みをしづめ待つ

大晦日につき今年一年をふりかえって。
動画が再生しないときは、こちらのリンクをおしてください。



動画だけではさびしいので、おまけもひとつです。一年の最後にしてはもうひとつですが。

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kowa prominar 8.5mm 2.8

 一壜の酢に橄欖(オリーヴ)の果(み)をしづめその死待つ愛の巢の十二月   (塚本邦雄:水銀傳説)

まいどまいど、何撮ってるのであったり、へそ曲がりであったりと、歳と共にますます頭が硬くなりつつあるpithecantroupusにおつきあいいただき、ほんとうにありがとうございました。

来年は『足元が明るいうちに』を心がけるつもりです。
ものさしは『ものごとを、手で抱かえられる、また、足でひょいと跳び越すことのできる、「水たまりの大きさで」』(加藤典洋「大きな字で書くこと」)です。

あといちにち

年内にと思っていたことがとても無理だとはっきり分かりました。
あ~あ。

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これは何。なぜ撮った。だめだ、完全にボケてきた。
と来年には思うのだろうなあ。きっと。

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もうそろそろだから。いえ、ボケのことではありませんよ。
 大祓(おほはらひ)の祝詞(のりと)嗄(か)れつつ拂曉の素戔嗚(すさのを)神社血のかをりする   (塚本邦雄:風雅)

百合あまみ

キッチンのレンジフードの油汚れとお風呂のバスタブの皮脂だけ掃除しました。後はお飾りをしてお正月です。(汗)

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m.zuiko 30mm macro
2021年カレンダーの最終です。
自己満足。

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一昨日、朝からテレビを見てボーっとしていたら、吉永小百合が天海祐希、石田ゆり子と出ていました。pithecantroupusは朝から得をしたような気分でした。安いものです。(笑)


小百合の歌を見つけられないので、「百合」で、
 百合若七回忌の供物とてヴァン・ロゼのたぐりよせたいやうな甘み   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

こうは恍惚の恍

ひと月前に訪れた六華苑の記念写真、いまさらに、です。

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kowa prominar 8.5mm 2.8
カレンダーは、11月末に変更があった7、8月を含みます。

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きょうは12月28日。「もうろく帖」(鶴見俊輔)の1997年12月28日の項に、先日書いた言葉が出てきます。
 狩猟民族は足元が明るいうちに村に帰る。年も年だし、妻の顔がわからなくなってから辞めたくない。
ただ、これを萱野茂が言ったのは1998年なので、どこかで一年のずれが本の方に生じているような気がします。

『妻の顔がわからなくなる』のは、暗くなってという意味でしょうが、もうろく進行中のpithecantroupusには、妻の顔が認知できなくなるという意味にとれてしまいます。切実に。


 恍として犬齒抜かれつ 霊媒に招(よ)ばれし昨夜(よべ)のつゆけき父よ   (塚本邦雄:水銀傳説)

カレンダー四五六月の絵

雑草と、いうのもはずかしい。撮れてしまったから仕方ない、と勝手な理屈で。

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nokton 29mm 0.8

きょうもまた来年のカレンダー(もどき)を。
4月でもサクラではないというのは、アマノジャクの性です。(汗)
かろうじて季節感を一致させようとは努力しているのですが。

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月がちがいますが、
 カレンダー六月の繪は漆黑の霞わが死を待つビアズレー   (塚本邦雄:驟雨修辭學)


「あきらめる」の語源が「明らかにする」だと書いてあるのを読みましたし、ネットで検索しても同じ事が書いてありますが、どの情報を読んでも「諦」と「明」のつながりが納得できません。仏教用語の情報の方は難しくて、一層チンプンカンプンです。
しばらく棚に上げておくことにしようっと。

うめもさくらもない花暦

”玩具写真”をまた。庭の雑草の中からユキヤナギを引きずり出しました。(汗)

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nokton 29mm 0.8

2021年のカレンダーをつくっていたら、11月末に祝日が変更されていたことを初めて知りました。
毎日が日曜日の生活をおくっていると、そうしたニュースにも鈍感になっていたのですね。
もらったカレンダーも手帖も、さすがに11月27日の決定は反映されず、7、8、10月の祝日が間違ったままです。
気がついてよかったぁ。

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2021年1月から3月までをアップして、これも自己満足です。


 わが愛におくれさきだつ花暦わかものの丈たちばなを越ゆ   (塚本邦雄:蒼鬱境)

ますみ

セーフです。年賀状出してきました。
ボツ写真ですが、20代に愛用していたマスミ商会の革張りハードバッグが捨てがたいので。

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m.zuiko 30mm macro

引用は辻井喬母堂追悼のために読まれた歌だそうですが、その最初の3首です。脚韻をつなぐと、『ますみ』になるので、
 おほぞらを映す若水瑠璃色のさざなみたててかをるつかのま   (塚本邦雄:華鏡帖)
 ほほの紅なほあはつけく梨のはな咲けりかなたに夜の潮さす   ( 〃 )
 ときしもあれ薔薇しろたへの夕衣ひるがへりしはわが心のみ   ( 〃 )


ひそけきみな

今年最後の仕事をしてきました。こっそり、あたらしい玩具をもっていきました。何でもない写真ですが、玩具をさわっているだけで幸福なんです。

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nokton 29mm 0.8
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nokton 29mm 0.8

 降誕祭、 この夜ひそけき雑沓のみな低き黄の鼻ばかり 寧(やす)し   (塚本邦雄:日本人靈歌)

なりふりかまわず

年賀状のタイムリミットが迫ってヒーヒーです。
うし年うまれも、宮沢りえ、コマネチ、高野悦子、山口小夜子、美空ひばり、立木義浩、マルコムXと多士済々。
出遅れないようにがんばらなくては。

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zuiko 50mm 1.4
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zuiko 50mm 1.4
写真の”エラー”にあわせて「えら」で、
 一人(いちにん)の刺客を措きてえらぶべき愛なくば 水の底の椿   (塚本邦雄:感幻樂)

後退戦

「もうろく帖」(鶴見俊輔)を読む契機はいくつもあったのですが、その一つがこの記事でした。
ここで紹介されている本の中に「もうろく帖」がありました。引用されていた中に、アイヌ文化振興法を成立させた萱野茂が国会議員を一期で引退するときの、『狩猟民族は足元が明るいうちに村に帰る』という言葉がありました。

足元が明るいうちに。来年の目標にしよう。

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nokton 60mm 0.95
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nokton 25mm 0.95

 檸檬爆彈(レモンばくだん)仕掛けて歸るわかものかねがはくはこの夜靑き霜降れ    (塚本邦雄:天變の書)

ぬけがら

やっと年賀状に着手しましたが、先に進みません。年末までに間に合わないかも。
そういえば、おつきあいの中に、新年になってから賀状を出すという方がみえます。
見倣おうと決心するにはあと2、3年はかかりそうです。

きょうも昨日ののこりもののつづきで。
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nokton 60mm 0.95
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nokton 60mm 0.95
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nokton 60mm 0.95

まえに吉本隆明の「ワンちゃん、猫ちゃん」のことを書きましたが、その部分をもう少し引用します。

(積極的で、粘り通して思いを成し遂げる)ワンちゃん型の人といったらいいのかなあ。
そういう人に会うと、こいつはすばらしいねって呆れかえるっていうか、諦めるっていうか、こっちはわあって感じになりますね。
ただ、ワンちゃん型の人であっても、当初の強さ、積極性が貫徹するっていうことはなかなかなくって、だんだん積極性が失われていったときに、なんとなくその人のぬけがら、残骸が残ったみたいな感じをさせるっていうことも多い。(「フランシス子へ」)

最後の部分の「ぬけがら」「残骸」は、当時の著者にすればマイナスのイメージはないと思います。自分自身が「ぬけがら」で「残骸」であることを自覚していたでしょうから。
pithecantroupusは、もちろん、消極的人間ですから、かれの気持ちが分かるような気がします。

 ヴァレリー忌 きみが叡智のぬけがらの兒はあゆむ肉桂水(につきすい)を捧げ   (塚本邦雄:水銀傳説)


末に残る石

あちらこちら物色して11月半ばの残りもので。

引用も「残」で、
 欅伐らば次なに賣らむ 終末に殘るは石榴石かたましひか   (塚本邦雄:歌人)

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nokton 60mm 0.95
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nokton 60mm 0.95


のちの生

うつらうつらと、冬眠というよりも、半恍惚。いや、50%以上恍惚です。

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nokton 60mm 0.95
水増し用も用意しました。(笑)

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m.zuiko 17mm 1.2

 銀杏(ぎんなん)の綠珠(りよくしゆ)くちびるもて挟み 死ののちの生愉しきや否   (塚本邦雄:汨羅變)

印捺せ

鶴見俊輔「もうろく帖」(編集グループSURE発行)は、まだ「インテリ」の臭味があるように感じて素直に読み進めませんが、奥付に、検印を見つけてほっこりしています。「狸男」とありました。なぜタヌキなのかなあ。

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nokton 25mm 0.95
まだ試行錯誤中です。

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m.zuiko 17mm 1.2

タヌキといえばかちかち山。かちかち山というと太宰を思い出しますが、pithecantroupusには最近何度か見たNHK教育テレビの「昔話法廷」が浮かびました。
wikiで検索したら、テレビ以前に、裁判員制度に係る小学生対象の授業があったとことを初めて知りました。

 生材(なまき)ならべて烙印捺せる男らのむれ 悦樂の園のひでりに   (塚本邦雄:感幻樂)

あたらしき傷ふるき創

サケやドングリが集まらないので、冬眠できません。
冬眠してないけど、脳は先に冬眠中かも。

 眠りは死の妹、こよひあたらしき傷生れふるき創苔色に   (塚本邦雄:水銀傳説)

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nokton 60mm 0.95
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nokton 25mm 0.95


さんぽ前

いっそう寒くなって、これは冬眠するしかないですが、冬眠する前にはいっぱいドングリやサケを捕らなくてはなりません。
それは面倒なので、家の中でゴロゴロです。
玄関から3歩の写真、再び。

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nokton 29mm 0.8
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nokton 29mm 0.8
きょうも水増しの写真を一枚。

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m.zuiko 25mm 1.2
季節が合っていませんが、
 三歩前進五歩退却の詩境にて佇(た)ちつくす暮るる紅梅の下   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

あるところに、こんな記事をみつけました。古井由吉『この道』という小説のことが書いてありました。

 ついこのあいだまで普通にできていた街歩きが、あっというまにむずかしくなった。そんな老化のいきおいに慣れたという意味では、たしかに「何でもないこと」なのだが、その結果、いつしかじぶんがじぶんでない者になってしまう。そこまで「何でもない」といえるかというと、なかなかそう簡単にはいかない。(考える人 津野海太郎「かれが最後に書いた本})

新しき玩具

テレビをつけてもゴーツーばかりで、肝心のワクチンの話がないのはどうしてでしょうか。
大本営発表がゴーツーばかりでワクチンの発表がないのでしょうね、
日本のワクチン対応が諸外国で一番遅れているというニュースをネットで見ましたが。

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helios 85mm 1.5

試行錯誤の中間報告も。

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m.zuiko 17mm 1.2

先週届いた新しい玩具でパチリ。モデルがわるいけど、早く使ってみたかったと言い訳、言い訳。
コントラストが高く、色のりもいいので、解像度が高い分、フリンジが出やすい印象でした。

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nokton 29mm 0.8
 新しき帽子の翳にけふの日のやつれは秘めてわが巷ゆく   (塚本邦雄:歌誌『オレンヂ』1947年1月号)

老てんし

急に寒くなって今更紅葉でもないのですが、在庫セールということで、11月の六華苑。
セールですから質を問題にしてはいけません。(笑)

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prominar 8.5mm 2.8
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prominar 8.5mm 2.8
あすから年賀状の受付が始まるというのに何も準備ができていません。
なお試行中です。

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m.zuiko 25mm 1.2
きのう鶴見俊輔「もうろく帖」を引用したのはここを読んだからです。
そこに本のあとがきが引用されていました。

 七十に近くなって、私は、自分のもうろくに気がついた。
 これは、深まるばかりで、抜け出るときはない。せめて、自分の今のもうろく度を自分で知るおぼえをつけたいと思った。

70近くはまさにpithecantroupusの歳です。これは他人事ではないぞと思いました。


 山茶花は老いし天使の糧白きほのほほのかに死のかをりして   (塚本邦雄:されど遊星)

空白の

『空白の一日、を守る。』(鶴見俊輔「もうろく帖」2005年4月1日)が、毎日続きます。
なので、きょうも六華苑のくずかごから取り出して、しわを伸ばした反故です。(汗)

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nokton 60mm 0.95
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nokton 60mm 0.95
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nokton 60mm 0.95

 檻に頬すりつけて火喰鳥見つつつひに空白の出日本記(しゆつにつぽんき)   (塚本邦雄:日本人靈歌)

こびのない

上ばかり見て、足元が危ないpithecantroupus。
証明写真をひと月前のくずかごから引っ張り出してきました。

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nokton 60mm 0.95
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m.zuiko 17mm 1.2
あまり近づきたくない人物だと思ってきた人も、ここまで来ると許してしまいます。
『もうろくは 永遠に通じる』(鶴見俊輔「もうろく帖」2002年12月)といわれて、お前もかと思ったら、その二年後に『うまい文章を書く望みはない。自分の目標は、こびのない文章を、書くことだ』(2004年12月)と言っていたので許してしまおうと思いました。pithecantroupusは文の代わりに写真かなと。

 老舗(しにせ)質店主耄碌 手稿本 「酩酊船(バトー・イーヴル)」も流されたるか   (塚本邦雄:汨羅變)

こころみつ

真剣さが伝わってくるリーダーはすごいなあ。ドイツ語、分からないけど。
寒いから散歩もおっくうで、玄関から歩いて3歩の写真。

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nokton 25mm 0.95
試作品も一枚たして、水増し水増し、です。

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m.zuiko 25mm 1.2
 歌一首ひとり創(つく)るを試みつわが歌が明日(あす)のわれをあはれみ   (塚本邦雄:歌集未収録)

欠礼中

自己満足です。いけませんか。ついに居直ったpithecantroupus。(笑)

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nokton 60mm 0.95
 臘月のたのしみ二つ山茶花と「当方喪中欠礼」通知   (塚本邦雄:風雅)

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nokton 60mm 0.95

先日、引用した山崎ナオコーラが、以下のように「自己満足」を擁護してくれているので、ついつい調子に乗りました。(汗)

 ・・・この先、価値観が多様化していけば、自己満足が大事になる気がします。
趣味は仕事と違って、自己満足しか求めていません。だから、他の人と比べてがんばっているとか、ちゃんとやっているとか、そういう価値観が通用しない。
 ・・・仕事ではないところに生きがいを求める人生の過ごし方も増えています。そうなってくると、生きることの意味を他人からの評価ではなく、自分が楽しいか、楽しくないか、という点に求めるようになるのではないか。たぶん自然と、自己満足が主流の時代が来るのではないかなと思います。(好書好日 働く人だけが「社会人」なのか)

をと・めら・よ

のこり物の季節です。
どこかで見たような写真です。進歩なし。
先日の垣根の落葉のときはちょっと進歩したような気がしたけど、あれは気のせいでした。

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nokton 60mm 0.95
現在進行中の記録写真も。

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90を超えた父はカメラのことを今でも「キャメラ」っていいます。
キャメラの歌がないので、「メラ」で、
 睡れをとめらよ橙黄(たうくわう)の縞曳きて星隕つ おつるまで熟れしかな   (塚本邦雄:感幻樂)

きむらさき

年賀状もカレンダーも、大掃除も片付けも、何もかも手つかずで焦りばかりつのります。
でも、写真は撮りたい。何もかもやめても、シャッターボタンは押したい、わがままなpithecantroupus。

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nokton 60mm 0.95
試作品も一枚。

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dg summilux 15mm 1.7
 師走(しはす)てふ沖の深みに月を戀ひつつありきむらさきの鮟鱇(あんかう)   (塚本邦雄:銀箭)


もう8年前の記事ですが、

内田 (略)・・・最後にぼくたちが死守すべきなのは、そういう人類の叡智に対する信認だと思う。村上さんはそのことをずっと書いてきていたんじゃないかな。
平川 (略)・・・文学というのは、歴史が判定した事象をもう一回掘り返して、別の見方をする仕事だからね。
内田 高貴な志で行われたことが歴史的文脈では犯罪と見なされ、利己的で醜悪なふるまいが偉業として称えられるというようなことは歴史の上では必ず起きる。
平川 だから、歴史を「供養」する仕事を誰かがやらねばならない。
内田 村上さんはその仕事を黙って引き受けてきたんだと思う。
(ノーベル賞残念対談 内田樹×平川克美)

村上春樹が、「若年層の間でテロが話題にならないのは、ほとんどの若者が本気で変化を望んでいないからではないだろうか。」(2012 「櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。」より)と書いていたので、三島由紀夫なぞ思い出しながら、つい。

窓にはるかな

あれもこれもと気ぜわしい12月。
きょうも自己満足、自己中心、自己中毒の写真です。(汗)

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nokton 60mm 0.95
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nokton 25mm 0.95
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nokton 60mm 0.95
 かりそめの戀をささやく玻璃窓にはるかな街の夜火事が映り   (塚本邦雄:水葬物語)

気ぜわしい12月。
「年は変れど人は変らず、矢張り暮れになれば去年の暮のようなことをして、新年になれば又た去年の新年のようなことをするものである。」(幸田露伴「新年言志という事について」)

露伴がこれを書いたのは大正13年で、新年言志はこの年の歌会始の勅題だったそうです。前年9月の関東大震災を経て、特別な新年だったのだろうなあ。

冬紅葉、はがねのごと

毎日が日曜日だと、今日が何曜日だったか分からなくなります。
紅葉を撮りに行ってこんなの撮って、でも半恍惚だから自分を自分で許します。

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nokton 60mm 0.95
 冬紅葉、鋼(はがね)のごとき十二月雄ごころは男ごころとちがふ   (塚本邦雄:黄金律)

ないのか、それともとっても弱い

きょうも素直でない紅葉からです。
カラーで十分きれいだったのに。

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nokton 60mm 0.95
 一壜の酢に橄欖(オリーヴ)の果(み)をしづめその死待つ愛の巣の十二月   (塚本邦雄:水銀伝説)


やらねばならぬ仕事は進まず、そんな暇はないのに、いつでもできるようなことばかりやってます。
先日の幸田露伴にならえば、「志」がないのか、それともとっても弱いのでしょう。
怠惰じゃないですよね。

ちょっと、色つきのも一枚、スノッブの一枚。

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dg summilux 15mm 1.7

そこに第六次元

扉を見ると、ついこれは『どこでもドア』ではないか、と思ってしまうpithecantroupus。
あそこを開けると広がっている世界はどんなのだろう。

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nokton 25mm 0.95
どこでもドアは空間的にも時間的にもどこでも行けてしまうので、季節感のある写真も1枚おまけです。(汗)

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nokton 60mm 0.95

立ち止まったまま歩き出せずにいたのですが、ここを読んで、また歩いてみようかと考えています。多和田葉子「献灯使」です。

やっぱり、ぎくしゃくしながらです。たとえば、小説の中に新しい「記念日」がでてくるのですが、
「勤労感謝の日」にたいして「生きているだけでいいよの日」とか、性交を奨励する「枕の日」とかのなかに、インターネットがなくなった日を祝う「御婦裸淫の日」というのがあって、すぐに分からず、だいぶたって「オフライン」と気がつく始末です。


ドアの歌が見つからないので、「な『どあ』らぬ」で、
 みどりごの顳顬(こめかみ)、そこに第六次元の發信基地などあらぬ   (塚本邦雄:汨羅變)

猫型、犬型

気がつけば12月、季節を外さないうちに紅葉を大急ぎで。

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目先をかえて目くらましをかまそうという写真も。

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やっぱり、足元のほうが気になりました。

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ふらふらと、散歩じゃなくて、何度も読んだ吉本隆明「フランシス子へ」をまた読んでいたら、吉本が「自分はどうしたって猫型の人間」「ワンちゃん型の人のほうが派手で目立つし、有利な感じがします」といってました。

内容よりも、かれがネコちゃん、ワンちゃんと書いていることに、以前の記事と重ねて、気がいきました。
本質でなく周辺が気になる性です。

イヌ~う、というよりもワンッ、といったほうが歯切れがいいし、ニャぁ~あ、というよりもネコっ!、といったほうがいさぎよいような。
それに、これも以前の記事ですが、ネコはネ+コ=神ですから。

 飼猫をユダと名づけてその昧(くら)き平和の性(さが)をすこし愛すも   (塚本邦雄:装飾樂句)
 焦眉の問題二つ、飼犬ワグネルの去勢と華鬘草(けまんさう)の株分け   (塚本邦雄:汨羅變)

時代のせい

仕事をあとまわしにするのはpithecantroupusの悪いくせです。とうとう昨夜は睡眠時間を削ってするはめになりました。

写真はまた自己満足、自己中心の繰り返しです。

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きれいだった紅葉にも敬意をはらってパシャしました。

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そして毎度の、何撮ってるの? です。

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ダイバシティに係る作品を発表している(そうです。読んでません。)山崎ナオコーラが、「違う価値観を理解できなくてもいい。」と言ってくれているのに共感するから、写真が自己中から進歩しないのかなあ。

 メディアで人物を紹介するときは、名前の後で(35歳・男性)のように書くのがお決まりになっているじゃないですか。私はこれも過度な紹介だなと思っていて。・・・(激しく同感です。)
 知ってもいいけれど、理解しようと張り切り過ぎなくてもいいんじゃないでしょうか。・・・(そうだそうだ、感染者の個人情報をほじくるな!)(Meet Recruit 作家・山崎ナオコーラが考える多様性社会の生き方)

また、「どんなに多様性に寛容であろうとしても、時代ごとに越えられない限界があるとも思う」というのも納得しました。


 ひつぎのみこを柩の御子と思ひゐしわが白珠の幼年時代   (塚本邦雄:魔王)

どこかじぶんらしい

みんなが上を向いていると下を見てしまうpithecantroupus。

それに、きょうになって気がついたのは、3段変速のママチャリで、坂道でもないのにローギアばかりで走っていたこと。
玉手箱を開けてしまったあの日、急におじいさんになったように、うなだれてしまいました。

水に映っているので上下逆さまの写真と落葉ばかりの写真。どこかじぶんらしい写真。

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ことしの流行語は「3密」だそうです。ちょっと引用します。

 そして、島田雅彦は、緊急事態の外出の自粛が求められても「元々、物書きは引きこもり傾向が強い」から「外出自粛などは屁の河童で、日課のように近隣の森を散策するカントやルソーのような暮らしをしている」と書く。屁の河童というより、コロナ時代の新しい生活様式では、対向歩行者と2メートルの距離をとった散歩は、別に自粛の対象にはなっていないのだし、三密(なんだか宗教的な秘義――密教系の?――のように聞こえる言葉で、どうも迷信的な印象を持ってしまう)は避けられている行動なのだから、屁の河童もなにも誰からもとがめられない行動なのだ・・・(WEBちくま 金井美恵子「重箱の隅から」

島田雅彦が言っているのか、金井美恵子が言っているのか、確かではありませんが、「3密が宗教秘儀」というのは全く同感です。
くらいの高いえらい坊さんが護摩でもたいてコロナ退散を大声で祈っているような気がします。

歌も「密」で、
 密通のさはれ男は神とあるかはたれにして水中の星   (塚本邦雄:星餐圖)