三月のむなしさ

よそ見写真とサクラの残りもので。
苦手と分かっていても花が咲いているとつい撮ってしまいます。

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 あかつきは野に花色の靄(もや)立つと告げつつ三月のむなしさを    (塚本邦雄:花にめざめよ)

三月も終わりですね。
カレンダーがあってもなくても毎日に変化はないのですが。

あすは「馬鹿」になってもいいんだ。
素のpithecantroupusのままでいいんだ。
一年に一日のpithecantroupusのための日。

緑なりき

きょうは、不得意な花から逃避して撮った写真で。
当然のように、『なぜこんなの撮ってるの』写真、です。

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逃避しただけでは、くやしいのでサクラも一枚ペタッ。

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 豹 檜 冰室(ひむろ)の冰 硝子工 すはだかを最高のよそほひとす   (塚本邦雄:感幻樂)


 先日も引用した『図書』2021年3月号から、

 イギリスの労働者階級(ワーキングクラス)の人々といえば、日本人にとって、どんなイメージだろうか。ステレオタイプとしては、パブでビールを飲むおじさん、若いシングルマザー、あるいは公営住宅地にたむろする礼儀知らずな若者たちだろうか。ゼロ年代に「チャヴ」(chav)という言葉が誕生して以来、「無礼で、攻撃的で、教育レベルが低く、特定のファッションを身に着けている」労働者階級の人たちを指すようになった(ロングマン現代英英辞典)。・・・

 ブレイディみかこ氏は数々のエッセイで、そういうステレオタイプとは違う、血の通った労働者階級の若者やおじさんの人間模様を描き出している。たとえば、エセックス州のパブでビールを飲んでいたサイモンと彼の甥っ子の会話はじつにリアルである。ある日、サイモンが路上生活者に財布からあるだけの硬貨を渡した。そんなのドラッグを買う為に物乞いをしているんだから「渡すべきじゃないよ」という甥っ子にサイモンは「まあ理屈でいえばそうなんだろうけどな」と留保しながら、こういった。「お前らの世代は、何でもそういう風に合理的に片付けようとするけど、人間が生きるって、それだけじゃないからな」(ブレイディみかこ『ワイルドサイドをほっつき歩け』)。
 ブレイディ氏のエッセイを読んで、イギリスの労働者階級の人たちに親近感を覚える読者は少なくないだろう。サイモンはこうも言っている。「サッチャーの前の時代までは、純粋なベガー〔物乞い〕っていなかったよな。路上でカネをくれって言う人々はたくさんいたけど、七〇年代ぐらいまでは、何かと引き換えだったもん。(中略)物乞いっていうより、路上商売だったよな、あれは」(同)。・・・
(小川公代「ラッドリー家の人々――文学を愛する労働者階級の人たち」)

イギリスの労働者たちが実は豊かな精神生活を送っていた様子に心動かされます。
ジョン・フォード『わが谷は緑なりき』を思い出しました。すきな映画です。

堂に花の

よそ見写真をつづけている間にサクラがどんどん開花してきているので先週水曜日の残りものを大急ぎでアップです。

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村の辻にあったお堂もパシャッ。罰が当たらいかなあ。

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 春寒のこころあやふき絵馬堂にかきいだかれて花の敦盛   (塚本邦雄:花劇)

今日も朝からテレビを見ていたら、NHK教育テレビに白石加代子、佐藤浩市、天海祐希といった人たちが出ていたのでビックリしました。(もっと若い俳優も有名な人のようですがpithecantroupusはそちらにはうといので。)
昔話法廷「桃太郎」
しかも脚本が「JINー仁―」や「天国と地獄~サイコな2人~」の森下佳子という豪華さです。

子ども向きの番組ですからこれでいいのかもしれませんが、いわれない差別とか、ネットいじめといった要素もあって、時間の短さがもったいなかったです。

マドンナ・コード

きょうもよそ見写真です。

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サクラに申し訳ないので、一枚ペタッ。

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 春秋社のWEB春秋“はるとあき”に連載されている「ソウセキ・コード――『明治の御世の「坊っちやん」』付論 古山和男」は、漱石流“ダ・ビンチ・コード”をいろいろと解説してくれています。
たとえば、『漱石の小説では「女」と書かれた人物は幽霊、それも日露戦争で死んだ兵士の霊魂であることが多い。』として、いくつか小説の登場人物を紹介しています。その連載第5回から。

 『坊っちやん』の「マドンナ」は一言も発しないが、「うらなり」と「赤シやツ」に絡む重要な人物である。具体的な説明がないこの「女」の正体も、行間から読み取ることができる。
 「マドンナ」に対する「坊っちやん」の第一印象は次のようなものである。
〈何だか水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握ってみた様な心持ちがした〉・・・


このあと謎解きをして、『「マドンナ」は旅順口の怖い亡霊と読める。』と続けたうえで、

 〈「あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちや。いい画が出来ますぜ」と野だが云ふと、「マドンナの話はよさうぢやないかホホホホ」と赤シやツが気味の悪い笑ひ方をした〉のも、「マドンナ」が「岩の上」に立つ「女」であるからである。「岩」は「二百三高地」の現地名「後石山」と読める。つまり、漱石が言外に伝えているのは、「赤シやツ」にとっての「気味の悪いマドンナ」とは、旅順口で死んだ兵士が「女」となって現れた「迷える霊」の「迷女」ということである。
 そして、「野だ」の言に対して〈なじみの芸者を無人嶌の松の下に立たして眺めて居れば世話はない。夫れを野だが油絵に書いて展覧会へ出したらよからう〉と「坊っちやん」が言うように、『三四郎』では、美穪子という「マドンナ」の画が展覧会で公開されることになる。


pithecantroupusには、岩の上のマドンナは、ラファエロの聖母像から離れて言葉だけでみると、ローレライのように見えます。一方、無人島のマドンナはサイレーンのように見えます。


 若狭の實家より應(いら)へなしかぎろひの幽霊を飼ひはじめたるか   (塚本邦雄:不變律)

今日もなほ

サクラ撮りに行ってのですがアマノジャクですから。

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仙台市に暮らす作家佐伯一麦が『図書』3月号に書いた文をWEBで読みしました。

 集合住宅の自宅の狭い庭には、枇杷の若木がある。「枇杷晩翠」という言葉があるように、多くの樹木が葉を落とした冬景色のなかにあって、艶やかな葉の緑が目立つ。昨年の晩秋に初めて咲いた白い花が、実を結ぼうとしている。

 その枇杷は、東日本大震災の前年に、作家の木山捷平のご子息の萬里さんから送っていただいた長崎名産の「茂木びわ」を食した後、種を五つほど試しにと植木鉢に埋めてみたのがはじまりだった。やがて芽が三つ出て、窮屈そうに葉を伸ばすようになったので、庭の東隅の側溝近くへと移植した。その後、この土地はすぐに震災に見舞われることとなった。
(中略)
 そうして昨年、三メートルほどの背丈となった枇杷の木が、十一年目にしてようやく蕾を付けたのだった。「桃栗三年柿八年枇杷は九年でなりかねる」という諺を実感した。
(後略)
(十一年目の枇杷 岩波書店『図書』2021年3月号)


桃栗3年柿8年は知っていましたが、枇杷は9年でなりかねるは知りませんでした。無知なpithecantroupus。
いや、以前どこかで聞いたような記憶があるような、ないような。半恍惚のpithecantroupus。
頭の中になかったのですから、過去に聞いていたとしても無意味ですね。愚かなpithecantroupus。

 枇杷啜りつつ屋上に突佇(つつた)てる父今日もなほ歩哨のごとし   (塚本邦雄:汨羅變)

信うしなひ果て

サクラを撮りに行きながら素直になれないpithecantroupus。

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よく訪ねるサイトのちょっと以前の記事から、

 インターネットの時代になってから、不思議な誤差を含む言葉に触れる機会がさらに増えた気がする。以下は、たまたま見かけたネットニュース記事からの抜粋である。
 同社は、20歳以上の未婚男女416人を対象に、野菜の好き嫌いと恋愛の傾向についても調査を実施。野菜の好き嫌いと生活についての調査結果らしい。

 ブロッコリーが嫌いな人で、一日に一〇時間以上働く人の割合は、全体平均(12.8%)を上回る20%だが、本当は四時間未満しか働きたくないという人の割合も平均(12.3%)を上回る20%となっている。ブロッコリーが嫌いな人は、長時間働いているにも関わらず、本当はあまり働きたくないと思っているようだ。

 3年以上交際したことがある人の割合は、じゃがいもが好きな人では26.9%だったが、じゃがいもが嫌いな人では13.8%にまで下がった。
 また誰とも付き合ったことのない人の割合は、じゃがいも好きで23.5%、じゃがいも嫌いで14.7%。逆に10人以上と付き合ったことがある人は、じゃがいも好きで11.8%、じゃがいも嫌いで23.5%だった。
 じゃがいもが嫌いな人は、多くの人と短期間の交際をする傾向にあるようだ。

 トマトが嫌いな人の半数近い41.2%が交際人数0人という結果に。さらに付き合ったことがある期間も6か月未満が35%となっている。トマトが嫌いな人は恋愛ベタなのかもしれない。(webちくま 穂村弘「絶叫委員会」第129回 夢の中の言葉 より)


ネットに書かれていることを信じやすい年齢に達したpithecantroupusは、気をつけよう。
そんな知識を知ったかぶりして広めるのは恥ずかしい。


 人の信うしなひ果てて炎天の薄き屋根瓦に水撒ける   (塚本邦雄:装飾樂句)

らんるとならむ

きのうのサクラはたくさんの見物客が訪れていて、ほとんどの人がスマホで写真を撮っていました。
あちらのほうが素直できれいな写真が撮れているんだろうなあ。
素直でない写真、自己中心主義の写真を。

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ノキシノブの歌を見つけ損ねて、「のき」で、
 西日の檐(のき)に吊されしまま洋傘(かうもり)が襤褸(らんる)とならむ靑年の死後   (塚本邦雄:日本人靈歌)


長田弘「対話の時間」から、
長田が、全編引用でできたW・H・オーデン『ある世界』という本を紹介したのを受けて、鶴見俊輔が、

 亡命する直前のヴアルター・ベンヤミンの言葉を思いだすんだ。「自分はいまは二百ほどの引用文をもっている。だから自分はゆたかな感じがする」。びっくりしたね。二百の引用文が発想のもとになって、ものを書いているわけ。いろんな本から慎重に考えぬいて書きぬいた、その二百があれば、自分が使える伝統をもっていることになるんですね。

 これさえあれば国境を越えてどこでも適用するわけ。それがいまならば、コピーというとんでもないものができたおかげで、自分のノートをつくるのに版権やなんだと交渉する必要がないわけだから。自由にとんでもない本を、一人一人がつくれる。

 わたしもいまの容れものでたもてなくなったら、そういう一冊の本をつくりたい。そこにかならず入れたいのは戦陣訓です。気になってしょうがないときがある。あれだけは忘れたくないから、もう。

 わたしは、「逆の遺産」「負の遺産」にもこだわる。忘れまいという気もちから、自分のアンソロジーには、シェークスピアなんかはいいから、戦陣訓のコピーだけは携えてゆきたい(笑)。・・・(『「よいわるい本」のすすめ』)


「いまの容れものでたもてなくなった」と自覚して始めたのが「もうろく帖」でしょうか。
“Age of Pen”で引用が多くなってきたのもpithecantroupusの記憶力があやうくなってきたから。
頭が固くなってきているから賢人たちに学ばなくては。
写真もひとの撮ったのをたくさん見て脳をほぐさなくては。
あっ、無理しなくても脳はすでに軟化している自覚があります。(笑)

緋の郵便ポスト

ひさしぶりにお仕事に行ってみようかなと準備していたら、いつもの友人からサクラ撮りにいこうというお誘いがあって、バッグの中身をカメラに入れ替えて、仕事よりも写真を選んだpithecantroupusです。

ということできょう撮った写真を。

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いつものことですが、サクラを撮りに行ってよそ見をしてしまい、郵便ポストを撮ってきました。

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 黄昏の聖母廣場(プラサ・マリア)に眠りゐる緋の郵便車の引掻き傷   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

行ったのは三重県の北方、北勢町貝野という集落です。
この地方についていなべ市観光協会のWEBに、「桜番所跡」という紹介があったので引用します。
 養老山地を境に岐阜県と接する北勢町には、古来「濃州通路」と呼ばれた美濃国への道がいくつもあり、その要路には「番所」といわれる関所が設けられていた。こうした封建時代の関所の面影を残すのが、北田番所跡、通称「桜番所跡」。杉の老木に囲まれた「桜番所」は、現在「多度山系ハイキングコース」の北勢町側の終点となっている。古びた鳥居や道祖神を見ていると遥か昔の人々の心が偲ばれる。

きょう撮ったサクラは桜番所と無関係ですが、おおきな枝垂れ桜でした。

生の影

きのうサクラで目くらましをしたので、きょうはミツマタに戻って。

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ミツマタではありませんが春の花に違いはありませんので一枚ペタッ。

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 薺粥(なづながゆ)鍋に浪うち硝子戸のうちに畢りし生の影繪   (塚本邦雄:靑き菊の主題)


鶴見俊輔へのインタビューを集めた本(「ことばに出あう 島森路子インタビュー集②」)を使って、鶴見という人物の面白さを、さすがは役者という感じで山崎努が書いていました。(「柔らかな犀の角」)
その中に、
 賢人(鶴見)は、めげそうになったらテレビの低俗殺人ドラマを見てひと息入れるという。「もっともくだらないものが、しっかりと自分を支える。自分が悪人であることの記憶が、自分を支える。」のだそうだ。僕(山崎)はその手の番組に倦(あ)きるほど出演してきた。しかもほとんどは悪人役で。ひょっとしたら少しはお役にたっていたのかも。
とありました。

もっともくだらないものが自分を支えるというのはいいなあ。
集めたエッチな画がpithecantroupusを支えてくれるんだ。

さらうこころ湧き

辛抱弱い、忍耐弱い、根気弱いpithecantroupusは、ミツマタで三日坊主ももちません。
ミツマタはまた明日(?)ということにして、きょう撮ったご近所サクラで。

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 さくら見えざるその夕つ方楚辞さらふこころ湧ききぬ 天に水音   (塚本邦雄:豹變)


突然PCがダウンして書き終わった記事が”下書き”になったままだったことに気付かず3時間以上たってから”公開”しました。

みつめつつはりはり

ミツマタなおです。

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ミツマタの「みつ」で、
 みつめつつわがこころ羞(やさ)しも晩年のルオーの絵の深傷(ふかで)なすくれなゐ   (塚本邦雄:日本人靈歌)
 種馬がとほきところをみつめつつはりはりと冬の人參嚙める   ( 〃 : 〃 )

すでに2回引用した雑誌「ちくま」の「追悼・鶴見俊輔」に、
 村上一郎の回想に少年時代の鶴見俊輔が一度だけ登場する。
 一九三〇年代の中ごろ、あるラジオ局が・・・将来何になりたいかを答えさせる番組を制作した。・・・大人になったら大将になりたいというのが、期待される回答だった。村上をはじめ多くの少年はそれに倣ったが、ただ一人鶴見だけは、大きくなったら乞食になりたいと、大声ではっきりといった。(筑摩書房PR誌ちくま「頂点は見えない」四方田犬彦)
というくだりがあったのですが、こんな鶴見は好きになれません。

吉本隆明は、
 (村上一郎は)誇りの意識と罪の意識、両方持たされてそのせめぎ合いの中で迫い込まれていった。・・・
みんな、卑怯者で生きていけばいいじゃないかっていうのが僕の考えでしたけど、いくらいってもダメでしたね。・・・
三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地に乗り込んで自決したときに、自分も戦争中の海軍の軍服を着て、「俺も中に人れろ」って押し問答をしたんだけど、「入つては困ります」と退けられて、結局故郷へ帰ってから自殺してしまった。
つまり、僕らは生き残った敗残兵なんです。(吉本隆明「フランシス子へ」より)
と書いています。

吉本といい村上といい、含羞の人だなあと感じます。鶴見には欠けている資質。

赤裸となる

きのうの主目的はミツマタの花でした。

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三椏は和紙の原料なので「紙」で、
 薄紙剥ぐごとき快癒とつたへ來つ剥ぎ終り赤裸となるころか   (塚本邦雄:汨羅變)

赤裸と聞いて因幡の白兎を思い出してしまうようでは、歳が知れますね。
大きなふくろをかたにかけ・・・と、あのころは元気だったし、はだかと歌うのも、少し恥ずかしかった記憶があります。
 ここにいなばの 白うさぎ 皮をむかれて あかはだか

言葉なき思想のす

きょうのついでに写真です。おとなりの市の棚田がある山里です。サクラが一本咲いてました。

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バス停でバスを待っているときにふと、
ネオカ・トウジ・ドウシヤ
という看板が目に入って、一瞬読んで、なんのこんちゃと思ったpithecantroupus。

直前に、『エレベーターガール専用エレベーターガール専用エレベーターガール』(webちくま「絶叫委員会」 穂村弘)という短歌を見たせいです。
戦後一時期売られたネオカというカメラのことを思い出していた老人の恍惚ではありませんよ。

花が異なりますが、
 言葉なき思想のすゑをひきずりて石楠花(しやくなげ)白き山に入りゆく   (塚本邦雄:透明文法)

はなびらに孔

河津サクラを撮りに行って訳の分からん写真を撮ってきました。
折れて残った幹の穴です。

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訳の分かる写真も撮るために、玄関から三歩あるきました。
ついでに美味しそうなツバキのアップも。

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むかし食べたケーキはバタークリームでした。ケーキにはクリームでつくったバラの花が載っていました。
最近は生クリームばかりですが、あのバタークリームをもう一度食べたいなあ。

 はなびらに孔ふさがれし噴水のわれより奪ふものあらば侮蔑   (塚本邦雄:感幻樂)

頭の芯につめた

きょうは電気系で。
また何撮ってるのの類です。

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 ひとの頭(づ)の芯につめたき燈(ひ)ともさむ電柱が建つ沼を渉りて   (塚本邦雄:日本人靈歌)


電信柱や鉄塔が好きです、と書きながら、「電信柱」なんぞという単語は高齢者専用ではないかと疑うpithecantroupus。

毎日新聞の余禄 2019/9/13に、
 「電信柱のトンビ」は「お高くとまっている」という意味である。本来、電信柱は名前の通り通信線の柱で、電線のは電力柱(ちゅう)という。今はともに電柱というが、昔のことわざやたとえではみな「電信柱」だった▲背の高い人は電信柱といわれたし、学校の成績で電信柱といえば甲乙丙丁で評価された時代の「丁」だった。「立っているだけで役に立つのは電信柱と郵便ポスト」と言われたら、ボーッと立っていないでさっさと働けということだ・・・
とありました。

電気記念日は来週の25日だそうです。

春のみだれ

汚名挽回の第2弾、と言えるかどうか、なにせ”ついでに写真”の残りものです。

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 蒼惶(さうくわう)とみ空の縁(へり)をかりがねは去るわが春のみだれ見つくし   (塚本邦雄:豹變)


思わぬ人から久しぶりに電話があったりすると、2月の末にブログに書いた中島らも「その日の天使」を思います。
君は今日の天使だろうか、と。「その日の天使」から前半を引用します。

 死んでしまったジム・モスリンの、なんの詞だったのかは忘れてしまったのだが、そこに”The day’s divinity, the day’s angel”という言葉が出てくる。英語に堪能でないので、おぼろげなのだが、ぼくはこういう風に受けとめている。
「その日の神性、その日の天使」

 大笑いされるような誤訳であっても、別にかまいはしない。
一人の人間の一日には、必ず一人、「その日の天使」がついている。
その天使は、日によって様々な容姿をもって現れる。

 少女であったり、子供であったり、酔っ払いであったり、警察官であったり、生まれて直ぐに死んでしまった、子犬であったり。
心・技・体ともに絶好調の時は、これらの天使は、人には見えないようだ。逆に、絶望的な気分におちている時には、この天使が一日に一人だけさしつかわされていることに、よく気づく。・・・

挽回は正義

汚名をそそぐ一枚で。
雑草の間から一輪だけ咲いたラッパズイセンをツバキの木をバックに下からパシャッ。
枯草におおわれた庭が見えない工夫です。(汗)

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汚名を検索していたら、「汚名挽回は間違いで汚名返上」と書いてありました(goo辞書)。
別のところでは、そんな話は1970年代以降に拡散した「常識」と書いてありました。(三省堂国語辞典編集委員 飯間浩明のtwitter)
もう少しで、汚名挽回を使ってきた自分を完全否定してしまうところでした。

AFPニュースで65歳以上は7倍もネットでだまされやすい(プリンストン大、ニューヨーク大の研究)と聞いています。
pithecantroupusは素直だからすぐ信じちゃうなあ。


”フェイク”で検索したら”ヘク”がヒットして、
 燕麥(からすむぎ)一ヘクタール 火星にもひとりのわれの坐する土あれ   (塚本邦雄:閑雅空間)

椿落ち

同じような写真がつづいたので、玄関から三歩で撮りました。
pithecantroupusの美的感覚が狂っているとおっしゃいますか?

いいえ、手入れもせずに放ったらかしの庭のリアルです。
でも、狂っているよりも恥ずかしいかァ。(笑)

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 下僕ひとりのゆくへいまさら飛火野に椿咲きたり椿落ちたり   (塚本邦雄:豹變)

ひしめく花

変り映えしないのをまとめて3枚です。早く脱出しなければ。

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 香にたちて男ひしめく花しづめさもあらばあれたましひ騒ぐ   (塚本邦雄:摩多羅調)

光いざよふ

想像力の減退を自覚しているのですが、分かっちゃいるけど、どうにもならないです。
きのうも東日本大震災>津波>海の単純思考にからめとられてあの写真、きょうも、震災>慰霊>教会の単純思考です。

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想像力の減退だけでなく記憶力もあやうく、
夕食の準備をしていたら電子レンジに昨夜入れたままの料理がありました。あれ~っ、てなもんです。

 しろがねの光いざよふ鹽竈(しほがま)のうらや妙(たへ)なる潮鳴り聽かむ   (塚本邦雄:カメラ紀行 日本の歌枕一〇〇)

10年で区切っていいのか、と思います。
東京での政府主催慰霊祭も今年で終わりだそうです。
総仕上げなどという言葉が空々しく聞こえます。
避難生活をしている2000人あまりという言葉はありましたが、行方不明の2000人あまりという言葉はありませんでした。
政治は生きている人を相手にしているのだなあ、と感じた瞬間でした。

十年

ブログ以前の写真から5枚を選んで。

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今年も照井翠「龍宮」から引用します。

 朧夜の泥の封ぜし黒ピアノ
 梅の香や遺骨無ければ掬う泥
 それぞれに魂を乗せ鳥帰る
 さよならを言ふために咲く桜かな
 朝の虹さうやつてまたゐなくなる

或る日かなしく

昨日引用した短歌が一年前も引用していたので、一首追加したのですが、これも一年前に引用済みでした。
記憶があやういです。
これでは写真が進歩しないのも当然です。

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メジロが湧くようにたくさんいたのですが、反射神経が劣っているpithecantroupusは遠くから3枚だけ撮れただけでした。
あっ、反射神経はむかしから劣っていたのであって、老化して劣ったわけではありませんよ。

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きょうこそは、
 花冷えの或る日かなしく「車」とふ文字のしくみにすらほほゑみつ   (塚本邦雄:詩歌變)

でも文字のしくみってなんでしょうか、わかりません。
言葉の「仕掛け」なら、最近ネットで読んだ記事に、「なぜ福島原発なんだ」というのがありました。
つまり、ほとんどの原発は女川、美浜、浜岡などと小さな地名でつけてあるのに、福島原発は東京と周辺県を合わせたよりも広い福島県の名前がついている。そう名付けられたために起こった事もあったのではないか、
というのです。

あすは10年目です。
またyahooで、『検索は、応援になる』をするつもりです。

お(も)いて眠る

サクラ撮りに寄り道したはずなのに、また変なもの撮ってきました。老化とは無関係だと思います。思いたい!

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まだ正気が残っている(と思われる)証拠も一枚追加して後日の記録にしておこうっと。(汗)

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ちょっと訛ってますが、サクラで、
 百年先の日本想ひて眠るにも重きかなわが頭蓋骨(オツサ・クラニー)   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

と思ったら、一年前も同じ歌を引用していましたので、
 三月、さくら鍋で中毒うはごとに「後(あと)に続くものあるを信ず」   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

ましぐらに落ち

毎度変りばえのしない写真と、何撮ってるの写真を。
進歩しないですねえ。(笑)

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『GQ JAPAN』 2018年1&2月合併号エディターズ・レター「狂ったピアノがいう。逃げろ、と」から一部を引用します。
坂本龍一を追いかけるドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』冒頭のシーンの話です。

 そこで坂本さんは、津波に流されて溺れたために調子の狂ってしまったピアノを、被災した学校の講堂とおぼしき場所で弾く。最初は様子をうかがうようにそうっと、そしてしまいには叩きつけるように強く。・・・
 津波の「洗礼」を受けたために、人間の観念がつくった音階秩序に整序された調律音を失ったピアノは、「自然の調律」を受けていたのだ、とそのときの演奏経験を振り返って坂本さんは映画のなかで語る。・・・

 あのときの「調律の狂った音」は、人間的な「調律」のもとで人間の耳に飼いならされた音しか出せなかったピアノが、人間の支配と管理から自由になって発した自分の本当の音だったのだ、とおもい直したのである。・・・
 その自然音は、僕には物狂おしく聞こえた。嵐のようにはげしいあの音がわすれられない。・・・(GQ JAPAN編集長・鈴木正文)


支配と管理から自由になって自分の本当を発するというのなら、pithecantroupusはもう本当を発してもいいんだ。だから、子どものような写真を撮っているって? 放っといてくれ!

 女川(をながは)の朝の紅(べに)さす海に向き今ましぐらに落ちきたる鷲   (塚本邦雄:新歌枕東西百景)

くちびるさむし

ご近所のお墓のサクラを。

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dg elmarit 200mm
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dp2 quattro

 慈雨とまことにおもふくちびる花色に泥這ひまはるラガーを見れば   (塚本邦雄:綠色研究)

禁じられし

庭のツバキは赤い花が終わって、白い花が咲き続け、ピンクの花が急に満開になりましたので、きょうは桃色で。

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m.zuiko 30mm 3.5 macro
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m.zuiko 30mm 3.5 macro
武田泰淳「目まいのする散歩」の主人公が散歩をすると、「草木をとってはいけません」「お堀の魚をとってはいけません」「芝生に入らないで下さい」「植込みに入らないで下さい」「七時以後の立入りは禁止します」といった立札がでてきます。

先日引用した雑誌「ビッグイシュー」(2020/07/19)の記事の一節は、「〇〇禁止の貼り紙が阻害する、生のコミュニケーション」とされていて、

 公共施設のいたるところに貼られた「〇〇禁止」という貼り紙こそが、対話を生まない原因になっているのではないかと平賀さん(前県立長野図書館館長平賀研也)が言葉を重ねる。
「『あの貼り紙にそう書いてあるから、これはだめ』と言い、生のコミュニケーションを避け、さまざまなものを排除してしまう現状がある」

これを読んでから、立札が気になって仕方がありません。


季節が違いますが、
 禁じられし遊びの邑に夏ふけて玄鳥の白き胸をなげくも   (塚本邦雄:綠色研究)

あとかたもなき

久しぶりの仕事で帰宅が遅れたので一枚だけで。

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super nokton 29mm 0.8
きのう武田泰淳を引用しながら、吉本隆明が武田が好きと書いていたことを思い出しました。
「フランシス子」で、吉本は亡くなった愛猫のどこが好きだったかという話から、
彼女に似たたたずまいを持つ作家として武田泰淳をあげて、

 なんていうか、忘れがたさっていうのがとても残る去り方なんですよ。あの人の小説も忘れがたい小説で、・・・
 忘れがたいっていうのは、つまり好きってことなんでしょうね。


前に村上龍が語った偏愛についてブログに書きましたが、
吉本にとってフランシス子も武田泰淳も偏愛の対象だったのでしょうか。村上は言います、

 好きという感情には、程度の差はあるが偏愛が含まれる。本当に好きなものに対しては、どういう理由で好きなのか説明できない。理由を説明できるのは単なる「好み」で、必ず趣味的だ。(「櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。」)


 綠靑館驟雨ののちをしづくせりあとかたもなきけさの櫻か   (塚本邦雄:塚本邦雄湊合歌集)

ゆかずもどらぬ

なおサクラ、”ついでに写真”の残りもの。

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dg elmarit 200mm 2.8
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dg elmarit 200mm 2.8
一昨日に、「老いて世間体の歯止めがなくなる」と書きました。
武田泰淳が「目まいのする散歩」で言いたいこと言って、奥様のことを無茶苦茶に書いている(当の奥様の口述筆記)のですが、娘さんについても、

 幼女は、途中の畠などで、ランドセルを背にしたまま、ゆっくりと、よくうんこをした。そのために電車に乗りおくれて遅刻した。
 その畠のどこかに怪しげな自動車が乗りすてられていた。

と、幼児誘拐し殺した遺体がトランクに入れられていた自動車に言い及んでいきます。
ブルッとしながらここを読んだ後、いつもの山崎努「柔らかな犀の角」に『(泰淳の)娘さん写真家武田花が』とあったのを読み、ハッとして武田花を思い出しました。
写真家の武田花が泰淳の娘だと知っていても、「目まいのする散歩」にでてくる幼女が彼女とは結び付かなかったのです。これも脳みそが腐敗しつつある証拠でしょうか。(涙)


初夏の歌で季節が合いませんが、
 ゆかずもどらぬ娘二人をしたがへて獻血にゆく 卯花腐雨(うのはなくたし)   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

まつるべきものあたえ

わが家に女の子どもはいないのですが桃の節句。

 雛祭祀(まつ)るべきものわれにあたへいもうとが美しき燈(ひ)を消す   (塚本邦雄:花にめざめよ)

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m.zuiko 30mm 3.5 macro
ブログ以前の写真も。
むかしは毎年ひな祭りを撮りに行っていました。

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幼児退行進行中

河津桜を撮りに寄り道したはずですが、こんなものを撮るなんて。
子どもみたい、いえ、子どもそのものです。
幼児退行進行中。

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super nokton 29mm 0.8
老化現象は”目”から来るという証拠も一枚。

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dg elmarit 200mm 2.8
いつのまにか饒舌の徒になっています。
あるところ(WEBサイト「考える人」、鶴見俊輔「外伝」の試み)に、井上章一国際日本文化研究センター所長が、

 言論人たちが、老いて世間体の歯止めがなくなったときに、その人の抱えている本性が出てくる──これは、怖いんですよ。私はいま抑えているけれども(笑)、ひょっとしたら、この歯止めが切れたときに……たとえば、とんでもない色ボケになるかもしれない。なりたくないな、と思うんですが、鶴見(俊輔)さんは教えてくれるんです。「いいんだ、いいんだ、それで!」って(笑)。

と言っていたので、饒舌もpithecantroupusの本性なのでしょう。小さなころは「男のくせにようしゃべる。」と言われていましたから。


 萬國旗つくりのねむい饒舌がつなぐ戰(いくさ)と平和と危機と   (塚本邦雄:水葬物語)

愕然として老い

河津桜がつづくので、玄関から三歩写真で目先をかえようという魂胆です。

きょうは歯医者で何度も「はい、大きく開けて」と言われてその都度口を開けて、何回目かの「大きく開けて」で、
いっしょうけんめい目を大きく開けてしまいました。恥ずかしい!

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dg elmarit 200mm 2.8
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dg elmarit 200mm 2.8
 山崎努「柔らかな犀の角」から『ちょっと怠けるヒント』(松山巌)批評の一部を引用します。松山は怠け上手に進化した猫ほどに人間は進化していないから“怠け“を猫に学ぼうとよびかけ、カフカの小説のように”変身“するなら虫よりも猫がいいそうです。
山崎は、その松山の本から『人生に向かって子どものようにアマチュアであること。明るく好きなことを見つけ、子どものように驚く。好きなことを無心で行う』を引いて、

 子どものようにアマチュアで、には大いに共感。正直「ときに」ではなく「いつも」といきたいものだが、それは隠退後かそののちのボケの世界でのお楽しみとしておこう。

と言っています。
子どものようにアマチュアで、明るく好きなことを見つけ、驚き、好きなことを無心で行うボケの世界!
pithecantroupusにぴったりです。

 花の若狭知らず靑葉の加賀も見ずわれに愕然として老い來る   (塚本邦雄:閑雅空間)