坂は

思い出の坂道の町を、なおなお。ちっとも頭の体操になっていないのが残念です。

6月も今日をかぎりなので急いで6月の歌を引用して、
 坂は照る夜は星降るこころざしこそ水無月(みなづき)の空に煌(きら)めけ   (塚本邦雄:靑雲帖)

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泉佐野市のふるさと納税がニュースになっていましたが、なぜテレビは「過剰な返礼」ばかりいって政府の違法的な措置を言わないの。『遡及処罰の禁止』という初歩的な問題を無視して大本営発表に終始してきたマスコミの姿勢こそ問題があったと思うのですが。

さやさやとさみなし

恥ずかしながら。

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21日にアップしたのと同じ写真ですが、合歓の木が分かるようにしたものも
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 花合歡(はなねむ)は實をきざしつつさみどりの莢(さや)さやさやとさみなしにあはれ  (塚本邦雄:毎日新聞1990年7月21日)

空気1キロ

懲りずにネムに再挑戦、というと聞こえはいいけど、単に写真が残ってないからこれしかないのです。(汗)

 花合歡の睡りおもたし一立方米の空氣一瓩(キロ)三百   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

おもわず空気の重さを計算してしまいました。
乾燥した0℃、1気圧の空気1立方メートルは1.29・・・㎏でした。

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空気というと、これもあるところに、

日本人はパターン化された「空気」を読む力には群を抜いて長けていますが、その「空気」に身を任せることがほとんどのため、その場その場で起きている個別の状況へ柔軟に対応する経験をあまり積むことができないのでしょう。

と書いてありました。
pithecantroupusに関してはご指摘のとおりです。

恍として

まだ回想、夢の中、恍惚の時間中。(笑)

 恍として犬齒抜かれつ 霊媒に招(よ)ばれし昨夜(よべ)のつゆけき父よ   (塚本邦雄:水銀傳説)

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あるところに、次のように書いてありました。

緊急事態宣言の渦中では、不要不急で欠かせない仕事だけは続けましょうという価値観がありましたが、人間の時間の感覚はたくさんの時間の線をより合わせたものであって、不要不急のことだけをしていると時間の線がどんどん痩せ細り、不連続な“今”だけになってしまう。だからこそ、人間が生きていく上で、実は不要不急のことをするのが必要なんだと思います。

まえに引用した吉本隆明「フランシス子へ」の中で、吉本も、

本当は何にしたっていわく言いがたい中間こそが問題で、その中間の何かを省いてしまったら、あとにはなんにも残らないって感じがするんです。

と言っていたし、理屈なし目的なしにブラリブラリしていてもいいのかな。いいんだろうなあ。

回想の

ネムの結果に落胆して、回想の世界に逃避です。(笑)

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 九階は前衛映画回想のゆふべいづこに杜鵑草(ほととぎす)散る   (塚本邦雄:睡唱群島)

これまで使ってきたカメラをひるがえってみると、もう消えたブランドの山です。
マミヤ、ブロニカ、プラウベルマキナ、使ってないけど所有しているものも数えると、ミノルタ、トプコン、ズノー。
あと残された時間と写真を撮れる期間を考えると、オリンパスと一緒に沈没するのかなあ。
66判とはいわないけれど44判の二眼レフをデジタルでつくってくれないかなあ。

そのまくらべに

合歓の木ですが、なんて下手なのだろうと自己嫌悪です。(涙)

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 ひる眠る水夫のために少年がそのまくらべにかざる花合歡   (塚本邦雄:水葬物語)

われ異邦人

pithecantroupusが花よりも苦手な動物系です。
写真にいろいろ欠点があっても、動くものへの恐怖心に打ち克って撮ったので、「あんたはえらい!」

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 あかがねのにほひはためき大揚翅蝶(おほあげは)たてりき永久にわれ異邦人   (塚本邦雄:約翰傅偽書)


コロナ、コビッド、パンデミック、ロックダウン、テレワーク、東京アラートなど、カタカナの氾濫ですね。老人はついていけません。

キヤノン、ニコン、リコー、ソニー、パナソニック、オリンパスだってカタカナですが、ニコンやキヤノン、いまはなきミノルタ、コニカ、ヤシカなどは日本語起源だからpithecantroupusの脳はついていけました。
いや、単に若かったからかな。(笑)
歳をとると、コニカもミノルタもヤシカも消えて、いままたオリンパスが消えるかもしれないと、寂しいかぎりです。

近くかつ遠く

同じような景色が続くと、アマノジャクは浮気心がフツフツとわいてきます。
今更の昔話の「両城」をまた。

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 葛湯すするうつつに近くかつ遠く昔ブニュエルの「糧なき土地」   (塚本邦雄:黄金律)


新潮社のPR誌「波」のフーコーの著書を紹介する文(慎改康之「感染」と「規律」)の一部を引用します。

個々人が一つの場所に固定され、わずかの動きさえもが管理され、あらゆる出来事が記録され、何もかもが恒常的に検査されるという、こうしたすべてが、「規律装置」の見事なモデルを構成しているのだ。そしてそのような装置の背後に読み取られるものとしてフーコーが挙げているのが、「感染」への恐れである。病の感染への、さらには違反や反抗などといった「無秩序」の感染への恐れ。そうした恐れを糧としてこそ、「規律」が肥大するのだ。

書評されている本は1975年出版ですが、みごとに現在を言い得ていると思いました。

夏至物語

ウォーキング中、なおなお。

きのうは夏至だったそうなので、
 少女ふたばよりかんばしくかなかなの唖刺し殺す夏至物語   (塚本邦雄:綠色研究)

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最近は、後になって気がつくことばかり、繰り返してます。
まだ一週間以内の遅れだからOKかな。(汗)

安息日

ご近所の公園でウォーキングしながらパシャ。
運動不足で、頭に血が回ってこない。
目まいしながら写真を撮ってきました。(笑)

 ゆでたまご賣りの老婆が公園へ走る 安息日に榮光(はえ)あらむ   (塚本邦雄:日本人靈歌)

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コロナ、コロナと騒いでいる間に、脳の劣化が進んだように感じます。「てきぱき」という形容からどんどん遠ざかりつつあります。
ロバート・キャンベルが言ってたなあ。

 ・・・(略)・・・疫病は、瞬時に流れを堰き止め、壊し、世界を荒涼とした景色に激変させるものではない。その代わりに、ものごと、やがて自分の何かをも元へ戻れない形へと変質させてしまう。飛行機雲が消えた都心の空を眺めながら、いつもあるのに今日はないなということに気づき、ぼんやりとその意味を考えている。(「疫病は眼前の景色はそのままに、人の心を不可逆に変えていく」)


し、しまった!
うかうかと、6月19日を通り過してしまいました。あの日はこのブログを始めた日だったのに。しかも10年目だったのに。
と思って、先日の19日の記事を見たらむかしのノスタルジアにどっぷりの写真でガックリです。
起死回生のホームランなんて当分の間夢ですね。

たいさんぼく

泰山木だそうですが写真は残念な結果でした。
少々のピンボケは許すということで。(汗)

これでは10年前の両城ノスタルジアのほうがまだましだったかもしれません。

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 大盞木(たいさんぼく)そのさかづきに酌(く)まむとぞ二十歳(はたち)屋上に立ちし鳶職   (塚本邦雄:星奔樂)

悲しみのもなか

なお両城。

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吉本隆明『フランシス子へ』を知ったのは、ネットのこの記事を読んだかからです。
はた目には「記憶の再構築」をしているといわれているけれど、次のような一節を読むと、やっぱり彼は彼だと思ってしまいます。


 ・・・「悲しい」と言い切ってしまったら、いわく言いがたい中間がバッサリ省かれてしまうことになる。

 いっそ「悲しい」と断定することをひとまず横に置いてみたらいい。
 そうして前提も結論も何もない場所に立つと、全部が相対化していくのがわかるんじゃないですか。
 今、感じているこの感情はいったい何なのか。
 わからないまんま、じっと抱えているほかはない。


 悲しみのもなかにありて伊勢乙女(いせをとめ)こよひ紅梅の實を煮るといふ  (塚本邦雄:天變の書)

木星荘百階

呉市両城。むかしむかし行ったとさ。記憶があるあいだに上げるとさ。(笑)
すでに2011年11~12月に4回に分けてアップ済みですが、お気に入りの場所なので。

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 木星荘百階に來よ千メートル下に世界の亡ぶるが見ゆ   (塚本邦雄:魔王)


きのう20年後にネコやイヌと話ができるというニュースを引用しましたが、最近読んだ本が脳に影響を残していたのかもしれません。
吉本隆明が死の三か月前に語った内容が書き留められた本。

『フランシス子へ』。
書名は著者に先立って亡くなったネコの名前です。
長女が書いたあとがきによれば、この頃、吉本隆明は、「”事実誤認”では済まない。頭の中で自分だけの記憶が再構築されている。」様子だったそうですが、愛猫の死に、
 自分の「うつし」が死んだ。
 「うつし」が亡くなってしまった。
というとき、「記憶の再構築」がなんだ、と思ってしまいます。この瞬間の気持ちが正直に語られていると感じるからです。であるなら、不正直な過去など再構築されったていいじゃないかと思うのです。

迷宮入り

奈良県宇陀市の「 室生山上公園芸術の森」。
恥ずかしい不良品ですが、むかしむかしの写真だから、「あのころは若かった」ということでご勘弁を。

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20年後に犬や猫と会話できるというニュースがあったので、本年度版科学技術白書のPDF版を見たら、「発話ができない人や動物等が言語表現を理解したり、自分の意志を言語にして表現することができるポータブル会話装置」が予測されていました。

イヌ、ネコはにわかに信じられないのですが、「潜水服は蝶の夢を見る」(ジャン=ドミニック・ボービー)の著者が話せるようになるというのならあり得るように思います。

「潜水服は蝶の夢を見る」の著者は1995年12月に、脳出血で左目でまばたきができる以外の身体的自由を失いましたが、その目のまばたきだけで本書を執筆し、1997年3月に本がフランスで出版された2日後亡くなったそうです。

彼がいたという事実だけで出来が悪いpithecantroupusでも自分の心を奮い立たせることができます。


 蝶類の都に飛火した火事の因(もと)は迷宮入りかたつむり   (塚本邦雄:透明文法)

老ゆるはおそろし

きのうチビッてしまったので脳の活性化のための回想法で。

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ネットのニュースで、うつ病とヒトヘルペスウイルスの記事を見かけました。

 ヒトヘルペスウィルスは疲労すると唾液中に出てきて、一部が鼻へ逆流してにおいを感じる脳の中枢「嗅球(きゅうきゅう)」に到達し、再感染を起こしていた。再感染すると、嗅球である種のたんぱく質が作られ、この働きで脳細胞にカルシウムが過剰に流れ込み、死んでいくこと。さらに、嗅球の細胞死によって、記憶をつかさどる海馬での神経再生が抑制されていた。慈恵医大の近藤一博教授(ウイルス学)らがつきとめた。

ということだそうです。
pithecantroupusは最近、ヘルペスができて、以前効いた薬も効きませんし、勘違いや見落としや物忘れが気になります。
きのうの「失禁」も無関係ではないなあ。(笑)

 老ゆるはおそろしき六月琅玕の一つかみ魂の価(あたひ)は   (塚本邦雄:花劇)

失禁

残りものというよりも失敗作。
F0.95がうれしくて、出来上がりも考えずに開放で撮ってしまいました。(汗)

失敗つがりですが、四つ目の「失」が、
 失笑失心失意失禁第三次世界大戰はじまらずんば   (塚本邦雄:汨羅變)

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すでに雨季

神島ノスタルジア残りもの、または回想法のお伴ともいいます。(笑)
灯台への道を記憶の沼からひきずりだしました。

 徒勞つづけつつすでに雨季、野良犬の死骸記憶のごとくに光る   (塚本邦雄:日本人靈歌)

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つゆふかく

苦手科目の花が続くので息抜きに「神島ノスタルジア」から再び、です。
あのころから全然進歩してません。

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 黴雨(つゆ)ふかくふかくなりつつ熊野行特急の棚にミラン・クンデラ   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

また英雄

不出来でも。

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 ポリエチレン袋の蜆さげて佇(た)つ一市民、再(ま)た英雄待てる   (塚本邦雄:日本人靈歌 9

コロナの世間を見ていると何だか英雄待望主義のようなものを感じて気になります。
幼児退行が進んでいるpithecantroupusが、暇つぶしに借りて読んでる「銀河英雄伝説」のせいかなあ。

恥づ人

質を量で補おうとしましたが、いくつもあげると馬脚を露すということが分かったので、きょうは一枚だけ。
でも不出来な一枚では、結果は同じだということも分かりました。(笑)

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 菖蒲一束わがしかばねをおほはむに恥づ人殺し得ざりしこの手   (塚本邦雄:感幻樂)

ここで終われば恥をかかずにすむものを、やっぱり寂しいので、一枚追加。
馬脚が見える!

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olympus pen-f 135mm


世界思想社のWEBの藤原辰史「切なさの歴史学」から引用します。

 ヒトラーとゲッベルスというのは計算づくなんです。徹底して計算して、感動をつくっています。・・・(略)・・・「感動せよ」という暴力ですね。
 そう考えると、受け手の心を動かすために計算してものを書く、話を伝えることではナチスを越えられません。そうではなく、湧き起こるものを書き留めるという書き方・話し方こそ、大事だと思うのです。

耳がいたいなあ。

いよよ昏ければ

雨です。梅雨入りだそうです。

 梅雨ふけて靑葉のいよよ昏ければわがてのひらのすぢのみだるる   (塚本邦雄:透明文法)

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自分に甘く、でもピンボケなので、小さく小さく。(笑)

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村上龍「櫻の樹の下には瓦礫がうまっている」をときどき思い出したように読んでいます。読むたびに新たに気付くことがあるのは、こちらの脳が低級だからでしょう。
きょうも文中に、ケネス・アンガーの「スコルピオ・ライジング」という一言を見つけてうれしくなりました。高校生時代の旧友に出会ったようなうれしさです。
『偏愛を持つ人はもうすぐ絶滅危惧種になってしまうだろう。偏愛のない世界は、貧しく、寂しい。』とも書いてありました。

ほどに汚れて

出来がわるくても、自分に甘くいくというのがpithecantroupusの法なので。(汗)

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ピンボケの写真はごくごく小さくしてごまかします。(笑)
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olympus e-m5mk3 30mm reflex

きょうは暑さに負けてぐったりして一日をすごしました。
頭の方もぐったりしたままです。
部屋も散らかったまま。

 イエスの衣ほどに汚れて疾風(しつぷう)の翌日の菖蒲田の白菖蒲(しろしやうぶ)   (塚本邦雄:豹變)

ありし日のし

ショウブ公園へ寄ったのですから、敬意を表する写真もひとつあげて、
あとはまた訳の分からん写真で、ご機嫌を伺います。

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こちらがわけのわからん方。
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olympus pen-f 135mm


スーザン・ソンタグのエルサレム賞受賞スピーチをふたたび引用します。
彼女は、「作家の第一の責務は、意見をもつことではなく、真実を語ること」と言って、さらに続けます。

 要請されれば必ず意見を披露する。そんなことを続けていると、たとえその意見が正しくとも、小説家や詩人がもっとも得意とすること、すなわち省察力の進化と複合性の探究を軽薄なものにしてしまう。

pithecantroupusは蟄居謹慎中に自省することが増えましたが、省察力は進化せず、退化した脳では複合性の探究などとても無理です。pithecantroupusにとって真実は遠いものなのでしょうか。

 ありし日の「し」こそ眞實、刎頚の友消えうせて形見の長靴   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

あやふくほぐる

きょうの「昼食のついでに」写真です。
でも、「何撮ってるの」写真ともいいます。(笑)

ここは菖蒲が咲く城跡の公園です。(ショウブが写っていませんが。)
 拳銃の重みこほしきうるしやみ菖蒲(あやめ)あやふくほぐるる時ぞ   (塚本邦雄:閑雅空間)

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olympus pen-f 5.8mm


河北新報という地方紙の6月5日のコラムから引用します。

 新自由主義という経済思想は福祉の削減や自己責任などを特色とする。代表的な学者のフリードマンは言った。「黒人の貧困の原因はティーンエージャーの時に遊ぶか勉強するか、その合理的選択の結果にすぎない」▼その席で黒人の大学院生が立ち上がって尋ねたという。「お言葉ですが、教授。私に両親を選ぶ自由があったでしょうか」。この問いにフリードマンは押し黙ってしまった。米シカゴ大で同僚だった経済学者の宇沢弘文さんが著書で紹介している・・・(中略)・・・▼「私の4人の子どもが肌の色ではなく人格で判断される国に暮らすのを私は夢見る」。差別撤回を求めて20万人以上が結集したワシントン大行進でキング牧師は演説した。半世紀以上が過ぎても、夢は夢の域を出ない。

のちもかなしき

自己中を一枚だけです。自己中心ではありませんよ、自己中毒です。(汗)
ネットで検索したところ、オオカナメモチというのでしょうか。

オオカナメモチと「オモモチ」は似てませんか? 無理?
 飽食ののちもかなしきおももちの若者と「夏と煙」とわれと   (塚本邦雄:綠色研究)

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スーザン・ソンタグがエルサレム賞受賞スピーチで、

 いまの時代の、「個」をもち上げる、とどまるところを知らないプロパガンダは、私にはきわめて疑わしいものに思える。というのも、「個人性、個性」という言葉じたいがますます利己性や自分本位の同義語となってきているからだ。

と言ってました。このスピーチで彼女は自省的で複合的な姿勢に注意を払っているように感じます。

腐臭ただよひ

かすむ頭では写真もわけの分からんようになるというお話です。
自粛という美辞麗句でごまかされた、ほんとうは蟄居謹慎で、脳みそが発酵しています。
あっ、発酵と腐敗は同じですよね。

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 あじさゐに腐臭ただよひ 日本はかならず日本人がほろぼす   (塚本邦雄:風雅黙示録)

塚本邦雄が、日数の経って匂うようになったご飯を姉さんが「鮒ずしの匂いがする」と喜んで食べていたと、どこかに書いていたような。

ねむりは老いを

謹慎生活になって自省することが増えたわけではないのですが、饒舌になりすぎだったと反省です。
かといって、写真は進歩せず後退中。(笑)

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老眼がすすんでWBが偏ったと言われないように、すこしはまともな写真も。

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 額紫陽花ありつつ見ざるきのふけふ浅きねむりは老いをいざなふ   (塚本邦雄:花劇)

さはれあぢさゐ

なんでもない写真が一枚だけです。
こんな日もあります。

 一日果つる言葉はさはれあぢさゐの藍にうるみてこの淡き生   (塚本邦雄:豹變)

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内田樹が自著の紹介をしている一部分を引用します。

『街場の親子論』のためのまえがき
 今の日本社会では、過剰なほどに共感が求められている。僕はそんな気がするんです。
 とりわけ学校で共感圧力が強い。とにかく周りとの共感が過剰に求められる。
 僕は女子大の教師だったので、ある時期から気になったのですけれど、どんな話題についても「そう!そう!そう!」とはげしく頷いて、ぴょんぴょん跳びはねて、ハイタッチして、というような「コミュニケーションできてる感」をアピールする学生が増えてきました。
 何もそんなに共感できていることを誇示しなくてもいいのに、と思ったのです。だいたい、それ嘘だし。
 ふつう他者との間で100%の理解と共感が成立することなんかありません。あり得ないことであるにもかかわらず、それが成立しているようなふりをしている。「そんな無理して、つらくないですか?」と横で見ていて思いました。

 歌謡曲の歌詞だと、心を許していた配偶者や恋人の背信や嘘に「心が冷えた」方面についての経験が選好されるようですけれど(ユーミンの「真珠のピアス」とか)、さっぱり気心が知れないと思っていた人と一緒に過ごした時間が、あとから回想すると、なんだかずいぶん雅味あるものだった・・・というようなことだってあると思うんです(漱石の『虞美人草』とか『二百十日』とかって、「そういう話」ですよ)。
 僕は「理解も共感もできない遠い人と過ごした時間があとから懐かしく思い出される」というタイプの人間関係が好きなんです。それをコミュニケーションのデフォルトに採用したらいかがかと思うんです。


浅くて遠い人間関係が脳の老化にも有効とどこかで読んだ記憶があります。もう遅いかもしれません。
毎日朝から晩まで顔を合わす、近すぎる人間と共感が共有できないのはどうすればいいでしょうか。

恍惚とあり

飽き飽きしたかもしれませんが同じような写真が続きます。
出かけられる環境になってきたというのに、家事都合で出かけられませんので、麦畑と神島ノスタル、何度目?

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姜尚中が雑誌のコラムで「コロナウイルスが浮き彫りにした閉塞感は啄木が憤った110年前と変わらない」といってました。
ウイルス騒動でいろいろと自粛し閉塞感が漂っているが、もともとあった「時代の閉塞感」がより明確に表れただけではないか、というのです。

そこで啄木の「「時代閉塞の現状」から末尾のほうを引用します。
 いっさいの空想を峻拒して、そこに残るただ一つの真実――「必要」! これじつに我々が未来に向って求むべきいっさいである。我々は今最も厳密に、大胆に、自由に「今日」を研究して、そこに我々自身にとっての「明日」の必要を発見しなければならぬ。必要は最も確実なる理想である。

pithecantroupusにとっての「今日」の研究は写真、「明日」への必要はカスミを吹き飛ばした頭かな。
先日引用した武田泰淳「目まいのする散歩」のなかで著者は自分自身を「半恍惚の文士」といっていますが、この「半恍惚」という言葉がいたく気に入りました。

 鐵棒の夜の大車輪恍惚と靑年はあり 永久(とは)の眩暈(めまひ)よ    (塚本邦雄:驟雨修辭學)

黄色の声

雑誌アサヒカメラが休刊だそうです。

アルス社のカメラは知りませんが、サンケイカメラは父の本棚で見たことがあります。
カメラ毎日は休刊する一年前ごろから、ヌード写真を過激にやってましたが、あれは線香花火の最後の輝きでした。
アサヒカメラはにはそんな光もなく終わるのでしょうか。

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 死にいたる戀いつの日に少年の黄の聲「ライ麦畠横切り」   (塚本邦雄:驟雨修辞學)