として老い

馬籠で撮った写真は、いつか見たような、同じような写真ばかりです。

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足踏み状態ならましで、もしかしたら転げ落ちているのかもしれません。自分では気づいていないだけ。
でもどこにピークがあったのでしょうか。そんなものあったのかなぁ。

 花の若狭知らず靑葉の加賀も見ずわれに愕然として老い來る   (塚本邦雄:閑雅空間)

料理法(レシピ)

妻籠へ行った道すがら中津川でも写真を撮ったようです。記憶ではなく写真がそう言ってます。(汗)

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 「第一戦で活躍する12人の知性による、圧倒的熱量の論集!」の中に女性執筆者が一人も入っていないので、書名であることを超えて『コロナ後の世界』(筑摩書房編集部編)には、女性は存在しなくなると、作った編集部は考えている(と、いう程のことではなく、まるっきりの無意識)のかもしれないこの本は昨年の9月に上梓されたのだが、・・・

という書き出しのwebちくま連載、金井恵美子「重箱の隅から」を読みました。筑摩が出した本を当の筑摩のwebで批判的に批評しているのが新鮮でした。
このあとも、著名な料理研究家と彼を持ち上げる若手の大学教授(しかも京大!)を、主婦の視点からバッサリ。

最近環境の変化で、この歳にして、主婦の気持ちが少し分かるようになった(つもりの)pithecantroupusは、共感しながらこの連載を読みました。


 象の鼻を筒切りにする料理法(レシピ)等メモさせて鸚哥敎(いんこけう)の施餓鬼   (塚本邦雄:汨羅變)

今日は従順

あれこれ雑用ばかりでカメラに触ることさえできません。と言い訳して回想録。

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あしたもあさっても野暮用が続きます。いつになったらカメラに触れるかなぁ。

撮れない「写真」にお詫びして、
 殺意ひめて生きつつ今日は従順に胸部寫眞を撮らるる梟首(けうしゆ)   (塚本邦雄:日本人靈歌)

脳の濃霧警報

つまご、つまご、と言いつつ、「らしい」写真がなかったので今日は主観的「らしい」写真。

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 晩夏某日、腦の濃霧の濃き縹(はなだ)消えて絶唱こそ一首あれ   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

われに二人の

妻籠なお。

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きのう引用した樋口直美「間の人 第13回 死語と記憶とビンテージ」からさらに引用します。

 自分が老いるとともに、親や祖父母のことを振り返ることも増えた。
若い女性だった母は、あのとき、どんな気持ちでいたのだろう…。父は…。・・・
 一人の人間としての父や母が、なにを考え、なにを望み、なにを諦めてきたのか、私はほとんどなにも知らない。18歳まで一緒に生活していても、私が見ていたのは、一面でしかない。・・・


pithecantroupusも、断片的に聞いた話、どこまで本当かと思うような話もありますが、正面切っては何も知らないままです。
想像する若い父と母は輝いて見えるのです。
精気に満ちた二人が見えるのです。

 ちちとははわれに二人の神います透きとほるかに尾花夕映(おばなゆふばえ)   (塚本邦雄:新歌枕東西百景)

これからのこと

これからのことは、想像もつかないし、想像したくないpithecantroupusは、きょうも回想の恍惚。
妻籠で撮ったことは間違いないです。

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先日、時間のことを引用した樋口直美「間の人」から別の回の一部を引用します。(「第13回 死語と記憶とビンテージ」)

 昔を懐かしむなんて、若いころには、理解できなかった。最近、頭に浮かぶのは、「これから」のことではなく「遠い過去」のことばかりだ。・・・
 (「これから」は、想像もつかないし、想像したくない。)それよりも子どもが幼児だったときのことをふっと思い出す瞬間の方が、遥かに元気が出る。ありありと蘇るその感覚には、「思い出す」というよりも、脳がタイムスリップを起こして、その時間に立ち戻ってしまったような異様な現実感がある。
親に老いを見た30代のころ、親は、私に幼い私の姿を重ねていただろうか?


最近になって、Eテレの幼児番組にときどきチャンネルを合わせるのはこういうことだったのかぁ。


 桃太郎の眞紅の繪本ころがれる夜の疊、ここに時間(とき)の斷崖(きりぎし)   (塚本邦雄:日本人靈歌)

日直欄

きのうに続く妻籠です。らしくない写真ですが。

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太と犬を混同する話に共感するのは脳が小4並みになってきたということでしょうか。
もうすこし年長で、こちらの話しにも共感するのですが。

(黒板は)工夫を凝らした板書を集中して書き写す。ここでも「過程」にこそ、学びの基本が宿る。タブレットが普及しても、忘れたくない視点だ。
 東洋大の2015年「現代学生百人一首」から、高校2年生の入選作を引く。
 <黒板にうっすら残る日直欄あなたが書いた私の名前>
 タブレットからは生まれない一首。(河北新報 2021年5月8日)


黒板にもノスタルジーを感じますが、共感するのは最後の一首。ちょっと甘すぎますが、
老人はコーヒーに角砂糖を4つ以上いれるのです。
たったこれだけのことでドキドキしたころへ、幼児退行でもいいから戻りたい。

「黒」つながりで、
 黑漆のアラビア馬に賭けたりきさむざむと夏の夕べをかへる   (塚本邦雄:透明文法)

てる獣

14年前、大妻籠にいました。写真がそう言ってます。
自分の頭よりも機械の記録を信じるのか。

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いまならきっと違った撮り方をするのですが、「むかしはものを思わざりけり」でした。
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まだ空模様がすっきりしないので、テルテル坊主の御利益を期待して。
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「テル」で、
 夏さり光りと哄笑滿てる獣園にうち臥せる蛇はたヴェルレーヌ   (塚本邦雄:水銀傳説)

幼くて

ひさしぶりのお仕事を半日しただけでもうダウン。

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7artisans 35mm 0 95
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s.nokton 29mm 0.8

先日、自ら無毛と書きつつ、「むのう」と読んでしまうpithecantroupus。読み間違いは深層心理の表れか、隠しても現れる真実か、それとも恍惚。

太と犬は違う字ですが、それを間違える話が出てきます。(webちくま 広瀬友紀「宿題の認知科学」
著者の息子(こうたろう)が小4のとき、「宿題を拒否して逃亡する」という趣旨の声明文を書いたそうです。

ワレ コウ犬ロウナリ キミカラにげる

間違いに大笑いしていたら手紙がまた来たそうです。
『まちがえたか? こうたろう』

さらに『ドラえもん』にも太と犬を間違えて、しずかちゃんと手に手を取り合うイヌというのが出てくると紹介されてます。
このあと、太は「大」と「、」でできているが「犬」はこれ以上分解されないといった解説がつづきますが興味がないので省略。

pithecantroupusの幼児退行もそろそろ「コウ犬ロウ」に近づいてきたかも。


 心やすらふ公園午(ひる)の光さし幼くて病める木木の群がり   (塚本邦雄:日本人靈歌)

言葉そこより

朝寝坊して夢を見ました。
夢に出てくる自分はいつも若く、今朝などは少年でした。何故、老人になった自分は出てこないのでしょうか。

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7artisans 35mm 0 95
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s.nokton 29mm 0.8

ときどき引用する「内田樹の研究室」から山形新聞に書いた『無意味耐性の高い人たち』の一部を引用。

 8月6日の広島での平和記念式典で、菅首相がスピーチの一部を読み違えたことが報道された。「原爆」を「原発」、「広島」を「ひろまし」と読むなど7カ所で首相は読み違えをした。だが、問題は核廃絶に向けた日本の立場を示す約120字を読み飛ばしたことである。
 ・・・読み飛ばしたせいで、首相のスピーチは「日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない、核軍縮の進め方を巡っては各国の立場に隔たりがあります」という意味不明のものになった。・・・
 だが、そのこと(平和式典をひどく軽んじて何か所も読み間違えたということ)以上に私が当惑したのは、首相が意味をなさない文を平然と読み続けたということである。・・・これはかなり深刻な問題だと私は思う。というのは、この事実から私たちは首相が「意味をなさない言葉を人前で堂々と話しても気にならない人」だということを知るからである。
 ・・・「意味のない言葉を口にしても気にならない」人のことを私は「無意味耐性の高い人」というふうに呼んでいる。(以下略)

難しい言葉を使うのは知識人の悪弊です。
言葉が軽んじられている、人間の心が軽んじられている、真実が軽んじられているということだと思います。

 夕鶫(ゆふつぐみ)歌のもなかに暗紅の核あり言葉そこよりぞ病む   (塚本邦雄:天變の書)

時計死

散歩で見た稲をもう少し。

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s.nokton 29mm 0.8
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m.zuiko 17mm 1.2

ときどき引用する晶文社スクラップブックからレビー小体型認知症の著者が書くエッセイ第3回です。(樋口直美「間の人 『形を失った時間』」

 「コロナ時間」(外出規制期間)に入ってから、”それ”は起こった。・・・「コロナ時間」で毎日家で過ごすようになった夫が、日や曜日を頻繁に間違えるようになった。・・・これは危険だ。健康な夫が水準器となってくれなくては、・・・私は密かに怯えていた。
しかしその後、この現象はウイルスと一緒に世間に伝播しているらしいことがわかってきた。


よかったぁ。pithecantroupusだけじゃなかったんだ。

 振り返ってみれば、幼いころ、自分の世界に時計なんてなかった。時計の読み方を覚えたのは、小学校に入ってからだ。毎日外で全力で遊び、お腹が空いたら家に帰り、眠くなって寝た。放し飼いの猫と同じだ。・・・(子供の頃は)時間は、「すぐ」と「すぐじゃない」の2種類だった。予定は何もなく、無限の時間の中にいた。大人になるまでの時間の長さを想像できず、おばあちゃんになるのは、何万光年も先だったはずなのに……。

pithecantroupusも習慣で腕時計をするけど時間を見たりしないなぁ。見るのはカレンダーの窓だし。


 愛ははじめアリストテレス 若者の手頸の時計死を刻みつつ   (塚本邦雄:靑き菊の主題)

真夏なすことなく

ご近所では毎年お盆の頃に稲刈りが行われるのですが、ことしは長雨のせいで遅れているのだそうです。
雨の合間に散歩に出ました。

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s.nokton 29mm 0.8
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7artisans 35mm 0 95

ご近所の田は不毛ではなく「多毛」(笑)、農夫ではないpithecantroupusは多毛ではなく「無毛」ですが、
 眞夏なすことなく逍遙す不毛なる田園の多毛なる農夫たち   (塚本邦雄:日本人靈歌)

ひとりむすこ

多度大社ノスタルジーもう少しだけ。

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きのうの「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」は印象的なオノマトペなので、webにもいろいろ書かれているのですが、そのひとつを引用します。

 「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と中原中也の詩を口ずさむ叔父にたかいたかいをされ、近づいては遠ざかる天井の木目模様が最も古い記憶だ。生まれる直前に亡くなった中也には「生まれ変わり」と親近感を抱き、結核に倒れた彼の代わりに兵隊に行く。そう幼い心をたぎらせた。

去年の4月に亡くなった大林宣彦が2018年に語っている読売新聞の医療情報サイトです。

幼児のpithecantroupusのあだ名はワンマンでした。
 鮮黄(せんわう)の幼き星は水中に病みつつひとりむすこのイエス   (塚本邦雄:黄冠集)

うらうらと夏

雨がヒタヒタ、コロナもひたひた。
科学よりも精神を重視して開戦、いや開催したのですから。80年前と変わらないです。

グロテスクなバラの花。
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samyang 135mm 2.0

きのう引用した『人が「いる」,人が「ある」』では、中原中也「在りし日の歌」の『在りし』にも言及されていますので、青空文庫の「在りし日の歌」を読み直しました。

詩集の冒頭は『含羞(はぢらひ)』ですが、詩集の副題「亡き児文也の霊に捧ぐ」の文也が亡くなる一年前の詩だそうです。
文中の『空は死児等の亡霊にみち まばたきぬ』の死児に文也はまだ入っていません。
この詩を詠んだから文也が死んだと思っていなかったでしょうか。そんな気がします。

「含羞」については、晶文社スクラップブックの宮崎智之「モヤモヤの日々」に、

父は、中原中也の詩を愛した。「サーカス」の「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という擬音に戯けた抑揚をつけて私に聴かせてくれた。それが耳に残り、何度も朗読をせがんだものだ。父自身は「含羞」という詩が好きで、「なにゆゑに こゝろかくは羞ぢらふ」と噛み締めるように諳んじていた。

とありました。
この一文の最後は、父が中也の実弟とツレションした話題で終わります。


 何に溺れてただうらうらと夏の父や篳篥(ひちりき)の孔九つ昏し   (塚本邦雄:歌人)

われら在(あ)る

手入れしていない庭もクローズ・アップで撮れば少しはマシ。

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samyang 135mm 2.0
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samyang 135mm 2.0

NHK放送文化研究所のコラム「ことばの研究」の記事『人が「いる」,人が「ある」』から。

事故のニュースの際,「けが人はありませんでした」という言い方を,かつてはよく聞いた。しかし,近年は「いませんでした」が多い・・・「ある」は,ふつうは「物」の存在に使われるが,かつては「昔,男ありけり」(『伊勢物語』)のように「人」にも使われた。それが徐々に減って現代に至っているらしい。

のだそうです。
失われつつある、人を「ある」とよぶ用法の例に、中原中也が引用されていました。
中也が死んだ息子(文也)をうたった「夏の夜の博覧会は,かなしからずや」という詩が引用されて、
文也が「いる(ゐる)」が詩の途中から「ある」という表現に変わっていると言います。

 坊や眺めてありぬ/(中略)髪毛風に吹かれつ/見てありぬ,見てありぬ,かなしからずや
 今の日本語では「見ていた」などのようにしか言わない。しかし「見てありぬ」だと,「在りぬ」,つまり,確かにこの子はそうして「存在していた」という感覚が強まる気がするのは気のせいだろうか。


NHKらしく「、」が「,」になったコラムですが、興味深く読みました。


 乳房その他に溺れてわれら在(あ)る夜をすなはち立ちてねむれり馬は   (塚本邦雄:水銀傳説)

わたくし

ノスタルジーとお口直し。

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お口直しになってないけれど。

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塚本邦雄は「敗戦」にこだわり「終戦」とは言いませんでした。pithecantroupusの父もです。
サンケイ新聞の8月10日正論に「昭和20年8月15日が、どうして「敗戦」ではなく「終戦」なのか」(防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛)という記事があり、いろいろ教えてもらいました。

文中の『85年5月8日に当時のフォン・ヴァイツゼッカー大統領はドイツ連邦議会で有名な「5月8日は解放の日だった」と題する有名な演説を行い、この日がドイツ人にとっては「ドイツ史の歩みを反省する日」だと語った。』という一文が気になって、ドイツ大使館のサイトでメルケル首相とシュタインマイヤー大統領の発言を読みました。

「解放の日」とは、メルケルによれば、
「ナチスによる暴力支配という人間蔑視の体制からの解放の日」という表現を用いました。これは、ドイツの自己理解にとって重要な意味を持つ、必要かつ明確な発言でした。』ということであり、
シュタインマイヤーによれば、
「5月8日は解放の日であった」。・・・今日、この言葉は未来に向けたものとしても理解しなければなりません。すなわち、「解放」の過程には決して終わりはなく、また、私たちは受け身にとどまっていればよいわけではなく、日々能動的に解放を実現することが求められているのです。』ということらしいです。

日本はまだヴァイツゼッカーを持っていないと感じました。


 敗戰忌なり戰中派わたくしは必殺の蠅叩きかざして   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

梢上にむらがり

8月15日は戦争を知らないこどものなれのはてにとっても特別な意味があると感じる日です。
ノスタルジーの多度大社なお。

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きょうは靖国神社がニュースになる日です。

『戦艦大和ノ最期』を書いた吉田満はキリスト教信者ですが、会員だった教会が出している『西片町教会月報』に「靖国と愛国心」という文を書いているそうです。
そこでは、
吉田自身が靖国神社で毎年行われる「大和」の慰霊祭に参加しており、「この行動を、私自身恥ずかしいことと思ったことはありません」。当時審議中だった靖国法案に吉田も反対でしたが、反対の基礎には「真の愛国心」がなければならないとする一文だったそうです。(白水社webマガジン「ふらんす」 渡辺浩平『大和から見た桜』より)

この吉田と靖国を紹介した渡辺の文の、最後の方に書かれた『安気な時代を生きるものが、軽々しく死者への挽歌を口ずさむべきではない。』という言葉にドキッとしてまた初めから読み直すのです。


 敗戰忌 天使梢上(せうじやう)にむらがりこの濁聲(だみごゑ)の黑衣の天使   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

ただ一燈

多度大社の回想なお。

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 ただ一燈それさへ暗きふるさとの夜夜をまもりて母老いたまふ   (塚本邦雄)

見えねど夏

ノスタルジー醒ヶ井も在庫払拭したので同じころ行った多度大社で。

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ノスタルジーのついでに、
最近『大工町寺町米町仏町老母買う町あらずやつばめよ』(寺山修司)の歌に久しぶりに会って、
母親の在所、多度を思い出したのです。


 こゑ細るすなはち肉のほそるべき母見えねども夏うぐひすよ   (塚本邦雄:感幻樂)

ピーター

家事労働でへたり中。

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写真はプロコフィエフと無関係ですが、
 暑き日はをはらむとして「ピーターと狼」のひとふしのみづいろ   (塚本邦雄:感幻樂)

暑き日

暑中見舞も作らずに懐古趣味にどっぷりするのは、頭が暑さで溶けている証拠です。

トタン好きもむかしから。
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窓好きもむかしから。
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フレーミング失敗ですがノスタルジーですから。
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帰りに鳥居本にも行ったようですが記憶が霞んで。
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 みたされざる自由死後にも 暑き日の河底に赤き手袋うごく   (塚本邦雄:日本人靈歌)

終焉(をはり)と涯(はたて)

そろそろ終わりにしなければと思いつつ、ノスタルジーの誘惑に負け続けです。
中山道の宿場町、ヤマトタケルが伊吹山で被った怪我を癒したところ、名所なのですが、それらしい写真はなし。
アマノジャクはむかしからでした。

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ごちゃごちゃとゴミ箱の中を撮っているような写真なので、
 世の終焉(をはり)、否、身の涯(はたて)、慄然と巴里北駅(ギヤール・ド・ノール)の塵芥箱(ごみばこ)のリラ   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

物と事

ノスタルジーの醒ヶ井なお。
「らしい写真」はいまもむかしも苦手。

小っちゃくイヌ!
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どこの田舎にもありそうなただの店です。
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神様はいつもお賽銭上げて不老不死をお願いします。(汗)
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のぞきは趣味です。
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きのうも引用した天才アラーキーのインタビューはネコの話もあって、「チロ」という愛猫のことを話しています。

アタシは、チロちゃんを愛玩動物として撮っていないからね。こっちもネコになりきって、情人とか痴人として撮ってる。よくある可愛いだけのネコの写真っていうのは、ネコを「物」として撮っていて、そこにある「事」を忘れているんだね。「物」を写すことが写真じゃないんだよ。「物事」が写ってないと、写真はダメなんだ。俺なんか、レンズを通すと、物事だけじゃなくて、もののけまで見えちゃうんだからね(笑)。

『ネコになりきる』ところなど、吉本隆明も同じようなことを言ってました。
そういえば三島由紀夫もネコ派だったそうなので、漱石の影響ではないけれど、文豪や天才はネコなんでしょうか。
ここで毎日引用する塚本邦雄はれっきとしたイヌ派なんですけどね。

塚本の愛犬は「百合若」というそうですが、
 焦眉の問題二つ、飼犬ワグネルの去勢と華鬘草(けまんさう)の株分け   (塚本邦雄:汨羅變)

ただごと

「写真は旬でないとだめ」という荒木経惟の言葉を引用したばかりですが、同じインタビューの中で彼らしく『人生ってノスタルジーだよ。写真って、ノスタルジーだよなぁ。』とも言っていたのを言い訳にして、10年以上前の8月醒ヶ井。

サルスベリ。今年はまだ撮ってないなぁ。
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あのころから、わけの分らん写真撮ってました。
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自分でもなぜ撮ったか分かりませんが気に入ってるのです。
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ほんとうはバイカモ撮りに行ったのでしたが、みんなが撮っていたので撮る気がなくなり、記念写真1枚だけ。
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 白壽、百壽もただごととなり百日紅(さるすべり)しらじらと門前に散り果つ   (塚本邦雄:汨羅變)

世界××

暑いです。きのうのツバキの実を持ち込んで引きこもり中。

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m.zuiko 30mm F3.5 macro

先日引用した『飯島渉「緊急事態宣言下の日本(私のコロナ史 第4回)」』の冒頭はブラウン元首相の話から始まっています。

英国のブラウン元首相は、2020年3月下旬、今回の事態は世界がこれまで経験したことのない危機的なものであるから、一時的に世界政府を組織し対策にあたる必要があると提言しました(The Guardianへのコメント)。EUからの離脱が現実となっていたので、この提言はなかば冷笑の対象となり、顧みられませんでした。・・・

著者は『COVID-19のパンデミックが1年をこえた現在、感染症対策は、世界政府(あるいは緊密な国際協調)によって進められるのが実はもっともコストが低かったのではないかと感じています。』とも書いています。
われわれは世界政府をつくるチャンスを逸したのかぁ。


 世界ほろびむ秋をひしめく猩紅の服の男ら さらばバワリア!   (塚本邦雄:靑き菊の主題)

バワリアが分からず検索したら「バイエルン」のことらしいです。(あっ、ババリア。)
ひとつ賢くなりました。
きょう1時間外を歩き回った後の頭痛は知恵熱の前兆だったのか。

つねにしゅん

玄関から三歩写真。
放ったらかしの庭。

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dg elmarit 200mm 2.8
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m.zuiko 30mm F3.5 macro
好きな写真家の荒木経惟が『写真っていうのは、旬じゃないとダメ』と言っていたので、こっそりとカメラを持ち出して撮りました。

かれは、いつも元気づけてくれます。(講談社book倶楽部連載 天才アラーキー「写真ってノスタルジーだ」第5回

少年時代の友達っていいよね。男にとって大切なのは、少年時代だからさ。やっぱり、ノスタルジーを恥ずかしがっちゃダメですよ。ノスタルジーのない人生なんてつまらない。なんて、アタシは毎日言うことが変わるんだけど、それも常に旬の考え方を出してるからなんだよ(笑)。

きょうはヒロシマ忌だそうです。
 にくしみに瞳澄むまで少年の夏群靑にきはまらむとす   (塚本邦雄:摩多羅調)

庭師

一枚だけ。手入れの悪い庭で。

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dg elmarit 200mm 2.8

 つまさきのきずは庭師のつねなどと言ひはるほどの粹な來し方   (塚本邦雄:透明文法)

あこがれの職業のひとつでした。庭師。むかしの同僚が庭師になったと聞いてからは一層です。

明るきその

昨日モザイクのかけ忘れのような写真をあげて品性を疑われそうなので、きょうは少しましな写真で。

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nokton 60mm 0.95
きのうのお口直し。
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m.zuiko 60mm F2.8 macro

『図書』2021年8月号にカミュ「ペスト」刊行と同時にカミュによって書かれた二つの小品に言及がありました。(渡辺惟央 「カミュの『ペスト』をめぐって――呼びかけのジレンマ」
そのごく一部分を引用します。(二つの小品は「勧告」と「被治者に対するペストの演説」で、以下は後者「演説」について書かれている部分です。)

 この小文は、全体主義的社会を統べる「ペスト」という名の支配者が、支配下の市民たちに行う演説を描いたものとなっている。カミュの戯曲作品『戒厳令』(一九四八年)に登場する同名の独裁者ペストの原型である。
 「わたしは支配している。これは一つの事実であり、従って、一つの権利である。しかし、これは論議を許さぬ権利だ。諸君は順応せねばならぬ」
 (独裁者の)ペストは市民たちに対して、自分が支配する社会のなかで従順に働き、文句一つ言わず、死ぬときですら規則にしたがって死んでいくよう要請する。しかしペストは、自分は暴君ではない、社会秩序を維持する統治者としての「職務を全うして」いるだけなのだ、と主張する。彼は官僚主義的に、とにかく「勤勉」に市民を管理しているのだ。
 「今日以後、諸君の問題は秩序正しく死んで行くすべを覚えることだ」。「諸君は統計に組み入れられるのだ」。「わたしは、諸君の積極的な協力を要求する」。


どうしてもあの人のことを思い出してしまいます。


 花胡桃(はなくるみ)昏れて明るきそのかみやわが死甲斐のアルベール・カミュ   (塚本邦雄:閑雅空間)

R18

先日の「54字の文学賞」引用で”どんぎつね”と書きましたが、もともと耳が出ている彼女には無理な話でした。
つい、尻尾という言葉に惑わされました。

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M.ZUIKO DIGITAL 60mm F2.8 Macro

テレワークで下半身は見えないという事実に、
自分だったらネクタイにパンツ一つかもと想像し、相手の女性ももしかしたら・・・と妄想をふくらませるのです。(セクハラです。)
そんなことを言ってるから、きょう撮ったバラの写真はR18指定。(笑)

 にくしみに支へられたるわが生(せい)に暗綠の骨の夏薔薇の幹   (塚本邦雄:装飾樂句)

白黒

たまぁ~にする仕事は疲れるなぁ。その仕事からの帰りにパシャッ。
疲れた気分を転換するためだから、写真の不出来は問わないでください。(汗)

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sigma dp0q
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sigma dp0q

 白き夜に黑き鶴立つネガ・フィルム胃は惨澹とわが夏昏るる   (塚本邦雄:驟雨修辭學)

見えぬもの見つつ

家で仕事の一日でした。リモートワークじゃありませんけど。
一枚だけ、残りものです。

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7artisans 35mm 0.95

「54字の文学賞」というものがあることを知りました。2021年6月発表された優秀賞の一つを勝手に引用します。

リモートワークで私
の生産性は急上昇。
通勤なし、雑務なし
、余計な会話なし。
そして何より、尻尾
を隠す必要がない。   
(yuon_katatumuri リモート向きの人材)

どんぎつねさんですね。しっぽだけでなく耳もと書くと字数オーバーだから書かなかった。(笑)
アッ。耳はかくさないと。テレビに映るからリモートでも。

 われに見えぬもの見つつある夏天(なつぞら)の凧(いかのぼり)、ふたすぢのはかなき尾   (塚本邦雄:日本人靈歌)