ふらふらと足を

お散歩写真をなおなお、です。

 帝王よ 音樂もまた官能のはだかむぎ煮らるるともはだか   (塚本邦雄:綠色研究)

01LR-P5301815-Edit-3.jpg
olympus e-m5mk2 300mm reflex
02LR-PF303820-Edit-3.jpg
olympus pen-f 5.8mm

きのうの武田泰淳『目まいのする散歩』を知ったのは、以前にリリー・フランキーを引用した雑誌の中だったのを思い出しました。161人の一人として立木義浩が書いていました。


 わが事務所には「積ん読」が思いのほかある。そのうち読むはずだったのに置きっぱなしにされていた本である。幸か不幸か、本を取り出して読む時間をあまるほど得た。
 武田泰淳の『目まいのする散歩』。
 これは氏の生前最後の本で、夫が口述し、妻が記述した八つの散歩から成り立っている。・・・(略)

 そして、最後の「安全な散歩?」の最後の二行は---。
<地球上には、安全を保証された散歩など、どこにもない。ただ安全そうな場所へ、安全らしき場所からふらふらと足を運ぶにすぎない。>
 と、このたびの大騒動を御覧になっていたようである。・・・(以下略)

むぎこがし舐め

散歩のついで、ではなく、写真が撮りたいから散歩しました。
散歩ですから家から5分くらいです。

ご近所の麦畑ふたたびです。
進化してない、というより退化している頭をレンズを変えることで補っています。(汗)

01LR-PF303807-Edit-3.jpg
olympus pen-f 5.8mm
02LR-P5301775-Edit-3.jpg
olympus e-m5mk2 15mm

 むぎこがし舐めゐるうからわが戀ふは夏山に目のごとく濡るる岩   (塚本邦雄:水銀傳説)


どこで読んだのか忘れてしまいましたが、これかも知れませんけど少し違うような気もしますけれど、武田泰淳の散歩のことが印象に残って、引きこもり中のpithecantroupusも外へ出たのです。

 地球上には、安全を保証された散歩など、どこにもない。ただ、安全そうな場所へ、安全らしき場所からふらふらと足を運ぶにすぎない。(武田泰淳『目まいのする散歩』より)

上の手や

つまらない写真、われながら。

借りている写真雑誌の今月号に、
 上達する人=個性的に撮りたい、自由に撮りたい、他人と同じじゃつまんない
 上達しない人=固定観念に縛られている、他人と同じがうれしい、真似が上達と思っている

pithecantroupusは完全に上のタイプです。
なのに結果に差がないのはカメラのせいに違いない。絶対に。(笑)

そうしたら同じ本の別のページに、何かのせいにする、カメラのせいにする、被写体のせいにする=上達しない人、と書いてありました。(涙)
ことしは上達をあきらめて「好きなる」を目指しています。

公園の一枚。
LR-M5224316-Edit-3.jpg
olympus e-m5mk3 60mm

手入れのない庭。
LR-P1011759-Edit-3.jpg
olympus e-m5mk2 60mm macro

 薔薇一枝逆手にしごき血みどろの兄上の手やかがやきにける   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

五月過ぎつつ遁げまわる

今回の自粛や休校に対して無料サービスを期間限定でしてくれているサイトがあって、おかげで宮部みゆき湊かなえの短編をタダで読ませてもらってます。

また公園とかの島にもどって。
01LR-M5224350-Edit-3.jpg
olympus e-m5mk3 60mm
02LR-M5224340-Edit-3.jpg
olympus e-m5mk3 60mm

追憶の神島も。
つぎの一枚目はまえにブログへあげたかもしれません。
03LR-EA227477-Edit-3.jpg
olympus e-p1
04LR-P1268546-Edit-3.jpg
olympus e-300


ネットでタダ読みだけでなく、pithecantroupusは他人の本を借りてまでタダ読みしています。
そんな雑誌GQジャパン最新号の表紙はリリー・フランキーの自筆の「ラブレター」でした。

 あなたは無事でいるでしょうか?
 日頃から、臆病なあなたのことだから、
 日々、心震わせていることでしょう。・・・(略)

 日毎、恐怖や憤り、呆れに希望が混濁して
 訪れてくるけれど、未来はあなたの瞳に
 どう映っているでしょう。

「私たちは、どう生きるか」というメイン・テーマで編集された雑誌の編集長の巻頭文が気に入ったのですが、そちらは長文なので、表紙(の一部)でお茶を濁しました。(汗)


 平穏無事に五月過ぎつつ警官のフォークを遁げまはる貝柱   (塚本邦雄:日本人靈歌)

辞書から

もうすんでしまいましたが25日は広辞苑記念日だったそうです。
きょうは、広辞苑と公園で。

LR-M5224321-Edit-3.jpg
olympus e-m5mk3 60mm

広辞苑は重いので、その編者新村出の私家集「重山集」とオリンパスEEDです。

国語辞典を使い始めたばかりの中学生の頃に、Aを引くとB、Bを引くとAと書いてある、
たとえば「右」を引くと「左の逆」、「左」を引くと「右の逆」と書いてある(循環定義というそうです)のを見て、
社会には本音と建前があるとはじめて知りました。

LR-DP2Q2433-Edit-3.jpg
sigma dp2q

 昆蟲は日日にことばや文字を知り辭書から花の名をつづりだす   (塚本邦雄:水葬物語)

その頃の無数

所用があって駅へよったら、京都、奈良、伊勢志摩などの観光ポスターが全部撤去されてました。
一方で駅なかコンビニが営業再開していました。それにご近所のドラッグストアへ行ったらマスクが買えました。

また公園、またあの島。
01LR-PF223792-Edit-3.jpg
olympus pen-f 17.5mm
02LR-PF223801-Edit-3.jpg
olympus pen-f 17.5mm


潮騒のクライマックスの監的哨です。2枚目は以前に同じ写真をあげているかもしれませんが。
03LR-P1267058-Edit-Edit-3.jpg
olympus e-500
04LR-EA227453-Edit-3.jpg
olympus e-p1


きのう引用した「隣人愛という概念は、改めて注目すべき」で福嶋は、

 コロナを文化史的な切断と考えるのは、おそらく過大評価だと思います。
 そもそも、現代のネットワーク社会では、人間はウイルス的な挙動に憧れていたわけですね。ウイルスのように「拡散」し「越境」することに価値を認めてきた。
 今回のパンデミックは表象的には貧しいものだと思います。

と指摘しています。アプレゲールなんてでてこないのですね。また、鋭くも、

 先日『ニューヨーク・タイムズ』で書いていた人がいたけれども(参照:Where Are the Photos of People Dying of Covid ?)、今回のコロナの報道では死者の映像はほとんど出てこない。我々が目にするのは空っぽになってしまった街の風景とか、ボール状のウイルスの画像とか、感染者数や死者数のグラフとか、そういうものですね。つまり、実際には悲惨なことが起こっているのに、妙にクリーニングされた表象がウイルスのように増えている。

 その一方、出来事の中心は空洞化したままです。たとえば、クルーズ船でウイルスがまん延した時も、クルーズ船の内部はろくに取材されなかったし、今もICUの状況をほとんど知ることができない。すでに3月に書いたことですが(参照:内なる敵と負の祝祭――震災とコロナウイルスのあいだで)、日本のマスメディアは「大本営発表」をやっているだけです。

とも。


季節が合っていませんが、
 大本營發表「連勝」その頃の無數の死者かこの寒鴉   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

なお

公園と神島と、なおなお、です。

LR-PF223781-Edit-3.jpg
olympus pen-f 17.5mm

樹木に架けられた名札に「センダン」と書いてありました。花を初めてみました。

引用も「なお」で。「なお」じゃないなどと細かいことは言わずに、
 わが愛におくれさきだつ花暦わかものの丈たちばなを越ゆ   (塚本邦雄:蒼鬱境)

01LR-P1267181-Edit-2-3.jpg
olympus e-500
02LR-P1267138-Edit-3.jpg
olympus e-500


『福嶋亮大が語る、パンデミック以降の倫理と表現 「隣人愛という概念は、改めて注目すべき」』というWEB記事が面白かったので、一部分を引用します。
パンデミック後の文学から始めて宗教に展開するという面白い話ですが、「上げ足」のような一部を、

 政治的に危惧すべきなのは、家畜化=国内化(domestication)が進むことです。韓国や台湾におけるコロナ対策で、行動履歴をデータ化したりしていますが、そうした技術がさらに浸透すれば、例えば店やイベントスペースやビルに入るときに一定以上の熱があると入場できないとか、行動を強く制限することが可能になる。これは家畜の管理と同じです。場合によっては、そこに外国人の締め出しが加わったりするでしょう。

 ここ数年EUでは、個人情報保護を規定する法としてGDPR(General Data Protection Regulation)が定められて、企業の大規模なデータ管理に抵抗してきましたが、実際にこのような状況になると、むしろ人権を気にしないアジアのやり方が効率的だということになって、超強力なバイオポリティクスと監視技術が合体したような制度が生まれる可能性があります。実際、ドイツはこの間プライバシー保全のために、分散型のコロナ追跡アプリを導入しようとした。ただ、それをやるとアメリカの巨大テック企業の支配力を強めることにもなりかねず、ジレンマを抱えているわけです(参照:Germany’s Angst Is Killing Its Coronavirus Tracing App)。

03LR-P1267143-Edit-3.jpg
olympus e-500


 そのうちにスマホが勝手に隣人との距離を測って警報を発したり、ヒトの体温を測って「危険、危険」といったり、風通しの悪いところでいつまでも移動しないと「密だ、密だ」と歌ったりするのじゃないかなあ。
 彼女といっしょにお風呂に入ると体温が上がるから「ピー!」、いっしょにベッドインすると密接するから「ピー!」、キスをすると濃厚接触だから「ピー!」。ガラケーには無縁の話だけれど。

刻つかさどり

きょうも、ご近所公園とむかしむかしの神島ノスタルです。
わざわざ公園までいかなくてもという雑草写真と、名前を知らない木の花から。

01LR-M5224204-Edit-3.jpg
olympus e-m5mk3 60mm
02LR-M5224275-Edit-3.jpg
olympus e-m5mk3 60mm
LR-M5224283-Edit-3.jpg
olympus e-m5mk3 60mm

追想の神島もちょこっとだけ。自己満足です。

01LR-P1268409-Edit-3.jpg
olympus e-300
02LR-P1268292b-Edit-3.jpg
olympus e-300

季節が早すぎるのですが、灯台にちなんで、
 わかものの眼の點燈と消燈の刻つかさどりつつつひに夏至   (塚本邦雄:感幻樂)


「暮しの手帖」編集長を今年年初からつとめてみえる女性が同社ブログに書かれた新刊発売挨拶からごく一部を引用します。

 このところ、なぜかしきりに胸に浮かぶ詩があります。茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」。あまりに有名な詩ですから、ごく一部だけ引用します。

 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて
 (中略)
 初心消えかかるのを
 暮しのせいにはするな
 そもそもが ひよわな志にすぎなかった
 
 駄目なことの一切を
 時代のせいにはするな
 わずかに光る尊厳の放棄

 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ

 たとえままならない状況下でも、雑誌をつくり、受け止めてくれる人がいる、それはなんて幸せなことだろうと感じます。『暮しの手帖』はそもそも、終戦から間もないまだ貧しい時代に、・・・(以下略)


茨木のり子は立派な詩人ですし、「暮しの手帖」編集長も立派な人なんでしょうね。
pithecantroupusはそんな立派さとは縁遠い性なので、
ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにし、初心消えかかるのを暮しのせいにし、駄目なことの一切を時代のせいにします。
でも、自分の感受性くらいは自分で守りたいと思っています。自己中の写真の弁解です。

キスにかがみ

きのう行った公園では小さな子供連れの家族が遊んでいましたし、ジョギング、ウォーキングする人たちともすれ違いました。
すこし安心した景色でした。

LR-PF223723-3.jpg
olympus pen-f 17.5mm

ピンぼけですって。いえ、これはファッションです。pithecantroupusのスタイルです。(ウソです。ピントを合わせ損ねました。(汗))
せっかく始めた神島ノスタルジーももうすこし続けて、映画「潮騒」の追憶などしつつ、

01LR-P1268331-Edit-3.jpg
olympus e-300
02LR-P1268562-Edit-3.jpg
olympus e-300

「タバコはやめよう」と下の案内がちぐはぐだと思います。
03LR-P1268549-Edit-3.jpg
olympus e-300


 あつき牛乳喇叭飲みせり映畫にはお休みの接吻(キス)にかがみ寄る父   (塚本邦雄:日本人靈歌)

キスはいけません。フェイスガードをつけましょう。(バカ!)

公園午の光さし

神島ひと休みして、きょうの午後ご近所の公園で撮った写真を。
撮れたて写真でマンネリ打破を狙いましたが、きょう撮ったというだけで進歩なしでした。(笑)

01LR-M5224254-Edit-3.jpg
olympus e-m5mk3 60mm
02LR-PF223738-Edit-3.jpg
olympus pen-f 17.5mm

 心やすらふ公園午(ひる)の光さし幼くて病める木々の群がり   (塚本邦雄:日本人靈歌)

回想のゆふべ、なお

回想、神島、彼のころ写真、なおなお。恥知らずと言われようとも厚顔のpithecantroupusです。(汗)

季節が合っていませんが、
 九階は前衛映画回想のゆふべいづこに杜鵑草(ほととぎす)散る睡唱群島   (塚本邦雄:睡唱群島)

あの日、神島の路地をうろうろしてました。
01LR-P1267153-Edit-3.jpg
olympus e-500
02LR-P1267169-Edit-3.jpg
olympus e-500


”お口直し”という弁解は雑草だらけの4月末の庭からです。

03LR-PF243494-Edit-2.jpg
olympus pen-f 60mm

いまだに自粛ポリスの発想が満ち溢れ、県外ナンバーがどうのとか、感染発生の過剰な詳細情報とか、子供の自由な行動さえ非難されています。あるところに、

緊急事態下にある社会は、弱い立場の者やマイノリティに非難の目を向けやすいのです。子どもを連れた母親も、弱者でありマイノリティです。冷ややかな目を向けてくる人に対しては、あなたに問題があるのではなく、その人自身が自分の不安と戦っているのだと思ってみてください。

とあったのを読んで、ああこわいのだ、臆病なのだと腑に落ちました。

どこか

潮騒の島、神島で撮った写真をきのうにつづけて、回想法、回想法。(笑)
でも、「らしくない」写真なので、「ここはどこ?」と言われそうです。「わたしはだれ?」と続かないだけでもマシです。

02LR-EA227382-Edit-3-2.jpg
olympus e-p1
01LR-P1267148-Edit-2.jpg
olympus e-500
LR-P1268501-Edit-2.jpg
olympus e-300


お口直しになっていないけど、2月末にご近所で撮った写真を小っちゃく。

03LR-P2201129-Edit-4.jpg
olympus e-m5mk2 135mm

「ここはどこ?」の「どこ」で、
 どこか病まねば夏逝かざらむあかときを絖(ぬめ)のごとき白粥   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

恥ずかしいことに絖(ぬめ)を知らず、検索して、滑らかに仕上げた絹織物だと教えられました。知らないことが多すぎて、これではあと何年生きればいいのやら。100歳はいくなあ。


水脈(みを)教へてよ

ふる~い写真をハードディスクから掘り起こしてみましたが、使えそうなものはごく僅かなところを見ると、少しは進化しているのかも。(汗)
さて、ここはどこでしょうか。(笑)

『その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら』
01LR-P1267066-Edit-2.jpg
olympus e-500
02LR-P1267013-Edit-2.jpg
olympus e-500

 鳥は吾(あ)に知らえぬ空の路行くか眞靑(まさを)の海の水脈(みを)教へてよ   (塚本邦雄:新歌枕東西百景)


10年以上前の写真なので、お口直しに、先日撮った雑草の我が家もおまけします。(恥ずかしいので小さくして。)

01LR-M5283799-Edit-2.jpg
olympus e-m5mk3 60mm

声がする

fc2ブログへのログインがスムースでなく、ちょっと気になりつつ、
今日の更新はまた我が家の放ったらかしのレモンの木です。

ちょっと品種が違いますが、クエン酸のクエンで、
 枸櫞(くえん)もてくちすすがなむ男らの娶りに神の悲しむ聲す    (塚本邦雄:香柏割禮)

LR-P5171597-Edit-2.jpg
olympus e-m5mk2 60mm

直接触れ合えば消えてしまう恋人という今のソーシャルディスタンスのタイミングにピッタリの『今夜、ロマンス劇場で』という綾瀬はるかと坂口健太郎主演の映画をテレビで見ました。二人がスカーフの両端を握って海辺を歩くシーンは切なかったし、老いた主人公役を演じていた、現実の死の直前だった加藤剛や起用した監督もすごいなあ。



先日引用した藤原辰史と京大人社未来形発信ユニット出口康夫との対談から引用します。主はコロナ後の社会についてなのですが、途中をごく一部引用します。

(出口) 様々なメディアを通じて発信される専門知、この場合、疫学、エピデミオロジーという専門知と、われわれの日常的な感覚のズレ、違和感を大切にすべきだと思っています。
 そもそも疫学、エピデミオロジーという学問分野で用いられている思考様式は、徹底した統計的な思考方法、現象を徹底的に数量化し大きな傾向性を拾い上げるというものです。現時点では、われわれ人類は、疫学的な思考様式に立つしかない。ただ、人命を徹底的に数量化して捉えるというのは、あくまでも非常時のみに許される、やむを得ない発想法であることを、肝に命ずるべきだと思います。われわれが普段生きている感覚では、人の命こそ、そういった数量化ができない最たるものである


かれらの会話は全体主義への危惧へと向かうのですが、日々の感染者数の変化に一喜一憂し、外出を控えて感染数のカーブを緩やかにと声高に言うテレビへの不快感がどこから来るのかちょっとわかった気がしました。
互いに触れ合うことができずにスカーフでつながって歩く綾瀬と坂口の方がずっと心に残りました。彼女のためなら、触りたいけど触らないという覚悟の方がずっと分かりやすいと感じました。

むらがりて探す

苦手な花ですが、謹慎中につき、雑草だらけの庭でパシャッ。
もっと上手に撮りたいなあ。

01LR-P5171677-Edit-2.jpg
olympus e-m5mk2 60mm macro
02LR-P5171660-Edit-2.jpg
olympus e-m5mk2 60mm macro

先日、「積読こそ完全な読書である」という記事を引用しましたが、三田評論というWEBにも「完全な読書」が消える未来?/佐藤卓己という記事があって、ますます意を強くした次第です。

それで積読の本の中から、いまどきに関係がありそうな本を取り出して、手指消毒のケースと一緒に記念写真をパシャッです。
真鍮のケースは看護師だった母の「遺品」です。(あっ、母はまだ死んでません。)

LR-P5171723-Edit-2-2.jpg
olympus e-m5mk2 60mm macro

 月光の書肆に少女らむらがりて毉書探す不吉なるみのりかな   (塚本邦雄:水銀傅説)