2021/04/30
苦手科目の勉強中
ご近所のフジの撮影に誘われました。花は苦手なんだってば!


昨年あいちトリエンナーレで話題をつくった東浩紀が編集長をしているゲンロンαというサイトから、飯沢耕太郎と大山顕の対談の一部を引用します。(写真家から写真経験へ──飯沢耕太郎×大山顕「写真はほんとうに人間を必要としなくなるのか」イベントレポート2020/07/02)
大山はそれ(写真経験という視点の提起)を承けて、たとえばInstagramではおしゃべりをするように写真が使われているが、まさにこのプラットフォーム自体が面白いのだと指摘する。これはまさに現代の「写真経験」だといえる。プロフェッショナルの写真作品は、いまや「写真経験」のメインストリームではなくなった。・・・
飯沢はそれに対して、・・・「写真経験」だけで写真史を書くことはむずかしい。写真が日本に定着する明治初期までは「写真経験」で歴史を書けるかもしれない。しかしそれは、そのとき「写真家」がいなかったからだ。その後の写真史はどうしても写真家の歴史になってしまう。写真家の写真経験は、一般人のそれより深さと奥行きを備えていると飯沢はいう。
先日、写真展を見に行ったせいか、pithecantroupusには、プリントとディスプレーの画像は別の物という印象です。さいきんの飯沢さんは切れ味がもうひとつだから、大山さんの話を真剣に聞いた方が勉強になるかなあ。でも、そんな勉強でpithecantroupusの写真は進歩しないだろうなあ。
涙そそぐ木の夕影になびく藤きみは寂しき死をねむる蝶 (塚本邦雄:寄花戀)