2020/05/10
雑草だらけの庭にひとつだけ咲いたバラです。手入れしていないので切り花にはならず写真で撮りました。(汗)

olympus pen-f 60mm macro
アップしすぎてアブノーマル(変態)と指摘されそうなのでまともに全体像も一枚。

olympus pen-f 60mm macro
さびしいので、2月末の写真の残りものも。鳥羽です。
ずっと以前に鳥羽で撮った
写真と同じようなものだったのでゴミ箱へいってました。

olympus pen-f 25mm

olympus pen-f 25mm

sigma dp0q
5月27日には早すぎますが、
柿若葉潮騒に似て夜に入るをなぜかいまごろ海軍記念日 (塚本邦雄:汨羅變)
コロナ禍のニュースで厳しい立場に追い込まれている人々のことが報じられています。シングル・マザーもそうした立場ですが、pithecantroupusは、そんなニュースをコロナの過酷さの一端としかとらえていませんでした。愚かです。
先日、岩波のWEBから発言を引用した
藤原辰史が、ミシマ社のWEBで連載しているコラムの中の「
バンデミックの孤独」から引用します。
かれは、冒頭で、
「ホーム」に「ステイ」しにくい人、ホームに心地よさを感じない人、ホームが監獄でしかない人、ホームがそもそもない人、そんな人びとにとって、「ステイホーム」という命令形は、じつは、極めて深刻な事態をもたらしているのである。
と書きます。そして新聞記事や直接シングル・マザーから聞いた例をいくつか引用しつつ、
新型コロナウイルスは、よく言われるように「平等なウイルス」ではけっしてない。社会や政治という現象を消し去った真空状態ならば平等かもしれない。しかし、人間はそんな、摩擦のない世界を生きていけない。人間は、住んでいる場所や働いている場所、住んでいる環境によって免疫力も、ウイルスの居心地のよさも異なる。たとえ感染しなくても、感染症とは、経済活動の停止によって、体や心が弱っている人びとや弱りやすい経済状況にある人びとから、為政者は切っていく。新型コロナウイルスは、人間を平等にするのではなく、不平等をより拡大していく災厄にほかならない。
といい、シングル・マザーの抱える問題を、『シングルマザーの指摘は、凡百のコメンテーターの発言を凌駕する社会構築のヒントが詰まっている。』と指摘し、
「高みの見物」が提出する論点の凡庸さに対し、これらシングルマザーたちの発言は、歴史学的に重要な論点を提出している。
自己責任論にあるように厳しい社会をどのように乗り越えるべきか、という論点ではなく、どういう社会が生きやすいか、という論点にほかならない。
さらに、その社会について、
子どもたちに「一日二食でいいよ」とその親に言わせる社会は端的に言って失敗である。なんの手続きも踏ませずに、普通に食にアクセスできるような社会、生命維持物資の提供に対し「ありがとう」という見返しを求めない社会の設計もまた、その生命維持物資の生産や消費にも増して重要だと考える。
と書いていていました。考えさせられ、反省させられました。