殘酷なる四月

きょうも1月末と4月初めのウメ、サクラです。ダメ同士なので2枚セットの大安売りで、どうだ!

 殘酷なる四月夕べをうつむきて歩めりき蜜月の花婿   (塚本邦雄:驟雨修辭學)

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先日引用した内田樹のインタビューで、最後のところはもう少しつづきがありました。「大人」を増やすのが大事という文のつづきです。

内田 (カミュの)『ペスト』では、猛威を振るうペストに対して、市民たち有志が保健隊を組織します。これはナチズムに抵抗したレジスタンスの比喩とされています。(略)
 『ペスト』の中で最も印象的な登場人物の一人は、下級役人のグランです。昼間は役所で働いて、夜は趣味で小説を書いている人物ですが、保健隊を結成したときにまっさきに志願する。役所仕事と執筆活動の合間に献身的に保健隊の活動を引き受け、ペストが終息すると、またなにごともなかったように元の平凡な生活に戻る。おそらくグランは、カミュが実際のレジスタンス活動のなかで出会った勇敢な人々の記憶を素材に造形された人物だと思います。特に英雄的なことをしようと思ったわけではなく、市民の当然の義務として、ひとつ間違えば命を落とすかもしれない危険な仕事に就いた。まるで、電車で老人に席を譲るようなカジュアルさで、レジスタンスの活動に参加した。それがカミュにとっての理想的な市民としての「紳士」だったんだろうと思います。
「紳士」にヒロイズムは要りません。過剰に意気込んだり、使命感に緊張したりすると、気長に戦い続けることができませんから。日常生活を穏やかに過ごしながらでなければ、持続した戦いを続けることはできない。
「コロナ以後」の日本で民主主義を守るためには、私たち一人ひとりが「大人」に、でき得るならば「紳士」にならなけらばならない。私はそう思います。

pithecantroupusは「紳士」とはいえないけど、自粛中にセクシーキャバクラや大分県の神社にいくほど「恥知らず」ではないよね。

比較論

おとなりの花と、わが家の庭の比較論、ふたたびです。
どちらがどちらか、やっぱり一目でわかってしまいます。
わが家の方をでかくして、えこひいき、えこひいき。(汗)

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明日へあるひは過去へ

ひと月前の写真です。
あのころ、すでにイタリアの死者数はピークになりつつあり、国内各地でも感染報告が続いていましたが、pithecantroupusはまだ他所の話だと感じていました。
ご近所の写真ですが、いまはその近所へ出かけることさえはばかられます。

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モクレンが咲いていました。
菜の花と、盛りをすぎた河津サクラは多重露光で。
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 明日へあるひは過去へ時計のねぢ巻くとわが指に夜の蕺藥(どくだみ)臭ふ   (塚本邦雄:水銀傳説)


数日、につかわしくなく饒舌になっていたので、きょうは写真だけにしてボロが出るのを隠すことにします。(笑)

果ててすがし

一昨日シュタインマイヤー大統領の演説を引用したもうひとつの理由がありました。

一昨日にバスに乗ったのですが、運転手の真後ろの席が使用禁止でした。運転手の感染防止です。
あらためて気がついたのは、リスクを冒して働いてくれている人がここにもいるという事実です。公共交通機関がこの時にダイヤ通りに動いているというのは奇跡的なことだと思いました。

きょうはわが家の雑草たちです。
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 かたばみの儚(はかな)き酸味戀果ててすがしや輕きわがうつし身の   (塚本邦雄:花にめざめよ)


内田樹のインタビュー『コロナ後の世界』から引用します。
元の文はインタビュアーが論理を自己の方へ都合よく引っ張ていて、部分部分は無理のある展開ですが、冒頭と最後だけ引用します。

内田 (略)最も危惧しているのは、「新型コロナウイルスが民主主義を殺すかもしれない」ということです。こういう危機に際しては民主国家よりも独裁国家の方が適切に対処できるのではないか・・・と人々が思い始めるリスクがある。

内田 確かに短期的なスパンで見れば、中国のような独裁国家のほうが効率的に運営されているように見えます。民主主義は合意形成に時間がかかるし、作業効率が悪い。でも、長期的には民主的な国家のほうがよいものなんです。
 それは、民主主義は、市民の相当数が「成熟した市民」、つまり「大人」でなければ機能しないシステムだからです。少なくとも市民の7%くらいが「大人」でないと、民主主義的システムは回らない。一定数の「大人」がいないと動かないという民主主義の脆弱性が裏から見ると民主主義の遂行的な強みなんです。民主主義は市民たちに成熟を促します。王政や貴族政はそうではありません。少数の為政者が賢ければ、残りの国民はどれほど愚鈍でも未熟でも構わない。国民が全員「子ども」でも、独裁者ひとりが賢者であれば、国は適切に統治できる。むしろ独裁制では集団成員が「子ども」である方がうまく機能する。だから、独裁制は成員たちの市民的成熟を求めない。「何も考えないでいい」と甘やかす。その結果、自分でものを考える力のない、使い物にならない国民ばかりになって、国力が衰微、国運が尽きる。その点、民主主義は国民に対して「注文が多い」システムなんです。でも、そのおかげで復元力の強い、創造的な政体ができる。
 民主主義が生き延びるために、やることは簡単と言えば簡単なんです。システムとしてはもう出来上がっているんですから。後は「大人」の頭数を増やすことだけです。やることはそれだけです。

pithecantroupusは年齢だけは「大人」だけどなあ。

アメリカに死

毎日おとなりを覗いていては何かあった時に「変な人」と告げ口されるので、きょうは茶畑ののこり物でいきます。(笑)

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 茶寮「山川」本日休業三男がひさかたのアメリカに死せりと   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)


きのうシュタインマイヤー大統領の演説を引用したのは、この記事を読んだせいかもしれません。

 生権力(せいけんりょく)という言葉がある。フランスの哲学者フーコーの概念で、人間を家畜のように捉える権力を意味する。たとえば税制を変えれば出生率も変わるが、そのようにして集団を「管理」するのが生権力である。

 生権力の働きは、非人称で政治的に中立なふりをしてくるので抵抗が難しい。だからこそ警戒が必要だというのが常識だったが、コロナ禍でその歯止めは吹き飛んだ。

 しかも現在台頭しつつある生権力は、感染拡大防止という「絶対善」とGPSのような監視技術に結びついているため、はるかに強力である。韓国や台湾では初期からスマホの位置情報で感染者の行動を監視している。欧州も始めている。

 ビッグデータの利用はさらに多くの国で行われている。米国ではスマホ監視により集会が確認され警察が出動したと伝えられる。位置情報は究極のプライバシーだし、集会がなければ政治的自由もない。数カ月前ならいずれも非難の大合唱が起こったはずだが、いま異議を唱える声はほとんどない。世界はコロナの恐怖に駆り立てられ、自由や人権についての議論をかなぐり捨てつつある。

 人類は残念ながら、生き残るためには家畜になってもいいと判断したようだ。緊急なのでやむなしとの声もあろうが、問題は二つある。一つはコロナ禍の出口が見えないこと。日本でも緊急事態宣言が発令され、感染拡大のため接触の8割削減が必要だといわれている。しかしウイルスが完全に消えることはない。いつ監視は終わるのか。

 そしてもう一つはコロナ禍後の社会のヴィジョンがほとんど語られないことだ。コロナは人類全体を滅ぼすほどのウイルスではない。ほとんどのひとは生き残る。そのときどんな社会を残すかも考えるべきである。いまマスコミでは命か経済かと選択を迫る議論が多い。でも本当の選択は「現在の恐怖」と「未来の社会」のあいだにもある。こんな監視社会の実績を未来に残していいのか。

 人間は確かに動物である。だから動物を管理するように管理すれば感染は防げる。でも同時に人間は動物では「ない」。そのことの意味を、絶対忘れてはならない。(※AERA 2020年4月20日号)

ペストのにおい

手入れされたお隣の花と、放ったらかしのわが家の庭の比較論。
どちらがどちらか一目でわかるのは、写真を撮る腕がいいからです。(ウソ!)

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きょうも長く引用します。
メルケル首相と同じドイツのシュタインマイヤー大統領が4月11日行った「私たちは分岐点に立っている」というテレビ演説の一部です。(ドイツ大使館のHPから引用しました。)


 皆さんの多くが、今までのご自分の枠を越えた変化を遂げておられます。このことに私は感謝の念を覚えます。

 (略)私たちは、分岐点に立っている。私はこう思います。危機が進行中の今すでに、私たちがとりうる二つの異なる方向性が見えています。誰もが自分のことのみを考え、人を押しのけ、買い占めに走り、自分がほしいものの確保だけはする。そんな世界を目指すのでしょうか。それとも、人のため、社会のために役立ちたいという新たに目覚めた気持ちが、今後も人々の心にとどまり続け、はちきれんばかりの創意工夫と助け合いの精神が今後も維持されるのでしょうか。買い物を手伝ってあげた年配の隣人との交流は続くのでしょうか。レジ打ちの人や小包配達の人に、今後も然るべき敬意を払い続けるのでしょうか。また、看護や介護、食品・生活必需品の供給やライフラインの確保、福祉、保育、学校の現場において、欠かすことのできない働きを担ってくれている人々への然るべき評価について、感染拡大が過ぎ去ったあとも私たちは覚えているでしょうか。また経済的に今回の事態をうまくやり過ごすことができた人々は、とりわけ痛い打撃をこうむった人々の立ち直りに支援の手を差し伸べるでしょうか。

 (略)現下の事態は、私たちの人間性を試しているのです。こうした事態は、人間の最も悪い面と最も良い面の両方を引き出します。お互いに私たちの最良の面を示していこうではありませんか。(以下略)


 太陽王印石鹼もて洗ふ沓下に黑死病のにほひ   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

のってうつされ

なお盗み撮り。おとなりの庭です。(汗)
花の名前は、スパラキシスだそうです。(まりさんトッコス爺さんに教えてもらいました。)

さすがに盗撮の歌はないので、
 ぬすみぎきなどするくせは皇帝の馬車に便乗してうつされき   (塚本邦雄:水葬物語)

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4月23日は“World Book Day”だったそうです。
それで最近『積読こそが完全な読書術である』という本を書いた永田希のインタビュー記事を抜粋して引用します。


永田:学生の頃から漠然と、「読める本は全部読みたいと思っていたけど、本って多すぎない?」ということがわかってきました。

永田:友だちと話していてずっと気になっていたんですよね。自分が読んだ本のことを話しても相手は読んでいないことが多いし、逆もしかり。しかも話題の本や古典だったら「ああ、持ってるけど読んでないんだよね。積んでる」という話になりがちだな、と。
 世の中には「積んじゃってる本、どうしよう?」と思っている人の方が多いんじゃないかと。

永田:いや、僕も昔は(積読は)「やましいもの」と思っていたんですよ(笑)。でも、積読のほうが本の在り方としては本来的なのであって、後ろめたさは近現代に形成された社会的な風潮の影響によるものが強いと思っています。

 たとえばフランスの国立図書館で司書をしていたジョルジュ・バタイユの『ジル・ド・レ論』には、ジル・ド・レは大貴族でラテン語も読めたはずなのに、家にある大量の蔵書を読んだ形跡が全然ない、と書いてあります。ヨーロッパでは貴族やブルジョアがまわりに見せびらかすために屋敷に豪華な製本をした書物を陳列する本棚を据えた応接間をつくる、なんてことを平気でしていました。かつて書物は本棚に鎖で繋がれていて、容易に持ち出せないという時代もありました。本は、知識を保存しておくための貴重品だから、それを所蔵することには意味はあるけれど、「読まない本がある」ことをやましいと思っていなかったんじゃないかと僕は考えています。

永田:じゃあなぜ後ろめたく思うようになったのか? あくまで僕の仮説ですけど、ふたつ理由があるだろうと。
 ひとつは勤勉革命です。「本は勉強のために読むもの。買ったのに読まないやつは怠惰で出世できない」ということになっていったんじゃないかと。
 もうひとつは、本は個人の一生を超えたアーカイブとして受け継がれていくものだ、というイメージの衰退ですね。たとえば図書館は最近では「無料で本を借りられる場所」みたいに思われているけれども、もともとは知をアーカイブする場所です。ある共同体が積み立ててきた蔵書を受け継いで研究し、そして後世の子や弟子に伝えていくという蔵書観がなくなると、積んである本は無用の長物になってしまう。
 「勤勉革命」と「アーカイブとしての蔵書観の衰退」が重なって「置いてあるだけの本に価値はない。本は読んで役立てないといけない」になったのではないかと。

永田:ただ、定期的に本棚を見直して並び替えたり、いらないと感じた本を古本市場に放流するという「積読のメンテナンス」は推奨しています。「自分はこういうものが好きなんだな」「これはもう必要ないと思っているんだな」と確認する自分の鏡、プレイリストのようなものとして手入れをした方がヘルシーな知的生活が送れる、というアドバイスはしています。


本を断捨離しろと言われ続けているpithecantroupusには心強い話です。

名を知らず

自粛中につき、おとなりの庭の花を盗み撮り。(汗)

わが家は雑草だらけですが、おとなりの奥様はきれいに庭を手入れされています。

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今日、sigmaのコンデジ、dp0quattroとdp2quattroのファームウェアがアップデートされたのでさっそく更新しましたが、はやくコロナウィルスが下火になって試写してみたいなあ。
(「ティールアンドオレンジ」というカラーモードが追加されたそうです。)

テレビをつけてもコロナばかりで、
ワイドショーで司会者が声を張り上げていたりすると、ソーシャルディスタンスも意味が無くなると白けてしまいます。
むかしの教育テレビ、Eテレを見ることが増えました。

テレビは、もっと音楽や文学や美術で力づけてほしい。
美術手帖のサイトでこんな記事を見ました。

きょうの花の名前が分からないので、
 イェルサレムに蘇りたる人の名を知らず。われらに晩餐の獨活(うど)   (塚本邦雄:装飾樂句)


ひと椀の茶はこいよりも

ふたたびご近所のお茶畑の写真です。
三重県はお茶の生産量が全国3位です。

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 淸らかに一世はあらむ一椀の綠茶は戀よりもにほやかに   (塚本邦雄:淸水園 銘茶命名由來)

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あれか!

もうすこし桜で。
でも「残りもの」写真です。(汗)

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 櫻ちりつくしてゆふべうちつけに銃聲、銃のこゑとはあれか!   (塚本邦雄:汨羅變)


ちくま書房のHPに、アメリカの左派系雑誌に2020年3月14日付で掲載されたコロナに関する記事が紹介されているのですが、引用するのは、その記事の解説文(解題。4月5日 執筆)のほうです。

【解題】
 (略) 日本のコロナ対策について、今言えることはなんだろう。私自身は、面倒な制度を作るのではなく、わかりやすいが何も残らない形でカネやものをばら撒く政治の最果てに来てしまったように感じている。
 (略) かつて日本の政治は、土建屋政治、バラマキ政治と揶揄されたが、そこでは少なくとも何かを作っていた。無駄な公共事業をやめた方がいいのは自明だが、今では保育園を作る代わりに無償化という手っ取り早く金だけ出すやり方で票集めをしている。そして実際の施設づくりや運営は民間に丸投げされる。保育士の待遇をはじめ、これがいかに責任逃れの馬鹿げた政策かは明らかだ。
 私たちは、世界一の長寿国日本の医療の平均水準が、アメリカのようなものでなかったことに心底感謝すべきだろう。また、中国のようなトップダウンのハイパー監視体制にないことをありがたく思った方がいい。このように評価すべきところは評価しながら、パンデミックによってあらわになる社会の弱点や政治の欠陥を把握し、社会を変えるきっかけを探らなくてはならない。

う~ん、pithecantroupusは10万円も欲しいけどなあ。
未来への借金だと分かっていても、『ください』って手を出すなあ。
もらっておいて文句言うなといわれても、言いたことは言うなあ。

恨みに似て

いそいで『ついでに桜』写真をアップ、アップですが、きれいな山桜はボケボケです。「何撮ってるの」になってしまっています。(笑)

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 泥濘(でいねい)落花に埋(うも)れ「歴史は人類の巨大な恨みに似てゐる・秀雄」   (塚本邦雄:汨羅變)

引用歌の秀雄は小林秀雄で、かれが太平洋戦争中に上梓した『歴史と文学』に 「一度起って了った事は、二度と取返しが附かない、とは僕等が肝に銘じて承知しているところである。それだからこそ、僕等は過去を惜しむのだ。歴史とは人類の巨大な恨みに似ている。」とあり、この後、子を失くした母親を例に引きながら展開するそうです。

花ありふれて

お茶畑で一服したのでまたサクラにもどります。お茶のつづきはまた後で。

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 この世にさむき櫻てふ花ありふれて癒えそこなひのインフルエンザ   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)


岩波新書HP「B面の岩波新書」に藤原辰史「パンデミックを生きる指針——歴史研究のアプローチ」という文が載っています。(同HPに、PDF版は自由に印刷・複製して頂いて構いません、とありました。)
その第5節から一部を引用します。

スペイン風邪の教訓
スパニッシュ・インフルエンザの過去は、現在を生きる私たちに対して教訓を提示している。

第一に、感染症の流行は一回では終わらない可能性があること。スパニッシュ・インフルエンザでは三回の波があった。

第二に、体調が悪いと感じたとき、無理をしたり、無理をさせたりすることが、蔓延をより広げ、より病状を悪化させる。

第三に、医療従事者に対するケアがおろそかになってはならない。スパニッシュ・インフルエンザを生きのびた人たちの多くが、医師や看護師たちの献身的な看病で助けられたと述懐している。

第四に、政府が戦争遂行のために世界への情報提供を制限したことがスパニッシュ・インフルエンザの爆発的流行を促進した大きな原因である。情報の開示は素早い分析をもたらし、事前に感染要因を包囲することができる。

第五に、スパニッシュ・インフルエンザは、第一次世界大戦の死者数よりも多くの死者を出したにもかかわらず、歴史的な検証が十分になされなかった。きちんとデータを残し、歴史的に検証できるようにしなければならない。スパニッシュ・インフルエンザがそうであったように、危機脱出後、この危機を乗り越えたことを手柄にして権力や利益を手に入れようとする輩が増えるだろう。

第六に、政府も民衆も、しばしば感情によって理性が曇らされる。百年前、合衆国公衆衛生局は、当時の反ドイツ感情の高まりで、ドイツのバイエル社のアスピリンにインフルエンザの病原菌が混ぜられて売られているという噂でパンデミック真っ只中にアスピリン錠の検査をさせられていた。あるいは、政治家たちが差別意識から自由な人間だったら、危機の時代でも、人間としての最低限の品性を失うことはなかっただろう。品性の喪失は、パンデミック鎮静化のための国際的な協力を邪魔する。

第七に、アメリカでは清掃業者がインフルエンザにかかり、ゴミ収集車が動けなくなり、都市の衛生状況を悪化させた。

第八に、為政者や官僚にも感染者が増え、行政手続きが滞る可能性がある。たとえば、当時のアメリカのウィルソン大統領もが感染している間に、ドイツへの懲罰的なヴェルサイユ条約の方向性が決まってしまった。


pithecantroupusは、ついあの品性のない大統領を想像してしまいました。

あたらしき死をまた死者にうばはれ

アマノジャクpithecantroupusは三日もサクラがつづくとついつい浮気をしたくなって、新芽の出始めたお茶畑です。

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お茶とはまったく無関係ですが、「ちゃ」つながりということで、(汗)
 香椿(ちやんちん)の腋芽つのぐむあたらしき死をまた死者にうばはれしかば   (塚本邦雄:星餐圖)



各国のリーダーが国民への呼びかけをしていて、とくにエリザベス女王とかメルケル首相とかジョンソン首相が有名みたいです。

メルケル首相の3月18日のテレビ演説から引用します。(全文は在日ドイツ大使館に動画、訳文とも見られます。)
まず事態の把握をしています。

 新型コロナウィルスにより、この国の私たちの生活は今、急激な変化にさらされています。日常性、社会生活、他者との共存についての私たちの常識が、これまでにない形で試練を受けています。
 事態は深刻です。皆さんも深刻に捉えていただきたい。ドイツ統一、いや、第二次世界大戦以来、我が国における社会全体の結束した行動が、ここまで試された試練はありませんでした。


国民に求めることは繰り返し分かりやすく話しています。

 最も有効な手段とは、私たち自身です。誰もが等しくウイルスに感染する可能性があるように、誰もが助け合わなければなりません。まずは、現在の状況を真剣に受け止めることから始めるのです。そしてパニックに陥らないこと、しかしまた自分一人がどう行動してもあまり関係ないだろう、などと一瞬たりとも考えないことです。関係のない人などいません。全員が当事者であり、私たち全員の努力が必要なのです。

 私たちには対抗する手段があります。それは、互いへの配慮から人との間に間隔を置くことです。(中略)今は、距離を置くことが唯一、思いやりなのだということを、本当に全員が理解しなければなりません。

 皆さん、どうか噂話は信じないでください。様々な言語にも翻訳されている公式な発表だけを信じてください。


民主国家のリーダーらしく、ヒトラーがいた国らしく、EUのリーダーらしい言葉もあります。

 制約は、渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利であるという経験をしてきた私のような人間にとり、絶対的な必要性がなければ正当化し得ないものなのです。民主主義においては、決して安易に決めてはならず、決めるのであればあくまでも一時的なものにとどめるべきです。しかし今は、命を救うためには避けられないことなのです。(略)
 我が国は民主主義国家です。私たちの活力の源は強制ではなく、知識の共有と参加です。現在直面しているのは、まさに歴史的課題であり、結束してはじめて乗り越えていけるのです。(略)


そして国民を思いやる心にあふれています。

 この機会に何よりもまず、医師、看護師、あるいはその他の役割を担い、医療機関をはじめ我が国の医療体制で活動してくださっている皆さんに呼びかけたいと思います。(中略)皆さんが果たされる貢献はとてつもなく大きなものであり、その働きに心より御礼を申し上げます。(略)
 さてここで、感謝される機会が日頃あまりにも少ない方々にも、謝意を述べたいと思います。スーパーのレジ係や商品棚の補充担当として働く皆さんは、現下の状況において最も大変な仕事の一つを担っています。皆さんが、人々のために働いてくださり、社会生活の機能を維持してくださっていることに、感謝を申し上げます。


pithecantroupusも理性を持って行動します。

やらせカミュ

ご近所でサクラを見ることができる幸せをつくづくとありがたいと感じます。
きょうも『ついでに』写真のつづきで一枚です。

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 往きて還らぬのみならずその先々に黑死病(ペスト)はやらせたりカミュ殿(どの)は   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

カミュの本がよく売れているそうです。
pithecantroupusは多分本は持っていると思うのですが読んだことがありません。
テレビの「100分で名著」の連続5回放送を見ただけで読んだつもりになっています。(笑)
薄っぺらい番組のテキストでも読み直そうかなあ。

また出遅れた

『ついでに』写真と『残りもの』写真ばかりで恐縮です。(汗)
でも身近なところで撮れることに感謝しています。

向こうに桜が咲いているのにこちらを撮ってしまうアマノジャク。
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雑草まるけの庭で撮ったツバキの『アマノジャク』バージョンも。
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 きみが「處女宮(ヴイルゴ)」とは面妖な春晝を塵芥燒却場前に佇ち   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

経産省が家庭用洗剤の界面活性剤、ウェットティッシュの塩化ベンザルコニウムなどの第4級アンモニウム塩、電気分解法で生じた次亜塩素酸水のコロナウィルスへの有効性を調べるというニュースが流れたとたんに、地元のドラッグストアの棚から該当商品が消えたそうです。(ご近所のおばさんの立ち話)
pithecantroupusは出遅れてしまいました。