2019/03/12
きのうアップする予定の記事でしたが一日遅れました。
9年ぐらい前の撮った長崎外海と犬山明治村の写真で作ったムービーです。
(下手な写真だなあ。)
参考に中身をちっちゃくしたカタログ。

毎年この日は照井翠「龍宮」から引用していますが、3月10日の朝日歌壇に彼女の短文が掲載されてましたので、わたしの備忘録としてそちらを引用させていただきます。
「震災後」は続く 照井翠
東日本大震災の後、早い段階で、俳句総合雑誌において、励ましの一句の企画があった。<津波のあとに老女生きてあり死なぬ 金子兜太>など、震災そのものを詠んだ句が多いのも頷ける。被災地から遠く離れた俳人たちが、未曽有の震災に向き合おうとしていた段階だった。
岩手県釜石で被災した私は避難所で生活していたのだが、刻一刻ともたらされる被害状況に打ちのめされていた。そんな状況でも、不思議なことに、言葉や詩の断片が自分の中におりてきた。停電の闇の中、詩を考える一瞬だけは私のものだったし、生きている実感があった。
同じ頃、福島県須賀川の俳人永瀬十悟も、俳句を通して己との対話を深めていた。<蝸牛よ牛の泪を知つてゐるか>など、被災後まもない時期に、既に震災の本質に迫る佳句を詠んでいる。
震災から時を重ねていく中で、被災地内外の作家たちは、それぞれの体験の内面化、深化を経て、詠む内容やテーマを変化させながら、詩を書いていった。
永瀬の最新句集『三日月湖』に、<鴨引くや十万年は三日月湖><それからの幾世氷の神殿F>の句を見つけた時の衝撃は忘れられない。「氷の神殿F」とは東京電力福島第一原発。こんなに毒性の強い文明批評が、俳句で可能なのだった。
震災は一瞬だが、「震災後」は永遠に続く。風化が加速するのはやむを得ないが、今後とも震災を見つめ、その本質に迫る俳句を詠み続けることが鎮魂であり、祈りそのものであると考える。震災を伝える優れた作品が待たれている。