等身

10ムニャムニャ年前のヒガンバナ、なお。欲求不満で頭がちょっと狂っているかも。(汗)

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 ページをめくりながら思った。亡き人をそばに感じることがあるように、私たちは存在と不在を心の中で明確に区別する必要はない。今はもう届かない夢をふと反芻することもある。思い通りにいかない人生と折り合うのは難しいものだ。「人は喪失そのものになってはいけない、逃げ去る幸運そのものにはなれないのと同じように」。本書のこんな一節をかみしめた。(大分合同新聞2020/12/04)

『ノーザン・ライツ』ハワード・ノーマン著、川野太郎訳 見えないものが鮮やかに 大人が味わう成長物語”と題されたこのコラムを読んで、いつかは『ノーザン・ライツ』を読もうと思っているのですが、ずっと短い大江健三郎の短編でさえまだストンと腹に落ちていないので、手を出しかねています。言い訳は老化の証拠です。

”本”の歌を、
 葬儀店の見本の寢棺さむざむと安息に充ちわれと等身   (塚本邦雄:日本人靈歌)

世阿彌忌はとっくに終わってるけど

ヒガンバナはアッという間におわってしまいました。”お昼ご飯のついでに写真”を一度撮ったきりだったのに。
そういえばサクラ写真のときも同じようなことをいっていたような気がします。写真がとれなくて禁断症状が・・・。

10ムニャムニャ年前のヒガンバナで欲求不満を少しでも解消します。

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前に『写真を変えるねこたち』という記事の一部を引用しましたが、そこに犬と猫の比較をした部分がありました。

著者は「猫画像は犬画像に比べてシェアしやすい」と言います。それは、猫は飼い主の所有物ではなく「独立した個」であるが、「犬の画像をシェアすることは犬自身とともに飼い主の紹介も意味する」ので、この差がSNSでのシェアのしやすさの差になっているといいます。

 これは、もうひとつのかわいい生き物代表である赤ん坊の画像と比べるとわかりやすいだろう。見知らぬかわいい猫の画像を保存することはあっても、他人の赤ん坊の画像を保存することはほとんどないだろう。それは、他人の幼児はいくらかわいくてもその親を抜きにして愛でることができないからだ。

また、現在、日本各地に駅長に任命された猫たちがいるが、これも猫が独立した存在だからこそではないかと思う。『枕草子』には、一条天皇が中国の外交使節団が贈り物として連れてきた猫を御所に住まわせ、後宮の女官長の役職を与えたとある。


猫の字が入っているから、ネコではないけど、
 世阿彌忌の辻の斑猫瑠璃引きて消ゆいつの日の言葉に遇はむ   (塚本邦雄:驟雨修辭學)

恍惚として

10ムニャムニャ年前の四日市港残りもので。

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昨夜はテレビで映画『わが母の記』をついつい最後まで見てしまいました。
樹木希林は面白いなぁ。森繁は『恍惚の人』をやったときすごく不機嫌だったと聞きますが、樹木希林は楽しんでいるんだろうなぁ。からだはしんどいのでしょうが、役を手玉に取っているような気がしました。

映画を見たせいで、母がクロコダイルのハンドバックを騙されて1億5千万で買った夢を見てしまいました。(笑)

恍惚の恍で、
 恍として犬齒抜かれつ 靈媒に招(よ)ばれし昨夜(よべ)のつゆけき父よ   (塚本邦雄:水銀傳説)

わたしが一番

逃避したい気持が、見たくもないテレビやネットニュースにことさら注意を注ぐ結果になって困ります。
本を読めばいいのですが、読書では集中が続きません。言い訳ですが。

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雑誌GQ JAPANのサイトで毎月編集長が書くEDITOR’S LETTERが更新されるのを楽しみにしています。
その最新記事「わたしが一番きれいだったとき」(編集長・鈴木正文)は、茨木のり子の同名の詩から名づけられています。

 わたしが一番きれいだったとき
 街々はがらがら崩れていって
 とんでもないところから
 青空なんかが見えたりした

 わたしが一番きれいだったとき
 まわりの人達がたくさん死んだ
 工場で 海で 名もない島で
 わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

 わたしが一番きれいだったとき
 だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
 男たちは挙手の礼しか知らなくて
 きれいな眼差しだけを残して皆発っていった

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしの頭はからっぽで
 わたしの心はかたくなで
 手足ばかりが栗色に光った

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしの国は戦争で負けた
 そんな馬鹿なことってあるものか
 ブラウスの腕をまくり
 卑屈な町をのし歩いた

 わたしが一番きれいだったとき
 ラジオからはジャズが溢れた
 禁煙を破ったときのうようにくらくらしながら
 わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしはとてもふしあわせ
 わたしはとてもとんちんかん
 わたしはめっぽうさびしかった

 だから決めた できれば長生きすることに
 年とってから凄く美しい絵を描いた
 フランスのルオー爺さんのように
                ね

茨木のり子はpithecantroupusの父と同世代です。
これを読みながら、父の戦後を想像します。
このごろ、すぐに「ありがとう」というようになった父の青春時代を想像します。

編集長の鈴木は書いています。

長引くコロナ禍のなか、もっともアクティヴな感染伝播者として行政府や政治的指導者たちによってしばしば槍玉に挙げられた「若者」の話題が出るたび、ほぼ自動的に、茨木のり子の、戦時下の青春の詩を思い浮かべる。「わたしが一番きれいだったとき」を、いままさに生きている同時代の、「あふれるような青春」をかかえた若い人々の、行き場のない日々のことを。そして、この日々が、いつか忘れられない過去になるときがかならず来るであろうことも、同時に。

安樂死の何が悪い

きょうも残りもの一枚だけで。

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きのう引用した中にあったカール・クラウスについて無知なpithecantroupusは何も知らなかったのですが、「カール・クラウスと危機のオーストリア 世紀末・世界大戦・ファシズム」(慶應義塾大出版会)の著書高橋義彦が本の解説を書いていました。

(第一次世界大戦の原因は、排他的なナショナリズムや人々の好戦的な感情を煽ったマスメディアと語った)クラウスは、人々がマスメディアの伝える言葉によって自らの意識を形成し、その作られた意識に基づいて次の行動に移るという、ある種の連鎖のメカニズムを問題視した。つまりメディアによる意識の操作を批判したのである。このメディア批判に基づいた戦争批判は、ヴァーチャル・ウォーの時代を生きるわれわれにとっても、重要な意義を持つものといえるだろう。

マスコミは嘘は言わなくても、言うことを隠すことで同じ結果をもたらすもんなぁ。
アフガニスタンから韓国が300人以上の協力者を脱出させたニュースはあまり報道されませんでした。日本政府は1人も脱出させられなかった。

世紀末の歌を、
 靑酸加里の味の靑梅?世紀末今日安樂死の何が悪い!   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

かたへを過ぎ

一枚だけで。PCをいじれるだけでもありがたいです。

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9月初めに引用した「アステイオン」から、時評『ニュースの見出しと「言葉の実習」』(古田徹也)の一部を。
著者は、世紀末ウィーンのカール・クラウスが提唱した「言葉の実習」を説明しつつ、現代のニュースの見出しの言葉を批判しています。

(クラウスによれば母語を習得したのちに)言葉に目を凝らし、耳を澄ませ、用いるべき言葉を思慮深く選び取ることは、私たちが果たすべき真に重要な責任であるものの、あまりに軽視されてしまっている・・・

型崩れを起こした(ニュースの)見出しという、私たちがいましばしば直面する言葉は、言葉に対する私たちの向き合い方を映し出す鏡であり、同時に、(言葉の微妙なニュアンスの差、言葉の組み合わせ妙などを明確にしていく)「言葉の実習」を実践するための格好の素材にもなりうる・・・



最近のニュース見出しに顔をしかめつつ、耳に痛い「時評」を読んで、
 言葉もて言葉殺(あや)めよ 杜松(ジネプラ)の香の女人わがかたへを過ぎつ   (塚本邦雄:空のコラージュ)

いろいろと

都合があって写真だけで。

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ぢりぢりと晩年

四日市港。いろいろあってこれだけです。

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鉄道の鉄で、
 秋風(しうふう)に壓(お)さるる鐡扉(てつび)ぢりぢりと晩年の父がわれにちかづく   (塚本邦雄:魔王)

百の

なおヒガンバナ、なお”ついでに写真”。

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前にも書きましたが池袋の暴走について、刑事裁判が結審したのに、wikiの被告人に関する記述は進展していません。編集方針を議論するwikiの”ノート”では、叙勲の取り消しがあったら記述が進むような感じですが、刑が確定したのに引き伸ばしをしていると感じます。
同事件のwiki(東池袋自動車暴走死傷事故)も、刑事や弁護士の実名を出しながら加害者の名前は出していない。
これではwikiもやがて衰退するでしょうね。

百科事典の百で、
 百の時計 百の硝子に樅の森みどりさわだつ婚姻の刻   (塚本邦雄:綠色研究)

おそらくはドッグ

かわりばえしない写真を。

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dg elmarit 200mm 2.8


この原稿は、家出先の宿で書いている。・・・「旅」ではなく、「家出」という言葉を使ったのは、「ステイホーム」に対するささやかな反抗心からだ。』という柳美里が一年前に書いた文から引用します。

 「ステイホーム」が、誰が言い出した標語なのかについては、もはや関心がない。コロナのパンデミックによって世界中で叫ばれ、貼り付けられ、拡散されている標語ですね、と言われれば、そうでしょうね、と肯くしかないが、わたしが最初に耳にしたのはテレビのニュース番組だった。「ステイ・ホーム」とゆっくり区切って言った小池百合子・東京都知事の口元を見て、(著者自身が専門的に習ったことがある)ドッグトレーニングのコマンドみたいだな、と我知らず眉を顰めていた。・・・

 主人は誰なのかという上下関係を覚えさせることによって、人間の秩序と支配を犬に「自発的に」受け容れさせるためのコマンド、絶対的な服従と引き換えに与える保護――、わたしは「ステイホーム」という言葉に(ドッグトレーニングの)コマンドの匂いを嗅ぎ取ったのである。・・・

そして彼女は言います。
 いま、わたしは、思考停止している。でも、いまは、思考停止すべきなのではないかとも思う。今までの思考のストックでは太刀打ち出来ない出来事が起こったら、いったん思考を停止して、五感を(第六感も)開く。自分の理解を超えたものや出来事は、じっくり見て、聴いて、嗅いで、触れて、味わうしかない。思考は遅れてやってくる。そのうち背後から近づいてくるであろう思考の足音に、わたしは耳を澄ましている――。ゲンロンα「ステイホーム中の家出」

ドッグに似ているからドックで、 
 聖母晩夏を恩寵(めぐ)ませたまへおそらくは船渠(ドック)に満身創痍の母艦   (塚本邦雄:水銀傳説)

なかんづく

きのうの”お昼ご飯ついでに写真”、なお。

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dg elmarit 200mm 2.8
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s.nokton 29mm 0.8
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スポーツオンチですが”紙の信者”のpithecantroupusは国体三重大会の記念切手を買うつもりでしたが、国体が中止になって切手も発売中止だそうです。手に入らなかったものには一層物欲が高まります。
大会中止なら、切手を売り出せば普段以上に売れると思いますが、郵便局は民営化されても役所ですねエ。

 なかんづく萩散りみだるよその秋いまこゑ嗄(か)るるばかり汝が欲(ほ)し   (塚本邦雄:天變の書)

はるかに神

友人が”お昼についで”写真に誘ってくれました。

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s.nokton 29mm 0.8
きのうの写真も再挑戦。

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tokina 300mm 6.3 reflex

 曼珠沙華はるかに神をみつめたる中世の秋きみも思ふや   (塚本邦雄:未刊行作)

ろうろうと

気がつけばご近所の道路脇や空き地にヒガンバナが満開です。
"Age of Pen"を訪問してくださった方々のブログにヒガンバナが溢れてきたのを見てよだれを流していました。
そんなpithecantroupusを、天の上の方から見た誰かが憐れんでくれたようで、隣家の庭にヒガンバナが咲いていましたのでこっそり盗み撮り。

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tokina 300mm 6.3 reflex

数年前までyoutubeをよく見ていたのですが、配信映像の画質を落としたのを機に見なくなっていました。
久しぶりに、太宰治「フォスフォレッスセンス」(1947年6月3日口述筆記、1948年3月21日出版)の朗読を聞くためにアクセスしてみました。
フォスフォレッスセンスの中にある『私の馴染のおでんやに行き、亭主に二階の静かな部屋を貸してもらうように頼んだが、あいにくその日は六月の一日で、その日から料理屋が全部、自粛休業とかをする事になっている』という言葉に引っかかったのです。
短い文なのに手を抜いて朗読を聞きました。

朗読の「ろう」で、
 ろうろうと月昇るなりたかどのに父がうたへる梁塵秘抄   (塚本邦雄:黑曜帖)

喪ふ記憶

まだ四日市、まだ港。
家事労働がきつくて、せめて甘美な回想で息抜きです。

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何度も引用する内田樹のwebに“『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』まえがき”という中高生向けアンソロジーの紹介の中で、中高生向けに書くことは面白いという説明に、

伊丹十三があるときに「野球のことをまったく知らない女性読者に野球の面白さを説明する」という寄稿依頼を受けて、食指をそそられたということをエッセイに書いています。・・・
 サルトルもどこかで「火星人にサッカーの面白さを説明する」という設定を、ものごとを根源的に考える構えの喩えとして挙げていました。


という例を挙げていて、5年前ブログに書いた寺山修司が野球を全く知らない塚本邦雄にした説明を思い出しました。

投手と捕手という恋人同士がいてきあ。彼らはボールを投げることによって初めて意思を伝え合えるんだ。それを、バッターっていう横恋慕男が邪魔をしてボールを打つんだ。でも二人には、内野と外野と呼はれる七人の味方がいて、ボールを取って返してくれる。野球ってそんなゲームなんだよ

寺山や邦雄といった当事者がどこにも書けないようなことを、息子の塚本靑史が、記憶を文字にしてくれてよかったと思います。

 琵琶行一首以外の記憶喪へる晩年の父を宥してやらう   (塚本邦雄:汨羅變)

番はつがい

きのうの『「これを撮りたいんだ!」が一番』にすがってきょうもまた四日市港。

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一番の”番”で、
 番犬主水(もんど)ディステンパーに身罷りて白牡丹昨日今日眞盛(まつさか)り   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

番は「つがい」とも読むことを初めて知りました。
塚本の水銀伝説にありました。

 孔雀われのうしろに番ひ曇りたる刃のごとし初夏に逅ふこころ   (塚本邦雄:水銀傳説)

もたざるを

四日市港へもどります。
”何撮ってるの”連続技!(汗)

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前に引用したマキタスポーツの連載記事から、

「これを撮りたいんだ!」「これを歌いたい!」「これが俺は笑える!」が一番。企画より、演者が本当に興奮しているものにはかなわないのだ。AVも企画モノだと全然興奮しない。

う~ん、pithecantroupusも写真を撮っていると興奮するなぁ。撮っているときだけでなく見ているときも興奮!
”何撮ってるの”も本人は「これを撮りたいんだ!」って、理解されないこだわりを持っているもの。
あっ、でもAVは企画ものでも興奮します。

 黑葡萄のごと累なりて撮られゐるうから等しき死はもたざるを   (塚本邦雄:水銀傳説)

ただ一行

ときどき気分転換。

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m.zuiko 60mm 2.8 macro
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m.zuiko 60mm 2.8 macro

一昨日引用した内田樹と姜尚中の対談は、引用した後、テロリストの話になります。
テロリストの話から、pithecantroupusは唐突に大江健三郎を思い浮かべました。
その大江のインタビューから引用します。(雑誌「スプーン」H20年4月号)

 今から五十年前、私は酒田出身の、そして、世界の写真の歴史にはっきり名を連ねていられる土門拳という天才の写真家に私のポートレートを撮っていただきました。・・・
 私は非常に困りました。そして、いったんお断りしたのです。ところが土門さんはご存じのように、人の意見よりは自分の意見を尊重するという、自信のある方ですから(笑)、すぐに助手を伴って私の下宿にお見えになりました。土門さんは私の顔を見るなり、極めて憂鬱そうな表情を浮かべられましたが、・・・本棚に、小説家の中野重治とフランス文学者の渡辺一夫の本がほとんど全部並んでいるのを見て、土門さんはみるみる機嫌を直されたわけです。土門さんは、中野重治という作家が本当に大好きなんです。「渡辺一夫の本を、きみはなぜ集めているんだ」と言われた。・・・(土門さんは、)「自分は、これまで本当に美しい顔の日本人の男に三人会った。一人は、六代目尾上菊五郎である」、そして、もう一人挙げられまして、「三人目が渡辺一夫だ」と。それが、土門拳さんとの最初の出会いでした。


雑誌を発行している小松写真印刷は、土門に縁のある山形県酒田市にある会社のようです。


渡辺一夫はフランス文学者なので、
 戀女房のフランス便りただ一行「カルヴァドスにて林檎を叩き落す」   (塚本邦雄:詩歌變)

標として

目先をかえて地元の写真で。ですが、これも14年前、四日市港。
自慢じゃないけどアマノジャクですから、こんなものに気をとられました。ドブン!

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きのう引用した歌は、1年前にやっぱり反省しない歌として引用していました。
記憶力が・・・。
きょうこそは間違えないように「標識」の「標」で、

 藥種商モナ・リザを商標として藥効かざればしぶとく榮ゆ   (塚本邦雄:装飾樂句)

いまさらさらと

天竜なお。

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よく引用する内田樹とpithecantroupusが好きな姜尚中が、集英社『新世界秩序と日本の未来 米中の狭間でどう生きるか』発刊記念にした対談から引用します。(Book Bang「コロナ、オリンピック、総選挙―― 日本のこれからを展望する」

内田 今回の本の中では「日本人は反省ができない」という話も出ましたけれども、コロナ対策でもそうですよね。・・・現政権は・・・「こういう風にすべきだったのにしなかった」「ここでこういう失敗をしたから修正する」という検証や反省がまったくありません。

姜 安倍前首相の振る舞いを見ていても、「反省」という言葉はどこにもなかったように思いますけれども、「反省ができない」というのはどうも吉田松陰以来のものなんじゃないかと思いますね。
 陽明学を信奉した吉田松陰は「志がよければ反省はいらない」という考えの持ち主でしたが、そういう「純な心で突っ走る」というか、志があればどんな手段も厭(いと)わないというようなところは、明治の大アジア主義や北一輝的な革命思想にかぶれた人たちの中に流れ続けていったような気がします。


pithecantroupusも反省しないからなぁ。
反省すれば今ごろはもう少しマシな写真になっているだろうに。
「志がよければ反省はいらない」かぁ。

反省しないから「半世紀」でごまかして、
 半世紀前の飢ゑいまさらさらと水飯(すいはん)に浮く蝶の鱗粉   (塚本邦雄:汨羅變)

はたと絶えて

富士フィルムGS645は何度か挑戦して毎回不本意な写真しかも撮れていません。
今回もその繰り返しになってしまいましたが、天竜ばかり続いたので。

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m.zuiko 30mm 3.5 macro

GS645は小西六のパールの伝統を守ってセミ判 (6×4.5)でしたので、セミの歌を。
 蟬時雨はたと絕えたり内閣も十日連續午睡中とか   (塚本邦雄:汨羅變)

言葉につかえさるすべり

きのういやだぁといいながら、今日もだらだら天竜です。(汗)

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サントリー文化財団の情報誌「アステイオン」最新号の記事から『言と行、言と文 ― 二重の不一致について』(武田徹)冒頭から引用します。

(前首相と当時の官房長官(現首相)の言動から、)つまり一度、言葉にしたことに責任を取る文化、取らせる文化、そのいずれもが存在しない。言葉の重みが失われていると感じる・・・

(オックスフォードで哲学を講じた)J・L・オースティンは、「私は約束する(I promise)」という言説が単なる事実の記述ではなく、「約束」という行為そのものでもあることに注目していた。その考えを発展させて戦後1952年から「言葉と行為」と題した講義を始め・・・

雑誌発行を機に行われた座談会で、出席者の一人が『私は武田先生の論考「言と行、言と文」での「言語行為論」というのが、とても面白かったです。言葉は単に何かあるものを描写するだけではなくて、語ること自身が行為である、と。その中で現在、政治の言葉が軽くなっているということを語られていました。』と言っていたのに惹かれました。

 はかなき言葉につかへさるすべり散りぬ奴僕(ぬぼく)の一生(ひとよ)も一夜(ひとよ)   (塚本邦雄:されど遊星)

そのつぐなひの

だらだらと日を過ごしていくうちに何物かに似てきたような気がします。
回想の天竜ばかりだらだらとつづけている罰が当たっているのかも。

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晶文社スクラップブックの宮崎智之「モヤモヤの日々 175回」は「親に似る」という題で、筆者が、忘れっぽかった父に似てきたという話です。そこに『「頑張らないと親に似る」という、マキタスポーツがTBSラジオ「東京ポッド許可局」で放った名言が胸に響く。』とあったので検索してみると、いくつもヒットしました。
その中から、アエラ・ドット・コムにあったマキタスポーツの連載記事から引用します。

 親という原型以外の者からどれだけ吸収出来たかで人生の彩りは変わる。否定するのでなく、原型という、プラットフォーム+何かで人間性という回路をこさえていかなくてはいけない。「頑張らないと親に似る」とはそういうことなのである。

pithecantroupusがだらだらして似てきたのは親父だったのかぁ。いやだぁ。

 父はひそかに聖母の白き足愛しそのつぐなひのわが巨き足   (塚本邦雄:日本人靈歌)

友よ便りを

回想の海の中で天竜なお。

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天地無用のシネスコにしました。ひっくり返さないようにしてください。(笑)
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天竜の代わりに天国で、(汗)
 天國の藍のアルプス夏いかに秋いかに友よ便りをおこせ   (塚本邦雄:新歌枕東西百景)

白露、はくろう

荒れ放題の庭で一枚だけです。

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やっぱり一枚では寂しいから、天竜からも一枚。

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白露は「はくろう」に似ているから、(汗)
 白蠟の蟬生るるとてあけぼのを怖る 不敗のサッカー主將   (塚本邦雄:閑雅空間)

出せない、出したくない

天竜に戻って。

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玄侑宗久公式サイトからもう古くなりましたが『誰のための五輪か 都合よく利用された被災地』の一部を引用します。

かれの言う「東日本大震災から10年たっても、行方不明者は2525人に上る(3月1日現在、警察庁)。死亡届を出せば、生計維持者ならば500万円、それ以外でも250万円の災害弔慰金が自治体から支払われる。それでも死亡届を出せない、出したくない人々がこの数の周囲にそれぞれ複数いる・・・」という言葉が頭に残るから、その言葉に重みを感じるのです。

この文の後半では「内情を無視した勝手な決定と、抗議を封じ込める強権的な沈黙。それがこの国の政治の作法なのか。」と、現政権と前政権の手法が簡潔にまとめられてもいます。


季節外れですが、「隠し」で、
 一國一城のあるじが露草の花もて滿たす夏至の雪隠   (塚本邦雄:汨羅變)

触るる刹那

「カメラにさわりたい」欠乏症には一枚だけでもシャッターを切ることが薬のようです。
病気療養ですから、写真がつまらない事には目をつむって。

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m.zuiko 30mm 3.5 macro
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m.zuiko 30mm 3.5 macro

 險しこころの遊(すさ)びてふこと夜の水に觸るる刹那の火の百日紅(さるすべり)   (塚本邦雄:蒼鬱境)

天竜、天領

夏の馬籠に行った後は秋の天竜に行った、と写真が言ってます。14年前の記憶はほとんど消えましたが。
当時は天竜にJRの旧型列車が露天展示されてました。

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天竜に似ているから「天領」で、
 天領の心の夜の罌粟畑苦き香に立つまで犯されて   (塚本邦雄:睡唱群島)


人は得意技でつまずくとどこかの漫画で読んだような気がします。人事と情報隠しが特技だった人が終わります。
自分の属する会社の社長の発言を引用するとき、「お言葉」と平気で言えた人が消えます。
ヒロシマで心のこもらない式辞を詠んだ人が去ります。

夏さらば

限界が近づきつつある気配がします。惰性のような写真ですみません。

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「ウィキペディアがこれからも前進し、世界に知識を提供し続けるために、今年も年に一度のご寄付を謹んでお願いしています。」というメールを7月に受けたのですが、今回は何もアクションを起こしませんでした。
池袋暴走事故の被告に関するwikiの記述が納得できないからです。

Wikipedia:井戸端/subj/飯塚幸三氏に関する池袋暴走母子死亡事故の不記載についての疑問』の最後にあった「中立的でないWikipediaに誰が寄付をするのでしょうかね... 」のほうに同意するからです。


 百人の父われにありにき夏さらば杉伐る芳しき伐採夫   (塚本邦雄:蒼鬱境)

夏もをはり

きのうからの「いろいろ」はなお続いて。

一枚目は、きのう3枚目にアップする予定だった写真。むかしまごめで。
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煙草を売人からこっそり買う時代が来るかも。それまでに命が尽きますように。
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どこか変なのは頭の中。
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もしかするともう夏が終わりなのか。夏休みはいつ終わったのだろう。
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 いらくさの野に美しきひとが住み夏もをはりのシャポー打ち振る   (塚本邦雄:新歌枕東西百景)
 磔像を見下す 夏の果てわれにイエスが宥し乞ふ汗の頸   (塚本邦雄:日本人靈歌)
 馬は睡りて亡命希ふことなきか夏さりわがたましひ滂沱たり   (塚本邦雄:綠色研究)

いろいろあって

いろいろあって結局まごめノスタルジー。

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