ふらふらと足を

お散歩写真をなおなお、です。

 帝王よ 音樂もまた官能のはだかむぎ煮らるるともはだか   (塚本邦雄:綠色研究)

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きのうの武田泰淳『目まいのする散歩』を知ったのは、以前にリリー・フランキーを引用した雑誌の中だったのを思い出しました。161人の一人として立木義浩が書いていました。


 わが事務所には「積ん読」が思いのほかある。そのうち読むはずだったのに置きっぱなしにされていた本である。幸か不幸か、本を取り出して読む時間をあまるほど得た。
 武田泰淳の『目まいのする散歩』。
 これは氏の生前最後の本で、夫が口述し、妻が記述した八つの散歩から成り立っている。・・・(略)

 そして、最後の「安全な散歩?」の最後の二行は---。
<地球上には、安全を保証された散歩など、どこにもない。ただ安全そうな場所へ、安全らしき場所からふらふらと足を運ぶにすぎない。>
 と、このたびの大騒動を御覧になっていたようである。・・・(以下略)

むぎこがし舐め

散歩のついで、ではなく、写真が撮りたいから散歩しました。
散歩ですから家から5分くらいです。

ご近所の麦畑ふたたびです。
進化してない、というより退化している頭をレンズを変えることで補っています。(汗)

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 むぎこがし舐めゐるうからわが戀ふは夏山に目のごとく濡るる岩   (塚本邦雄:水銀傳説)


どこで読んだのか忘れてしまいましたが、これかも知れませんけど少し違うような気もしますけれど、武田泰淳の散歩のことが印象に残って、引きこもり中のpithecantroupusも外へ出たのです。

 地球上には、安全を保証された散歩など、どこにもない。ただ、安全そうな場所へ、安全らしき場所からふらふらと足を運ぶにすぎない。(武田泰淳『目まいのする散歩』より)

上の手や

つまらない写真、われながら。

借りている写真雑誌の今月号に、
 上達する人=個性的に撮りたい、自由に撮りたい、他人と同じじゃつまんない
 上達しない人=固定観念に縛られている、他人と同じがうれしい、真似が上達と思っている

pithecantroupusは完全に上のタイプです。
なのに結果に差がないのはカメラのせいに違いない。絶対に。(笑)

そうしたら同じ本の別のページに、何かのせいにする、カメラのせいにする、被写体のせいにする=上達しない人、と書いてありました。(涙)
ことしは上達をあきらめて「好きなる」を目指しています。

公園の一枚。
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手入れのない庭。
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 薔薇一枝逆手にしごき血みどろの兄上の手やかがやきにける   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

五月過ぎつつ遁げまわる

今回の自粛や休校に対して無料サービスを期間限定でしてくれているサイトがあって、おかげで宮部みゆき湊かなえの短編をタダで読ませてもらってます。

また公園とかの島にもどって。
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追憶の神島も。
つぎの一枚目はまえにブログへあげたかもしれません。
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ネットでタダ読みだけでなく、pithecantroupusは他人の本を借りてまでタダ読みしています。
そんな雑誌GQジャパン最新号の表紙はリリー・フランキーの自筆の「ラブレター」でした。

 あなたは無事でいるでしょうか?
 日頃から、臆病なあなたのことだから、
 日々、心震わせていることでしょう。・・・(略)

 日毎、恐怖や憤り、呆れに希望が混濁して
 訪れてくるけれど、未来はあなたの瞳に
 どう映っているでしょう。

「私たちは、どう生きるか」というメイン・テーマで編集された雑誌の編集長の巻頭文が気に入ったのですが、そちらは長文なので、表紙(の一部)でお茶を濁しました。(汗)


 平穏無事に五月過ぎつつ警官のフォークを遁げまはる貝柱   (塚本邦雄:日本人靈歌)

辞書から

もうすんでしまいましたが25日は広辞苑記念日だったそうです。
きょうは、広辞苑と公園で。

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広辞苑は重いので、その編者新村出の私家集「重山集」とオリンパスEEDです。

国語辞典を使い始めたばかりの中学生の頃に、Aを引くとB、Bを引くとAと書いてある、
たとえば「右」を引くと「左の逆」、「左」を引くと「右の逆」と書いてある(循環定義というそうです)のを見て、
社会には本音と建前があるとはじめて知りました。

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 昆蟲は日日にことばや文字を知り辭書から花の名をつづりだす   (塚本邦雄:水葬物語)

その頃の無数

所用があって駅へよったら、京都、奈良、伊勢志摩などの観光ポスターが全部撤去されてました。
一方で駅なかコンビニが営業再開していました。それにご近所のドラッグストアへ行ったらマスクが買えました。

また公園、またあの島。
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潮騒のクライマックスの監的哨です。2枚目は以前に同じ写真をあげているかもしれませんが。
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きのう引用した「隣人愛という概念は、改めて注目すべき」で福嶋は、

 コロナを文化史的な切断と考えるのは、おそらく過大評価だと思います。
 そもそも、現代のネットワーク社会では、人間はウイルス的な挙動に憧れていたわけですね。ウイルスのように「拡散」し「越境」することに価値を認めてきた。
 今回のパンデミックは表象的には貧しいものだと思います。

と指摘しています。アプレゲールなんてでてこないのですね。また、鋭くも、

 先日『ニューヨーク・タイムズ』で書いていた人がいたけれども(参照:Where Are the Photos of People Dying of Covid ?)、今回のコロナの報道では死者の映像はほとんど出てこない。我々が目にするのは空っぽになってしまった街の風景とか、ボール状のウイルスの画像とか、感染者数や死者数のグラフとか、そういうものですね。つまり、実際には悲惨なことが起こっているのに、妙にクリーニングされた表象がウイルスのように増えている。

 その一方、出来事の中心は空洞化したままです。たとえば、クルーズ船でウイルスがまん延した時も、クルーズ船の内部はろくに取材されなかったし、今もICUの状況をほとんど知ることができない。すでに3月に書いたことですが(参照:内なる敵と負の祝祭――震災とコロナウイルスのあいだで)、日本のマスメディアは「大本営発表」をやっているだけです。

とも。


季節が合っていませんが、
 大本營發表「連勝」その頃の無數の死者かこの寒鴉   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

なお

公園と神島と、なおなお、です。

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樹木に架けられた名札に「センダン」と書いてありました。花を初めてみました。

引用も「なお」で。「なお」じゃないなどと細かいことは言わずに、
 わが愛におくれさきだつ花暦わかものの丈たちばなを越ゆ   (塚本邦雄:蒼鬱境)

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『福嶋亮大が語る、パンデミック以降の倫理と表現 「隣人愛という概念は、改めて注目すべき」』というWEB記事が面白かったので、一部分を引用します。
パンデミック後の文学から始めて宗教に展開するという面白い話ですが、「上げ足」のような一部を、

 政治的に危惧すべきなのは、家畜化=国内化(domestication)が進むことです。韓国や台湾におけるコロナ対策で、行動履歴をデータ化したりしていますが、そうした技術がさらに浸透すれば、例えば店やイベントスペースやビルに入るときに一定以上の熱があると入場できないとか、行動を強く制限することが可能になる。これは家畜の管理と同じです。場合によっては、そこに外国人の締め出しが加わったりするでしょう。

 ここ数年EUでは、個人情報保護を規定する法としてGDPR(General Data Protection Regulation)が定められて、企業の大規模なデータ管理に抵抗してきましたが、実際にこのような状況になると、むしろ人権を気にしないアジアのやり方が効率的だということになって、超強力なバイオポリティクスと監視技術が合体したような制度が生まれる可能性があります。実際、ドイツはこの間プライバシー保全のために、分散型のコロナ追跡アプリを導入しようとした。ただ、それをやるとアメリカの巨大テック企業の支配力を強めることにもなりかねず、ジレンマを抱えているわけです(参照:Germany’s Angst Is Killing Its Coronavirus Tracing App)。

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 そのうちにスマホが勝手に隣人との距離を測って警報を発したり、ヒトの体温を測って「危険、危険」といったり、風通しの悪いところでいつまでも移動しないと「密だ、密だ」と歌ったりするのじゃないかなあ。
 彼女といっしょにお風呂に入ると体温が上がるから「ピー!」、いっしょにベッドインすると密接するから「ピー!」、キスをすると濃厚接触だから「ピー!」。ガラケーには無縁の話だけれど。

刻つかさどり

きょうも、ご近所公園とむかしむかしの神島ノスタルです。
わざわざ公園までいかなくてもという雑草写真と、名前を知らない木の花から。

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追想の神島もちょこっとだけ。自己満足です。

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季節が早すぎるのですが、灯台にちなんで、
 わかものの眼の點燈と消燈の刻つかさどりつつつひに夏至   (塚本邦雄:感幻樂)


「暮しの手帖」編集長を今年年初からつとめてみえる女性が同社ブログに書かれた新刊発売挨拶からごく一部を引用します。

 このところ、なぜかしきりに胸に浮かぶ詩があります。茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」。あまりに有名な詩ですから、ごく一部だけ引用します。

 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて
 (中略)
 初心消えかかるのを
 暮しのせいにはするな
 そもそもが ひよわな志にすぎなかった
 
 駄目なことの一切を
 時代のせいにはするな
 わずかに光る尊厳の放棄

 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ

 たとえままならない状況下でも、雑誌をつくり、受け止めてくれる人がいる、それはなんて幸せなことだろうと感じます。『暮しの手帖』はそもそも、終戦から間もないまだ貧しい時代に、・・・(以下略)


茨木のり子は立派な詩人ですし、「暮しの手帖」編集長も立派な人なんでしょうね。
pithecantroupusはそんな立派さとは縁遠い性なので、
ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにし、初心消えかかるのを暮しのせいにし、駄目なことの一切を時代のせいにします。
でも、自分の感受性くらいは自分で守りたいと思っています。自己中の写真の弁解です。

キスにかがみ

きのう行った公園では小さな子供連れの家族が遊んでいましたし、ジョギング、ウォーキングする人たちともすれ違いました。
すこし安心した景色でした。

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ピンぼけですって。いえ、これはファッションです。pithecantroupusのスタイルです。(ウソです。ピントを合わせ損ねました。(汗))
せっかく始めた神島ノスタルジーももうすこし続けて、映画「潮騒」の追憶などしつつ、

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「タバコはやめよう」と下の案内がちぐはぐだと思います。
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 あつき牛乳喇叭飲みせり映畫にはお休みの接吻(キス)にかがみ寄る父   (塚本邦雄:日本人靈歌)

キスはいけません。フェイスガードをつけましょう。(バカ!)

公園午の光さし

神島ひと休みして、きょうの午後ご近所の公園で撮った写真を。
撮れたて写真でマンネリ打破を狙いましたが、きょう撮ったというだけで進歩なしでした。(笑)

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 心やすらふ公園午(ひる)の光さし幼くて病める木々の群がり   (塚本邦雄:日本人靈歌)

回想のゆふべ、なお

回想、神島、彼のころ写真、なおなお。恥知らずと言われようとも厚顔のpithecantroupusです。(汗)

季節が合っていませんが、
 九階は前衛映画回想のゆふべいづこに杜鵑草(ほととぎす)散る睡唱群島   (塚本邦雄:睡唱群島)

あの日、神島の路地をうろうろしてました。
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”お口直し”という弁解は雑草だらけの4月末の庭からです。

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いまだに自粛ポリスの発想が満ち溢れ、県外ナンバーがどうのとか、感染発生の過剰な詳細情報とか、子供の自由な行動さえ非難されています。あるところに、

緊急事態下にある社会は、弱い立場の者やマイノリティに非難の目を向けやすいのです。子どもを連れた母親も、弱者でありマイノリティです。冷ややかな目を向けてくる人に対しては、あなたに問題があるのではなく、その人自身が自分の不安と戦っているのだと思ってみてください。

とあったのを読んで、ああこわいのだ、臆病なのだと腑に落ちました。

どこか

潮騒の島、神島で撮った写真をきのうにつづけて、回想法、回想法。(笑)
でも、「らしくない」写真なので、「ここはどこ?」と言われそうです。「わたしはだれ?」と続かないだけでもマシです。

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お口直しになっていないけど、2月末にご近所で撮った写真を小っちゃく。

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「ここはどこ?」の「どこ」で、
 どこか病まねば夏逝かざらむあかときを絖(ぬめ)のごとき白粥   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

恥ずかしいことに絖(ぬめ)を知らず、検索して、滑らかに仕上げた絹織物だと教えられました。知らないことが多すぎて、これではあと何年生きればいいのやら。100歳はいくなあ。


水脈(みを)教へてよ

ふる~い写真をハードディスクから掘り起こしてみましたが、使えそうなものはごく僅かなところを見ると、少しは進化しているのかも。(汗)
さて、ここはどこでしょうか。(笑)

『その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら』
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 鳥は吾(あ)に知らえぬ空の路行くか眞靑(まさを)の海の水脈(みを)教へてよ   (塚本邦雄:新歌枕東西百景)


10年以上前の写真なので、お口直しに、先日撮った雑草の我が家もおまけします。(恥ずかしいので小さくして。)

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olympus e-m5mk3 60mm

声がする

fc2ブログへのログインがスムースでなく、ちょっと気になりつつ、
今日の更新はまた我が家の放ったらかしのレモンの木です。

ちょっと品種が違いますが、クエン酸のクエンで、
 枸櫞(くえん)もてくちすすがなむ男らの娶りに神の悲しむ聲す    (塚本邦雄:香柏割禮)

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直接触れ合えば消えてしまう恋人という今のソーシャルディスタンスのタイミングにピッタリの『今夜、ロマンス劇場で』という綾瀬はるかと坂口健太郎主演の映画をテレビで見ました。二人がスカーフの両端を握って海辺を歩くシーンは切なかったし、老いた主人公役を演じていた、現実の死の直前だった加藤剛や起用した監督もすごいなあ。



先日引用した藤原辰史と京大人社未来形発信ユニット出口康夫との対談から引用します。主はコロナ後の社会についてなのですが、途中をごく一部引用します。

(出口) 様々なメディアを通じて発信される専門知、この場合、疫学、エピデミオロジーという専門知と、われわれの日常的な感覚のズレ、違和感を大切にすべきだと思っています。
 そもそも疫学、エピデミオロジーという学問分野で用いられている思考様式は、徹底した統計的な思考方法、現象を徹底的に数量化し大きな傾向性を拾い上げるというものです。現時点では、われわれ人類は、疫学的な思考様式に立つしかない。ただ、人命を徹底的に数量化して捉えるというのは、あくまでも非常時のみに許される、やむを得ない発想法であることを、肝に命ずるべきだと思います。われわれが普段生きている感覚では、人の命こそ、そういった数量化ができない最たるものである


かれらの会話は全体主義への危惧へと向かうのですが、日々の感染者数の変化に一喜一憂し、外出を控えて感染数のカーブを緩やかにと声高に言うテレビへの不快感がどこから来るのかちょっとわかった気がしました。
互いに触れ合うことができずにスカーフでつながって歩く綾瀬と坂口の方がずっと心に残りました。彼女のためなら、触りたいけど触らないという覚悟の方がずっと分かりやすいと感じました。

むらがりて探す

苦手な花ですが、謹慎中につき、雑草だらけの庭でパシャッ。
もっと上手に撮りたいなあ。

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先日、「積読こそ完全な読書である」という記事を引用しましたが、三田評論というWEBにも「完全な読書」が消える未来?/佐藤卓己という記事があって、ますます意を強くした次第です。

それで積読の本の中から、いまどきに関係がありそうな本を取り出して、手指消毒のケースと一緒に記念写真をパシャッです。
真鍮のケースは看護師だった母の「遺品」です。(あっ、母はまだ死んでません。)

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 月光の書肆に少女らむらがりて毉書探す不吉なるみのりかな   (塚本邦雄:水銀傅説)

ちりぢりの庭

きのうの名張の写真に、5月の庭の写真をくっつけてお茶を濁します。

ちょっと早いのですが、
 梅雨夕映木苺すでにちりぢりの庭出でてわが心を賣らむ   (塚本邦雄:海の孔雀)

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きのう引用した筑摩書房PR誌「ちくま」の穂村弘の言葉つながりで、最新号の言葉から部分を引用します。

 サザエさんの父親である磯野波平の年齢が五十四歳と知った時は驚いた。私より年下じゃないか。しかも双子の兄がいるらしい。​磯野海平。波平の双子のお兄さん。九州に住んでいます。双子なので波平にそっくりですが、頭のてっぺんに毛が二本生えているところが見分けるポイントです。​とのこと。
​ 落ち着かない気持ちになる。理由は名前だ。海平……。どうしてそうなるのか。双子なのに海平と波平ではバランスがおかしいではないか。(略)​

 ちょっと違うけど似たパターンとしては、駅前で募金を募っている人々が「お家をなくしたかわいそうなワンちゃん猫ちゃんのために……」と叫んでいると気になる。ポイントはワンちゃん猫ちゃんだ。ここはできれば、ワンちゃんニャンちゃんか、犬ちゃん猫ちゃんにして欲しい。(略)ワンちゃんや猫ちゃんに比べて、ニャンちゃん犬ちゃんという云い方が日本語的に馴染みがないから困るのだ。揃えたくても揃わない。​(略)


言葉のプロはきっとむずむずして我慢できないのでしょうね。
走り出したくなるようなむずむず感、なんとなく分かります。

pithecantroupusは自分の写真にむずむずするからなあ。

離(か)るるまで

むかしむかし、2月という時間に名張というところで、3月という時間にはお昼ご飯を食べに出たついでに撮った写真を、
シュレッダーのクズからセロテープでつないで再生しました。(笑)

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ソーシャルディスタンスということばが出ていない昨年の筑摩書房PR誌「ちくま」11月号にのった歌人穂村弘の言葉から引用します。かれは聞き間違いや空耳の話から始めて、「言葉の距離感」について書いています。その最後の方で、

 詩的飛躍、二物衝撃、取り合わせ、合わせ鏡、切れ、疎句、ミシンと蝙蝠傘の出会いなどジャンルによって表現は異なっても詩歌の作法には共通性がある。つまり、西脇順三郎のいうところの「遠いもの同士の連結」をその原理としているのだ。(略)
 好きな物書きを追ってゆくと、加齢とともにその人の中で、言葉同士の距離感が変化するのを感じることがある。言葉から言葉への飛躍が失われると世界がベタになる。一方、両者の距離が遠くなりすぎると世界がばらばらになる。おそろしい。(略)

いまはベタはダメだけど、ばらばらにもなりたくない。芸術的な距離感は難しいなあ。

 口離(か)るるまでの言葉を詩と思ふのみ 若者の目の星明り   (塚本邦雄:感幻樂)

〇〇憂ふる莫迦

また、なに撮ってるのの類です。
手前にボケボケで写っているのが主役です。

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小穴(こあな)式ピントルーペです。
先日言及した中川一夫「現像引伸のうまくなる本」の『高価なカメラで撮ってピンぼけの引伸ばし』という言葉に背中を押されて、40年以上前に、清水の舞台から飛び降りて購入しました。(当時は今のように幾種類もなくて、唯一の製品でした。)

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きょう撮った証に、コロナ対策の手指消毒用アルコール綿を入れた真鍮ケースを添えました。(笑)


色気不足を補うのは2月22日の記事のカラー版です。(海女さんが写っているのはポスターです。)

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海女の歌を探し損ねて、「アマ」つながりで、
 甘酒に舌灼くつかのまも喋りつづけて國家憂ふる莫迦   (塚本邦雄:汨羅變)

何?

きょうもお隣りの庭の花を垣根越しにとりましたが、写真の出来にいろいろと不満はあってもコロナだからおおらかな気持ちでOK、OK。(笑)

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お口直しに3月下旬に撮ったサクラも一枚。

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おとなりは歯科医院ではありませんが、
 鳥打帽姿の隣家歯科医殿 何?ヴェトナムへ米兵狩りに   (塚本邦雄:汨羅變)

近所の大型ショッピングセンターや駅ビルが再開しはじめました。
自粛ポリスなんて言葉が早く死語になってほしいなあ。

ネギの花

手入れをしてない庭の隅っこにネギを植えたまま放ったらかしにしていたらネギ坊主になってました。(汗)
西隣のおうちのきれいな花で”中和”ということにして。

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ほんとうはもっときれいな花なのですが、pithecantroupus が撮ると、どうもホワイト・バランス(WB)が偏っているみたいです。
WBをオート設定にした写真もあるのですが、アマノジャクにはこちらのほうが気に入って。

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 葱の花つつたち 若者ら脱衣すれば鳩尾(みづおち)のきず腿のきず   (塚本邦雄:日本人靈歌)


早川書房のWEBにあげられている、 イタリアの小説家、物理学博士パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』の著者あとがき「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」から一部を抜粋します。

 マルグリット・デュラスの逆説的な言葉を思い出した。「平和の様相はすでに現れてきている。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却の始まりでもある」(『苦悩』)。
 戦争が終わると、誰もが一切を急いで忘れようとするが、病気にも似たようなことが起きる。苦しみは僕たちを普段であればぼやけて見えない真実に触れさせ、物事の優先順位を見直させ、現在という時間が本来の大きさを取り戻した、そんな印象さえ与えるのに、病気が治ったとたん、そうした天啓はたちまち煙と化してしまうものだ。僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。真実の数々が浮かび上がりつつあるが、そのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなることだろう。
 すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか。
 僕らはきっとぼんやりしてしまって、とにかく一切をなかったことにしたがるに違いない。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却の始まりでもある。

バラに雨

きのうの薔薇の写真をつづけます。

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 薔薇に雨自轉車置場一臺の華奢なる車體ふるへつつあり   (塚本邦雄:海の孔雀)

お隣りはお隣りでも西隣のおうちはもうだれも住んでいないのですが、毎日ご家族の方が来て掃除をしたり庭の手入れをされていて、やっぱりわが家とは比べ物にならない庭です。(雑草の蔓が伸びたり種子がとんでいってご迷惑かけてます。)

名前は分からないけどきれいな花が咲いていたので柵越しに一枚撮らせていただきました。

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きのうはスーパーへ買い物にいったらけっこうな混雑でした。
マスコミや知事などが「なお自粛を」「気を緩めず」といってますが、ガチガチとそれを守らない人がそこそこいて安心しました。
pithecantroupusの地域はずっと感染者が出ていないし、
たとえ出ても東京やソウルのような事態になることはないと思います。

「お上」のいいなりになる羊ばかりでは心配ですから。

コロナの感染者数が減っているのに「もっと自粛を」と言われると、
60点取ったのに、さあ次は70点よ、70点取ったら80点よ、と言われつづけているみたい。
60点取ったら、頑張ったわね、70点取ったら、すごく頑張ったわね、とほめてほしい。(爺だけど。笑)

潮騒に似て

雑草だらけの庭にひとつだけ咲いたバラです。手入れしていないので切り花にはならず写真で撮りました。(汗)

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アップしすぎてアブノーマル(変態)と指摘されそうなのでまともに全体像も一枚。
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さびしいので、2月末の写真の残りものも。鳥羽です。
ずっと以前に鳥羽で撮った写真と同じようなものだったのでゴミ箱へいってました。

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5月27日には早すぎますが、
 柿若葉潮騒に似て夜に入るをなぜかいまごろ海軍記念日   (塚本邦雄:汨羅變)


コロナ禍のニュースで厳しい立場に追い込まれている人々のことが報じられています。シングル・マザーもそうした立場ですが、pithecantroupusは、そんなニュースをコロナの過酷さの一端としかとらえていませんでした。愚かです。

先日、岩波のWEBから発言を引用した藤原辰史が、ミシマ社のWEBで連載しているコラムの中の「バンデミックの孤独」から引用します。

かれは、冒頭で、
  「ホーム」に「ステイ」しにくい人、ホームに心地よさを感じない人、ホームが監獄でしかない人、ホームがそもそもない人、そんな人びとにとって、「ステイホーム」という命令形は、じつは、極めて深刻な事態をもたらしているのである。

と書きます。そして新聞記事や直接シングル・マザーから聞いた例をいくつか引用しつつ、
  新型コロナウイルスは、よく言われるように「平等なウイルス」ではけっしてない。社会や政治という現象を消し去った真空状態ならば平等かもしれない。しかし、人間はそんな、摩擦のない世界を生きていけない。人間は、住んでいる場所や働いている場所、住んでいる環境によって免疫力も、ウイルスの居心地のよさも異なる。たとえ感染しなくても、感染症とは、経済活動の停止によって、体や心が弱っている人びとや弱りやすい経済状況にある人びとから、為政者は切っていく。新型コロナウイルスは、人間を平等にするのではなく、不平等をより拡大していく災厄にほかならない。

といい、シングル・マザーの抱える問題を、『シングルマザーの指摘は、凡百のコメンテーターの発言を凌駕する社会構築のヒントが詰まっている。』と指摘し、
  「高みの見物」が提出する論点の凡庸さに対し、これらシングルマザーたちの発言は、歴史学的に重要な論点を提出している。
 自己責任論にあるように厳しい社会をどのように乗り越えるべきか、という論点ではなく、どういう社会が生きやすいか、という論点にほかならない。

さらに、その社会について、
  子どもたちに「一日二食でいいよ」とその親に言わせる社会は端的に言って失敗である。なんの手続きも踏ませずに、普通に食にアクセスできるような社会、生命維持物資の提供に対し「ありがとう」という見返しを求めない社会の設計もまた、その生命維持物資の生産や消費にも増して重要だと考える。

と書いていていました。考えさせられ、反省させられました。

ゴミ箱ごそごそ

ゴミ箱をごそごそして引っ張り出してきたあれやこれやの写真を。

一枚は一昨日見つけて撮ったむかし使っていた暗室用品。フィルム・リールです。
一枚は約ひと月前に撮った野草。お昼ご飯に出かけた「ついでに撮った」写真です。
一枚は昨日の爺ちゃん(キヤノン7用50㎜0.95)と孫(ノクトン60㎜0.95)のモノクローム写真です。

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ブローニーフィルムの現像に使っていたリールは、ハマのプラスチック製とメーカー不明のステンレス製です。
ハマの製品はひとつでブローニー、ベスト、35㎜の3種類に対応するうえ、埋め込まれたボールベアリングで簡単にフィルムがセットできましたが、リールが濡れているとボールベアリングでフィルムのゼラチンが膨張して使えなくなるので、完全に乾かす必要がありました。

当時使っていた現像液は、「シュテックラー」2浴現像処方を単品の薬品から調合していました。
この処方を教えてもらった中川一夫「現像引伸のうまくなる本」(朝日ソノラマ社、現代カメラ新書)は暗室作業のバイブルでしたが、いまあらためて本を開いてみたら、書かれた内容への疑問や批判を書いたメモがいっぱい挟んでありました。



テレビをつけるとコロナのニュース。行政の発表と感染者数の数字の氾濫です。
「コロナウイルスとの距離のとり方 アンドレ・コント=スポンヴィル『哲学』(白水社クセジュ文庫)」という記事がありました。
冒頭の記事紹介を引用します。

『「私としては、全体主義国家のなかでコロナウイルスから救われ、そしてその全体主義国家を子どもたちに遺贈するよりは、自由のある国で罹患するほうがましです!」──COVID-19がもたらす公衆衛生上の危機について、白水社文庫クセジュ『哲学』の著者アンドレ・コント=スポンヴィルからのメッセージをお届けします。フランスの新聞各紙(Le Soir, Le Journal du dimanche, L’Echo, La Semaine)に掲載されたインタビューや対談をもとにまとめ、本人から公開許可をいただいた発言です。』

遊ぶ二つの

きょうは爺ちゃんと遊びました。

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爺ちゃんは昭和36年生まれの5群7枚で、同じ0.95でも僕の方が8群11枚ですからその分体重も250グラムぐらい重いです。フィルター径も爺ちゃんの方が5ミリ短い。
爺ちゃんはもう歳ですから上体前屈しても指先から地面まで1メートルもあって、僕の34センチにとても及びません。(それに山登りで岩にぶっつけて頭がすこし凹んでます。)

でも爺ちゃんは今でも謹厳な性格で、若いころに雑誌でいろいろ酷評されたにもかかわらず諸収差がよく修正されて、意外にボケません。
僕は50ミリの爺ちゃんよりも10ミリ背が高いので1.2でよかったのにと言われますが、0.95という同じ名前が誇らしいと思っています。


もう夏になってしまいましたが「遊ぶ」で、
 霞へだてて遊ぶ二つのいかのぼり父にかくし子母には連れ子   (塚本邦雄:閑雅空間)

鈴振る

きょうは雑草だらけのマイ・ガーデンでちょこっとだけパシャ。
ツバキの根元に咲いているのはもしかしたらスズランかも、とドキドキしながら撮りました。

むかしむかしダークダックスが「ランディシー、ランディシー」と繰り返していました。
あれは青春でした。

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こちらは正真正銘の「雑草」です。
小さな青い花をつけていましたが風で揺れて揺れて。

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 中空(なかぞら)に戀の路ありいまだ見ぬおもかげによせ鈴はさや振る   (塚本邦雄:新歌枕東西百景)

ひざまづきうたふ

きょうもことし3月に撮った写真の残りもので。
なつかしいようなあのころです。

五月の引用は朝ドラに引っ張られて、
 五月五日袋小路に醉漢がひざまづき<空の神兵>うたふ   (塚本邦雄:日本人靈歌)

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いまのコロナ騒動が終焉したあとで、渦中でがんばった人たちは”アプレゲール”とよばれるだろうか。まだ文学も芸術も出てきていないけど、きっとアプレゲールがでてくるだろうなあ。
その時になって、いまこの時をパチンコにかよっている人や引きこもっているだけでごろごろしているpithecantroupusは、アバンゲールと呼ばれるのだろうなあ。

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さまよへる天道虫

あ~、外へ出たい。
3月22日の写真であのころを思い出しています。すっと、むかしのことだったような気がします。
道端に一本だけ咲いていた河津さくらで。

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お説教くさくてイヤなのですが、(本当にイヤなのです!)
いまの気持ちを代弁していると思ったので、内田樹のWebから「隣組と攻撃性」(2020-04-27)という文の一部を引用します。

 人間は「今なら何をしても処罰されない」という条件を与えられたときにどのようにふるまうかで正味の人間性が知れる。これは私の経験的確信である。

 (SNSで激しい攻撃的な言葉を書き送る匿名の人たち)は「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時、自分の言動が処罰されない保証があると知れると、過剰に暴力的になる人間」である。そして、たぶん彼らは「あらゆる人間はそうだ」と思っている。でも、それは違う。
世の中には、「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時、処罰されるリスクがない時」でも、「お天道様」が見ているという自制を失わず、常識的に、ジェントルに、節度をもってふるまう人がいるからである。この人たちは「あらゆる人間が自分と同じだ」とはたぶん思っていない。でも、自分はそういう人間であり続けようと思っている。

 この二種類の人たちはいずれも少数派である。おそらくそれぞれ集団の10%内外だと思う(この辺の数字は私の経験知であるので、厳密ではない)。残りの80%はこのどちらが優勢であるかによってふるまい方を変える。
「どんなことがあっても穏やかに、市民的にふるまう人」はいつも同じようにふるまう。平時でも非常時でも変わらない。


お天道さまの歌が見つからなかったので、天道虫で、(汗)
 てのひらの迷路の渦をさまよへるてんたう蟲の背の赤と黑   (塚本邦雄:水葬物語)

献身

雑草の中でけなげに花をつけていましたが、あいかわらず名前はわかりません。(汗)

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雑草ぼうぼうの我が家の庭に一年おきに実をつけるレモンの木があり、ことしも花だけはたくさん咲きましたので、こちらも花が落ちる前に記念写真をパシャッ。

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苦手な花の写真で不満足なpithecantroupusはきのうのカメラの写真を貼ってちょっと留飲を下げます。

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きのうムービーの前に、家族が医療従事者になる道を選んだら動揺すると書きました。
同時にそれはエゴイズムだとも書きました。
それは出征する兵士を見送るような感情です。


ハーパース・バザーを翻訳した記事があったので、4月6日、エリザベス女王が世界保健デーにあわせて送った医療従事者を称えるメッセージを引用します。

 この世界保健デーを機に、イギリス連邦および世界中の人々の健康と福祉を保護し、向上させるために極めて重要な役割を担っているみなさんの無私無欲の献身と勤勉さに感謝いたします。
 この試練の時に、私たちは人間の精神の最も素晴らしい部分が前面に出てくるのを目の当たりにしています。大変困難な状況の中で、数え切れないほどの看護師や助産師、その他の医療従事者が献身的にサービスを提供してくださっていることは、私たち全員のお手本となっています。
 みなさんへの永続的な感謝をお伝えし、幸運をお祈りいたします。

翻訳者も「私たちも、医療関係者への感謝を忘れないと同時に、医療崩壊を引き起こさないよう努めたい。」と記事を結んでいました。こうした感謝の言葉は、一部の企業や団体やアーチストが発信しているものの、日本ではまだ少ないと感じます。すべてのマスコミや各界リーダーは、もっと声をあげるべきだと思います。

 獻身のきみに殉じて寢(い)ねざりしそのあかつきの眼中(がんちゆう)の血   (塚本邦雄:獻身)

そのむかし少年

テレビの前で撮ったレトロカメラに味をしめて再掲です。
カメラは前回と同じ、プリモジュニア替わりのSawyers MarkⅣです。

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「監禁中」につき、一年前の4月と5月の写真で短いムービーをつくりました。

 ほととぎす 百人の醫師そのむかし少年の日の鹹(から)き獨逸語  (水銀傳説)

コロナのせいで医師や看護師を進路に選ぶ人が減るのではないかと心配です。
もしも自分の孫たちが将来は医療に従事したいと言ったら、これまでとは違う心の動きになりそうです。
理性はエゴだと言っていますが感情は抑えがたいのです。



日頃中庸な人が「県外ナンバーの車が2台ぐらい走っているのを見た」と非難めいた言い方をしたのでびっくりしました。

ネットで検索したら、
 「自分が社会正義を執行したい」という欲求はとても強力なものなんです。自分が正しい側にいて、規範から逸脱した人を攻撃すると「自分はいいことをした」という報酬が脳内で得られるんです。
 その報酬が快感として味わえる。

と書いてある記事がありました。

「独自性」(自分は他人と違っていると思いたい)、「自己尊厳」(自分をより高く評価したい)などの個人的満足感、「達成」(自分の成果を評価されたい)といった少し社会的な満足感、「権力」(他者や世界に影響を与えたい)や「親和」(他者と仲良くなりたい)などの社会的満足感など、様々な満足感で脳が快感を覚えるのだとも。

pithecantroupusはカメラをいじったり、他の人が撮った写真を見たり、こっそり真夜中にヌード写真集を見てるだけで満足感が得られるのだけどなあ。(汗)

お代官さま残りものです

2月末の鳥羽行残りものです。
『おぬしもワルよのう』。

「お代官さま」の歌がないので季節外れですが、
 大寒の朝の屈辱われ措(お)いておとうとが處女雪を蹴散らせり   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

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残りものですから、おまけも付けときますね。

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数日前に「バタヤン、男泣き」というヘッドラインをネットで見て、いまどき田端義夫が何故?と思ったら、吉本の川畑泰史という芸人さんの話でした。
こんなちょっとしたところで「老い」を実感するのが度々になってきました。あ~、いやだ!

死ぬほど退屈

外出自粛につき部屋のテレビの前で一枚だけパシャッ。

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 死ぬほど退屈、されば油彩の涅槃圖に朱の蚤一匹を描き添えむ   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

すこし前の新聞コラムに、『神という字は、「ネコ+(プラス)1」に分解できる』という話(江坂遊からの引用)がのってました。
コラムは『人は「犬-(マイナス)、」だけどうんぬんとつづくのですが、どうみても猫の方が人間よりエライような印象です。
コロナばかりのニュースをあれこれ見ると、それも本当かもしれないという気がしてきました。