さながらに

塚本邦雄
紅梅の右の大臣(おとど)はくれなゐの花一枝匂宮にささげたり   (源氏五十四帖題詠)
白梅の香もさながらにみづみづし嵯峨(さが)のみかどの古萬葉集(こまんえふしふ)   ( 〃 )
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

平等院の水辺で。

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とらわれた者、阿宇池。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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とらえる者、宇治川。 M.ZUIKO 25mm F1.2

 私の住む地方では明日が高校の卒業式ですので、紅白の梅の歌を引用しました。おめでとうございます。
 私自身は卒業式に欠席でした。当時は式なんてナンセンスだと思っていました。

たばしる二月

塚本邦雄
わが歌の終焉(しゆうえん)を見ば慈姑田(くわゐだ)にここだたばしる二月の霰(あられ)   (詩歌變)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

平等院のシンメトリー。
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金の鳥。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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銀(?)の鬼。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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サコンの梅か。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

 「ここだ」の意味が分からずに例のごとく検索したら、万葉集の赤人が『み芳野(よしぬ)の象山(きさやま)の際(ま)の木末(こぬれ)には幾許(ここだ)も騒(さわ)ぐ鳥(とり)のこゑかも』にあたりました。こんなのは犬も歩けばとはいわないのでしょうね。

えこそ忘れね

塚本邦雄
阿闍梨(あじやり)よりとどく蕨よつくづくしえこそ忘れね亡き人はなほ   (源氏五十四帖題詠)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

きのうは宇治平等院でした。
 源氏にちなんだ短歌で、すでに『宇治十帖のはじめは春の水鳥のこゑ橋姫をいざなふごとし』は引用済みなので、土筆や蕨といった季節にはやや早いものの、早蕨の巻の歌をつかいました。

 宇治十帖を友人が「うじじゅうじょう」と言ったのを聞きとがめて「うじじっちょう」と正したら、深夜になって彼から「じゅうじょうで正しい」というお叱りのメールをいただきました。なるほど、私の思い込みで申し訳ない事をしたようです。

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TOKINA Reflex 300mm F6.3

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M.ZUIKO 25mm F1.2

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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

 最近、だんだんと物事へのこだわりが強くなってきたのは老化の進行と自覚しているのですが、言葉にしても写真にしてもつい執着してしまいます。単焦点でノートリミングなどへのこだわりも頭が固くなった証拠です。病院でアルツハイマー症は行為より感情が記憶が残っていくと聞きましたが、小さなことにこだわっているのも感情が脳に刻み込んだ傷なのでしょうか、そらおそろししや。

1枚目に使ったトキナーは50mmでf1.0ぐらいの被写界深度しかなく絞りもないので撮影に神経を使います。このレンズの困るのはピントリングが軽いこと。今回も横位置の写真はすべてピントが甘く仕方なく縦位置を使いました。

恩愛(おんあい)のきりぎしに

塚本邦雄
恩愛(おんあい)のきりぎしにして振仰(ふりさ)くるたかむらにふりしきる霰を   (湊合歌集にみづから贐(はなむけ)する沓冠鎖歌(くつかぶりくさりうた)七首)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

おひな様に飽きても、なお中馬。
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いい歳してかくれんぼ。 NOKTON 17.5mm F0.95

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壁にも性格が出る。 NOKTON 17.5mm F0.95

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右か左かそれが問題だ。 NOKTON 17.5mm F0.95

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修理してもなお崩壊するわたしの脳。 ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro

必然の時こそいたれ

塚本邦雄
必然の時こそいたれ掌(て)におもき書と臘梅(らふばい)の香をかなしみつ   (湊合歌集にみづから贐(はなむけ)する沓冠鎖歌(くつかぶりくさりうた)七首)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

中馬がつづきます。
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古色そう然とは失敬な。 NOKTON 17.5mm F0.95

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どうぞおはいりください。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

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あすは旅立ち。 ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro

いづこぞきさらぎの

塚本邦雄
岐阜市初音町はいづこぞきさらぎの衄血(はなぢ)したたる兄弟喧嘩   (歌人)
風花うるさし明治天皇御製集岩波文庫版を小脇に   (風雅)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

中馬ばっかり。
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どうぞ奥までお入りください。吊しびなもありますよ。 ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro

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ポスター見ていってください。段飾りもありますよ。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

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幕を開けてはなりません。お化けがでますよ。 NOKTON 17.5mm F0.95

かず知れぬ

塚本邦雄
女聲合唱微熱のやみにかず知れぬたまごのうちの赤き卵黄   (綠色研究)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

なお、なお、中馬。
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こっちを見ろよ。 ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro

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美しくされた塀。 NOKTON 17.5mm F0.95

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あなたはいまでも美しい。 ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro

睡りの中に

塚本邦雄
錘りつけしごとき睡りの中に戀ひ妬む水の上歩みしイエス   (装飾樂句)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

なお、中馬のおひなさん。
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なぜタイ? いえコイです、多分。(勝手な想像です) NOKTON 17.5mm F0.95

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胸元がはだけてるよ、ポッ。 NOKTON 17.5mm F0.95

如月はくれない

塚本邦雄
ユウレカ! の刹那に曇り如月はくれなゐの火に濡るる消火夫   (されど遊星)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

中馬のおひなさん。
3週間の撮影ご無沙汰のせいか、勘がほとんど働かずに参りました。あとで悔やんでばかりいます。
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ちらりと見えた。 NOKTON 17.5mm F0.95

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じろっと見た。 ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro

 ユウレカをまったく思い出せずに、またwikiのお世話になって、「Eureka(エウレカ)はギリシャ語に由来する感嘆詞で、何かを発見・発明したことを喜ぶときに使われる。古代ギリシアの数学者・発明者であるアルキメデスが叫んだとされる言葉である。」と教えてもらいました。こんなに勉強すると知恵熱がでそうです。(笑)

寂けさに

塚本邦雄
さらさらと粉雪ふる日の寂けさに自らの在処いだき坐れる   (歌誌『靑樫』 1947 3月)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

豊田市足助町で先週からはじまっている「中馬のおひなさん」に昨日行ってきました。3週間ぶりの撮影でした。
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蔵の中。 Zuiko ED 8mm F3.5 Fisheye

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ここのひな祭の定番写真なので、撮っていて恥ずかしい。 NOKTON 17.5mm F0.95

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見てるよ。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

致死量の

塚本邦雄
寒泳の靑年の群われにむきすすみ來つ わが致死量の愛   (綠色研究)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

一月末。
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師の影を踏まず。 NOCTICRON 42.5mm F1.2

わが夢によみがへり

塚本邦雄
父の父の父わが夢によみがへり臘梅一枝髻華(うず)に挿したる   (黄金律)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

二月になってからまだ一枚も撮ってないので、一月末の写真で。場所は東近江市政所。
今冬は雪を2回撮影に行きましたが心残りばかりで、今日の写真も山に雪が無いのが残念です。
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やわらかく包まれて、音も。 M.ZUIKO 25mm F1.2

 髻華(うず)は、「漢字ペディア」というサイトによれば、古代、草木の花などを髪や冠にさして飾りとしたものだそうです。
 塚本邦雄が誕生して3カ月のちに彼の父は亡くなっています。それゆえ、「父の父の父」は曾祖父ではなく、父が3回繰り返されて、「父が、父が、父が、私の夢にでてきたよ」と言っているように感じられます。

熟睡の

塚本邦雄
ちちははの熟睡の髪ふれあへり とほき旱りの森のごとしも   (水銀傳説)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

なおぶらぶらぶら。
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なにかが起こるような気がして。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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音は記憶の底だけに。 NOCTICRON 42.5mm F1.2

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古くても隙はない。 M.ZUIKO 25mm F1.2

 昨日の「光る針魚(さより)頭(づ)より食ふ、父めとらざりせばさはやかにわれ莫(な)し」は五七五七七に合わないし、前半と後半がどのようにつながるのか全くわかりませんが、同じ歌集の巻頭が「燻製卵はるけき火事の香にみちて母がわれ生みたること恕(ゆる)す」という歌だそうで、ひとつの歌集の中で父と母の扱いはだいぶん差があるように感じます。
 卵が母性の象徴であるように針魚は父性の象徴ということでしょうか。おなじ歌集の中に、「婚姻の父母のそのかみ淡つけく雪はふる酸化鐡板の間(あひ)」という歌も見つけました。

さはやかにわれなし

塚本邦雄
光る針魚(さより)頭(づ)より食ふ、父めとらざりせばさはやかにわれ莫(な)し   (水銀傳説)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

津島ぶらぶら。
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デルタは好きです。 M.ZUIKO 17mm F1.8

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たてたてよこよこ。 M.ZUIKO 17mm F1.8

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もういちど灯をいれて。 M.ZUIKO 17mm F1.8

むなしき挨拶

塚本邦雄
着衣せる聖母マリアの肖像にむきてむなしき夜の挨拶す   (透明文法)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

津島ぶらぶら中です。
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神様に見られてる。 M.ZUIKO 17mm F1.8

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狭いところは大好き。 M.ZUIKO 17mm F1.8

 何がむなしいのかと思いました。着衣しているからと思ってしまうのは、わたしの根が低俗だからでしょう。
 考えれば、(生身でなく)肖像だからとか、日ごろから信仰しているのに今日が不首尾だったからとか、いろいろあるのですが、どうしても「着衣」に引きずられてしまいます。「透明文法」に収められた歌が作者が若いときのものだからという先入観もあるので。
 また、むなしさを感じているのが歌人である作者なのかどうかということも考えてしまいます。

さま見たり

塚本邦雄
火食鳥の火をくらふさま見たりけり寒ふかきわが藍靑(らんじやう)の眼に   (透明文法)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

津島で。
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赤いベルトと黒い・・・。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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ちょっと崩れた線にそそられて。 M.ZUIKO 17mm F1.8

 写真を撮っていない間に勉強しようと写真の本を読み始めたら、さっそく、『オワコン』という知らない単語でつまずきました。「終わったコンテンツ」という意味だそうで、何やら自分のことを言われたように感じて思わず、「そんなこと分かってらい!」と心の中で毒づいてしまいました。

はるたいてんよ

塚本邦雄
かんふらんはるたいてんよ飼犬の隠し子軽皇子(かるのみこ)と名づけて   (されど遊星)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

ひと月まえの写真で。
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こんがらがっている脳の中。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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あのはじごを登ってみたい。 M.ZUIKO 17mm F1.8

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たまには掃除をしようか。 NOCTICRON 42.5mm F1.2

きょうの「かんふらん・・・」は何の事か分からず、例のようにネット検索したら、『かんふらんはるたいてんよながさきさくらんじやばちりこていみんよ・・・』という江戸時代の唐人歌があるそうです(wiki)が、歌全体の意味はちっとも分かりません。面白そうな、とは感じるのですが。

残生あらむ

塚本邦雄
かろがろと殘生あらむこひねがひをりしも葡萄園大霙   (不變律)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

無神論者は遠くに見える十字架と近くにある灯明をおそれ。
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花火のような。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

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かすむ目頭に。 M.ZUIKO 25mm F1.2

あさもよし

塚本邦雄
蟻の巢の袋小路の女王をあはれむあさもよし紀伊(き)の二月   (花劇)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

落穂ひろいというのも恥ずかしい。
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声だけが凍りついて残っている。 NOKTON 17.5mm F0.95

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棕櫚縄のマフラーはいかが。 M.ZUIKO 25mm F1.2

は咳(せ)き

塚本邦雄
修道院の禱りの刻を錫色の空にて若き電工は咳(せ)き   (装飾樂句)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

東近江市杠葉尾。
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子供はいない。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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つぶされるなよ。 NOCTICRON 42.5mm F1.2

 新聞に清水信(まこと)先生の訃報がのっていました。わたしの中学校時代の恩師です。国語をおしえていただきました。
 座席の前から順番に教科書の音読させるとき、いつも、一行づつ読みなさいと指示されるのです。
 文のはじめもおわりも無視して、精確に一行ずつ読ませられました。「~でした。そして~」という文が二行にまたがっているときでも、前の席の子は「~でし」、後ろの子が「た。そして」と読み継ぐのです。
 塚本邦雄で「句またがり」を知ったときにそれを懐かしく思い出しました。ご冥福をお祈りします。

真冬の

塚本邦雄
母がつくる眞冬の麹茫茫と花さき娶りそこなふ長子   (日本人靈歌)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

東近江市政所。
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下は上とは違う。 M.ZUIKO 25mm F1.2

 塚本邦雄は近江商人で有名な五箇荘の生まれですから自家製の味噌づくりなどを見ていたのかもしれません。
 「こうじ」が胞子をつけた様子を麹の花というそうですが、「麹花」(こうじばな)は春の七草の「ごぎょう」をさすハハコグサ(母子草)の別名だそうです。

 写真を縦位置で撮るか横位置で撮るか迷ってはその両方を撮ることを繰り返して、撮ったあとになっても縦か横かいつまでも決心がついていません。
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とおきところをみつめつつ

塚本邦雄
おそらくは危機にむかはむ あかときの汽車點燈(とも)り靑年の赤き舌   (日本人靈歌)
種馬がとほきところをみつめつつはりはりと冬の人參嚙める   ( 〃 )
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

東近江市政所。
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ぽろぽろ。 NOCTICRON 42.5mm F1.2

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ぽかぽか。 TOKINA Reflex 300mm F6.3

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ほっ。 NOCTICRON 42.5mm F1.2

 ブログのデザインを変えて写真を少し大きくしたと昨日かきましたが、”ipad”をつかっている知人に、「写真の大きさなんて指先で適当に拡大(ピンチアウト)すればいいだけ」と言われてガックリ。世はスマホ・タブレットの時代でした。

 先日も我が家のガラクタをひっくり返して1991年のコマーシャルフォトを見つけましたが、何故このときこれを買ったのだろうと開いたら、下のような記事がありました。使っているPCはマッキントッシュSEやPC9801でした。わたしの頭はこの時代からあまり進んでいないようです。
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この嘘を

塚本邦雄
柹と子規が大嫌ひてふこの噓をたれひとりうたがはうとはせぬ   (波瀾)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

なお政所。
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おいでと言われても。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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寄らばおとすぞ。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

 きょうの歌は「柿」があるので季節はずれですが、以前に「浩然の氣とは二月の竹林に正岡子規の歌をたたくこと」(汨羅變)を引用したので、子規つながりで使いました。
 塚本邦雄は繰り返し子規が嫌いという歌をつくってますから、ウソというのはウソだろうと思います。子規から現在までつづく短歌の主流的価値観は、同時に社会の価値観と同質のものを含むと彼は考えていたように感じます。

 また、ブログのデザインを変えてみました。写真をちょっとだけ大きくしました。質を量でごまかすつもりです。(笑)

にわかに止みし

塚本邦雄
酢蔵(すぐら)風花(かざはな)にはかにやみし催馬樂(さいばら)のをはりのこゑの死ねとひびきし   (感幻樂)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

なお政所。
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ささやかなご馳走。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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家も老いるもの。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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ここに住みたい。 M.ZUIKO 25mm F1.2

立春の

塚本邦雄
立春の夜はうすずみの山川(やまがはわ)に酢の香走れりわがみどりごよ   (芒彩集)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

まだ政所(東近江市)。
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寒さゆるめば。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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そなえは十分。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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音もないところ。 M.ZUIKO 25mm F1.2

 塚本邦雄には山川呉服店シリーズともいうべき一連の歌があるそうで、このブログで引用した歌にも、
  いふほどもなき夕映にあしひきの山川呉服店かがやきつ
  靑嵐ばさと商店街地圖に山川呉服店消し去らる
  あさもよし紀州新報第五面山川呉服店密葬
  先代の背後霊レジ引受けてブティック山川のみせびらき
  塋域に白雨 山川呉服店累代の墓碑何ぞしたたる
とまだまだあるのですが、きょうの「山川」は呉服店ではなさそうです。
 立春の夜と酢の香とみどりごがそれぞれ唐突で、イメージをつくることさえできませんが、
 春の夜 → 夜はうすずみ → うすずみの山川 → 山川に酢 → 酢の香 → 香走れり → 走れりわがみどりご
と連想ゲームにして区切りを入れるとかろうじてイメージをもてるような感じがします。それでもわたしには解釈不能なのですが。

の何たるかを

塚本邦雄
歌の何たるかを識らざれば風花の花をみづからの紋章とす   (詩魂玲瓏)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

政所(東近江市)。
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飛行機雲の下で。 M.ZUIKO 25mm F1.2

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太郎を眠らせ。 M.ZUIKO 25mm F1.2

 きょうの短歌をおさめた歌集が出版されたのは塚本邦雄が78歳のとき。すでに現代短歌の大家として世間も認めていたころです。そのかれが「歌の何たるかを識らざれば」などと何故いうのだろうと思いました。
 歌の作者を限るとか、知らざる者を塚本邦雄以外におくといった場面の限定をすれば解釈はできそうですが。

 わたしには、風花の花があの世とこの世をつなぐ手紙のように感じるのです。
 ちょうどこの時期に塚本邦雄は療養中だった妻を亡くしています。
 おのれの歌のこの先の到達する先を、共に見るつもりだったのではないか、と想像するのです。

断たむとしてみな愛す

塚本邦雄
二月の星わが額(ぬか)にあり一切のえにし斷たむとして皆愛す   (閑雅空間)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

雪撮りに、昨秋にいった政所(まんどころ)へも行きました。
紅葉が印象的だった山里ですが雪景色もまたよかったというのは、休日をつぶして雪下ろしや雪かきに励む人たちに対して失礼な、よそ者の気楽すぎるたわごとでしょうか。
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飛行機雲のしたで。 KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

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太郎を眠らせ。 M.ZUIKO 25mm F1.2

 きょうの歌は226から欲と打算を消し去ったような、たとえば三島由紀夫の憂国をうしろ側から見ているようなイメージが浮かぶのですが、塚本邦雄の主義からは遠いイメージなので困っています。
 ただ、226は彼が16歳ぐらいのときでしたから、消しがたい何かの印象を心に刻んだとしても不思議ではないと感じます。わたしの父は彼より6つほど年下ですが、左翼シンパで軍歌など大嫌いだったはずなのに「昭和維新の歌」だけは好きだったように。

冬ふかく易易(いい)と

塚本邦雄
乾魚を酢にてもどせり冬ふかく聖書には易易(いい)と神の復活   (装飾樂句)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

なおなおなお杠葉尾で。
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硝子戸のむこうは反世界か。 TOKINA Reflex 300mm F6.3

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ここはわたしの汨羅。 TOKINA Reflex 300mm F6.3

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枯れてもススキはススキ。 TOKINA Reflex 300mm F6.3

 酢にて「もどす」行為を「復活」させると言ったのでしょうか。でも「酢で」もどす乾魚は何なのでしょう。易という字を魚偏につけた「鯣」はスルメらしいのですが。

 きょうの新聞の記事に「歌が廃れる」という題字がでかでかとのってましたが、「廃れる」を「すたれる」と読める人しかこの大新聞は相手にしていないのかと少しがっかりし、せっかくの記事がだいなしだと感じました。