2018/09/08
きのうはランプでしたので、きょうは電信柱です。電柱、好きです。
自分で上がるわけではありませんが、ここから高いところに上れると想像するだけで好きになるんです。
塚本邦雄も、季節がずれているのもかまわず電柱で、
ひとの頭(づ)の芯につめたき燈(ひ)ともさむ電柱が建つ沼を渉りて
黑人奴隷ひとり心に飼ひ まひる遠き電柱の胴鳴り交へる
アヴェ・マリア、人妻まりあ 八月の電柱人のにほひに灼けて



雑誌”kotoba”にミロスラフ・ティシーが載ってました。経歴を記事から引用します。
ミロスラフ・ティシーは一九二六年、チェコ第二の都市ブルノ近郊キヨフのニェトチツェに生まれた。プラハの美術アカデミーで絵画を専攻するが、共産主義政権の成立とともに、それまで裸婦のデッサンをしていたのが、いきなり作業着姿の労働者とかを描かされるといった環境の変化に適応できず、まもなく退学。故郷キヨフに帰ったものの、体制に従えない落伍者として投獄、さらに精神病院に収容されてしまう。
退院後の一九六〇年代から身なりに気を使うことを拒否し、からだも洗わず、ポロしか身につけずに街を彿循する「変人」となったティシー。そのころから写真を撮るようになるのだが、両親の実家で、わずかな障害者年金をたよりに暮らす彼に、高価な機材を買いそろえる余裕は当然なかったから、カメラはすべて手作りだった。木箱やボール紙でこしらえた箱に道路工事用の黒いタールを塗り、糸巻きと瓶の蓋やブリキ片を組み合わせ、パンツのゴムでフィルム巻き取り装置に代用。フィルムと印画紙だけは購入したが、弓き伸ばし機も空き缶に電球を突っ込んだ手製のものだった。
奇怪な玩具にしか見えない、その手作りカメラを携えて、ティシーは町をうろついては、目に入る女性たちを撮影していった。おもしろがられることも、嫌がられ、罵(ののし)られることもあったが、多くの場合は被写体にそれと気づかれることのないまま〜それがほんとうに写真を撮れるカメラだとはだれにも信じられなかったから~・・・
どうみても狂人です。しかし写真はすばらしい。
狂っているからこそ撮れたのかも。ならば、徐々に頭が狂いつつある私も、あと数年で巨匠になれるかもしれない。(笑)

かれの自作カメラ