2021/11/30
宴はお預け
年賀状づくりが重荷です。トラはすでにいるのですが。

m.zuiko 30mm 3.5 macro

m.zuiko 30mm 3.5 macro
『現実というのはほんらい、内臓の時間、自然の時間、時計の時間、歴史の時間などいろんなリズムを刻む時間が、雑然、雑多に絡まって錯綜しているものだ。』と鷲田清一は言います。(『図書』2021年11月号 「残念だが、パーティーは次回にお預けだ」)
そしてそれらの(様々な時間の)一つひとつに、さまざまの「折り目」や「節目」といった仕切りが差し込まれている。恒例の季節行事や記念日、始業の日、締め切りの日。それらがしかし、コロナ禍のもとでことごとく延期ないしは中止になった。そしてそもそもそういう仕切りのあったことも思い出しにくくなった。このように「きょうは~をした」と数えられるような行為もわずかになると、時間は表情も律動も失い、のっぺらぼうになる。
鷲田は『どんな困った状況にでも対抗できるそれならば持っている。何かにつけ、始まりの日付と終わりの日付を知りたがるのはそのためだ。』という、イタリアの作家パオロ・ジョルダーノも引用しています。
冬の宴の料理ならざれども蟇目良のみづみづしき向う脛 (塚本邦雄:詩歌變)