過失のごと

くるった頭のせいで失敗した道草の企ての果てを。

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DP0Q

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DP0Q

塚本邦雄も”失”で、
 壮年過失のごとく始まり錆色に卵黄ゆがみゐる茹卵
 失樂に狎(な)れつつ夏をほそる食(け)に家族は綿雲のにほひする
 失職近し ポスター紺の地に黄金(きん)の麒麟立ちアフリカへの旅の誘(いざな)ひ

お口直しに”トオヌップ”、と口先だけです。(汗)
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秋が来る老人のやうに

八月も尽きようとしているところへ来て、夏の海の写真を撮ってなかったと「道草写真」に行ったのですが、
カメラの設定を間違えて撮ってしまいました。
ああ、歳はとりたくないなぁ、こんなことは時々あるけど、自分自身の老化を疑ってしまうのが悲しいのです。

 海も葡萄も真青(まさを)に濡れて秋が来る老人のやうに坐つてゐるな  (塚本邦雄)

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この若さは私にはない  DP0Q

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ここが開いているときに来たことがない  DP2Q

おそれむ夏ふけ

セミの声が絶えて、夜になると虫の声が聞こえるようになりました。

 人たることをおそれむ夏ふけて声にごりそむ昼の邯鄲  (塚本邦雄)

四日市市西日野はかつては製糸、醸造、製茶などの産業が盛んな地域だったそうです。
そのおもかげがうかがえるようなものも見ました。
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たぶんコダックのボックス型カメラと日本のゲルツというベスト判カメラ  E-M5mk2 42.5mm

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資料館の記念写真、お世話になりました  DP0Q


ちょっとむかしの生活をのぞく「トオヌップ」もつづけます。
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せみしぐれはたと絶え

起きて、先日まではセミの声がやかましくもう朝から暑いという日々でしたが、きょうはジィッとも鳴きません。

 蟬時雨はたと絶えたり内閣も十日連續午睡中とか  (塚本邦雄)
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四郷郷土資料館へいく途中、「あすなろ鉄道西日野駅」で  DP2Q

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こちらは郷土資料館の階段  DP0Q

遠野物語というトラウマのおかげでちょっとむかしの生活をのぞかせてもらえました。
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いつくし

郷土資料館はなぜ、どこも同じように、古い農機具や地場産業関係、家庭生活の一コマの展示が多いのでしょうか。
記録的な物が多くて、高価な工芸品などはたぶん旧家に残されているのだろうと想像をたくましくしました。
回想法にはわずかに古すぎる気がすると、この空間にいるわたしは若輩者になっていました。

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E-M5mk2 42.5mm

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DP2Q

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E-M5mk2 42.5mm

 大正、藍の香していつくし若者が肩までたくしあげたる袖  (塚本邦雄)

不思議なる夏の

四郷郷土資料館の「階段」です。
3階造りの塔の階段と2階議事堂へ通じる階段で、前者は太った私がやっと通れる狭さ、後者はちょっとおしゃれな意匠が踏込み板に施されていました。

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トオヌップは、きのうの神をも恐れぬ行為に神罰があたらないように神だのみすることに。

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 靑梅童子耳さにづらひなかぞらに摩訶不思議なる夏のふるさと  (塚本邦雄)

いきしちにひみりゐ

「四郷郷土資料館」(四日市市西日野町)館長にむかしお世話になった方が就任していると聞いて行ってきました。
大正10年築の旧四郷(よごう)村役場だそうです。

資料館の皆さんにいろいろと教えていただきながら見学していたのでカメラを構える余裕がありませんでした。(言い訳です)
撮り直しが必要です。

 ふるさとは杉鐵砲の彈丸(たま)かをりわれも死者いきしちにひみりゐ  (塚本邦雄)

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トオヌップは「公序良俗」に反するとスミ塗りすべきだったかもしれません。
豊穣への原初的な祈りと「前向き」に評価願います。
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「いきしちにひみりゐ」が分かりません。
アイウエオのイ列を読んでいるのでしょうか。(汗)

くちざるこころ一瞬

どこにでもある風景ですが、わたしには何かが見えるのです。(笑)

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E-M5 17mm

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E-M5 17mm

再開「トオヌップ」はスライドショーでも使った写真ですがお気に入りの風景なので。(汗)

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昨夜は強風でした。小学生時代に経験した伊勢湾台風以来の「風」PTSDのわたしには、心騒ぐ一夜でした。いい歳をして、です。

塚本邦雄
 四十にして朽ちざるこころ一瞬を滂沱たり風中の蜻蛉(せいれい)
 思ひいづるおほかたは死者篠原に野分(のわき)いたりてしまらく遊ぶ

ほとほとしたたる

お祭りの始まる前に。

 夏より秋へ風炎ゆるなり萬象の餘命ほとほとしたたるあした  (塚本邦雄)

凡人にしたたるのは汗ばかりです。汗かきのわたしはちっとも進歩しないのに、まわりの世界は足早に変化していきます。
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E-M5mk2 42.5mm

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撮ったのは月です  E-M5 17mm

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進入禁止だよ  E-M5mk2 42.5mm

こだわるという病が膏肓に

きょうもくせ球で。そろそろやめないと変になってしまうかもと自分で自分に心配しつつ。(レンズがくせ玉ということではありません。)

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E-M5 17mm

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E-M5mk2 42.5mm

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E-M5mk2 42.5mm

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E-M5mk2 42.5mm

歌人塚本邦雄に、碧川瞬というペンネームで書かれた一群の歌が見つかり、塚本研究の第一人者島内景二が「碧川瞬 青春詩集」としてまとめたそうです。
島内は、このペンネームが塚本本人だと筆跡などから推測し、名前の由来として『碧なす御空の川の銀の岸に瞬く星を想ひぬ』をあげています。

ここの「銀」は「しろがね」と読むのだろうと彼は言ってますが、「碧」のことは言っていません。ミドリと読めば五七五七七にぴったりですが、「御空」の直前にある字なので、「アオ」と読めないでしょうか。
つまり、碧川は「アオカワ」ではないかと思うのです。

鈴鹿山脈を水源にして伊勢湾へそそぐ「青川(アオカワ)」というのがあって、川に沿った道はむかしから昭和初期まで近江商人が行き来する街道でした。近江五箇荘出身の塚本邦雄はこのアオカワを知っていただろうと思えるのです。いえ、三重県在住者としてはそうであったらいいなぁと思うのです。

今夜も何とってるの

きのうの記事をつらつら考えるに、あれは「脱」・上手な風景写真論で、わたしの言い訳になっていないと気がつきました。
つまり、まず「上手な風景写真」を撮れるようになってから、そこから脱出するという構図です。
まだ、「上手」に撮れていないのに、「脱」もないだろうと気がついたわけです。(笑)

言い訳できなくなって困った困ったと口では言いながら、反省もせずに今日も「何とってるの」写真です。

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自転車がきたらパシャしてしまう  E-M5 17mm

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灯りのすぐ側がもっとも暗い  E-M5mk2 42.5mm

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今夜は開け放してます  DP0Q

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ブッカンジョウに月  E-M5 17mm

わたしが初めてもったカメラは距離は目測。露出は勘でした。適正露出でピントが合っていたら、それで十分「上手な写真」でした。カメラを使いこなせるという事がある意味特殊技能だったなごりが残っていました。
そこからスタートした者には、最近の「上手な風景写真」がつまらないという話は説得力がありました。

しかし、
プロが使うような一眼レフ、カメラマンジャケットで「上手な風景写真」を撮って、米美知子などのレッスンプロの名前は知っていてもアッジェやキャパなどのツアープロは知らず、レッスンプロの撮った写真は見たことがあっても一流の写真家の作品は見たことがないような人の耳に、「脱・上手な風景写真」という話はまったく届かないでしょう。

灯りのいべんと

一昨日地元でこじんまり行われた「灯りのいべんと」に行きました。
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E-M5 17mm

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E-M5 17mm

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E-M5mk2 42.5mm

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E-M5 17mm

 まいどまいど何撮ってるのという写真なので(汗)、言い訳がわりに、アサヒカメラ8月号の「脱・三脚、ファインダーで『上手な風景写真』から脱却せよ」という、写真家福田健太郎(※私はこの人を知らなかった)へのインタビュー記事から引用します。

「日本の自然」写真コンテスト(自然をテーマとした写真コンテストとしてわが国最大級だそうです。)で上位に入る風景写真が少ない、風景写真が弱いな、と感じているんです。こういうふうに撮れば、いいねっ、上手ねって、みんなに言われるような写真でしかない。いわゆる『上手な風景写真』からはみ出た作品がない。」
「竹内敏信のアシスタントを卒業するころ、富士フイルムプロ部の人に自分がイチオシと思う写真を見せたら、『この写真には、あなたが写っていない』と言われた。」
「『上手な風景写真』は否足しません。「もう、撮りませんけれど、私も『上手な風景写真』を撮っていました。美しい風景をそのまま撮りたいという気持ちで写真を始めた。そして、カメラ雑誌を手にして撮影データを調べ、同じ時期、同じ場所にたどり着き、同じアングル、画角で同じょうな写真を撮ってみる。写真でも絵画でも小説でも、最初は好きな作家のまねから始まります。私もそのひとりだったから、その気持ちはよくわかります。
でも、どうやって、さらに上を目指すか。そこからどう脱却するか。どう風景を見るのか。それは、もがかないと見えてこない。」
そのひとつが、「脱・三脚、脱・ファインダー」だった。
「20年前のポジフィルム時代の風景撮影のテクニック、いわゆる『お作法』が、そのままデジタル時代になっても受け継がれていると感じていた」。
レンズは単焦点を多用するようになった。ズームレンズは、単焦点レンズよりも厳密にフレーミングできる利点があるが、そこに落とし穴があると、福田さんは言う。
「体裁を整えることで、空気感とか、そういったものが画面から失われてしまう」
「目の前の美しい風景のリアリティーを写すのではなく、そこから五感を通して伝わってくる「何か」を撮影したい。」
最近、福田さんの作品を見た人から、「どこがいいのか、わからない」と言われたことがあるという。しかし、「わからないと思う人はそれでいい。無理してわかる必要もない」と言う。
「誰にでもわかるような写真ばかりを撮っていないし、自分がこれだと思ったものをどんどん撮っている。写真って、すごく自由なもの。」
「人々を魅了する自然の姿をありのままとらえる、という風景写真を否定する気持ちもありません。ほんとうにそれを撮りたいのであれば、それを追いかけるべきだと思いますね。」

いい言い訳です(笑)。

言葉で誤魔化す

昨夜は地元の小さな夏祭りでした。
前にいったのは3年前でしたが、昨夜の写真は間に合わないので今夜は毎度のトオヌップ3枚と昨日の昼間の写真1枚とで。

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15日に「敗戦記念日」に言及したので、塚本靑史「わが父塚本邦雄」を長々と引用します。

「『耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍び』て言うんは、絶対に国民を慰労した言葉ではないんやで」
 一九四五年(昭和二十年)八月十五日(水)正午に始まった玉音放送についても一家言ある。
 歴史の一駒として有名になったフレーズへの誤解を、邦雄はよく論(あげつら)った。
「あれはアメリカ占領後の、予想される苦難の時代に突入する天皇自身の、屈辱に塗(まみ)れる覚悟を言うてるだけや」
 戦後七十年にもなろうとする今でも、八月になればテレビのどこかで戦争の特集が組まれ、無条件降伏の件(くだり)には定番のようにこの台詞(せりふ)が繰り返される。
 そして、ほぼ皆が皆、空襲や食料難に苦しみ抜いて、なおかつ生き残った国民への感謝や犒(ねぎら)いと受け取っている。
「天皇を奉じた軍部に、あれだけ非道い目に遭(あ)わされといて、そのうえ勝手に誤解してるんや。日本人て世話ないな」
 広島や長崎に原爆が投下され、ようやく日本は無条件降伏した。要するに太平洋戦争に負けたのである。相手側から『撃ちてし止まむ』(※「撃ちてし止まむ」は「銃の撃ち手がいつまでも弾を撃ち続ける」ではなく、「攻撃をしつづけて完全に攻め滅ぼすぞ」の意味だと、直前の文にある)を実行されて、どう言い訳しょうが、完全な敗北を喫したのだ。
 それでも政府関係者は、それを素直に認めようとはしない。良く言えば、日本人の劣等感を助長しないように努めたのだろう。
 そこを塚本邦雄は、決して「終戦」とは言わず、意識して「敗戦」なる語を用いた。「終戦記念日」ではなく、絶対に「敗戦記念日」でなければならぬのである。つまり、政府(大本営)やマスコミが当たり障(さわ)りのない言葉で、本質を誤魔化しているとの怒りがそう言わせるのだ。
 本質とは、日本人に負ける(徒労に終わる)戦争という災禍をもたらしたうえに、若者たちからかけがえのない青春を、いや、命すら無駄に奪ったということである。
 何の意味もないことで、日本史上に汚点を作ったのであった。
 確かにそれまでの大本営は、大空襲があって大勢の国民が死んだり、重傷を負って苦しんでいるにもかかわらず、「我が方の揖害、軽微」などと、常に国民へ嘘を吐(つ)いて欺(あざむ)いてきた。
 戦争の推進者は、全国が焦土と化しても、この戦争の無謀さに気づかないほど無能だった。いや、ようやく気づいた振りをしても、今度は「終戦」という語で誤魔化すつもりだと、塚本邦雄には映っていた。それよりも、喉元過ぎれば何とやらで、気がつくと再び同じような時代にならぬかと、警戒していたのかもしれない。

描きし画布鉛白にぬりつぶす

きのうの撮ったのは画家浅野弥衛(故人)のアトリエ兼自宅です。
今年6月開かれた何度目かの個展のポスターが光をアブストラクトに映していました。

きょうもアトリエで撮ったカットです。
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画家の評伝(永見隆幸著)の解説で、文芸評論家清水信が「アトリエにて」と題して、小林秀雄「近代絵画」を引用したあと以下のように書いていました。

(画家は)晩年になって、長く続いた商家の店先を改造して、アトリエを持つに至り、そこで私(清水)は床屋のケンちゃんや美子(弥衛次女)と共に、コーヒーを飲んだり未完成の作品を眺めたりしていたが、豪華なピカツのアトリエですら、ドストエフスキーの『地下室の手記』の舞台である地下室の様相を呈していたという小林(秀雄)の指摘に従えば、暖冷房の完備せぬ、採光も思わしくない浅野の改造アトリエなんぞは、文字通り地下室というべきであった。
その貧しい現実をはね返すイメージの豊鏡こそが、浅野の真実の生活だったのである。ドストエフスキーの大作群を生んだ実験室の暗さを我々は忘れてはいけない。浅野弥衛という月光的芸術を考える時、その暗さに耐えた時間と勇気の孤独が先ず評価されよう。
(後略)

 馬描きし畫布鉛白にぬりつぶし母、すなはち静物(ナチユール・モルト)を描けり  (塚本邦雄)

毎日いちまいトオヌップ。習慣は創造の芽をつむと思っているのですが、年寄りは心が弱いのです。
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杞憂と臆病と怠惰

暑いからとか、雨が降りそうだからとか、カミナリが落ちるかもしれないからとか、竜巻注意報が出たからとか、
いろいろ理屈をいってカメラから遠ざかってたので、ボーッと生きてんじゃねえよ! と言われてご近所に出かけました。

本当は友人が誘ってくれて地元の町家におじゃましました。
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E-M5 60mm

最近、文字通りボーッとしている時間が増えてきたような気がします。
頭も固くなって、頑固になってきたみたいです。
時間の進み方がゆったりとしているような”トオヌップ”へもういちど行きたいなぁ。
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神様つながりで神だのみ

午後から激しい雨で出かけられなくなりました。カメラを磨いて準備していたのに、です。
なかなか思うようになりません。
ということで、回想法ばかりでお茶をにごします。(汗)
(言い訳がだんだん上手になってきたような気がします。)

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E-M5

トオヌップも続けてます。

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眉をひそめて

主夫業はたいへんです。これといってまとまった仕事をしていないのに疲れました。
ということで、連日の手抜き「トオヌップ」です。(汗)

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百日紅の花があちこちで咲いてます。(撮りたいなぁ)
塚本邦雄に白い百日紅について次のような文があります。母親が8月末に他界したときのことを思い出して書かれています。

 さむざむとした晩夏に、浄土眞宗大谷派の願ひ寺の境内に咲いてゐた白い爽竹桃を忘れない。他の地方のことは知らないが、
私の故郷では、白花の爽竹桃や百日紅は、在家には植ゑぬものとされてゐた。
知らずに植ゑると、あるいは知りつつ横車を押して植ゑると、
大人は忌ほしいものを見るやうに眉を聾めて領き合ったものだ。 (『百花遊歴』)

きょうは塚本邦雄風にいうと敗戦記念日です。(わたしの父も終戦と言わず敗戦にこだわっていました。)
それで映画「日本のいちばん長い日」のビデオを見てました。1967年版のほうです。
先日テレビで2015年版をやっていたようですが見ていません。
最近亡くなった橋本忍脚本の、三船敏郎、加東大介、志村喬のでてくるほうが見たかったのです。
戦争映画は古いものの方が人間臭さを感じます。
敬礼の仕方など、新しいほど白々しいのです。

盆休み

お盆休みですが高齢者には”休み”になりません。あれやこれやと。
と、言い訳をしたうえで、トオヌップだけでお茶をにごす「老獪」さを身につけました。(汗)
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どこが”遠野”だ言われそうです。
良いんです、わたしは見たのですから。
と、開き直る「狡猾」さも身につけました。(笑)

お許しを

先週土曜日の「職務専念義務違反」を2枚ほど。
こんなことしていたらきっと直に解雇通告をもらうでしょう。お許しくだせいお代官様ぁ。
きっと、チコちゃんにもしかられるなぁ。

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E-M5mk2 42.5mm

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E-M5mk2 300mm

マイ・ブームもつづけます。
わたしの”トオヌップ”です。

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進歩なし、進化なし

郷土史音痴のよそ見写真と、遠野で撮った写真がどこか似ています。
ということは、この8年間で私の写真はちっとも進歩していないということでしょうか。(涙)

すこしだけ進歩しているかもしれないと思う点もあります。
遠野はズームレンズを使っていたせいか、、「のぞき見」のような、「額縁」にいれたような窮屈な写真が多いのです。
それが8年間ですこし改善されたと、こっそり自画自賛。

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こちらは遠野で撮った、「らしさ」はない写真です。(汗)
ここで何が撮りたいのかあいまいだったからかなぁ。
ま、それにしても「華」のない写真だこと!

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さて先日買った写真雑誌の記事から引用します。
(アサヒカメラの90年 第20回 デジタル化の波のなかで 鳥原学 )
(前略)
 何度か触れてきたように、ネイチャーフォトを支持してきたのもまた、本誌の中心的読者である中高年層だった。そんなアマチュアの成長を促そうとしたのが宮嶋康彦だった。宮嶋は98年の連載「2001年の自然写真」と翌年の「2001年の花鳥風月」で“新しい風景写真への提言”を試み、ネイチャーフォトの見直しを提唱した。
 まず「2001年の自然写真」の冒頭で、いま自然をテーマにした写真が硬直化し行き詰まっていると指摘。その責任は「人工物の写った写真は自然写真にあらず」としてきたメディアにあり、こうした言説と「個性を欠いた『お手本写真』」の氾濫が、本来の個性的な写真を目指す面白みを奪った。重要なのは、自身の体験に基づいた自然観からテーマを見いだすことだと説いている。そして、宮嶋は「自然写真についてのまとまった論考がない」(98年12月号)として、翌年の「2001年の花鳥風月」につなげている。
(後略)

そういえばやたらと「電柱が、電線が邪魔」と言い、「人工物の写った写真は」排除しようと心がけている友人がいます。
そして、かれの写真は記念写真か絵葉書の域を出ていません。でもかれはそれで満足しています。
つまり、雑誌の読者に限らず、「高級カメラ」をもっている多数の中高年層は、いまさら新しい地平に踏み出す意欲もなく関心もなく、「上手な風景写真」をつくりつづけています。
他山の石です。

勝手にしろサルスベリ

史跡を撮らずに”アマノジャク”はよそ見ばかりです。史跡を見ると目が回る?(笑)

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 「英雄」を聽かさるる夏いらいらと指揮者勝手にしろ百日紅  (塚本邦雄)


自分自身に好評につき、遠野物語からも一枚だけ。
ええ、自己満足ですよ、自己満足。
自己中かも知れませんね。中心でなく中毒の”中”です。
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いきたしとおもえど遠し

郷土への興味・関心がうすいとか、歴史認識への勉学が足りないといわれてもいたしかたありません。
地元の史跡を撮りにいって、こんな写真を撮っているようでは、です。
でも好きなものはやめられません。

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お寺の鐘楼になっていたのは太鼓櫓だそうです。登城の合図のドンドンというあれです。いまはゴンゴン。
太鼓櫓があった城は二代目のもので、初代は近隣のお城の材になったみたいです。
二代目の城を築いたのは、吉宗の享保の改革をささえたスタッフの一人だったと聞きました。

さて、回想法に耽溺して。
なつかしい遠野物語は玩具のお手玉の匂いがします。

 養老院へ父母を遣らむとたくらむに玩具のバスの中の空席  (塚本邦雄)
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非記念写真

むかしの城の遺構がお寺の鐘楼として残っているから撮影に行こうという友人の後ろから、
45mm相当の単焦点レンズ固定シグマDP2Q一台だけもって、

どこどこへ行ってきましたぁ、なになにを見てきましたぁ、というだけの「記念写真」は撮らないぞと、
PASHA!
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お口直しは「遠野物語」。(汗)
あっ、これは「記念写真」ではないか。

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何の陰影遠近画

遠野物語なお。(うしろめたいけれども)
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仕事はしているのですが精神的引きこもりなのかどうもいけません。 きょうは街路樹のサルスベリを撮りました。。
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 百日紅(さるすべり)淡き飛火の空冷えてわが死は生の陰影遠近畫(シキアグラフイア)  (塚本邦雄)

立秋のかなしみ

一日中くもがかかって少しだけ暑さがしのげて、立秋という空々しかった言葉がちょっとだけ許せるお天気でした。
暑さがきっとわたしの脳にもダメージを与えた証拠に、8年前の写真がやたらに良いように感じます。(だれも認めてませんが)
それできょうも遠野物語。

森山大道の遠野物語にいわゆる観光名所のたぐいは出てきませんので、わたしも町のふつうのたたずまいを。
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一日中、回想法をやっていてはかえってよくないので、きのう「Qたろう」を撮ったおまけの写真も2枚だけ。
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E-M5mk2 60mm

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E-M5mk2 60mm

 立秋のかなしみ梢(うれ)にあふれつつ栂(とが)一樹おそらくは父の木  (塚本邦雄)

Q(キュー)

きのうで在庫も払拭したので、こっそりカメラを持っていって一枚だけパシャしてきました。
この前から気になっていた木です。

秘かに「Q太郎」と私は呼んでます。
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E-M5mk2 60mm

あとはまた棚卸し写真の「遠野物語」です。
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先日の写真家の話をつづけます。
梅佳代について、菅付雅信「写真の新しい自由」(玄光社)から、
 ここで僕なりの評価も語ろう。多くが語るように梅佳代の技術はゼロに近いが、ハンターとしての写真家の力は、桁違いのものがあると思う。そして「技術的によく出来たつまらない写真」よりも「へタクソだけど面白い写真」の強さを再認識させてくれる希有な存在だろう。

そこには評論家飯沢耕太郎の文章も引用されていて、
 生命感、エネルギー。梅さんの写真は、現実世界のものや出来事の意味を捉え、それらが放つエネルギーをうまく捕まえています。鑑賞者に彼女の写真のエネルギーを感じ取るアンテナがあれば、これほど面白い写真はない。彼女の写真が下手だとか 誰でも撮れそうだと思うなら、撮ってみろと。撮れませんよ。正直、木村伊兵衛写真賞を取った時は一発屋かと思ったので、反省しています。
と。

わたしは、進化したカメラとスマホが彼女を見直させたと感じます。

きょうは広島の原爆忌でした。
 原爆忌昏れて空地に干されゐし洋傘(かうもり)が風にころがりまはる  (塚本邦雄)

暑いです

デパートは夏物バーゲンですが、こちらも最近の写真の残り物バーゲンです。
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デパートは「棚卸し」というのもするから、きのうの「遠野」回想法に味をしめてむかしの写真も一枚。遠野「南部曲り家千葉家」。
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回想法かも

一昨日に小栗昌子「トオヌップ」と書いて、遠野を思い出し、以前つくったムービーをブログで確認したらリンクが切れていました。保存先を変えたのをほったらかしていましたので、再アップすることに。


ふるいムービーだけではいかがなものか、と感じたので8年前の写真を少し現像しなおしてみました。
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「トオヌップ」で林忠彦賞を受賞した小栗昌子の近況が分からないので、一昨日あげた作家のうちベレニス・アボットについて、
尊敬する荒木経惟(あらき のぶよし)の文章を長々と引用します。

 いつだったか、私がもっと青年だったころ、あのジャン・ユージェーヌ・オーギュスト・アッジェ(一八五七〜一九二七)を空想したことがある。
 いつものように、アッジェは夜明けとともに大きなカメラと各種の道具をかついで家を出た。家財道具を全部かついだ浮浪者のように、被写体を探し求め、パリの裏街を徘徊していた。そのアッジェにぴったりとくっついて離れない野良犬がいた。日が沈むまで、ずーっとアッジェと野良犬はいっしょだった。夕やけの中を行く、そのシルエットを見て、夜の女たちは、「まるで親子みたいね」とささやきあった。
 野良犬は、アッジェの家までついてきて、半分のパンと、ビンに半分の牛乳と、ほんの少しの砂糖をごちそうになると、どこへともなく、夜の中に消えた。次の朝になると、また、どこからか現れてきて、アッジェにぴったりとくっついて、パリの裏街を徘徊するのであった。そんな毎日であった。そんな野良犬をアッジェは息子のように愛した。子ともはいなかったが、決して寂しくはなかった。アッジェには愛する妻と野良犬と、そしてパリがあったのだ。
 私は、その野良犬になって「東京」を撮ってみようと思、想した。ところが、「京都」で、この犬眼写真をやっている男がいた。中平卓馬であった。名前にさからって「犬の世界」を撮ってやがる。ヤラレター! いまよりもっと若いころの私は「早いもの勝ち」思想だったので、マネといわれるのがいやで、「アッジェの野良犬」撮影をやめてしまった。
その頃にWORKSHOP写真学校があって、東松教室に入学していれば、あんなにあっさりとやめなかったと思う。実をいうと、その「犬の世界」は見ていない。「アサヒグラフ」の新聞広告で、タィトルだけ見たにすぎなかったのだ。アセッていたのだ有頂天才の「荒木のぶよし」も。あの「犬の世界」が中平卓馬にとつての「実戦写真教室」たったのであり、そして彼の名作「来るべき言葉のために」が生まれたのだ。
 といううイキサツの理由だけてはないが、今回は、「犬眼写真」術である。題して「アッジェと愛犬ベレニス」 -この「愛犬ベレニス」というネーミングは、アッジェの死後、当時のシュールリアリストたちとともにアッジェの写真を高く評価し尊敬していたアメリカの女流写真家ベレニス・アボット(一八九八〜一九一四)が、そのオリジナルプリントを作り、世界中に彼の真価を紹介したということに由来する。細江英公の話によると、ベレニスは、ほこりをかぶって汚くなってしまった傷だらけのネガフィルムを、愛する男の肌を愛撫するようにやさしく、きれいにして、彼の気持ちになってプリント作業をしたそうである。

荒木がこれを書いている場面は昭和50年でした。

かすかにかたむき

一身田で撮った写真もきょうでおしまいです。また訪れたい町でした。

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おくればせながら、火曜日は火星大接近だったと聞いて、
 惑星の正午かすかにかたむきて人はくれなゐさす死の器  (塚本邦雄)

きのうさんざん写真家の名前を引用したのでそれぞれの説明をしようと目論んだのですが、間に合いませんでした。
明日こそ。

知性は逍遥しわたしの頭は消耗する

いつもの通い道で見るイネがみるみる育ってきたので、こっそり鞄にカメラを入れていって一枚パシャと。

 真夏なすことなく逍遥す不毛なる田園の多毛なる農夫たち  (塚本邦雄)

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E-M5mk2 60mm

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E-M5mk2 60mm

ひさしぶりに写真雑誌を買いました。脱・風景写真という見出しに惹かれたからです。
とはいえ手に入れれば、活字よりも写真の方が先に目に入ってきて、記事を読むのは後回し。日ごろテレビばかり見ていて字を読む能力が育っていないのでしょう。(汗)

口絵写真の作家たちの名前を見て、女性が多いことに驚きました。
今年の木村伊兵衛賞の候補者が全員女性だったことにショックを受けたことが思い出されました。

考えてみれば、ベレニス・アボットやマーガレット・バーク=ホワイト、イリナ・イオネスコなどみな女性でした。大好きなダイアン・アーバスだってそうです。石内都、蜷川実花、梅佳代と日本だっていっぱいいました。遠野を舞台にした好きな写真集「トオヌップ」の小栗昌子もです。
もっとも、おバカな私は「未来ちゃん」の川島小鳥も女性だとずっと思っていました。(大汗)

勉強不足、睡眠不足、体力不足

毎度毎度のことですが、質の低下を量でごまかす日になりました。(笑)
大好物の「窓」なのですが、いつかどこかで見たような写真ばかり。(汗)
それぞれの「窓」のどこに興味を持ったか考えれば、もっと撮り様があったと思います。

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