方寸の地にたたずみ

また上石津にもどって。

江戸時代にここを支配した美濃衆高木家は一万石以下の旗本でしたが木曽三川を管理して権威を誇ったそうです。
高木氏が室町時代末期に大和からここへ入った時に、この地に伝わった古文書を集めて焼いたそうです。封建領主というのは野蛮であり、支配は過酷だったのですね。

のちに百姓が幕府に訴えたときに自分たちの出自を誇るような表現があったり、高木家が幕府に出した報告に住民が従順でないと書いてあったりするようで、支配する者の傲慢さがうかがえます。支配者側からでなく百姓の側から歴史を聞きたいと思いました。

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『封建』の歌を探し損ねたので、ほぼ近いということで『ほうすん』。(汗)
 方寸の地にたたずめど立志など記憶の外(ほか)に冬菫濃し   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

美しき灯消す

きのうの写真の季節感のなさを反省して(反省はきょうだけですが)、先週撮った鳥羽の写真で。

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多重露出
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多重露出
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多重露出

 雛祭祀(まつ)るべきものわれにあたへいもうとが美しき燈(ひ)を消す   (塚本邦雄:花にめざめよ)

うつしあふ

きのうにつづき大垣市上石津で撮った写真です。
どこで撮っても同じ、どの季節にとっても同じ写真と言われそうです。

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 沈丁花かをらぬままに二月盡あねいもうとが風邪うつしあふ   (塚本邦雄:豹變)

コロナウィルス流行で、マスクをせずにいると白い眼で見られる昨今です。
アマノジャクにとっては勇気を試されているような気分。
pithecantroupusは意志薄弱なアマノジャクなので、ついついマスクをしてしまいます。悔しいけれども。

光刺す

大垣市上石津へ、TVドラマに触発されて”にわか光秀おたく”になった友人に誘われて行ってきました。この地が光秀生誕地かもという話のようです。

アマノジャクpithecantroupusは周りが騒ぐと白けてしまって、逆に興味をなくすタイプですが、里山風景が好きなので喜んで出かけました。公認の外出なので家出ではありませんよ。

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olympus e-m5mk3 85mm
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olympus e-m5mk3 42.5mm

このあたりは上石津多良と呼ばれるようで、その中の「宮」という場所に目的の郷土資料館がありました。
多良のとなりには「時」という場所があり、かつては炭焼きで有名なところだったそうです。多良、宮、時と、歴史を感じさせる地名だなあと感じました。

 飛梅の飛ぶ香はるけき寒昴(かんすばる)耳の迷宮に光刺すなり   (塚本邦雄:されど遊星)


時の時山というところは落人伝説もあるそうで、「時山小唄」という歌謡は、

浪の屋島を遠く遁(のが)れきて 薪刈るてふ 深山(みやま)辺に 
烏帽子 かりぎぬ ぬぎ捨てて 今は美濃路の 杣家(そまや)かな
こころ淋しや落ち行くさきは 川の鳴る瀬に 藤機(はた)たてて 浪に織らせて 岩に着せう

と源平合戦の屋島を歌うそうです。

春のいそぎ

世間知らずが高じないようにここは季節ものもひとつあげて人並みにご近所の梅林公園です。

 伊東静雄『春のいそぎ』に伴林光平の「梅一枝」のかたみ   (塚本邦雄:汨羅變)

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olympus e-m5mk3 85mm
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olympus pen-f 25mm
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olympus e-m5mk3 85mm

伊東静雄『春のいそぎ』の自序は次の通りです。(国立国会図書館デジタルコレクションより)

 草蔭のかの鬱屈と翹望の衷情が、ひとたび 大詔
を拜し皇軍の雄叫びをきいてあぢわつた海闊勇進の
思は、自分は自分流にわが子になりとも語り傳へた
かつた。そこで、大詔渙發の前二年、後一年餘の間
に折にふれて書きおいたものを集めて、一册をつく
つたのである。
 その草稿をととのへて、さて表題の選定に困じて
ゐた時、たまたま一友人に伴林光平が
  たが宿の春のいそぎかすみ賣の重荷に添へ
  し梅の一枝
の一首を示されて、ただちにそれによつて、「春のい
そぎ」と題した。大東亞の春の設けの、せめては梅
花一枝でありたいねがひは、蓋し今日わが國すべて
の詩人の祈念ではなからうか。

 昭和一八年四月        伊東靜雄

わたしもそこへ行けますか

きみはどうやってそこへ入ったのだろう。いつからそこにいるのだろう。
きのうと同じぐらいの大きさの、化粧水でも入っていたような瓶でした。

ストーリはまったく異なりますが夢野久作の代表作の名前を想起してしまいました。『瓶詰地獄』。

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olympus pen-f 25mm

季節が不整合ですが、
 壜の辣韮(らつきよう)天に首よせつつ死する五月、大人國(ブロブデインナグ)に友欲し   (塚本邦雄:綠色研究)

瓶の中から見る外界はブロブディンナグのように見えるのではないかなあ。

あるひは過去へ

江戸川乱歩が上京前に鳥羽の造船所で働いていたそうです。
彼が住んでいた向かい側の、友人だったという人の家で乱歩に関連したものが展示されています。(江戸川乱歩館)

ポスターの貼ってある窓、むかしのひげそりローションのビン、それなりに古い柱時計を撮りました。

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olympus pen-f 25mm
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olympus pen-f 25mm
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olympus e-m5mk3 135mm


 窓をよぎるは赤き帆柱ははそはの母よはや生(う)みたまふな何も   (塚本邦雄:閑雅空間)
 地主らの凍死するころ瓶詰の花キャベツが街にはこび去られき   (塚本邦雄:水葬物語)
 明日へあるひは過去へ時計のねぢ巻くとわが指に夜の蕺藥(どくだみ)臭ふ   (塚本邦雄:水銀傳説)

検索して、『ははそは』が母に、『ちちのみ』が父にかかる枕詞と教えてもらいました。学校で習ったかしら。「たらちね」は習ったけれども。まして『ははそ』がどんな樹なのかはじめて知りました。恥ずかしい。(汗)
いつも万葉集を教えてもらっているブログ「万葉集の秘密」でちゃんと書かれていたのに見過ごしていました。

海女のいる

雨でも花粉が飛ぶのでしょうか。それとも真性の鼻風邪ですか。
ヒーヒーいいながらプチ家出して、鳥羽でちょっとだけ撮りました。
ちょっとだけなので、少ない成果を出し惜しみして一枚だけ。

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olympus pen-f 25mm


 海士(あま)びとの戀ゆめうつつすりあはす赤銅(あかがね)の肌、靑銅(あをがね)の肌   (塚本邦雄:新歌枕東西百景)


あの大統領や総理大臣や官房長官はなんと破廉恥なんだとおもっていたら、自分がいつの間にか恥知らずの中に入っていました。
きのうイオネスコのことを書いた後、インターネットで彼女の作品を検索したら、代表作だと思っていた写真が出てこないのです。

それは少女がガーターを着けて娼婦かポルノ女優に扮したようなヌード写真でした。
それで初めて気がついたのは「児童ポルノ」です。

児童ポルノ禁止は世界共通の意志ですが、イオネスコの写真は確実にその意志に反していると言えます。
そんな写真を疑問も持たずに検索していた自分が、非常識の世界に踏み込んでいたことにようやく気付いたわけです。

インターネットやテレビで様々な情報を得たつもりになっていましたが、それはpithecntroupus用にカスタマイズした情報でしかなかったと気付きました。知識を切り捨てたことで常識の世界から外へ出てしまっていたのです。(涙)

草の秀

きょうも花粉の日でした。
泣き泣き一枚だけ。
まいどまいどの雑草です。

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olympus e-m5mk3 300mm reflex

 聽かねどもバッハ「旅行く最愛の兄に寄す」てふ 雨の草市   (塚本邦雄:されど遊星)
 草の秀(ほ)にましてするどきこころもてひとりし赴(ゆ)けり炎(も)ゆる夕べを   (塚本邦雄:透明文法)
 草嶺のその二つ家に燈(ひ)ともせば星落ちしやと神とがむらむ   (塚本邦雄:新歌枕東西百景)


先日、『個性的な写真を撮るために非常識になる人はいっぱいいますが、写真でメシを食っているなら世間の常識で非難されても当然。しかし、非難されても撮り続けてほしい』と書いたのは、あるブログ記事(NewOrder)でヴィオレッタという映画の記事を読んだせいかもしれません。
女性写真家イオネスコの写真を初めて見たときは驚きました。それは中学生のころにウィン・バロックの「森の中の少女」を見たときの驚きと共通します。イオネスコの写真の裏話をあのブログ記事で知って、彼女の写真に惹かれる感情がはたして善なのか悪なのか迷います。

花粉の日

涙、鼻水、くしゃみです。
なんだか、頭痛までします。
花粉に負けて、「自己中」の写真を一枚だけです。

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olympus pen-f 50mm macro

きのう柄にもないことを書いたのは読書中の高橋克彦短編集「非写真」のせいかもしれません。12円で買った古書です。
小説には常識からすればどうなんだという写真家(?)が出てくるのですが、同時に彼らを私はすでに知っていたとも感じたわけです。

作者と思われる「私」が写真にまつわる怪奇現象を経験する話が九編はいっているのですが、残念なことに写真に思い入れがあるという「私」の中途半端な写真解説がブレーキです。かれがとうとうと語る遠野物語の写真などあまりにつまらなくて、『あなたは小説家で良かったね』となぐさめたくなります。


 病めば怒りやすき若者黄昏に花粉のごとき咳藥嚥み   (塚本邦雄:驟雨修辭学)

母在り

残滓のつづきということで、ご容赦を。

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olympus e-m5mk3 17mm
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olympus pen-f 42.5mm


周南市が主催する写真賞「林忠彦賞」を3年続けて女性がとりました。こう書くと女性差別といわれそうですが、気になるのです。しかも彼女は写真家でない!
(恥ずかしいことに、受賞者笠木絵津子さんの名前も作品「私の知らない母」も知りませんでした。)

林忠彦賞のHPにある数枚の写真を見るだけで心が動きました。
どれも、その一枚で物語が浮かんできそうです。
たとえば『1953年正月、兵庫県尼崎市元浜町2の89の引揚げ者の寮にて、私を抱く母と、母を抱く私』など、しばらく視線が停止したままになりました。


 母在りしいつの春夜か蛤の潮汁(うしほ)かすかに血のにほひして   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

残滓というべきか

そろそろ名張ものこり少なくなって残滓というべき。(汗)

中身の薄さを「残」で三つも引用してごまかします。、
 春雷のしきりなるあかときの闇『晩年』は古書市に殘れりや   (塚本邦雄:風雅)
 西空に紅梅一枝うかうかと殘年に踏み入りつつわれは   (塚本邦雄:海の孔雀)
 殘忍に春の蚊殺(あや)めうつしみの脈迅し風邪熱の妹   (塚本邦雄:靑き菊の主題)

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olympus e-m5mk3 17mm
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富士フィルムの新機種のプロモーション・ビデオが非難を浴びていたようです。写真家の撮り方が現在の常識からは逸脱しているからのようです。相手に断らずにいきなりカメラを向けてシャッターを押すスタイルがです。

個性的な写真を撮るために非常識になる人はいっぱいいますが、写真でメシを食っているなら世間の常識で非難されても当然だと思います。
しかし、非難されても撮り続けてほしいとも思うのです。(pithecantroupusが好きでない写真であっても。)

いまは世界遺産になっている古寺を撮るとき構図の邪魔だと境内の松の枝をノコギリで切った土門拳も見つかれば叱られたでしょうし、少女の裸をひそかに撮っていたルイス・キャロルも見つかれば数学者の地位を失ったでしょう。でも、今に残った写真はわたしの心をつかみます。

未知は救いなら既知は?

また名張の写真にもどって、毎度同じような写真で。
旅館名を書いた金文字が気になるのです。とうふ屋さんはかろうじて読める看板ですが現役でした。

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olympus pen-f 42.5mm
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またいつものように季節外れですが、
 未知は救ひ 夏ふかくなり水槽に豆腐傷つきあひつつ沈む   (塚本邦雄:日本人靈歌)


大阪の天牛古書店がなくなって寂しいと思っていたら今度は京都の三月書店が閉店と聞きました。
ネットでは最近の本がウソのような値段で売っていて何だか申し訳ない気分になります。

といいつつネット通販で高橋克彦のホラー短編集を12円で買いました。
ホラーは苦手ですが、9つの短編がすべて写真かカメラがモチーフと聞いてつい手が出ました。

とりあえず2編ほど読み、気味が悪かったけど、既知の話だとも思いました。
わたしはこの短編の世界をすでに経験してきたという、Deja beです。


癖は死ぬるまで

準備した家出が挫折し、仕方なくきょうは「図鑑写真」で。

90歳を超えた父からコレクションの撮影を頼まれて一週間前に撮りました。
古希を記念して工人が作ってくれたそうです。
(撮影条件がわるくてひどい出来になりましたが頼んだ本人は満足したようなのでOKということにして。(汗))

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 栃の花雨夜ににほひ大伯父の玩具蒐集癖死ぬるまで   (塚本邦雄:豹變)


図鑑というと「なぜ植物図鑑か」と書いた中平卓馬を想起します。
wikiを引用します。

雑誌『美術手帖』1972年8−9月合併号に掲載された吉川知生の投書に中平卓馬が応えるもので、評論というよりは彼のそれまでの写真作品からの訣別、そして新たな作品への意思表示であるといえる。
ある雑誌に発表された「記録という幻影 ドキュメントからモニュメントへ」に対して吉川は、中平の写真からポエジーが喪われてゆくこと、そして一方で批評家としての饒舌さを増していくことを批判した。
これに対して中平は「あるがまま世界に向き合うこと」こそこの時代の表現であるとし、その目標として「図鑑」を挙げた。また、動物には「なまぐささ」が、鉱物には「彼岸の堅牢さ」があるとして、その中間にある「植物」の図鑑を考えた。(ウィキペディア(Wikipedia)より)

このころ中平が写真から逃避するように離れて口舌の徒になっていく、と感じたことを思い出しました。
残念ながらその印象は今も変わりません。

かれかれ

まだ名張、なおなお。
こちらは昭和の景色。
「ケンビシ」は下戸のpithecantroupusでも知っているお酒です。赤い壁は理容店でしょうか。カラスのシャッターはパチンコ屋さんかな。

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名張は能楽とも縁のある地です。三重県の文化を紹介する県のHPには、「どちらの解釈が正しいか断定はできませんが、」と断ったうえで次のように記述されています。

(前略)
世阿弥の次男元能(もとよし)が聞書きをまとめた『申楽談儀(さるがくだんぎ)』という書物には、「一、面のこと………伊賀小波多にて、座を建てそめられし時、伊賀にて尋ね出だしたてまつし面也」という記述があります。これについては、「伊賀小波多にて尋ね出した面」と解釈する学者もいますが、文字どおり読めば、現在の名張市小波田は、初めて座を建てた地、すなわち、一座を組んだ地だということになります。
(後略)

季節が一致しませんが、
 世阿彌忌の世阿彌 ゼミナールは敎授鼻風邪に涸(か)れ涸(か)れのバリトン   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

代償として

名張のレトロ・モダーンを。
古書店「カラスウリ」(早とちりのpithecantroupusはカラス書店と思い込んでました)はカフェ併設らしいのですが、独りでは気後れがして入りそびれました。向かい側のトリコロールも気になってパシャッ。
女の人が通りかかったのでついパシャッ。(この歳にして。(笑))
名張は戦災を受けていないのでいろいろと残っているそうです。パシャッ。

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 烏瓜殘る一つのくれなゐを今日の孤獨の代償(かけがへ)として   (塚本邦雄:約翰傅偽書)

抜け道を愛す

”陽のあたるあわい(間)”の「ひやわい」と水路わきの細道をぶーらぶーらです。

 晴天に遠き地階の抜け道に少女ゐて錆びし銃器を愛す   (塚本邦雄:裝飾樂句)

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熱心なファンをオタクというようにアメリカにも同類がいてfoamer というのだと教えてもらいました。foamer は発泡剤のことだそうです。泡を吹く人かあ。写真が大好きなpithecantroupusもフォーマーだなあ、きっと。今夜はカニの夢を見るかも。

骨ありありと

銭湯は見逃せません。いえ、覗いているわけではありませんよ。
名張でいう「ひやわい」という狭い路地で撮った写真。新聞サイトの記事に「”陽のあたるあわいさ(間)”が語源」とありました。pithecantroupusは狭いところが好きです。

あと川地写真館の屋根の角にたつ飾りをバックに町おこしの街灯飾り。(文化庁「文化遺産オンライン」に「北東の3階建屋根に三角の妻壁を立ち上げ、パラペット隅に小塔形飾りを付ける」と解説されていました。)

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 錢湯のシャワーの税吏、この邦の脊骨ありありとうごく蛇の骨   (塚本邦雄:日本人靈歌)

となりつつつねに

せっかくの名張散策ですから、お勉強もしようと名張藤堂家邸跡へ行きました。
聞いた名張藤堂家の歴史は時代劇小説のような世界でした。

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春だから色目もつかって。
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名張藤堂家の初代藤堂高吉は丹羽長秀の三男で、津藩祖藤堂高虎の養子になったあと高虎に実子が生まれると家臣とされた人だそうです。本家藤堂家とは確執があったそうで、津藩から独立を策して漏れた際には名張藤堂家重臣三人が主君の代わりに切腹したというお話でした。以降は名張藤堂家主君が「殿様」と呼ばれることさえ禁じられたとか。

 山川鯨肉店は山川耳鼻咽喉科にとなりつつつねに血しぶき   (塚本邦雄:汨羅變)


においつきの夢をみました。
午睡で出てきた電車の駅で、農家の牛小屋のにおいを嗅ぎました。たしかに駅らしくない駅だったけど、元はウシが住んでいたのかなあ。




退却中

いつものような変わり映えしない写真ですが、名張散歩中にパチリしました。
乱歩生誕地付近の路地、トタン葺きの土蔵の窓、登録有形文化財の川地写真館。
変わり映えしないなあ。

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散歩の歌を見つけ損ねて、「さんぽ」でもいいかなと、退却中のpithecantroupusにぴったりの歌を引用です。
 三歩前進五歩退却の詩境にて佇(た)ちつくす暮るる紅梅の下   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

川地写真館は大正10年築という情報がネット上にありました。写真館そのものは場所を移して現在も営業してみえるようです。その現当主の言葉が名張高等学校のHPに載っていました。

 「今は、カメラの耐用年数は5年。新機能のカメラがどんどん出てくる時代なんです。」
 「ウチも創業136年目にしてついに、フィルムカメラからデジカメに完全移行した。フィルムはまだ良いものがあるけれど、印画紙の質がそこまでではないので、変えたんだ。」


バライタ紙の乳剤の厚いのはもう手に入りにくいのでしょうか。
pithecantroupusもフィルム時代の後半はRC紙ばかりだったなあ。コダックの多諧調紙が入荷するとまとめ買いしていました。

夢の覚めぎわ

名張の撮影は、この地の氏神「宇流冨志禰神社(うるふしねじんじゃ)」から始めました。
あとで知ったのは、この神社に能面の古いのが45枚も保存されているということでした。見損ねました。

神社の名前からしていかにも古そうです。
名張は壬申の乱の時代から名前が出てくるところなので、神社の縁起に書かれている以上の歴史がありそうな気がします。主祭神の宇奈根命(うなねのみこと)という神様もあまりなじみのない名前ですが、川や水に関連があるそうです。

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写っているポスターは「八日戎」のお知らせです。
撮影した日は宵戎の日でした。
せっかくのお祭り日でしたが、pithecantroupusは本会場の蛭子神社へは行ったものの、写真は撮らずに終わりました。お馬鹿ですねえ。

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これもあとで聞いた話ですが、名張の戎祭りは、縁起物の「吉兆(けっきょ)」が大阪のような笹飾りでなくネコヤナギの枝に飾りをつけているそうです。
また、山に囲まれた名張で海の産物と物々交換をした名残りで、植木とハマグリが売られるそうです。話してくれた初老の女性(失礼!)は、となりの市から嫁に来て、戎祭りの日にハマグリを食卓に出さず姑からいたく叱られたと昨日のことのように言われました。

 ざくざくと砂金掬へり立春の眞晝の夢のさめぎはにして   (塚本邦雄:炭焼き「花ざくろ」)

番台に憧れたころ

名張なおです。

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城下川もなお。
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むかしは市内を縦横に川が流れていたそうですが今はほとんど暗渠になってしまったそうです。
川沿いにあったのはお風呂屋さんでした。
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お風呂屋さんよりも時計の方が気になったのですが、ちょっと小さかったようです。

高校生の頃、同級生に風呂屋の息子がいて、うらやましかったなあ。一度でいいから番台に座ってみたかったです。
 汚れし牛乳風呂にただよひつつおもふシェイクスピアの父も革商   (塚本邦雄:日本人靈歌)

隠(なばり)

三重県名張は江戸川乱歩の生地ですが、2年後には県内の亀山市へ引っ越したそうですから、その文学活動につながるものは何もなさそうです。
でも名張は、かれの文学世界を彷彿とさせる”古さ”を残しているように感じました。

きょうはこっそり家出をして何でもいいから電車に乗って、ちょっと疲れたから降りたのが名張駅でした。
町なかをブラブラして、これもちょっと疲れたので家に戻りました。

撮影した写真はわずかでしたが、その中から城下川(じょうげがわ)界隈と、乱歩生誕地に立つ「幻影城」碑を。

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名張へ来たので、前から食べたかったまんじゅうをお土産にしました。家出した家へ入っていくには手土産が必要です。(笑)

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名張の語源は「隠(なばり)」だそうです。
 武者隠し窓に二月の陽がかげり『ガリア戰記』の巻末おぼろ   (塚本邦雄:詩魂玲瓏)

マスクほし

写真もマスク状態。
在庫払拭です。
一つ一万円ということで。(笑)

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引用も”マスク”です。
(どこにあるって問い詰めず寛容の心でお願いします。)

 ダマスクス生れの火夫がひと夜ねてかへる港の百合科植物   (塚本邦雄:水葬物語)

のためには非じ

一月の撮影行の残り物ということで、犬上郡甲良町にある勝楽寺で撮った写真です。
佐々木道誉の隠棲地であり墓地だそうです。
むかし見たNHKドラマでは格好良く絵になる人物でしたが、ギャングの親分みたいな人だろうと思っています。
(ジェームズ・キャグニーのギャングなんて子供心にも格好良かったもんなあ。)

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olympus e-m5mk3 50mm macro

 潮組(うしほぐみ)親分「人間魚雷」とふ賭に死す「陛下のため」には非じ   (塚本邦雄:約翰傅偽書)


ほぼ日刊イトイ新聞の毎日更新されるコラム「今日のダーリン」(何と甘ったるい題!)に、

読もうとした本で、その人はできている。
(中略)
じぶんのいる世界のなかにあるものを環境として、人は生きているし、それしかできない。世界にあるもののなかから、じぶんが取り入れるべきものを選んで、人はできていく。
(中略)
だから、読んでないのだけれど本棚にある本は、その人が求めたじぶんをつくるための材料なのである。読み通して理解したような気になれるわけではないが、おそらくこういうことを言っているのだろうなぁと、知ろうとしたじぶんが、そこにはいるのである。

と書いてあって、読みかけて読了していない本や読んでもいない本がいっぱいあるpithecantroupusは大いに勇気づけられたのです。
一方で、天災や火事などでそれらを失った人もいると想像して悲しくもなりました。

ことなききみ

立春だそうですが、それらしい写真も撮れず、まだ神様にまとわりついています。

 ライターもて紫陽花の屍(し)に火を放つ一度も死んだことなききみら   (塚本邦雄:綠色研究)

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olympus e-m5mk3 50mm macro
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olympus e-m5mk3 50mm macro



軍艦島もムービーにして、中身の薄いのをごまかします。
アルマンド・トロヴァヨーリがイタリア映画”Paolo il caldo” (1973)につけた曲で。



いまごろになって2020/02/02がパリンドローム配列(回文配列)だったと教えられて、なにか特別な日をうかうかと過ごして、当たったクジの交換期限を見過ごしたような気持ち。パリンドローム配列だからどうだ、というわけでもないのですけれどもね。
でも、前から読んでも逆から読んでも同じになる日付は、今後100年はないと聞くと、やっぱり損をした気分です。(笑)

イソップ物語

きれいな花は隣の家の庭にあって、ここには雑草ばかりです。(涙)
夏に庭の手入れをしないで遊んでばかりいたキリギリスは、いまになって隣のアリさんの庭を見て指をくわえるのです。(笑)

ふくはうち、おにはそと。

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olympus e-m5mk3 samyang 135mm
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olympus e-m5mk3 samyang 135mm
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olympus e-m5mk3 samyang 135mm

 イソップの旅人若く未割禮夜の草箭(くさや)くちびるをかすめし   (塚本邦雄:閑雅空間)

霞める目

いつものわるいクセが出て、なぜこれを撮っているのか分からんといわれそうです。(汗)

手が震えているわけではありません。目がかすんでいるのでもありませんよ。ガラス戸のせいです、ガラスのせい。
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olympus e-m5mk3 50mm macro

また手が震えているって。目がかすんでいるって。水面のせいです、風のせい。
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olympus e-m5mk3 300mm reflex

老化が疑われるのは心外なので、まともな写真も一枚。選挙ポスターをバックにして。
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olympus e-m5mk3 75mm


軍艦島もそろそろやめようと思うのですが、やめようとしてやめられないのはやっぱり老化現象かなあ。
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引用は「老」で、
 老醫師の霞める目もて空蟬のごといたはらる病後の少女   (塚本邦雄:驟雨修辭学)
 籃の石榴紅きしづくし刻刻を老ゆるわれ、すさみゆくユーラシア   (塚本邦雄:日本人靈歌)
 老麗(らうれい)てふことば有らずば創るべし琥珀(こはく)のカフス釦(ボタン)進上   (塚本邦雄:魔王)

すさみゆくのがユーラシアではなくイングランドやアメリカになるなんて、塚本邦雄も想像しなかったでしょうね。

ナルシス

ご近所のスイセンがきれいだなとまた浮気心が起きてパチャパチャ撮りましたが、
出来はいまひとつで、やっぱり少し遠出をしたいなあと思ったpithecantroupusです。

 ナルシスの變貌も視てみづからに鞭うてり紅き蔓薔薇のむち   (塚本邦雄:水葬物語)

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olympus e-m5mk3 samyang 135mm
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olympus e-m5mk3 samyang 135mm
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olympus e-m5mk3 samyang 135mm
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olympus e-m5mk3 samyang 135mm


先日引用した奈良原一高の名作ですが、絵画に堕する危うさと言いました。
それは垂直水平の傾いていないことだけでなく、全体の構成もかかわっていると感じます。
この写真には十字架が繰り返されています。背景の十字架だけでなく、修道僧自身も、修道僧の額も、閉じた目も、指も、何度もクルスがリフレインされています。さらに、白い袖から手の甲がつくる形はゴルゴダに向かってイエスが自ら担ぐ十字架のように見えます。
これだけの構成を一瞬で写真にする奈良原の才能に驚きます。
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そして奈良原自身は写真か絵画かは気にしていないように見えます。

 僕の始まりは、決して写真家になろうとしてカメラを手にしたのではなく、何かをいおうとしてカメラを手にしたにすぎなかった偶然が、何やら写真家めいた暮しに自分の生活を位置づけているにすぎないのである。

しかし賢明な彼は自分の写真の危うさも分かっていて、その後アメリカのロック・フェスティバルで撮った「生きる歓び」ではルポルタージュのような写真を撮っています。
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