宵をうくウシ

ウシと遊んでいます。

 十三夜曇りの宵をうく齲歯(うし)の菌こそストレプトコッカス・ミュータンス   (塚本邦雄:花劇)

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どうであれ、生き続けることが大事なんだと思います。
こんな記事を読みました。(有隣堂HPより)

 テレビ版での渥美さんは実のところ台本は無用に近かった。要らないのさ。・・・
 渥美さんの才能はあの頃眩しいばかりに煌めいていた。当時のテレビ人の熱意と自由な雰囲気もまた良かったね。皆、彼に一致協力してね。だからさ、番組の終わる頃には大評判さ。当然番組の延長を、と局は考えたが。それを(台本書くのを)断って「映画化したい」と強引に松竹に持って行ったのが山田さんなのさ。映画が大ヒットしたのは偶然じゃあない、当然なんだ。(秋野太作「50年前の寅さん」より)

ここでないあちらがわ

そろそろ年賀状づくりの季節ですが、適当な牛が見つかりません。
あれやこれやと考えている時間が楽しいのですけれども。

その前に、アマノジャクの撮ったコスモス畑、のボロボロの旗。

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牛が小さすぎるけど、試作品を。

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 牛の鼻環に眞夜瑠璃色のあぶら垂りしびるるばかりちかし他界は   (塚本邦雄:綠色研究)

官不許

写真の質の低下を饒舌でカバーしてばかりいます。(笑)
ネタが尽きないように、せっせと読書の秋です。
いま浅田次郎をのろのろと読んでます。例のごとく古本ですが、ちょっと贅沢に今回は100円!

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先日のハロウィンのお遊びのつづきもいちまい、おまけに。

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ふらふらと散歩していたら、こんな一節があって、いつも引用させてもらっている塚本邦雄を連想しながら読みました。

 三島由紀夫は「三島由紀夫」というヴァーチャル・キャラクターをきわめて精密に彫琢したことで作家として奇跡的な成功を収めた。・・・
 三島由紀夫の独自性は、(批評家や読者によって勝手につくられ、拡大される)キャラクターを拒絶した。
 ・・・三島由紀夫はその作品が書かれる前には存在しなかった。平岡公威は三島由紀夫に命を吹き込み、三島由紀夫という作家に「作品の起源」の座を譲るという仕方で姿を消した。後に残されたのは三島由紀夫という「あたかも全作品の創造主であるかのように仮構された被造物」である。三島由紀夫についてのすべての「謎」もまた「三島由紀夫の謎」として計画的に製作されたものなのである。作品だけでなく、彼が造型した肉体にも、写真や映像にも、政治的行動にも、三島由紀夫の日常生活の挙措のすべてに、目を凝らして見れば「製造元・三島由紀夫 不許複製」という刻印が押されている。それはもはや「書く人」のいない完全な虚構であり、それゆえ完全な芸術だったのである。(内田樹「モーリス・ベジャール『M』解説:三島由紀夫という「起源」」より)

 原子爆彈官許製造工場主母堂推薦附避妊藥   (塚本邦雄:透明文法)

無可有郷(ユー・トピア)

風邪は家事労働の免罪符になりません。フ~。

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コロナの先がなかなか見えずうんざりします。こんな記事を見ました。一部を引用します。

 疫病は倫理観を書き換える。・・・
 この時代に求められる適切なマナーとはなにか。「あなた自身がすでに感染している前提でふるまいなさい」である。行動変容を促すアドバイスとしてはまったく正しい。その一方で、この教えはまるで「原罪」意識の示唆に似てはいないか? ・・・
 COVID-19のパンデミックが続く中で、われわれは先述した「原罪」意識に基づいた、奇妙な倫理観、「コロナ・ピューリタニズム」を獲得しつつあるのではないだろうか。
 日本で4月16日に全国に発出された緊急事態宣言と自粛要請は疫学的な根拠があり、ほぼ反論の余地はない。問題があるとすれば、この要請が、純粋に医学的なものであるにもかかわらず、きわめて倫理的要請に似て見えるという点だ。私たちは今、医学や科学の名において、かつてない規模と程度で倫理的にふるまうことを強く求められているのではないだろうか。
 コロナ・ピューリタニズムは、パノプティコン(※ パンオプティコン。全展望監視システム。イギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムが弟サミュエルに示唆を受け設計した刑務所その他施設の構想の名称だが、シェル・フーコーが、それを転用して、社会のシステムとして管理、統制された環境の比喩として用いた。)上に強力な自己監視と自己統制のルールとして内面化されてしまう恐れもある。一切の超越性と教義を欠き、エビデンスとルールのみで構成された倫理が人々の内面まで支配してしまうこと。やはりそれはディストピアと呼ばれるべきではないだろうか。(斎藤環「コロナ・ピューリタニズムの懸念」)

pithecantroupusのように、はなから倫理的でないものには無関係かも。でも息苦しさは感じます。


 傘の油にほへる部屋を砦とし眠る 無可有郷(ユー・トピア)に足むけて   (塚本邦雄:綠色研究)

日日の糧にまじり

一身田のこりもの、
なぜ撮ったか自分でも分からない。
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きのう、クジラアタマの王様という書名に違和感があると書いたのは、「くじら頭」という言葉がpithecantroupusを不安にしたからです。
クジラの頭ってどこからどこまでだろう、クジラに首ってあったっけ、と思ってしまうのです。こういう脳をチクチクさせる言葉はずっと気になるなあ。


以前にも別の記事を引用した穂村弘の最新のエッセーは、

 ・・・(うろこはここへいれてください、という貼り紙を見て、)言葉の不気味さに慄きながら、私は強烈な異変の匂いを感じていた。世界は変わった。そこには人魚の幼稚園がある。ウイルスから身を守るために新しい人類はうろこで身を覆ったのだ。
 だが、次の瞬間、予兆は消えてしまった。アラームが鳴って「しまった」と気づいた神は、幼稚園の前に呆然と佇む人間の思考に素早く「鯉のぼり」という一語を差し込んだ。たちまちすべての辻褄が合って、その者は納得。現世の綻びは修復され、辺りはいつもの日常を取り戻す。異変は未然に防がれた。ただ世界に新型コロナウイルスだけを残して。

とあって、また納得してしまいました。


 われらが日日の糧にまじりて死の泡のかたまりし晒鯨がにほふ   (塚本邦雄:日本人靈歌)

佇は立ち止まってじっとしていること。

きのうの「ついでに」写真をもう一枚です。
コスモスがいっぱい咲いていたのに、アマノジャクですから、季節はずれのヒマワリを撮ってきました。

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ようよう伊坂幸太郎「クジラアタマの王様」を読み終えました。
評判通りに、いまのパンデミックの予言書でした。

ウイルスは新型コロナではなく鳥インフルエンザですが、近隣住民が感染者だというデマを信じるとか、感染したと思い込んだ人物が死なばもろともと繁華街で暴れたり、外出を恐れて保存食を買い占めたり、感染を疑う人々が病院に押し寄せたり、感染症をまき散らす外国人がいるという偽情報が拡散されたりと、いまを見て書いたような本でした。

読むのに時間がかかりました。
スマホでネット・ゲームをする感覚に近いのではないかと感じました。老人はついていけない感覚です。
ハシビロコウが重要な役割を果たすのですが、その学名の日本語訳「クジラ頭の王様」が書名なのもpithecantroupusにはついていけません。
歳はとりたくないなあ。


 向日葵と黑きひとみの少女佇(た)ちゐしかの蔭も凍(し)みゐたり。苑   (塚本邦雄:水葬物語)

わがこすもす

きょうのお昼ご飯の「ついでに」写真で。
いい天気ですが寒くなりました。
レンズに頼って一枚だけです。

 秋眞晝わが宇宙(コスモス)に水流れ名も知らぬ草、花散らすなり   (塚本邦雄:新歌枕東西百景)

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あるサイトに、『日の暮の有線放送「埴生の宿」水島一緒に帰ろうと聞こゆ』(海江田京子)という短歌が引用されていて、サイトの筆者はこれを「日の暮の有線放送「埴生の宿」水鳥一緒に帰ろうと聞こゆ」と水島を水鳥と間違えたという顛末が書かれていました。

常識のない筆者だと思うのは、pithecantroupusが老人だからでしょう。
映画「ビルマの竪琴」はpithecantroupusにとって必修科目でした。

ところで「ビルマの竪琴」と「姿なき一〇八部隊」は同じ1956年作なんですね。
洋画ですが、「地下水道」もこの年だそうです。
同じ年に「早春」もあれば「太陽の季節」もあって、戦争がどんどん過去になっていったんだと感じました。

総舐め

今月初め、ヒガンバナを撮りに行って、こんなの撮ってきました、という残りもの写真。

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今月も末が近づいたので、ちょっとお遊びを。

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きのう「七人の侍」を引用したのは、先日の「姿なき一〇八部隊」の記憶が残っていたからです。一〇八部隊の隊長役は笠智衆でした。彼の人に軍人役は向いてないと思いますが、少将としてピリッとしていたように思います。

朝ドラの男優の長髪や敬礼が気になって仕方ないpithecantroupusは、もう古い人間ですね。
いまや時代劇でもお歯黒なんか出てこないですものね。

 インフルエンザに總舐めされて飾磨家の七人がはじめて睦みあふ   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

正気のフリをして

きょうは正気のフリをしてカマトト風に。

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カマトト振るのも疲れるので、ほんねで正直な写真も。

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きのう引用した「年寄りの読書」記事は、同じサイトのこちらの内容を先に読んでから見つけたものです。

 ・・・黒澤明監督の『七人の侍』の場合――この本(濵田研吾『俳優と戦争と活字と』ちくま文庫)でしらべたら、7人のサムライ役のうち、最年長(敗戦時40歳)の志村喬をのぞくと、ほかの6人すべてが、それぞれのしかたであの戦争に深くかかわって生きていたことがわかった。(中略)
○志村喬(島田勘兵衛)1905年生。年齢が年齢なので召集はまぬがれたが、以前、新劇人だったため特高警察に連行されたことがある。
○三船敏郎(菊千代)1920年生。陸軍航空隊の反抗的な古参上等兵として6年、熊本の特攻基地で敗戦をむかえた。
○木村功(岡本勝四郎)1923年生。戦争末期に文化学院を繰り上げ卒業後、召集されて1年間を海軍でおくる。広島在住の両親は原爆で死亡。
○稲葉義男(片山五郎兵衛)1920年生。日大芸術科をでて芸術小劇場在籍中に応召する。
○加東大介(七郎次)1911年生。陸軍衛生伍長。中堅歌舞伎役者だった経験を生かし、ニューギニアでもっぱら慰問劇団づくりにはげんだ。
○千秋実(林田平八)1917年生。新築地劇団の若手俳優だったが、陸軍に召集され、終戦寸前まで樺太国境警備隊に勤務する。
○宮口精二(久蔵)1913年生。文学座「移動演劇隊」の一員として戦時下の日本各地をまわりながら終戦をむかえた。
 こう並べてみて、あらためておどろいた。ときは戦国時代末期。あの、主家を失って放浪する7人のおんぼろ侍に扮した俳優たちのほぼ全員が、敗戦後、解体された軍隊から瓦礫と化した街に戻ってきた復員兵だった・・・

このあと、「七人の侍」の最後のシーンの「今度もまた、負け戦だったな」という科白も切実なひびきを帯びると続きます。
戦争を知っていた世代の生死観や表現はpithecantroupusの想像力を越えます。ちょっと悔しい。

 戰爭のたびに砂鐡をしたたらす暗き乳房のために禱るも   (塚本邦雄:水葬物語)

きょうげんきご

柄にもなく花の写真が続いて自家中毒をおこしそうです。
こんなときは、なりふりかまわずすきなことをすきなようにやるにしくはないと、シュレッダーにかけた写真をせっせとつないで、狂気の世界。(笑)

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 狂言綺語(きやうげんきぎよ)ちまたは冬のあけぼのの河まがり水しばし曲らぬ   (塚本邦雄:森曜集)


きのう児童図書「とんでろ じいちゃん」が半恍惚のpithecantroupusにぴったりだったとかきましたが、年寄りの読書について書かれた記事を見つけて少し元気づけられました。

 ・・・(宮部みゆきの『あやかし草紙』が)ある日、近くの書店の平台に積んであるの見つけて反射的に手がのびた。
 ところが困ったことに、これがハードカバーで四六変型判、576ページもある大冊なのです。とうぜん重たい。もし10年まえなら、しかたない、文庫になるまで待つとするかと、のばした手をしぶしぶひっこめるところ。ただ、このシリーズの場合、前例から見て、文庫化までには3年か4年かかる。もし仮にこんども同様だとすると、いまの私に、それまで確実に元気でいられる自信があるだろうか。4年後といえば私は84歳。「もちろんある」とはとても断言できない。とすると、
 ――やっぱり、いま買うしかないか。でもなァ……。
 と、のばしかけた手が途中でとまり、それでもがまんできず、何日かのち、おなじ書店で買ってしまった。ところがですよ、それから2年ちょっとで文庫版刊行。おいおい、こっちはまだなんとか死なずにいるんだぜ。ちょっと早すぎるんじゃないの。・・・(津野海太郎「最後の読書」)

このあとに、『年をとって読むのがむずかしくなる本もあれば、意外にも、とつぜん読めるようになる本もある。そんな変化にすなおに身をゆだねるのも老年読書の楽しみのうち。』という一節があって、「ウンウン」と頭を振りました。

ふうしんてふかぜ

なおコスモス、なおへそ曲がり。マンネリです。

 すすきはらひかり鎮(しづ)まるひとところ風信帖(ふうしんてふ)の風(かぜ)か絕(た)えなむ   (塚本邦雄:白露帖)

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きのうの小学生図書は、字の大きさといい、登場人物の少なさといい、pithecantroupusにぴったりでした。
しかしこれでは脳トレにならないなあ。

ヨードチンキのうするるセピア

きょうもヘソが曲ってます。(笑)

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素直さもちょっと残っています。コスモス目的の撮影でしたから。
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でもやっぱりきれいな花に背を向けて。
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 コスモス滿開なり腕白の二の腕に沃度丁幾(ヨードチンキ)のうするるセピア   (塚本邦雄:風雅)

先日、赤川次郎「午前0時の忘れもの」が大林宣彦監督の新・尾道三部作に使われたことを知って、三部作の最後「あの、夏の日 とんでろ じいちゃん」の原作山中恒「とんでろ じいちゃん」を借りて読みました。

小学生向けの児童書で、赤単でなつかしい旺文社出版でした。(英語が苦手なpithecantroupusは赤単(豆単)をつかっていませんが。)
ボケたといわれているじいちゃんが実はしっかり、空を飛んだり、時間をさかのぼったりするというのは、半恍惚のpithecantroupusには何も不思議ではなくて当然のことと感じられました。あぶないなあ。

阿呆エンジェル

コスモス撮影行の収穫物なお。
きれいに咲いたコスモスを目の前にして撮らない、というのはどこかこわれているのだと思います。
先が心配です。

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正気を失っていない証拠もちょっとだけ。
まだ大丈夫です。

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正気だけどちょっと間違えることは増えました。
先日書いた「柊サナカ」の名前を、何度読んでも、サカナであったりカナサであったりナカサであったり、一度で頭に入りません。

これも以前に引用したWEBちくまの穂村弘の連載にこんなのがありました。一部を引用します。

 こんな短歌がある。
  エンジェルを止めてくださいエンジンの見間違いだった地下駐車場    戸田響子
 「地下駐車場」で見かけた「エンジェルを止めてください」は「見間違い」だった。正しくは「エンジンを止めてください」。だが、それが間違いであることがわかるまでの数秒間、作中の〈私〉の心は別世界に飛ばされていた。「エンジェル」は地上で何をしようとしているのか。止めないとどんなことが起きるのか。「止めてください」と頼んでいるのは誰なのか。もう一つの世界は、既知の現実世界よりも不穏なときめきに充ちて美しい。・・・見間違いや錯覚が、もう一つの世界を生み出す。それは短歌に限らない。

見間違いや勘違いがもうひとつの正気でない世界へつれていってくれるというのは確かだと思います。ちょっとこわいけれども。

 くりかへし翔べぬ天使に讀みきかす―白葡萄醋酸製法祕傳   (塚本邦雄:水葬物語)

生きて虜に

2週間前にヒガンバナを撮ったとなりの市の山沿いの棚田へ行ってコスモスを撮ってきました。
でもヘソも曲がっているので、コスモスでないものも気になりました。

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 アメリカ背高泡立草三ヘクタール生きて虜囚の辱(はづかしめ)を受けよ   (塚本邦雄:黄金律)

 すでにこの世にいない人たちが、ひと月前亡くなった時に乗り合わせたバスで午前0時にこの世に戻り、こちらの世界に残された家族たちと一時間だけ再会します。
 赤川次郎「午前0時の忘れもの」を読みました。

 読み終わってから、ネットで検索して、大林宣彦の映画「あした」の原作だと知りました。大林宣彦はことし4月に亡くなられましたが、この映画の脚本を書いた桂千穂という方も8月に亡くなられたようです。

 午前0時にあの世からの乗客を乗せたバスが到着するシーンで、午前0時過ぎにあの世からの英霊を乗せた列車が東京駅に到着する映画「姿なき一〇八部隊」を思い出しました。

いわば天罰

一身田を散歩中です。

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 戰死こそ至福といはば天罰の黑胡椒くちびるの炎ゆるまで   (塚本邦雄:感幻樂)


きのう引用した文のあとへ、「別の人が別のところで」とリンクをはったサイトから末尾の部分を。
これは、pithecantroupusのようなへそ曲がり、変人、アマノジャクへのエールに違いありません。(汗)

 共感なんか、なくてもいいじゃないですか。そんなものばかり求めていると、身動きできなくなりますよ。きちんと条件を定めて、ルールを決めておけば、共感できない人、理解できない人とでも、共生し、協働することはできる。何らかの「よきもの」をこの世に送り出すことはできる。その方が粘ついた共感の檻に閉じ込められて、身動きできずいいることよりも、ずっと愉快だし、有意義だと僕は思います。でも、そのことをアナウンスする人が少ない。(内田樹「『日本習合論』ちょっと立ち読み」)

共犯のこころ

きのうは動物でしたがきょうはのこり物で。しかも雑草です。すみません。
のこりものなので、オマケして大きな写真にしておきます。(笑)

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中身の希薄さは饒舌で補うことにして、新潮社PR誌「波」、ブレイディみかこのインタビューから一部を引用します。

 ・・・ええ、多様性のある社会はややこしいんです。文化的な背景によって常識が違うので、そこかしこに地雷が埋まっている。ひとは本能的にアイデンティティを求める生き物だと思うんですが、強い帰属意識や連帯感は、別の集団との分断も生んでしまう。
 では、向こうとこちらの違いをなくせばいいのかといえば、そういう話でもない。違いをなくしたら多様性もなくなってしまうと思いませんか。経済の分断、つまり格差は論外ですが、多様性のある社会というのは違う人たちが一緒に暮らしているわけですから、分断が生まれるのはある意味、当たり前なんです。
 だから、大切なのは分断をどうしたら乗り越えられるか。その有効な手段のひとつが「エンパシー」だと思うんです。
 ・・・エンパシーは、たとえ自分が賛成しない人、意見が違う人であっても、その人の立場になって想像する能力のことです。共感と訳されがちですが、「いいね」ではありません。

別のところで別の人が「共感」への違和感を書いていたのも含めてpithecantroupusはちょっと考えさせられました。

「共感」に似ている「共犯」で、
 共犯のこころあるべし水涸るる彼岸のダリの天牛蟲(かみきり)の髭   (塚本邦雄:星餐圖)

きょうは龍で

ワンパターンの写真が続いているので、きょうは動物!
津市一身田の散歩中です。

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写真の”ドラゴン”つながりで、村上龍から引用します。
「櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。」(2012年)から『期待は甘えとほとんど同義語だ。』の一部です。

・・・たとえば「菅内閣に何を期待しますか」という質問だ。新政権が発足するとき、メディアは「街の声」を求めて、人々にそう聞く。そんな質問は、意味がないというだけではなく、絶対に聞いてはいけないのだ。・・・
 大多数の日本の政治家は、自分が監視されているのではなく、期待されているのだと勘違いしている。大手既成メディアが、何を期務しますかと街の人々に聞くのだから、そう勘違いするのも無理はない。「新政権のどんな政策について監視しますか」と聞けば、政治に良い意味での緊張が生まれるかも知れない。だがそんな質問が発せられることなく、日本は衰退の一途をたどるのだろう。
 期待、奇妙な言葉だ。期待するというのは、相手に何かを望むという意味だが、経済や政治は本来は「契約」で成立していて、そういった概念からは無縁のはずだ。・・・


菅内閣は民主党の話なのですが、今の内閣としても通用するような。ちっとも進歩していない日本。
 急速に日本かたぶく豫感あり石榴をひだり手に持ちなほす   (塚本邦雄:汨羅變)


動物ではありませんが、角の形が似ているような気がするもう一枚をおまけに。

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秋の幽霊

田舎が好きです。pithecantroupusは”いなかのネズミ”です。

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きのうのレトロカメラの背景にした写真とカメラ写真ののこりもこっそりと。
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 柊サナカ「人生写真館の奇跡」に出てくるのはこの世にいない人たちです。あの世にも行っていない人たちです。あの世とこの世の境界にある写真館を舞台に、死者たちの過去の一場面を写真に撮ってきて「走馬灯」をつくります。写真館の主はカメラに詳しいようですが、写真は撮らずに走馬灯をつくるのが仕事です。完成した走馬灯が一回転すると、写真館の客たちはあの世に行くのです。

 最初の客は保育園の園長をしていたおばあさん、92歳。過去にさかのぼって撮ったのは、保育園を始めたときに校舎替りに用意した廃車のバスをみんなで引っ張ってきて備えつけた日の写真でした。使ったのがキヤノンオートボーイです。
pithecantroupusの違和感は、オートボーイがブラックボディであることとフィルム自動巻上げの音でした。おばあさんとはいえ女性ですから、もっと可愛らしくて軽くて操作が簡単なオリンパスペンEEがいいと思いました。おばあさんは戦後の何もないところから保育園を始め、運営して、ずっと子供たちを育んできたしっかり者です。案外、ドイツ製のビテッサのような精密さやこだわりも似合っていると感じました。

 二人目はヤクザ。隠れみのに経営しているリサイクルショップの従業員はヤクザの子分とちょっと変な機械修理の“天才”です。過去にさかのぼって撮ったのは、かれが柄にもなく良いことをした一日の記念写真です。使ったのはライカⅡf、エルマーの2.8付きです。
かれがリサイクルショップで聞きかじった知識で選んだカメラだそうですが、ヤクザに繊細なライカは似合わないと感じました。いざ殴り合いをするときにレンガ替りに使えそうなヤシカエレクトロ35か、f1.4のレンズが馬鹿でかいヤシカリンクスが体躯もりっぱな彼に似合うと思ったのです。

 三人目は5つ6つの歳のこども。早とちりのpithecantroupusはずっと後まで男の子だと思っていましたが少女でした。使うカメラは写真館の主が選んだニコンF3、パンケーキのGNニッコール。カメラを選んだのは大人ですがシャッターを押すのは幼い少女です。もっと軽いカメラもあるでしょう、というのがpithecantroupusの第一印象でした。ニコンに妥協するにしてもEMなら軽くて可愛らしさもありますし、ブラックボディが嫌ならFGでもいい。一見おもちゃのようで、ペンダントのように首から下げられるフジカminiならぴったりするような気がしました。

 なつかしいカメラが出てくるので読み始めましたが、この世の人間でない人たちがでてくることも興味を持った理由です。村上春樹「ハナレイ・ベイ」を最近読んだ影響かもしれません。
いま、湖底に沈んだバスに閉じ込められたまま亡くなった人たちが、縁のあった人たちに会いに来るという赤川次郎「午前0時の忘れもの」を読んでいます。

 佐久良氏立つて祝意開陳BGM「秋の幽霊」不意に消えたり   (塚本邦雄:黄金律)

天に遠き地

きのうのつづき1枚。

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カメラが出てくると聞いただけで読みたい気持ちになります。
柊サナカの小説「人生写真館の奇跡」には3人の人生と3台のカメラが出てきます。

でも、それぞれの登場人物が使うカメラに違和感が残ります。「谷中レトロカメラ店の謎日和」でも感じた違和感です。
キヤノンオートボーイ、ライカⅡF、ニコンF3が出てくるのですが、
オリンパスペンEEかビテッサ、ヤシカエレクトロ35かヤシカリンクス、ニコンEMかフジカミニがpithecantroupusのイメージでした。


レトロカメラの小説を読んだ記念写真を2枚です。
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モデルはキヤノン4sbのUSBメモリと壊れたピストル型ライターです。

 晴天に遠き地階の抜け道に少女ゐて錆びし銃器を愛す   (塚本邦雄:裝飾樂句)

未来といえどただ

きのう行った津市一身田では、浅田政志撮影の個人商店主の写真で、「実はわたし・・・なんです」アンコール写真展というイベント中でした。お店の店頭にかれの写真が飾ってあるのですが、集客力にはなっていない印象で、ちょっと残念でした。

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ただ10月の歌という縁だけですが、”半恍惚”のpithecantroupusには「未来といえどただ老いるのみ」というフレーズが身にしみてチクチクするので、

 未來と言へどただ老ゆるのみ十月の水に鐵片のごとき蝶   (塚本邦雄:豹變)


世情に疎いので最近になってこれを知りました。
ちょっと衝撃でした。
同時代を生きたというだけでうれしいルイ・アームストロングやジョン・F・ケネディがいる一方で、なまじ同時代に生きたことでこんなことを知りたくなかったなあ。

着々とうっかり

最近はうっかりミスが増えましたが、「うっかり」なのか「着々と」なのか、はっきりしているのは恍惚に近づきつつあることです。
そんなpithecantroupusを憐れんだ友人が撮影に誘ってくれました。
一昨日言及した浅田政志の映画ロケもあったという津市一身田です。

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olympus pen-f 17mm
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olympus pen-f 17mm

腰抜コスモス

ヒガンバナを撮りに行ったのですが、アマノジャクなので。

 コスモスしろたへ腰抜大工宿醉(ふつかよひ)それもきのふの葬(とむら)ひ酒に   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

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olympus pen-f 25mm
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olympus pen-f 25mm

アマノジャクに加えて恥知らずのpithecantroupusは、いつのまにか写真のサイズも大きくして自己満足、自己満足。(汗)


以前にも引用したハラリの最新刊の紹介記事から、

・・・  今日、人類が深刻な危機に直面しているのは、新型コロナウイルスのせいばかりではなく、人間どうしの信頼の欠如のせいでもある。感染症を打ち負かすためには、人々は科学の専門家を信頼し、国民は公的機関を信頼し、各国は互いを信頼する必要がある。この数年間、無責任な政治家たちが、科学や公的機関や国際協力に対する信頼を、故意に損なってきた。その結果、今や私たちは、協調的でグローバルな対応を奨励し、組織し、資金を出すグローバルな指導者が不在の状態で、今回の危機に直面している。・・・ (Web河出 ユヴァル・ノア・ハラリ最新刊『緊急提言 パンデミック』より 2020.09.24)

家族

同じような写真です。腐ってしまう前に大急ぎ。

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olympus e-m5mk3 135mm
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olympus e-m5mk3 75mm

三重県出身で、県内写真コンクールの審査員などもされている写真家浅田政志を主人公に、今度映画ができたというので、あちらこちらにポスターが貼られたり、NHK津支局が特別番組をつくるなど、地元で盛り上がっています。
彼の「家族写真」の原点は、父のつくった年賀状の家族写真だったと雑誌switchのインタビューに載っていましたが、家族写真の年賀状をすこし斜に見たことをpithecantroupusは大いに反省したのでした。

 皇族寫眞集いな家族寫眞帖見せむと婿が來る夕時雨   (塚本邦雄:花劇)

野を斜に

とうとう台風が来るようです。こういうときだけ神様を信じます。
きょうは数で勝負の日です。おかずの日といいます。(汗)

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olympus e-m5mk3 75mm
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olympus e-m5mk3 75mm
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olympus e-m5mk3 135mm

 野を斜(はす)に馬引く父よ母はいさわが知るありのとわたりの痣   (塚本邦雄:閑雅空間)

きのうは恥ずかしいから小さくしたのに、きょうはちょっと大き目です。反省が長続きしないのは困った性格です。
どこかの大統領のように、はじめから反省もしないほうがましかも。

ありのとわたりを知ったのは中学生のときに読んだ山田風太郎。その言葉を聞けば、当時のエロチックな記憶がよみがえります。
きのうの恥は忘れても、助平な恥はなかなか忘れないなあ。

かきの

急に寒くなって、ヒガンバナも「今更」になってしまいましたが、
持ってるものは腐るまえに食べようという魂胆です。

しかし、以前にも撮ったような写真で、pithecantroupusに進歩なしを証明してしまいました。(汗)
恥ずかしいのでちょっとだけ小さくして罪の意識をなでなでして。

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olympus e-m5mk3 135mm
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olympus e-m5mk3 75mm

柿の落葉の写真つながりで、「かきの」歌で、
 蟻、薊、あひる、雨傘、汗かきの兄が結婚に逐ひつめられて   (塚本邦雄:綠色研究)


10億円の税金や特別公務員という理屈は、国立大学教授の排除にもつかえそうだなあ。本当はそっちをやりたいのかな。

野を過ぎ

台風が来るかもしれないと聞いただけで、あれこれよくないことが起こるのではないかと心配になります。
もう60年も前のことなのに、恐怖感は昨日のことのように鮮明です。

 颱風は冱え冱えと野を過ぎにけりわがつづる片片のこころ   (塚本邦雄:透明文法)

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olympus e-m5mk3 135mm
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olympus e-m5mk3 75mm

野蒜(のびる)もヒガンバナ科だと初めて知りました。
ということで、ノビルとネコジャラシだって美しい。とアマノジャクは思ったのです。

アブのような虫が写っていました。ハチではなさそうだけど、なんでしょう。

しこうしてまた日本

ヒガンバナが続くのでムズムズしているのですが、ものごとには順番があると、上の方から声がする(ような気がする)ので。

 而(しかう)して再(ま)た日本のほろぶるを視む 曼珠沙華畷の火の手   (塚本邦雄:獻身)

塚本邦雄の歌に「曼珠沙華わが来し方に咲き退(すさ)りすぐそこのくらやみに敗戦忌」というのもあって、ヒガンバナと戦争はどこかでつながっているようです。8月15日とヒガンバナは季節がずれているので、時間の問題ではなく、花のイメージによるつながりだろうと想像はするのですが。

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olympus e-m5mk3 75mm
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olympus e-m5mk3 135mm


もうよく分かっていることですが、『「自粛警察」とファシズム~ドイツとの比較から考える』(田野大輔甲南大学教授)から引用します。

 みんなで力を合わせて危機を乗り切ろうとしているときに、自粛していない人は勝手な行動をとっているように見える。そのような人を懲らしめてやれという他罰感情に対して、政府の「自粛要請」はお墨付きを与えてしまうことになる。「自粛警察」のような行動に出る人たちは、政府の要請を錦の御旗にして他人に正義の鉄槌を下し、大きな権威に従う小さな権力者として存分に力をふるうことに魅力を感じているのである。それはまさしく、私のいうファシズムに典型的な行動といえる。

海外では政治家もマスコミも、コロナと全体主義という社会の危機に言及するのですが、日本ではそれが乏しいとpithecantroupusは感じます。
当局はあえてその話題を避け、大本営発表を流し続けているマスコミは当然話題にしないということでしょうか。

おろおろと後退り

となりの市の山沿いに棚田があって、ヒガンバナ大好きの友人が誘ってくれました。
村の中を不審者めきてキョロキョロし、散策しながらパシャです。

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olympus e-m5mk3 75mm
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olympus pen-f 43.5mm

すきな歌なので、もう何度目かの引用を、
 われもまた衆愚の一人おろおろと後退りしつつ見し曼珠沙華   (塚本邦雄:透明文法)

にんぱふしゆくりう

ヒガンバナが続いて、根気弱い、忍耐弱いpithecantroupusは、きょうはふつうの写真を。
どこが面白いのと聞かれても説明できない写真です。(汗)

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olympus pen-f 50mm

花を添えても、色気はなし。雑草そのものです。
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olympus pen-f 300mm

 忍法夙流變移抜刀霞斬(にんぱふしゆくりうへんいばつたうかすみぎ)り 眼疾のはてにわが死はあらむ  (塚本邦雄:感幻樂)

「にんぱふしゆくりうへんいばつたうかすみぎり」は舌を噛みそうな、と思っていましたら、白土三平「カムイ外伝」に出てくるのだそうです。ファンの方には常識の言葉のようで、pithecantroupusはまたひとつかしこくなってしまいました。また「夙」が、むかしの被差別身分を指す言葉だということも初めて知りました。

白しやさしき

高校の恩師とカラオケスナックに数回行きました。いつも恩師は「白い花の咲くころ」を歌いました。

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olympus pen-f 50mm 二重露出
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olympus pen-f 50mm 二重露出

恩師は愛媛県の大学を出たそうなので、ミカンの花でも思い出していたのでしょうか。
古文を教えていただきました。
歌は白いヒガンバナではないでしょうが、白い花を見ると思い出します。

 卵黃吸ひし孔ほの白し死はかかるやさしきひとみもてわれを視む   (塚本邦雄:綠色研究)


恩師は泥酔して意識不明で大けがをして車道に倒れていたそうです。ほどなく訃報を聞きました。
武田泰淳「目まいのする散歩」に、伊藤整と三島由紀夫の死にふれたあと、

・・・私はどんな死に方がいいだろうか、と冗談めかして話題にしたとき、二人とはちがった死に方をするとすれば、殺される、刺殺される、処刑される、あるいは誰にもわからぬやり方で抹殺される死に方がいいだろうとしゃべったことがあった。理くつはその通りだが、殺されるチャンスなど、私を訪れるはずもなかった。だが、今、何の苦痛もなく、ただ寝そべっているだけの自分を発見したとき「恍惚死」ということが思い浮んだ。「恍惚死」といえば聞えはいいが、ボケて死ぬことである。・・・

pithecantroupusはかなり可能性がありそうです。

世界おわる

白いヒガンバナを、なお。

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olympus pen-f 50mm
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olympus pen-f 60mm macro

白い花ではありませんが、
 世界畢(をは)るべし曼珠沙華百茎の痙攣(ひきつ)るるぬばたまのくれなゐ   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

以前はなかったようなうっかりミスが増えました。直感的な感覚が鈍っています。たとえば、ネットのニュース見出しで、
ドコモ口座を「ドコモロ」座と読んだりとか、内定式を就職と結びつけず「外定式はどんなのだっけ」と思ったり、留学生らきょう入国制限緩和の冒頭を「留学生ラッキョウ・・・」と読んで何のこっちゃと感じたり。

これはきっとコロナのせいです。
私の頭が老化したのでなく、コロナに感染していなくてもコロナのテレパシーがやっているのです。(汗)