2020/01/26
きのうの行き先は近江多賀町佐目(さめ)でした。
TVドラマで光秀がライトアップされ、確かでない明智光秀生誕地のひとつとして最近名前が出てきた地だそうです。
撮影に連れ出してくれた友人が、光秀にいたく関心を持ち始めた結果です。ミーハーですね。
明智光秀公口伝之地「十兵衛屋敷跡」という真新しい看板を撮っている(しかも5Dmk3で!)友人を尻目に、pithecantroupusは十二相神社という郷社でパチリです。

olympus e-m5mk3 50mm macro

olympus e-m5mk3 50mm macro
村の中に立っていた「とびだし君」はおばあちゃんになっていました。

olympus e-m5mk3 75mm
眼に見えぬもの轢かれたる滑走路 花かかへたる老婆よぎりし (塚本邦雄:裝飾樂句)
奈良原一高の初期作品を引用します。手元にあった本からコピーを撮りました。

かれが撮った軍艦島の一枚です。わたしが最初に衝撃を受けた一枚でした。

おなじ軍艦島ですが、こののち彼がとる写真のいくつかを彷彿とさせます。

これも軍艦島ですが、「土門拳」のかけらが残ってますね。世代のせいでしょうか。

かれのもっとも早い作品「無国籍地」の一枚です。かれの性格が正直に出ているように感じます。
「王国」(朝日ソノラマ写真選書)のあとがき(山崎正和「閉じられた世界の探究者」)からさらに引用しましす。
顕著なのは、眼の高さから水平に眺められた構図の多いことであろう。とくに修道院で人物を写す場合、作者はその大部分を、対象と同じ高さの姿勢をとって眺めている。・・・日本の武道でいう「正眼の構え」であるが、いわばこれがこの写真集の基調音をかたちづくっているといえる。
ものと「正眼」であい対したとき、われわれのできあいのものの見かたは、その根底をゆさぶられる。なぜなら毎日の生活のなかで、ひとはあんがい、ものを真正面から水平に見るということをしていないからである。人物や静物を「正眼」で見れば、われわれもまたものに正面から見返される。できあいの感傷的で概念的なものの見かたを毀すために、これはもっとも端的な手がかりであって、・・・・・それはまた写真に安易な文学性を持ちこむことを許さないし、逆に、写真を線と光のアラベスクに変えることも許さない。
すなわち、作品をいかにも「作品」らしく見せかけるために、これはもっとも困難な方法であり、作家の自己表現にとっても、これは意図的に選ばれたもっとも克己的な方法なのである。
きょう引用した写真の4枚目にかれの性格が出ているというゆえんです。