2021/05/31
しづかに湧くあり
一年前に『きょうの「昼食のついでに」写真です。でも、「何撮ってるの」写真ともいいます。ここは菖蒲が咲く城跡の公園です。』と書いた記事の再現です。今回も「ついでに」写真。
dg elmarit 200mm 2.8

dg elmarit 200mm 2.8
去年はピンボケばかりでした。少しは改善したかなあ。アタマのピンボケはずっと進んでいるけど。(汗)一年前の記事では藤原辰史「切なさの歴史学」の一部分を引用しましたが、元の記事の省略した部分に写真家の新井卓との話が書いてありました。小説や映画の広告で「1億人が泣いた」「全米が泣いた」「涙が止まらない」とか感動の大安売り状態の中で、私たちはいろいろな文化商品を享受させられていると指摘した後、新井との話が出てきます。
新井さんは、この手の「感動せよ」「泣け」と叫ぶような広告に対し、あるものにぶつかって、本当に心動かされたら、涙って出ない、泣けっていうのは暴力だと思う、と言っていました。
藤原辰史は、
切ないという感情は、計算してできるようなものではなくて、偶然性の中でぽこぽこと湧き起こってくるようなものだ
と思うとも言っていました。感動もぽこぽこなんでしょうね。湧いてくるのでしょうね。
pithecantroupusはぽこぽこして写真撮っているかなあ。感受性が鈍っているからなあ。
季節外れですが、
無疵(むきず)なる街やはらかにつつむ雪見つつしづかに湧く怒りあり (塚本邦雄:装飾樂句)