苦手科目の勉強中

ご近所のフジの撮影に誘われました。
花は苦手なんだってば!

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 昨年あいちトリエンナーレで話題をつくった東浩紀が編集長をしているゲンロンαというサイトから、飯沢耕太郎と大山顕の対談の一部を引用します。(写真家から写真経験へ──飯沢耕太郎×大山顕「写真はほんとうに人間を必要としなくなるのか」イベントレポート2020/07/02)

 大山はそれ(写真経験という視点の提起)を承けて、たとえばInstagramではおしゃべりをするように写真が使われているが、まさにこのプラットフォーム自体が面白いのだと指摘する。これはまさに現代の「写真経験」だといえる。プロフェッショナルの写真作品は、いまや「写真経験」のメインストリームではなくなった。・・・
 飯沢はそれに対して、・・・「写真経験」だけで写真史を書くことはむずかしい。写真が日本に定着する明治初期までは「写真経験」で歴史を書けるかもしれない。しかしそれは、そのとき「写真家」がいなかったからだ。その後の写真史はどうしても写真家の歴史になってしまう。写真家の写真経験は、一般人のそれより深さと奥行きを備えていると飯沢はいう。


 
先日、写真展を見に行ったせいか、pithecantroupusには、プリントとディスプレーの画像は別の物という印象です。さいきんの飯沢さんは切れ味がもうひとつだから、大山さんの話を真剣に聞いた方が勉強になるかなあ。でも、そんな勉強でpithecantroupusの写真は進歩しないだろうなあ。

 涙そそぐ木の夕影になびく藤きみは寂しき死をねむる蝶   (塚本邦雄:寄花戀)

雨降ると

雨でうす暗い一日は気分も沈みがち。窓からパシャッしました。

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天気のせいか閉塞感が一層つのります。もやもやの原因はこんなところでしょうか。

 ・・・ だが、その(自粛という)「正しさ」をもって、私たちはかつての戦時下、かつてのこの国の日常生活に当時の人々がつくりだした社会と同じ社会を再びつくりだしてはいないか。それは、本物の戦争や翼賛体制に似た社会を私たちに待望させてはいないか。自らファシズムを召喚する結果になっていないか。・・・(webちくま 大塚 英志「2020年の「撃ちてし止まむ」」)

おなじようなことは、先日引用した神庭亮介にもあって、

 ・・・4月16日の段階で「エッセンシャルワーカーなど、どうしても出勤が必要な方以外は可能な限り東京に来ないでください」と呼びかけていた小池知事は、23日の会見で東京五輪について問われ、「安全安心な大会を開催するということについては東京都の方針は変わっておりません」とのたまった。
 通勤できないけど、五輪はできる国。本屋や映画館は開けないけど、オリンピックは開ける国。不思議の国ニッポンに、私たちは暮らしている。・・・
(晶文社スクラップブック 神庭亮介「コロナと道徳、混ぜるな危険」)

 露の世に血の雨降ると歐洲の地圖ひろげつぱなしの厨房(ちゆうぼう)   (塚本邦雄:汨羅變)

仄(ほの)かに苦(くる)し

4月が終わってしまいます。むかしむかし撮ったとさ、ちっとも進歩していない証明写真の元ネタを。桑名市六華苑。

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 人なるわれや空行く夢のさかしまに四月の霜の仄かに苦(にが)し   (塚本邦雄:されど遊星)

あとにつづく者

土曜日に行った「日本の写真史を飾る101人」展の図録です。

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記憶にある三沢の犬は右に頭があったのですが、いつの間にか左向きになってます。
老化で固くなったアタマには、たとえ裏焼きでも右向きの犬がなじみます。
左を向かれると、ちょっと行儀が良くなったように感じるのです。

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森山大道のうえに東松照明、その上に沢渡朔のナディア、その上はセンチメンタルな旅、どれもpithecantroupusの大好物が見えています。
手前には土田ヒロミの俗神、上へいくと紀信、土門と見えていますが、篠山紀信はデス・バレーを土門拳は子供か川端康成あたりの写真が見たかったあ。土門の仏像は好きになれません。
左上のほうに、これも大好物の細江英公がとった三島由紀夫(薔薇刑)が見えています。本当は、展示されていた四切ではなく大きな写真が見たかった。
主に海外で活動した田原桂一なんていうのは望むべくもないのでしょうか。死んじゃったから忘れられそうで心配。

三島由紀夫にちなんで、
彼が『「あとにつづく者」とは、これも亦、自らを最後の者と思ひ定めた行動者に他ならぬからである。』というので、ひと月遅れですが、
 三月、さくら鍋で中毒うはごとに「後(あと)に續くものあるを信ず」   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

世界畢(おわ)る

ますます外出しにくくなってきました。ワクチンもまだだし、大丈夫かなあ。
14年前、こんな写真を撮っていたときは想像もしなかった未来!

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GQ JAPAN今月号エディターズ・レターから引用します。

 レイ・ブラッドベリが1951年に米『エスクワイア』誌に発表した「今夜限り世界が」(The Last Night of the World)という短編小説は、「今夜限り世界がなくなってしまうとわかっていたらどうする?」と、夫が妻に尋ねる場面からはじまる。・・・(このあと、妻も夫の同僚も近所の主婦たちも同じ夢を見たとつづき、)

 そうはいわれていないけれど、世界中のだれもがおなじ夢を見るというあり得ないことが起きてしまったら、世界は終わらざるをえない、だから、それがわかったこの日に世界は終わるのだ。もっといえば、ブラッドベリは、世界中のみんながいっせいにおなじ夢を見るようになったら、この世は意味を失う、といおうとしたのではなかったのか。・・・(鈴木正文「今夜限り世界が」)

直接のコミュニケーションが減って、リモートが幅を利かせ、ワクチン申込をはじめ何かにつけてネット依存が進行するコロナ禍。
みんながいっせいにおなじ夢を見る環境が整いつつあると警鐘をならしています。


 世界畢る夕映薔薇色にわれの太陽神経叢くろこげに   (塚本邦雄:汨羅變)

おぼれおぼれて

時間がなかった言い訳の第二弾ということで、14年前の花を。(汗)

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 「花の館」倒產の報至るべし女主人(めあるじ)が「猪鹿蝶」に溺れた!   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)


浦河べてるの家をペテルと読んで疑わず、きょう初めて気づきました。

 うまくできるかどうかは自分では操作できない。もしかしてできないかもしれない。でも、できなくてもいいや。きっと誰かが助けてくれるだろうから!
 こういう、楽観的な「身を捨てる覚悟」こそを「信」というのだと思う。べてるの家のSST(生活技能訓練)には、そんなお気楽でいい加減な「信」があふれていた。
白石正明「面と向かわない力」

面と向かわないはいいなあ。無理はやめようっと。
待てよ。“出来なくてもいいや”=身を捨てる覚悟、“きっと誰かが助けてくれる”=信、だとすると、助けてくれる誰かってどこにいるのだろう?
無理をやめても、誰もいないような気がするけど大丈夫かなあ。
まあいいや。時間だけは前に進んでいくから。

写真展

時間がなかったことを言い訳にしてはいけませんか。

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小さく小さくして申し訳ない気持ちを。

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”外出自粛”が田舎へもやってくるかもしれない。そうなれば展覧会も中止されるかもしれない。無観客の展覧会!
いそいで行かなくっちゃ。「日本の写真史を飾る101人」展。富士フィルムのコレクション展ですでに何年も前からあちらこちらで開催されていますが、ようやく田舎へもやってきました。(むかし、映画の封切りも田舎は遅かったなあ。)

やっぱりプリントされた作品を見るのは勉強になるなあ。

この作品はこうだったのかと深瀬昌久、恋人に会ったような石元泰博、林忠彦、荒木経惟。
古い方から10枚ぐらいカットして、中山岩太は見たかったし、どうでもいい風景写真を2,3人カットして大倉俊二、中村正也、藤井秀樹のヌードと、三木淳や英伸三や早崎治のオリジナル、近年の女性写真家の作品も見たかったなあ。

一方、須田一政や木村伊兵衛、秋山庄太郎など、何故この写真と思いました。
田舎者は情報に飢えているのです。(笑)

 裂かれし獨活(うど)のごとくわれ立つ 寫眞展、キャパの<倒れる兵士>の眞下   (塚本邦雄:日本人靈歌)

ふつつかにして

また不要不急の移動、外出は”遠慮”(自粛)だそうです。
12年前の今ごろはとなりの県、甲賀とノリタケの森で遊んでました。

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季節外れですが、
 噴水の根より涸れける二月盡ふつつかにしてみどりごを得つ   (塚本邦雄:されど遊星)

を奪ひ

脳トレだけです。

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年寄りの三種の神器が自慢話、説教、愚痴だということを初めて知りました。
あるところに、『「年寄りの三種の神器」と見なされるがゆえに「自慢話、説教、愚痴」をするまいと努める老人たち、センセたち、親爺たちほどつまらないものはない。そこには、人に嫌われまいとするチマチマした根性が見えて、醜い。』と書いてあって、身にそぐわぬ精神的清貧など、気取らぬに越したことはないと言われてスッキリしました。

そこには最後に、『なにかと言えばくり返し思い出すことにしているバロウズの言葉を、もう一度、復習。「明らかに道だとわかる道は、ほとんどいつも、愚か者が通る。真ん中の道、つまり中庸、良識、慎重な計画という道には注意するがいい」(『ウエスタン・ランド』)。』(駿河昌樹 トロワテ二〇〇八年二月)とあったので、写真に狂っているpithecantroupusも救われそうです。

「裸のランチ」の著者に敬意を表して、「裸」で、
 赤裸の鹽田夫迫りてわが煙草より炎天へ火を奪ひ去る   (塚本邦雄:日本人靈歌)

恍惚と眩暈(めまひ)

気分転換という言い訳で半恍惚の脳トレ中、なお、です。
10年以上前の写真だけでは本当にくるってしまうので、きのうと同じく撮りたての写真をまず一枚。
何が写っているか分からないのは、脳トレですから。

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14年前の「むかしはものをおもわざりけり」写真。脳だけでなく目までかすんでますが、半分恍惚ですから。(笑)

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 鐵棒の夜の大車輪恍惚と靑年はあり 永久(とは)の眩暈(めまひ)よ   (塚本邦雄:驟雨修辭學)

ふかく彫りたれ

気分転換継続中で、むかしむかし会ったとさ。

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お口直しにお隣り庭の盗撮も。

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先週金曜日に岡田斗司夫「ネットのウソを見抜くのはもう無理? 「真実」より「信じる」を選ぶ時代」から引用しましたが、かれの言っているのは理性と感情ということであって、感情が多数に共有している状態を”文化”と言っているように理解しました。


文化と言えば、最近ネットで、タトゥーを入れた女性をモデルにしたヌード写真がよく出てくるのですが、pithecantroupusは抵抗感があります。それを文化とする人々もいるし国もあるのですが、メイプルソープは別格として、同じような水準の写真ならタトゥーがない方が好きです。
あるところに、「タトゥーぎらい」(神庭亮介)という連載があって、公衆浴場のタトゥーお断りのルールについて書いてありました。記事の解説(神庭本人でなく連載の編集者による)に、

世界中で伝統文化として認められ、ファッションとしても受け入れられているタトゥー。ひるがえって日本ではどうだろう。 彫り師は相次いで摘発され、タトゥーを入れた芸能人は容赦ないバッシングにさらされる。他人の身体やアートの領分なのに、激しい感情が噴き出すのはなぜなのか? タトゥー批判を読み解けば、お節介で過干渉な日本社会の歪んだ「優しさ」が浮かび上がる。新聞とネットをまたにかけてサブカルチャーを追い続けてきたジャーナリストが提示する、窒息寸前社会のためのYESでもNOでもない第3の選択肢。

pithecantroupusも小さいころ通った銭湯でよく彫り物の入った老人を見たし、いたずらでやったとしか思えない下手な線の入れ墨を背負ったチンピラもいました。でもみんな行儀よく入浴していたけど。(無関係だけど、東京都が女湯に入る男児の年齢制限を設けたニュースもあったような。)


 神無しと心にふかく彫りたれば額たゞに射す寒の夕映え   (塚本邦雄:歌誌『靑樫』)

ゆめにサクラ

気分転換に14年前の古写真をひきずりだしてペタッです。ちょっと前に『「むかしはものを思わざりけり」で使い物にならないものばかりです。』と書いたことを再確認しただけでした。グルグルしてごまかしました。(笑)

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季節のものなので菜の花も一枚。

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 博物館へ鼠捕り器を見學に行くとか 夢に櫻二分咲き   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

ただよう昼

パッとした写真が撮りたいなあ。貧乏所帯はのこり物ばかりです。(涙)

お隣りを盗み撮りしたヤツ。
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友達のウォーキングの後ろで撮ったヤツ。

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テレビ放送で4月初めからずっと気になっていることがあります。
4月2日に何気なく見ていたNHKニュースで、ニュースの見出しに使われている引用符(”や’)に引っかかりました。

ローマ字での引用符のルールなども検索したりしていますが未解決。
きっとNHKだから明確なルールがあるのでしょうが、面倒臭いので疑問はモヤモヤで放置してます。
きのう放送禁止用語に言いよどんだので書いてみました。

 言葉みだれて深緋(こきひ)のひるを漂へり羨(とも)し夭死(えうし)の死後の快樂(けらく)も   (塚本邦雄:靑き菊の主題)

のぞまざるまま

お隣りの庭から一つだけ飛んできてありがとうの写真とサクラの残渣で。

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山崎努「柔らかな犀の角」からサクラの話を引用します。

 ・・・ 社会の役に立つ職種を優先順に並べると、画家や俳優はだいぶランクが低いと思う。無用ではないが必須でもない。その按配が僕にはおもしろい。・・・ 木内昇の『若荷谷の猫』(平凡社)は、(無用ではないが必須でもない)きりぎりす系の人物が群をなして登場する短篇連作集。

 ・・・ 染井吉野は江戸彼岸桜と大島桜を掛け合わせた変種なのだそうだ。この桜を作った男が出てくる(染井の桜」)。 ・・・一斉に咲いて見事に散るのが染井吉野の特徴で、江戸の人たちは自身の生き方になぞらえて大いに愛でたというが、勇ましい軍歌を聞いて少年期を送った者としては、これもいきさか気持が悪い。散り方はいろいろあったほうがいい。別の登場人物が、桜は少し派手すぎるよ、散り方も殺生だ、と述べる。同感。 ・・・(山崎努「柔らかい犀の角」より『魔術、異端、めかけ』から)


章の題が『魔術、異端、めかけ』となっているのですが全て出てくるわけではありません。「めかけ」という言葉はきっと放送禁止用語だろうと想像して、公刊に際して文をいじったのではいかと想像をたくましくしています。

 妻妾(さいせふ)に死水取らす栄耀はのぞまざるまま木賊(とくさ)に新芽   (塚本邦雄:黄金律)

われは偽

もう五年もたったのかと感じます。
お城ができたからと言って復興が終わったわけではないと、きょうは白い花でこの気持ちを。

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先日、フェイク・ニュースのことを書いたのは”西郷隆盛生存説”を読む前にこれを読んだせいです。

 ・・・僕は「(フェイクを排除しようという)こうした努力は無理筋だ」と思っているんです。・・・
 それどころか、「ウソよりも真実を信じろ!」と相手に強制するのは、近未来社会では「マナー違反」になってしまうかもしれません。「宗教より科学を信じろ!」と言うのと同じで、傲慢とまでは言わないけど、みんなに要求するのは無理がある。
 ・・・フェイクニュースを受け入れることが「文化」になりつつあるんです。
 
 (僕たち人間も他者を見た目で判断している、という真実に対し、僕はそんな人を見かけで判断するような人間じゃない!という)反論は「ウソ」なんでしょうか? 「真実」を見たくないから、「ウソの建前」を信じ込もうとしているんでしょうか?
 そうではないと思います。僕たちは、「どの文化を信じるか」を選択している。自分の取り入れたい文化を選択する、そんな世界を生きているんです。(岡田斗司夫「ネットのウソを見抜くのはもう無理? 「真実」より「信じる」を選ぶ時代」)


たしかにトランプにとってフェイクか否かなんて問題ではなく、支持者が聞きたい言葉かどうかが問題だったのだろうと思います。


 算術のつたなきわれにアラビアの牝馬がくはえ來し偽金貨    (塚本邦雄:透明文法)

世の終焉

あたたかくなってきたので今年も隣の庭のお花を盗み撮りです。

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先日の残りものからもひとつ。

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雑誌「アサヒカメラ」に続いて「日本カメラ」も休刊だそうです。「写真が趣味」といえる時代が終焉しそうで寂しいかぎりです。

晶文社のサイトに、身につまされるようなことが書いてありました。
『「できる/できない」の間で迷ったり、不安を感じたり、無力感を持ったりしながら生きている。・・・レビー小体病という「誤作動する脳」を抱え、・・・「できる/できない」の間を自在に旅するエッセイ。』だそうです。(晶文社スクラップブック 樋口直美「間の人」
そこに、

 記憶が残らなくても、自分の頭のなかにあるものは書ける。書けば、それは消えることなく記録される。

とあったのに救われる思いでした。写真を撮れば残るのだと。


 世の終焉(をはり)、否、身の涯(はたて)、慄然と巴里北驛(ギヤール・ド・ノール)の塵芥箱(ごみばこ)のリラ   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

死んでない、真でない

いつもの”何撮ってるの”です。撮った本人にも何故撮ったのか記憶にありません。半恍惚のせい?

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もう遅いかもしれませんが、サクラの残りものも。

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トランプといえばフェイク・ニュースというのは真ですが、フェイク・ニュースといえばトランプというのはかならずしも真ではないということは、数学で集合の問題として習ったことでした。もく星号もあったし大本営発表もありました。
でも西郷隆盛がシベリアで生きていて、ニコライ皇太子と一緒に戻って来るという噂があったことは知りませんでした。
ニコライが警備の津田巡査に襲われた大津事件は、

 津田は「西郷がニコライと帰国して政権を握ったら、自分が西南戦争の戦功で与えられた勲章が剥奪されてしまう」と信じて事を起こしたというのだ。
 じつは新聞各紙では、そうした噂がたびたび報道され、さらに四月七日付の『朝野新聞』は、西郷生存説を聞いた明治天皇が「隆盛、帰らば、それ、かの十年の役に従事せし将校等の勲章を剥がんものや」と戯れたと報じた。
 これが津田の凶行を誘発したというのだ。
晩節の研究 偉人・賢人の「その後」 河合敦

という話に、当時の露国に対する国民感情が想像されました。
事件の5年後に起こった明治三陸大津波のとき、露国が攻めてくるという風評が流れ、かの国からの援助物資を拒否したという話をどこかで読んだ記憶があります。


 大本營發表「連勝」その頃の無數の死者かこの寒鴉   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

さくらさらさら新緑に

サクラをひと休みして目先をかえようと朝三暮四の試み。
あっ、サルあつかいしているわけではありませんから。そんな失敬なことはしません。(汗)

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 六合(りくがふ)に曇れる櫻(さくら)さらさらに人をうらむることあらざれど   (塚本邦雄:繪暦 花蝶日月)

他界よりきたれり

名残りのサクラ、つづきです。

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 山櫻うすら冷えつつ遠ざかる夜を他界よりきたれり言葉   (塚本邦雄:詩歌變)

「岸辺の旅」(湯本香樹実)を最後まで読みましたが、解決しない推理小説を読んだみたいな気分です。
黒沢清監督の映画を見たときもスッキリしないので本を読み始めたのでしたが、ますますモヤモヤ。
死んだ夫が現れて、あの世から来た人々と邂逅しつつ二人で旅を続け、最後に夫は再びあの世に行ってしまうのですが、何故旅をしたのかpithecantroupusには分からないのです。
pithecantroupusの脳みそのせい。半恍惚のせいで分からないだけなんですが。

ながらえて

ウォーキングに行く友人の後ろについていってご近所の公園でパシャッパシャッした名残りのサクラです。

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 ながらへたる母と姉との毒舌のうまみ夕櫻の白きこと   (塚本邦雄:詩歌變)


『させていただく』という言葉遣いについて、言語学の椎名美智法大教授がインタビューで応えていました。

「させていただく」に感じる違和感は、その言葉が本体は相手からなんらかの許可や恩恵があるときに使う言葉なのに、「このたび本を出版させていただきました」のように対象となる「あなた」がいなくても使われるからだそうです。

その記事の中で、「させていただく」への違和感が全般的に低いのは20代、次いで60代以上だそうです。
若者の方は営業や接客や組織管理といった会社社会への経験がより少ないからだろうとpithecantroupusは想像しましたが、高齢者の方は、もしかしたら「おれは偉い」という思い上がりが強いせいではないかと感じました。

そういえば、無意識に「上から目線」の言葉遣いをしている同世代者がいるなあ。知ったかぶりしてチョイ勘でもの言って。
他山の石か?

立ちすくむ四月

サクラをあまり撮れなかった欲求不満に、むかしのサクラ写真を探しましたが、「むかしはものを思わざりけり」で、使い物にならないものばかりです。(涙)
無理矢理10年以上前の写真を探してペタッ。

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聖火リレーが走っているので、
 遠き彼方の壁の上には灰色のヒトラーが立ちすくめり、四月   (塚本邦雄:汨羅變)

以前にも書きましたが、pithecantroupusはコロナと無関係に、オリンピック開催に反対です。
あるところに、
 日本のスポーツ産業の市場規模がものすごく小さくて5兆円程度の規模を15兆円程度まで増やせるはずだと。『体育』行政では成長産業にならないから『スポーツ』行政に変えるためにスポーツ庁をつくらないといけない。行財政改革が叫ばれる世の中で新しい省庁をつくるには、五輪を呼べばいい。こういう発想ですよ。それまでプロスポーツは経済産業省、体育は文部科学省、体育館やスタジアム建設は国土交通省、障害者スポーツは厚生労働省と分かれていた。1964年の前に制定したスポーツ振興法はプロスポーツやパラリンピックについて全く書いていないから、それに代わるスポーツ基本法をつくらないといけない。そうして法律が変わり、スポーツ庁ができ、体育の日がスポーツの日になり、日本体協が日本スポーツ協会になり、国民体育大会が国民スポーツ大会になる。・・・スポーツ産業の市場規模は今、大体8・3兆円だったかな。(2025年目標の)15兆円までもうちょっと。私は今度の五輪で、『体育からスポーツへ』というのが一番の目的だと思っていて、日本はその通り進んでいる。・・・
という記事があって、ウソかホントか分からないけど、腹に落ちました。

イギリスが40%以上、アメリカが30%以上、ドイツで10%以上のコロナワクチン接種率が、日本では1%以下。
医療の人材や施設といった資産がオリンピックに動員されるでしょうが、それで一般市民は大丈夫なのかと思うのです。

時のきりぎし

きのうは生殖器から蜜がしたたる猥褻な画像を無修正でのせてしまったことを反省中です。
あの世とこの世の境が曖昧な小説に頭が混乱して、同じ花の盛と衰を二重露出で撮ってしまいました。

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ふつうの二重露出も一枚。

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先日昔話法廷「桃太郎」のことを書いたとき、どこかで同じような桃太郎を聞いた気がしていましたが、いつも面白い知的刺激にとんだバーソさんのブログ『バーソは自由に』で読んでいました。福沢諭吉にこんなところで会おうとは思いませんでした。

福沢諭吉が息子たちのために書いた、全文平仮名の「ひゞのをしへ」に桃太郎がでてくるそうです。
内容を現代風に書き換えると、

 桃太郎が鬼ヶ島へ行ったのはお宝をとりにいったという。けしからんことだ。
 お宝は、鬼が大切にしまっておいたもので、鬼のものである。
 所有者のあるお宝を理由もなくとりに行った桃太郎は、盗人ともいうべき悪者である。
 もし鬼が世の悪者で犯罪者ならば、桃太郎が勇気をふるって懲らしめるのは大変良い事であるが、
 お宝をとって持ち帰りおぢいさんとおばゝさんにあげたのは、たゞ欲のための仕事で卑劣千万だ。


 桃太郎の眞紅の繪本ころがれる夜の疊、ここに時間(とき)の斷崖(きりぎし)   (塚本邦雄:日本人靈歌)

にがきミツ

ミツはダメです。ツバキがミツを垂らしてしましたがうまく撮れません。

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「考える人」サイトの連載「最後の読書」(津野海太郎)に、『高級な読者と低級な読者』という題をつけた回があって、「高級」な本を読む「高級」な読者になろうと努力することが当然だった(著者が青年だった)時代から本が読まれなくなった現在まで延々と回顧されています。
そこに、

・・・(読書が下り坂になっていった)おなじころPTAや「日本子どもを守る会」などが、駅のプラットフォームやバス・ターミナルに白いポストを設置し、永井豪の『ハレンチ学園』などの「俗悪マンガ」に代表される「悪書」をそこに自発的に廃棄することを、しつこく呼びかけていた。そういう時代でもあったのです。

と書いてありました。『ハレンチ学園』は面白かったなあ。ケッコウ仮面なんてのもあったなあ。
ケッコウ仮面の実写版動画をダウンロードしてどこかのHDに保存してあるはずだけど、終活のときに忘れずに削除しなくては。

 電工の汗銅線にみちびかれ地(つち)にしづくす このにがき蜜   (塚本邦雄:星餐圖)

光あざけらし

きのうは美的感覚を疑われるような写真でしたが、pithecantroupusにはあれが正常感覚なのです。
きょうもまた、狂った脳が邪魔をします。

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きのう言及した「岸辺の旅」は、テレビで黒沢清監督の映画を見て読み始めました。
映画で印象的だった場面が小説では書かれていなかったりして驚きながら、面白いのでゆっくりとちょっとづつ読んでいます。
あるインタビューで監督が画面サイズについて、

記者 “死んだ”優介と生きている瑞希の距離感が絶妙でした。今回初めてシネマスコープサイズ(シネスコ。縦横比1:2.35)で撮影したのも、そういった効果を狙ったからですか。

黒沢 そのようにおっしゃってくれればうまくいったのかなと思うんですけど、シネマスコープサイズは深く考えて選んだわけではありません。人間が1人だとスタンダードサイズ(同1:1.33)もいいのですが、2人だと、ビスタ(同1:1.85)が映画のサイズとして一番いいとかねがね思っていました。でも、いつの間にかビスタサイズがテレビのサイズになってしまったんですね。それで今、テレビでやらないサイズって何だろうと考えたら、スタンダードかシネスコしか選択肢はない。スタンダードは昔やったことがあり、それに戻ろうとは思わなかったので、どうなるか分からないけど勉強だということで、無理やりシネスコに突入していきました。ですから、ワンカット、ワンカット悩みながら、2人の距離感がこうなるのか、ビスタとだいぶ違うなと試行錯誤しながら進めていきました。


と応えていました。写真を撮るときにいつも距離感とレンズで悩むpithecantroupusに何かのヒントにならないかなあ。


 映畫果てて出口の光あざけらし疾く出よマクベスの妻が來る   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

つばきの下に

他の人たちのサクラ写真をうらやましいなあと見つつ、pithecantroupusは庭の”ゴミ”で写真を撮りました。
一瞬美しいと思ったのですが、見間違いだったようです。
亡くなった夫と旅を続ける小説(岸辺の旅)を読んでいるせいで、命を失ったものがきれいに見えてしまったのかもしれません。

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 一片のわが漆黑のこころざし童女海石榴(つばき)の下にほほゑむ   (塚本邦雄:詩歌變)

天使に責められて

いい年をして叱られてしまいました。
不養生もいい加減にせい! と。
叱ってくれたのは”今日の天使”だったかも。
反省、いえ、謹慎中。

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まったく季節外れですが、
 夏いまだ童貞の香の馬を責む戀いつの日に解かるる魔法   (塚本邦雄:されど遊星)

あと一日だけ静養

あと一日。あすは休んでおれないので。

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なお休診

不義理を重ねるpithecantroupus.

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休診中

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来ていただいた方々のブログを訪問も拍手も投票もせずにすみません。

本日休診

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