて   (塚本邦雄:源氏五十四帖題詠)

なほ経(ふ)べき日々

昨夜のつづきで。ここは徳山ダムのあたり(だったと思うのですが。)

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 紅葉(こうえふ)黑し何が戰争(いくさ)と思ひつつ半世紀經(へ)つ なほ經(ふ)べき日々   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

至極を

10むにゃむにゃ年前に岐阜と滋賀の県境あたりだったという記憶なのですが怪しいです。

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先日引用した上田義彦のインタビューの続きです。(「終わった後もそこに残る思いを見ていたい」上田義彦

(ものに執着して捨てられないという上田へ向けた『忘れてしまうことをわかっているから執着するというところはありますよね』という言葉に、)
 そう思います。僕はすっかり忘れてしまう。だから余計に危ないと思って捨てられない。映画のなかでも物を見ると思い出す瞬間を描きました。物を見ることによって忘れていた記憶がよみがえる、でも見なければ、余程の思い入れのある記憶以外は覚えていない。強烈だったりどこか不思議だったりという出来事は憶えていても、それ以外の日常の記憶なんて全く思い出せないものです。でも、それにまつわる物を見たら、一瞬でパッと蘇る。そういうものですよね。

記憶が苦手、片付けが苦手なpithecantroupusにとって至極の言葉!(至極を”しぎょく”と覚えてました。何十年も。今更に恥かしいです。)

 ほのかにひらく白玉椿こみどりの『葉隠』は戀の至極を説けり   (塚本邦雄:黄金律)

トラぎらり

”トラのもん”というそうです。ドラえもんの剽窃みたいに見えるけど、藤子不二雄プロ公認だそうです。来年の干支です。

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色気が足りないので残りものを。
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”トラ”の歌を、
 婚禮トラックぎらりと過ぎつこの道や行く人あふれつつ秋の暮   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)