勉強不足の爺は何の夢を見る?

帰宅が遅れておおあわてで二枚だけ。
きのうの豊田民芸館の近くにある「豊田 民芸の森」で。

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いちおう、田舎家「青隹居」という場所と茶室「松近亭」という家なのですが、あまり熱心に勉強してきませんでした。(汗)

た『かぶ』り  ~豊田民芸館で

ひきこもりから脱出しようと自分のお尻を自分でたたいて撮影に出かけましたが、錆びついたおつむはサクサク動かず、目的地に着くまで時間がかかってしまいました。
かかった時間に見合うような写真は撮れなかったのでがっかりですが、まぁ外出しただけでも一歩前進です。

豊田民芸館旧井上家西洋館で。
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PEN-F 50mm

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窓は蕪だと思うのですが、塚本邦雄の「蕪」の歌を確認できなかったので、「・・・閉じてた『かぶ』りつつ・・・」と、「名古屋」にわずかに細い線を感じて、
 『親和力』閉ぢてたかぶりつつあるに「名古屋名產の外郎(うゐらう)はいかが」  (塚本邦雄)

建物については、豊田市郷土資料館のHPから引用します。
 現在、豊田市民芸館の敷地内に建つ旧井上家西洋館は、井上徳三郎氏が開拓した井上農場の迎賓館として井上町にあった建物である。元は名古屋で開催された博覧会の迎賓館として明治10年代に建築されたといわれ、名古屋で愛知銀行の前身である関戸銀行として使用された後、昭和3年に井上町に移築された。その後、現位置に移築する際に、銀行として使われた姿に復元・修復された。建物の面積は1階、2階とも23.387㎡(7坪)である。1階は東側の出入口以外を総て連子格子窓にし、和風の様式であるのに対し、2階は柱頭飾りのついた丸柱を用い、窓も上げ下げ窓にするなど純洋風のデザインとなっており、明治時代の人々が憧れた西洋文化を表現している。

井上徳三郎氏については、愛知県教育委員会のHPから引用します。
 (井上)徳三郎は,1867年(慶応3)名古屋に生まれた。青年時代は銀行に勤め,1896年(明治29)に両替商を始めた。日露戦争後の好景気の波に乗り,多くの事業に手を出し巨万の富を得た。
 1911年(明治44)に,得た富を社会のために使うことを決意し,荒れ地を農地にする開墾事業に乗り出し, 130町歩(約130ha)を購入した。
 「井上農場」と名付け,開墾に着手したが,赤土のやせ地で水の便も悪く,作物ができるまでに大変な苦労をした。しかし,綿密な計画によって順調に進み,創業から25年を経た1936年(昭和11)には,当初6戸30人だった農場も,60戸300人となった。
 徳三郎は,「徳は事業の基なり」の信条から,社会事業にも多大な功績を残した。猿投農林高校が移転する時は,県が資金不足で困っているという話を聞き,井上農場の土地7,000坪を県に寄付した。三河鉄道が駅の用地不足で困っている時も,猿投駅の用地を寄付した。大正15年,村民は徳三郎の功績を称え,井上真冽翁頌徳碑(いのうえしんれつおうしょうとくひ)を建立した。1936年(昭和11)には,地名を「井上」と改称し,現在の井上町の地名となっている。

星に何忘れ、犬

先日おとずれた美術館では「浅井忠」展を開催中でした。
期間限定でイヌの箸置きが販売されていました。

塚本邦雄も犬で、
 オペラ「ヴェネツィア客死(かくし)」果てたり凍傷の手に飼犬が鼻すりよせつ
 夫婦と犬つめたき葡萄かこみをり あやふくボルジァ家に連なりつ

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PEN-F 50mm

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PEN-F 50mm

きょうは歯医者さんへいきました。いくつになっても行きたくないなあ。

むかし、歯医者のウィ~~~ンという機械で歯を削るという「拷問」の映像を見たことがありますが、あの音を聞いただけで白状すると思います。(笑)

  金星に何忘れ來し 齒科醫院出て雨の香に口ひらく時  (塚本邦雄)

美術館の出口につづく

日常がワンパターン化するのは、いえいえ、ワンパターンと感じるのはきっと老化現象です。
と、まず言い訳をして、きょうも雪と美術館のワンパターンです。

 聖母像ばかりならべてある美術館の出口につづく火藥庫  (塚本邦雄)

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E-M5mk2 135mm

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PEN-F 50mm

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PEN-F 50mm

こんこんをあと少し

雪やこんこんをあと少しだけ。
昨日のモノクロームのカラーバージョンからごきげんを伺います。

塚本邦雄も雪で、
 夢に逢うふなどとな言ひそ宿酔の君に貸すモーパッサンの『初雪』
 雪は足跡より解けはじめわが赴かぬ詩集『煉獄』出版記念會
 それ以後の曇天つづき不可觸の屋上の雪まゆずみいろに
(「初雪」は読んでいないのですが、「青空文庫」にあるようなので、これから読みます。(汗))

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E-M5mk2 60mm

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E-M5mk2 60mm

去年の末からグーグルの検索結果が変わった印象を受けます。

グーグルの検索に引かかり易くするには、
 見栄えのいい写真を最初に置く。
 記事の内容(写真)に関連性があるタイトルをつける。
 タイトルに具体的で直感的な、たとえば地名とか行事名を入れる。
 サムネイル画像をたくさん並べる。
のがよさそうだという感じがします。
そして検索によく引っかかるとブログへの訪問者数がアップすような気がします。

抽象的なタイトル、写真と無関係な文、一番見てほしい写真が記事の最後というのはグーグル向きではありません。
でも、検索エンジンのためにブログを続けている訳ではありませんから。(すっぱい葡萄!)

と言いつつ、去年の末からグーグルで自分のブログが出てこないと、やっぱり寂しいのです。(笑)

今更はつゆき

わたしの家の付近にきょう初めて雪がふりました。
いまさら、雪だ雪だと騒いでいるのは私ぐらいのものでしょうが。

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何もかもうまくいかなかった昨日の記録(ヤマザキマザック美術館)も、です。
今年こそは正直者になりたいから。

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きのうのイソップ童話に出てくる「すっぱい葡萄」ですが、wikiの解説には、
『自分のものにしたくてたまらないにもかかわらず、努力しても到底かなわない対象である場合、人はその対象を「価値の無いもの」「自分にふさわしくないもの」と見なそうとし、それをあきらめの理由として納得し、心の平安を得ようとするものである。 』
と書いてありました。
でもイソップを読んだ子供は、『それをあきらめの理由として納得し、心の平安を得ようとするものである。 』という理解をするでしょうか。

この後半の部分は、心理学におかされた大人の言い分ではないでしょうか。
欲しいけど手が届かないときに「すっぱいブドウさ」と捨て台詞を吐くのは、キツネ(=ずる賢い大人)のよくやること。もっと正直でいきましょうよでは単純すぎますか。

そもそも、なぜブドウは手の届かない高いところにあるのか。
きっと、低いところにあったブドウは、狐より先に来た動物が食べたのです。

それは、サルや猫ではありません。彼らは木に登れますから。
それは、イノシシや犀ではありません。彼らは木に体当たりして上のほうのブドウも落として食べてしまいます。
だから、下のほうのブドウを食べたのは、イヌか馬か鹿です。

狐はおそく到着したのでチャンスを逃したのではないでしょうか。
もっと早起きして散歩に出ればよかったのです。

でも外出した狐は、食べられなかったけれどブドウを見ることができました。
私のように、今日は寒いから外へ行くのはやめようと言っていると、すっぱいブドウさえ見つけられないのです。
何もかもうまくいかなかったなどと嘆いておらず、もっとカメラを持ち出さないと写真は撮れないですよね。
反省、反省。

イソップのこと

何もかもうまくいかない日はとても疲れます。
きょうはポチになってうろうろしただけです。

撮りたてのホッカホカを一枚だけです。
名古屋市ヤマザキマザック美術館の撮影OKの場所で。
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私が使っているのはオリンパスのマイクロフォーサーズ機とシグマのコンデジ(サイズがコンパクトとは言い難いですが)です。
そのオリンパスから新機種が出て、やたらとメールが届きます。
私には縁のないカメラなのに。

でもそれってあれですよね。

 お腹を空かせた狐は、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。食べようとして懸命に跳び上がるが、実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。何度跳んでも届くことは無く、狐は、怒りと悔しさから「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と負け惜しみの言葉を吐き捨てるように残して去っていった。 (wikiから)

オリンパスの新しいカメラはたしかにたわわだけどおいしくは見えないよなあ。
あっ、これも「合理化」の範疇か。

 傳へ得ぬわがいとけなき日日の糧イソップの酸き葡萄冷えたり  (塚本邦雄)

通俗的な雰囲気で

きょうはキッチュでいくことにして、忍術屋敷の忍者を。
ほんとうは残りもの第三弾です。(汗)

季節外れですが塚本邦雄も「俗」で、
 いつまでも夏風邪癒えず風呂場より俗物の兄のロシア民謡

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E-M5mk2 17mm

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わたしが幼少のころは「忍者」という単語はなく「忍術使い」と言ってました。
ガマの蛙に乗って印を結びドロドロドロと出てくるイメージです。自来也、児雷也(じらいや)ですね。

でも、市川雷蔵の「忍びの者」はわたしが10歳の頃、次の年には司馬遼太郎の「梟の城」が映画化されていまから、
わたしが世間知らず、田舎者だったのでしょう。
そういえば、私の住んでいる町に昔は複数の映画館があったのですが、かかっている映画は周回遅れだったような記憶があります。

ささやか

ささやかな門松。
ひかえめで、この家に住む方の人柄を想像して親しみをもってしまいました。

自己主張が強くないのがいいですね。
もっとも、必要な時に自己が主張できないと困ることもあります。
寒くなったこのごろ指認証(静脈認証)がスムースに出来ません。若い人は一回でピッといくのに、私は10回ぐらいかかります。
私は、もう、半分死んでいるのでしょうか。(笑)

 平和過ぎつつあり斷たれたたる静脈のごとき鎖引くわれの犬  (塚本邦雄)

なお、残りものです。
忍術屋敷の周辺を散策した写真です。
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隅なるゴビ砂漠

そろそろ重箱の隅をつっついています。(汗)

今朝などは、有明の月が満月で朝焼けを映したピンクの空にかかり、
月を囲む雲がまだ青味がかった灰色で、
駅から職場まで歩く間、空を見上げながら歩きました。

こんな時に限ってカメラを持ってきていないのです。
でも、このブログを訪問していただいた方で、ちゃんと今朝の満月を撮っている方もみえました。(愉酔の時間いまだ・いまなぉ

 文學の塵掃きすててなほわれの部屋の一隅なるゴビ砂漠  (塚本邦雄)

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最近たった一階あがるにも時々エレベーターを使ってしまいます。
そのうえ、エレベーターが「上にまいります」「二階につきました」とか言うのにいちいち返事をしています。

昨日はお気に入りのマフラーを紛失してしまいました。
失くしたことよりも、どこで失くしたかが思い出せないことがショックです。

こころをよぎりし銀の手裏剣

忍術屋敷へ戻って、お薬を商っていたという看板から始めます。

季節外れですが、
 花冷えの真昼こころをよぎりしは抱茗荷紋銀の手裏剣  (塚本邦雄)

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はらくすり「忍術丸」の上の九曜紋はここの当主望月氏の家紋だそうです。
九つは、wikiなどで検索すると、日曜(星)は太陽で千手観音、月曜(星)が勢至観音で月、火曜(星)が虚空蔵菩薩で火星、水曜(星)が弥勒菩薩で水星、木曜(星)が薬師如来で木星、金曜(星)が阿弥陀如来で金星、土曜(星)が聖観音で土星、あと羅睺(らごう)が不動明王で月軌道と黄道面(地球の公転面)の交点の一方、、計都(けいと)がもう一方の月軌道と黄道面の交点で釈迦如来だそうです。(これはわたしの頭では覚えきれないや。)

四枚目は中二階の隠し窓ですが、三枚目の凝ったこて絵にもかぎ釘を隠したい意志が感じられます。
二枚目のソテツは漢方薬として、葉から根まですべてが薬用になるとされているそうですから忍者にふさわしいかもしれません。
その種子は男性機能増進の効用があるそうなのでわたしも服用しようかな。(笑)

強がり

なにかすがりたいという気持ちが強くなってくるのは、きっと自分が弱くなった自覚だろうと思います。
お助けしてくれそうなものはないかとキョロキョロして、ナンテンとユズリハを見つけました。まだ、かの神社です。

本当はそんな殊勝な態度ではありません。弱くなった自覚はあっても、金輪際なにかにすがりたくはないのです。
ナンテンが美しく、ユズリハがしげる家がうらやましかったからシャッターを切ったのです。
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強情っぱりはただの水たまりもきれいだと言い張ります。
失礼な、老眼のせいではありませんよ。
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須臾(しゅす)は逡巡の10分の1

この土日はお仕事です。
で、きょうは「予約投稿」で更新です。

写真は相変わらずあの神社です。
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 神官装束お仕立處すぎむとし須臾松風を聽きたるなり  (塚本邦雄)

須臾(しゅす)が分からず検索すると、『しばらくの間。わずかの間』という意味だそうです。(知らなかった!)
さらにwikiに、
『須臾(しゅゆ)は、1000兆分の1を示す数の単位で、「逡巡」の1/10、「瞬息」の10倍に当たる。』とありました。(知らなかった!)
須臾を10倍すると逡巡(しゅんじゅん)、逡巡を10倍すると模糊(もこ)、模糊を10倍すると漠(ばく)なんだそうです。(知らなかった!)

すこし賢くなりました。(忘れなければの話ですが)

あらたまるなし

油日神社なおです。
ところで、きのうイチイはコウヤマキの間違いでした。神社の近くにある櫟野寺についつられてしまいました。(汗)

社の名前からの連想か、境内には油に関連した企業からの献灯などが見られました。
塚本邦雄も油で、
 父となりて革(あらたま)る莫(な)しぬかるみに石油の虹のみだるるを踰ゆ

上の歌は塚本邦雄湊合歌集から引きましたが、ネットでは同じ歌が6例ほど全て「踰」が「喩」です。
理由があるのでしょうか。細かいことが気になるのはきっと老化現象です。(笑)

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もうひとつ、
 ワルキューレにがき油のごとく滿ち馬はその鬣より死せり  (塚本邦雄)

神社の隅っこの写真ばかりなので、肝心の神社を紹介する目的で「記念写真」も一枚のせます。
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24年目

油日神社にもどって、上見て、下見た、二枚です。イチイの大木と、雨水の流れた跡。
あいかわらず何撮ってるの、の類です。

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24年目だそうです。
南海トラフ地震の被害想定域に住んでいる身として他所事ではありません。
去年の写真でレクイエムを。イメージが不出来ですが今日は何かでこの気持ちを表さねばならない日ですから。


くれないのこり

油日神社や忍術屋敷に行った日は「成人の日」でしたので、目的地の周りの村には日の丸を掲げた家もありました。
わたしも小学生のころまでは、休日に玄関へ旗をあげていましたが、いつの間にかやめてしまいました。

祖父は死ぬまで旗をあげつづけていました。
彼が人間的に、また政治的にどうだったかは別にして、明治生まれの人間のスタイルだったと思います。
いまでも休日に日の丸を掲げている家を見ると、ああここは真面目なんだなあと感じるとともに、なつかしさがこみ上げてきます。

 日章旗百のよせがきくれなゐがのこりてそこに死者の無署名  (塚本邦雄)

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昨日(きぞ)のをさなき

きのうはワーイと言って幼児退行を証明してしまいましたが、
油日神社のつづきは後回しにして今日アップした写真の撮影場所は「忍術屋敷」で、とうとう幼児退行が行動まで達しました。(笑)

それでも、この忍術屋敷は白洲正子も訪れている(「近江山河抄」)からお子様施設じゃありませんよ、
と言い訳するとますます老化の証明になってしまいます。(実際、一緒に見学したのはお子様連れの家族ばかりでした。)

 あつき湯に身を苛(さいな)みて洗ひゐる昨日(きぞ)のをさなき赤旗の旗手  (塚本邦雄)

正月らしくお目出度い写真から始めます。
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忍者屋敷らしい屋内の造作も一枚です。
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「甲賀忍術屋敷」は当地武士団の棟梁だった甲賀望月氏の旧邸だそうです。

はつもうでだ、ワーイ

初詣にいきました。初詣、初撮影行です。いろいろ撮れてうれしい。
(ははは、子供みたいですね。ワーイ、ワーイと声に出して言ってしまわなかったか、ちょっと心配。)

場所は、一昨年の年末に一度行ったことがある近江油日神社です。
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塚本邦雄で「ナンテン」を見つけそこなったので、
 百合科病院、天南星(てんなんしやう)科醫師、茄子科看護婦、六腑夜ひらくてふ

この短歌は、去年もナンテンの写真につかいました。(汗)
漢方薬の天南星は、中風や脳卒中による半身不随などに使われるそうなので、もうじきに私もお世話になるでしょう。(笑)

劣れる我が情なく

15分のご近所散歩のついでに、誰もいない保育園の門の外から一枚パチリ。
雑草まみれの庭で、盛りを過ぎたツバキで一枚パチリ。
これが今年初めての写真とは情けないにもほどがあります。

 神々に劣れる我が情なくアネモネ畑をはだしで飛び出す  (塚本邦雄)

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E-M5mk2 25mm

なつかしい牛乳ラッパ飲み

きのうの”銭湯”の証明です。
いえ、ちゃんとネコを狙ってました。女湯の戸が開くのを待っていたわけではありません。
ピーピング・ピテカントロプス。

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新年の写真をまだ撮ってないので、一年前の写真でムービーをつくって自分を慰めています。(涙)

塚本邦雄も映画で、
 疲れて夢む 銅貨入れれば胴顫ひして鳴る舊き映畫のピアノ
 あつき牛乳喇叭飲みせり映画にはお休みの接吻(キス)にかがみ寄る父

むかし、銭湯から上がって牛乳を飲んでいるおじさんがうらやましかったなあ。
わたしは、ごくごくたまに小さなヤクルトだったからなあ。



寒天のような時間

妄想を夢と思い違いしないようにしようという誓いをたてたのに、
「終活」や「長生き」という言葉に心乱れる煩悩まみれのpithecantroupusです。
写真のほうはお正月らしく縁起をかついで、正月飾りにも使われる「ゆずりは」から始めます。

「長生きベンチ」は、座れば長生きできるのか、長生きの人が座るのか、ベンチが長生きしているのか。
「ゆずり葉の頃」は、77歳の中みね子(岡本喜八の妻、岡本みね子)が5年の準備を経て監督した映画だそうです。
77歳なら、わたしにもまだ時間があるなあ。

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お口直しにバラの写真です。
後ろに写っているのは「温泉マーク」のネオンサインです。
いえいえ、いかがわしい場所ではなく、銭湯です。ほんとうに銭湯ですよ。

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塚本邦雄も薔薇で、
 冬はたそがれ一瞬薔薇色に炎えて神の癆咳(らうがい)鬼の霍亂(くわくらん)
 石鹼に刹那薔薇の香うつされてこの風邪二十日(はつか)癒えざるべし
 時閒は寒天色に流れて老人寮新入りが「テキサスの薔薇」うたふ

オールド・ファッション

いえ、眠っているわけではありません。もちろん、あたまがボケているのでもありません。

ファッションです。こういうスタイルなんです。
などと、言い訳しなければならないような写真でお茶をにごしています。伊賀市。

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PEN-F 85mm

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PEN-F 85mm

建物の入り口がガラス張りになっているのでいやでも自分の歩く姿が確認できます。
爺くさい歩き方をしているなあとため息が出ます。
階段を健康的だから歩いて上ると、靴音が年寄りくさく聞こえてまたため息が出ます。

このごろ部屋のカレンダーも文字だけでメモ欄ばかり大きな色気のないものです。
むかしはこっそりと水着の女性写真のを掛けていたのになあと、もう何度目かのため息です。

そのうえに、写真まで今日のような調子では。はぁー!

縛られて

まだ去年の末の写真ですが、せめてお正月らしいのを選んでお茶をにごすことにしました。(汗)
今日のテーマは「縄」です。

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並列つなぎ

並ぶことに嫌悪しながらつい並んでしまう、わたしは意志の弱い日本人です。
歩調を合わせた「行進」がとくに嫌いなのですが、無意識の領域に、それが美しいと思ってしまう心が住んでいます。
ああ、いやだ。

ということで今日も伊賀市の残渣から「並ぶ」をテーマにです。
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塚本邦雄も「並び」で、
 われと竝んで睦月の畷もとほれり吹けど飛ばざる靑年二匹
 憎みつつ竝(な)みゆくわれら巢のごとき髪に雨ふる地獄の季節
 藺を刈りて遺髪のごとく炎天に並べをり 國歌なき日本  (藺=ゐ、いぐさ)

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よこしまにして

まだ伊賀市です。きょうは覗き趣味です。(汗)

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まえに『毛書体にイタリックの装飾をする気持ち悪さ』と書きましたが、町にあふれる書体は気になります。
こんな古い看板の書体もしかりです。
「月」の書体がいいのです。(「断」を「斷」と書いてほしかったけれど。)
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看板の「伊賀傘商工業(協組)」は、伊賀傘の伝統をくむ組合だったようで、和傘は、往時、陶器(伊賀焼)と並ぶ伊賀の国の主要産業だったのですが洋傘の隆盛とともに衰退したそうです。

 文藝はよこしまにして雪にひらくわが紺碧の傘破れたり  (塚本邦雄)

体調不良は風邪のようです。でも風邪で便秘になるかなあ。

忍者の町

なお伊賀、なおダウン。トホホ。
きょうは忍びで。

 いくさとは忍ぶる戀の爆發と思へ石榴を眞二つに割(さ)く  (塚本邦雄)

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かくらん中

きょうも1枚です。なお伊賀市です。

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おにのかくらん

きょうは一枚だけです。ダウン中です。
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八方破れの年始

年末の写真の残り物は、正月も三日目のお節料理とどこか似ているような気がします。
ということで平身低頭して。

塚本邦雄「不変律」のなかの『遡行的一月暦』の三日の歌は、
 八方破れの年始たれをか招くべき鍋に猩紅熱の伊勢海老

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いまごろになってことしの年賀状のなかの何枚かに相手の健康や幸せを祈る言葉が欠けていたことに気づきました。
年の初めから赤っ恥です。

最近はやたらとネットで「うんちく」が語られていて、賀詞の礼儀だのがもっともらしく書いてあります。無知なら無知ですむものをと思ってしまいます。
わたしにはそんなことより、毛筆体で書かれた文字がイタリック(斜体)の装飾をほどこされているのを見るほうがよっぽど気持ちが悪いです。

夢うつつ分きがたくあやし

初夢に何を見たのか思い出せません。そもそも夢を見たのかどうかも記憶にありません。
最近は夢を見ないなあと思っていましたが、それは夢を見ても思い出せないだけのような気がします。

自分の夢さえ忘れてしまうなんて。
覚醒しているときの妄想を「夢」と思い違いしないようにしようというのが、新年の誓いです。(笑)

写真は年末に撮ったもので。(汗)
しまった。シャッターを切るのに夢中で、伊賀もち、忍者だんご、尻もちを食べ損ねました。
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DP2Q

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PEN-F 85mm

ことしも飽きずに塚本邦雄で、
 二日、畷のさびしき曇りたむろして人ら夢違(ゆめちがひ)神社に向ふ
 初夢は旅の若狭のホテルにて幟はためき「祝入營」
 昨夜(よべ)の夢こよひのうつつ分きがたくあやしきは眞晝間のまさゆめ

ゐのてふ

新年あけましておめでとうございます。ことしもよろしくおねがいします。

一年の計は元旦にありといわれても、昨日に変わらぬ朝を迎え、年末の掃除の残りをせっせとして(させられて)います。
ことしの最初の一枚というのに、皆様にケツを向けている失敬な写真ですみません。

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長谷園でひとつだけ買ったウリ坊の箸置きを、同所で見かけた雪つりを撮った写真をバックに E-M5mk2 25mm


 猪鹿蝶(ゐのしかてふ)しかいらぬ白寿の伯母上に遊さされつつ虚無の正月  (塚本邦雄)