老ゆるわれ荒(すさ)んで

年をとると時間の経つのが早いです。
そのせいか今年は季節感の変化がむしょうに早く感じられ、
彼岸花は2回撮っただけで終わったし、コスモスやキンモクセイは撮ることもできませんでした。

このままでは、紅葉も撮らずに終わりそうなので散歩ついでにご近所で一枚撮りました。
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ZUIKO 25mm

ついでに10月もきょうで終わりなので季節ものも付け加えて。

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塚本邦雄
 未來と言へどただ老ゆるのみ十月の水に鐵片のごとき蝶
 籃の柘榴紅きしづくし刻刻を老ゆるわれ、すさみゆくユーラシア

風のゆくえ

きのうの写真に撮ったわが家のボロボロの花も一晩で吹き飛ばされていましたが、
性懲りもなく、花びらがわずかに残った花で写真を撮りました。
ハロウィーンだそうなので。

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塚本邦雄
 ムスタキもはや秋風の市中(いちなか)に去(い)ねさにづらふ紅茸少女(べにたけをとめ)
 邯鄲の屍ぞころがれるあしもとに秋風のゆくへつきとめたり

毎年、越中八尾「おわら 風の盆」のカレンダーをいただいています。
もう10年以上になります。最近は厚顔にも、カレンダーが届くのが待ち遠しい気持ちです。
ことしもありがとうございました。

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秋の雨過ぐる

何もせず家に引きこもり中です。
庭へ出て朽ちかけた花を撮りました。

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ZUIKO 17mm 1.8

塚本邦雄
 わが過去にすさまじきものはこびきて豪雨の中にうなだるる馬
 壮年の殊ににほふは愛と死のはざまに秋の雨過ぐるなれ

ひまつぶしという玩具遊び。
デジブックというサイトで昔の写真でスライドショーをつくりましたが、タブレットやAdobe Flashが無効のPCでは表示されないと思います。なにかと問題のあるFlashPlayerをわざわざonにしてまで見るのはお勧めできませんので、ねんのため申し添えます。


きょうは従順

週末はふたたび台風だそうです。
先日からお出かけしたいとカメラをみがいている(?)のですが空振りばかりです。
どうしても見たい展覧会があるのですが意のままになりません。

前向きの意欲が減退しているのを写真も反映しています。
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雨ふりの日は家の中でつまらないです。
プリンターで写真集を自作して遊びました。
より客観的な自己評価をするためにはプリントアウトするのがいいと何度も聞いてきたので。

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 殺意ひめて生きつつ今日は從順に胸部寫眞を撮らるる梟首(けうしゆ)  (塚本邦雄)

人は

日日と日没が早くなってもうじきに暗くなると分かっているのにもう時間を戻すこともできません。
ノラを見習ってしんぼうをつづけていればいい日が来ると信じます。

似たような写真ですが、なかなかハンサム(美人かな?)に撮れたので。
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TOKINA 300mm

10月もわずかになったので、いまのうちに10月の塚本邦雄を引用。
塚本邦雄
 人は妬みに生くるものから 十月のひるのねむりに顕(た)つ靑石榴
 人は憂しとおもへど夜の水のうづまさしく秋のそこひに落つる

光濃き

貝がらが主役ですが、ノラにも敬意を表して。

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いまさらですが、自分のブログの写真を、別枠に表示させて拡大してみたら解像度がおおきく不足してました。
アップロード画像を、JPEGの圧縮率を上げるかわりに画像の縦横サイズを1.5倍ほど大きくしてみました。
うまく表示されるといいのですが。

 波は神の手魚(さかな)の流露(りうろ)いつの日も水晶の光濃き香の何か  (塚本邦雄)

モデル代未払い

きのう、おなかをすかせたノラに邪魔されながら撮った一枚。
 ほーら、自己満足のきょうの写真よりもオレを撮ったきのうの方がよかったじゃないか、モデル代払えよ。
とノラが言いそうです。

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TOKINA 300mm Refalex

ノラが邪魔する

仕事の帰りに寄り道して近所の海岸へ行ってみました。
貝がらがたくさん打ち上げられいる様子を撮ろうという魂胆です。

波打ち際でカメラを構えていたらまとわりついて撮影の邪魔ばかりするヤツがいました。
かまってやらなかったらカメラの前に座り込んでウヮーオ。

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 飼猫をユダと名づけてその昧(くら)き平和の性(さが)をすこし愛すも  (塚本邦雄)

飼い猫はおだやかな性格みたいですが、きょう出会ったノラはちょっと好戦的でした。
動物撮りが苦手な私の腕が見透かされたようで、いっときもてあそばれてしまいました。

恍として平和過ぎ

きのうは小さいイヌでしたので、大きいのがないか探して「犬筥(いぬばこ)」を持ち出してきました。
すこし大きいからペアのカメラもフジカGS645プロフェッショナルにしました。

ただ、犬筥はひな人形の道具のひとつで本来ふたつでワンセットらしいので、年賀状の画像には向かないかもしれません。

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カメラはセミ判のスプリングカメラですが、
あまり使わなかったのにファインダーのアイピースを旅先で落として失くしてしまいました。

むかしむかしパールという小西六のカメラにあこがれた時期があって、
そのころイコンタやスーパーシックスやベッサIIに一度は触りたいと思ってました。
残念ながら夢はかないませんでしたが、その「代償」としてマキナやフジカを買ったのだと思います。

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犬つながりで、塚本邦雄から、
 恍として犬歯抜かれつ 霊媒に招(よ)ばれし昨夜(よべ)のつゆけき父よ
 平和過ぎつつあり断たれたる静脈のごとき鎖引くわれの犬

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野分いたりて

いよいよ台風が近づいてくるようです。

塚本邦雄
 思ひいづるおほかたは死者篠原に野分(のわき)いたりてしまらく遊ぶ
 野分合歓(がふくわ)の林を過ぎつ 卓上の伝言筆太に「いつかまた」
 野分は北北東へましぐら屋(や)の上の男鮭色の腿に掻き傷

外へ行けないので年賀状用の試作を撮りましたが、
肝心のイヌのアイテムが小さいのでカメラもミニチュアを持ち出してみたものの、どうも年賀状には使えそうもありません。

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貝がらはご近所の海岸を散歩して拾ってきました。サクラ貝を拾うと、昔昔の記憶がよみがえります。それなりにもてた昔がありました。

片片のハート

台風というのでいつもの塚本邦雄で「台風」の歌を引用して、
 サントニン黄視症にてこもれるを若者が鼻唄の<颱風(エル・ウラカン)>

ところがエル・ウラカンを知らないので検索したら、タンゴの"El huracan"が見つかったのはよかったのですが、
youtubeで見たらピチピチのビキニの子の映像が出てきてびっくりするやら恥ずかしいやら。(私は心臓の持病があります。)

お口直しに塚本の別の短歌を引用します。
 颱風は冱え冱えと野を過ぎにけりわがつづる片片のこころ

写真の方は気の抜けたワークですみません。
きょうは仕事で忙しかったのです。(言い訳言い訳)

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わがコスモスと雑草と

行きはよいよい帰りはこわいって誰が言うのだろう。
わたしの仕事の行き帰りは、行きはこわいが帰りはよいよいです。

ついでに一枚パチリ。

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塚本邦雄
 秋眞晝わが宇宙(コスモス)に水流れ名も知らぬ草、花散らすなり
 コスモス滿開なり腕白の二の腕に沃度丁幾(ヨードチンキ)のうするるセピア

キャパもルソーも好き

仕事が休みの日の方が忙しいのは何故だろう。
焦ってばかりのいちにちでした。

まず言い訳で予防線を張ったので写真の出来は不問ということで。

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塚本邦雄の歌も柿つながりで、
 死者なかんづくキャパに供ふる一塊の熟柹透きとほりて腐るまで
 柹の木のほかに樹知らず仲人はジャン・ジャック・ルソーを褒めちぎる

ころぶ所まで

なお、石上神宮。
帰りがけにふりかえったら灯篭に灯りが入ってました。

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きょう読み始めた本は、芭蕉の「いざ行む雪見にころぶ所まで」ではじまっているのですが、見飽きない写真集です。しばらく読んだら感想を書きたいと思いました。
本を見た第一印象は、「ガーん」でした。打ちのめされました。

愛しつつ石にまどろみ石つみかさね

石上神宮から夜都岐神社まで行って、同じ道を戻り、ふたたび石上神宮に帰って来ました。

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「石」つながりで。

塚本邦雄
 日本愛しつつ孤立せるわが朋(とも)よ雷(らい)すぎて眼のごとく濡るる石
 しづくして良夜の石にまどろめるこの蜻蛉(あきつ)過去あらばおとうと
 無花果をたべる二人のささやきの扉の外みかげ石つみかさね

歩みゆく道の

山の辺の道の沿道は農作物の宝庫でした。
石上神宮に近い杣之内あたりを歩いていると太鼓の音がして、町内のお祭りのようでした。
黒澤明の映画「夢」の場面を思い出しました。そう笠智衆がでてくる夢です。

 春夏秋冬わがたましひの歩みゆく道・途・通の最後は夢か  (塚本邦雄)


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 春夏秋冬わがたましひの歩みゆく道・途・通の最後は夢か  (塚本邦雄)

時間が止まる処

奈良天理市、夜都岐(やつぎ)神社。

竹ぼうきやさらいの数からは境内を清掃するのが一人や二人ではないようすがうかがえて、この神社は大切にされていると感じました。

拝殿の中には、昭和7年陸軍特別大演習のときの昭和天皇ではないかと思われる写真がかかっていました。

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シャッターのこと
シグマDPクワトロのカメラデザインは独創的で好きですが、レンズとシャッターボタンがカメラの左右端のもっとも離れる位置に付いているので、回転モーメントが強く働きブレ易いカメラになっています。
デザインを優先しすぎて写真を撮る機能がおろそかになったカメラですが、出来そこないには親近感も感じるのです。

セルフコッキングとかボディレリーズなどという言葉はもう死語になったようです。

むかしのカメラはシャッターをチャージする動作とフィルムを巻き上げる動作が各々独立していて、うっかり一方の操作を忘れて多重露光の写真を撮ってました(私はあの頃にもうボケていたんだ!)。巻き上げとシャッターチャージが一つの動作で同時にできる「セルフコッキング」が、「最新型」と同じ意味で宣伝に使われた時代がありました。

また、シャッターはそれだけで独立した機構ですからシャッターを切るのもその機構の中で処理できるし処理するのが普通でした。シャッターを切る操作をカメラボディーに這わせた針金で「遠隔操作」したのがボディレリーズです。

カメラ本体にシャッターボタンがついていて、そのボタンを押すだけで写真が撮れることが当然になった現在に、そうでなかった昔よりもいい写真が撮れているのだろうかと自分を疑ってしまいます。何にも進歩していない自分に憐憫を感じます。

 あはれみをわれにあたへて羅馬皇帝(カエサル)のごと人去れり 雨降る干潟  (塚本邦雄)

火の色

山の辺の道の途中にある夜都岐(やつぎ)神社。

Wikiから。
 「やつき」「やとぎ」などとも読まれる。
 春日大社との関係が深く、春日大社の古くなった社殿・鳥居を60年毎に夜都岐神社に下賜して使用させる伝統がある。
 現在の本殿は明治39年に春日大社から移された建物。

「ヨトギ」などと卑俗な読み方はしないようで、「夜伽」を連想して下品なことを妄想していた私は、顔から火の出る思いです。(汗)
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きょうは母方の従兄弟の一周忌でした。

 ゆくかと問へばゆくと唇(くち)噛みゐし彼の一周忌瞿麦(なでしこ)の火の色 (塚本邦雄)

十月のひるね

山の辺の道にそって、
池があったり崖下の石仏があったり、飽きないように励ましてくれる景色を勝手な視角で撮っていると、
それが一休みになって、わずか2.5kmの距離を一時間以上かかって歩きました。

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塚本邦雄
 人は妬みに生くるものから 十月のひるのねむりに顯(た)つ青石榴
 人われにほのほのねぐら秋されば神には神の還(かへ)る山ある

いそのかみ布留

山の辺の道の稲田たち。
そらみつ大和、いそのかみ、・・・歩くと枕詞がリアリティをもってくるような気がしました。

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まだDPシリーズを使いこなせてないので露出の失敗が目立ちますが、自分にあまく他人にきびしくという処世なので。

露出のこと
 露出計に反射式と入射式があって、カメラについているのは反射式なのでその欠点も引き継いでいます。撮られるものなんでもが平均的反射率と想定して18%のグレイに仕上げる数値を返してくるので、白いものを白く撮るには露出過度へ、黒いものを黒く撮るには露出不足へむかって操作するのですが、最近はカメラが賢くなってどこまで補正したらいいのか分からないまま適当に撮っています。
 デジタルでは、ブランケット撮影という方法で露出を変えて3枚程度を連射するという安易な逃げ道もありますが、瞬間を撮るという写真の本質から離れてビデオから映像を切り出すのに似ているように感じ、素人は素人らしく露出を失敗したら失敗と胸に刻んだ方がいいように思っています。
 入射式の露出計は今も単体で売られていますが、むかしのトプコンの一眼レフにTTLを入射式で測るためのアクセサリーがあった記憶があります。他社が同じものをつくらなかったのは、そんなものを使わずとも18%グレイの反射板を使えば反射式でもその欠点を補正した露出値を得られたからでしょう。手帳サイズの18%グレイ反射板をわたしも持っていたことがあります。
 現在はすべてオートになって、中間リングやPLフィルターを露出補正を気にせず使える便利な時代ですが、わたしは白トビや黒ツブレをつくっては失敗ばかり繰り返して、いつまでたってもうまく光をとらえることができません。

かかし、カキ、かれは

山の辺の道で。

刈られる前の稲を守っているカカシの傍には、まだ青いカラスウリもなってました。

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山の辺の「道」にちなんで「みち」の歌で。

塚本邦雄
 婚礼トラックぎらりと過ぎつこの道や行く人あふれつつ秋の暮

三本のレンズ

石上神宮で。

シグマのDP0クワトロとDP2クワトロに加えて、中望遠としてオリンパス・ペンFにノクチクロンをつけて持っていきましたので、3本の単焦点の写真を一枚ずつです。

シグマのDP3は評判はいいのだけれど、わたしにとっては被写界深度が少し深いので、m4/3のf1.2~1.8クラスを使い続けるつもりです。ただしシグマとオリンパス(あるいはノクチクロン)の絵作りの違いをまだ消化できていません。

換算して85mm、45mm、21mm相当になりますが、どのレンズを使うかのひらめきを石上の神様は与えてくれるでしょうか。
家族の健康もお願いしたので賽銭不足かも(汗)。

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三枚目の写真の灯篭には「鹿」の浮彫がありました。
角が生えていたので「鹿」だと思うのですがまさか「馬」じゃないですよね。

塚本邦雄
 新秋の明日こそおもひわづらへとくれなゐの鮭死海より来し
 神はわが胸を牡鹿となしたまふみのれあからひく朝の少女ら

石上神宮でトリに会う

石上神宮で、今年もあと少しの間だからよろしくとトリにお願いしてきました。
ケッコウ! と返事してもらいました。

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物部氏や蘇我氏といった歴史的ないわれをほこる神社だそうです。
三重県にある伊勢神宮と同じ「じんぐう」という名をもっているので、伊勢と同様に偉い神様なんだろうと思いました。

きょうは石上神社から山の辺の道を少しだけ歩きました。

有明の月、秋桜、粟のようなねこじゃらし

少し冷たい空気が気持ち良い朝早く、ご近所をブラブラしました。
朝霧がちょっとだけ出たような気がしましたがすぐに消えました。

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十月は何のにおい

きょうもイヌを撮るつもりでしたが、
雨上がりの曇り日で気温も高くないということで、「きょうは草刈り!」という宣託が山の神様からあって、
肉体労働の一日でした。(涙)

しかたなしに重箱の隅からまた。
先日名古屋へ行った写真の重箱です。
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 脱衣してなほ山男 十月は火のにほひする漆林(うるしばやし)に  (塚本邦雄)

イヌの出番

さて、ぼちぼち年賀状の準備に着手です。
トリさんには去ってもらってイヌさんの登場です。

写真のトリもイヌも、京都の田中彌という店の「オリジナル」だそうです。
デザインもいいのですが、650円と安いのもいいのです。(われながら俗物だなあ。)

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92の父の「終活」につきあって、せっせと本を整理中です。

父の蔵書をそっくり受け入れればいいのかもしれませんが、わたしの本でさえ目のカタキにしている家人の手前、そうもいきません。
古書屋に売るというのも本のためにはいいことでしょうが、近所の今様の古本屋では的確な評価をしてくれるのか不安ですし、だいいち、いちいち身分を証明するのも面倒です。

それで本をばらしてはドキュメントスキャナーにかけようと考えてます。
わたし自身が根っからの紙好きなので、電子媒体でもいいから手元に置いておきたい気持ちもあります。

でもアマゾンあたりで古書の売値をしらべたらおもわず声が出るほど高くて、本をばらす決心が鈍ってしまいました。
やっぱり、わたしは俗物だあ(汗)。

花消えてのち

ストックがなくなったのでいつものとおり重箱のすみをつつきました。

塚本邦雄の短歌にもたすけてもらうことにして。
 曼珠沙華花消えてのちわがひざにつむじうづまく君こそ阿難

塚本邦雄の短歌に同性愛の歌が多いのでそちらのイメージが先行してしまいますが、ホームズとワトソンやポアロとヘイスティングスのような関係もあるので、性愛のイメージを払拭してヒガンバナの花の形を思えばいいのでしょうか。

仏弟子の阿難が悟りを開くのは釈迦が入滅した後だそうですから、花が終わった後で葉が出るヒガンバナと重なるのかもしれません。

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ZUIKO DIGITAL 50mm Macro

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ZUIKO DIGITAL 50mm Macro

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ZUIKO DIGITAL 50mm Macro

中秋の月だそうです

去年も仕事の帰り際に中秋の月撮りましたが、ことしも仕事のついでに一枚パチリです。
トイレンズ使いましたけれど、ボケボケなのはレンズのせいでなく私にの技術的問題です。

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塚本邦雄
 月は東うすき日残る神無月鬼住む野には雉子(きじ)の声する
 月は樹陰にありつつ見えずおとうとのたなごころなる苦き杏仁(きやうにん)

見上げれば

見上げれば、屋根です。ぶっかんじょうも好きです。

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92歳になる父が終活のつもりか身辺をあれこれ片付け始めました。
この前は、わたしが我が家のどこかにしまったはずのローライ35が何故か実家から出てきました。
きょうは、わたしが先日も家探しした白洲正子「かくれ里」が父の本箱から出てきました。

今なら白洲正子が嫌いだから買わないでしょうが、当時としては高すぎるこの本を買ったわたしはまだ二十歳になったばかりで素直でした。
芸術新潮に連載されていたこの随筆が出版されるのを待ちあぐねるようにして手に入れました。

歳をとって狭量になりました。(ニュースに毎日出てくるあの人と同じだ。)
白洲正子にことさら感情を左右されることはなかった昔に戻りたい。

 屋根ありく白き鶺鴒しかすがに火の秋のすゑおもひおよばね  (塚本邦雄)

散歩の最終の

散歩をしていてひとつの路地を抜けたら、伊勢型紙資料館(寺尾家住宅)」という建物に、
棒に当たった犬よろしく、行き当たりました。

きのうは型紙技術継承の会員の方々が集まって型紙を彫ってみえましたが、中に見知った顔もありましたので、
邪魔をしないように建物だけを少し撮りました。

鈴鹿市白子。
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十月の空群青(ぐんじやう)に最終(さいはて)の朝餐(てうさん)として酢の皿ありき  (塚本邦雄)

神無し

散歩にいきました。

小心者なので狭いところやうす暗いところが好みです。
だから空間を狭くしたりうす暗くする「壁」や「塀」に親近感を覚えます。

散歩をしていてもついつい路地などに入り込んでしまいます。

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十月になったので塚本邦雄の歌から、
 神無月ちくさやちくさ花の上をわすれがたみに神渡るてふ
 神無くてわれらほほゑみ 神ありてレスラーの四肢曲れる肉又(フォーク)
 神ならぬわれに鈴鹿の石清水(いはしみづ)鳴るやすずろに天(あま)の旅人