晩年に秋風の扉

塚本邦雄
天に鳴るは皂莢(さいかち)のさやあたらしき晩年に秋風の扉あり   (波瀾)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

半田矢勝川なお。
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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TOKINA Reflex 300mm F6.3
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M.ZUIKO 17mm F1.8

 昨日の塚本邦雄の歌の「天災的天才」は彼らしい言葉遊びでしょうが、天才も天災も、出あえば、(自分の才能を思い知って)落ち込んだり、(未来への希望を失って)心が萎えたりするところは同じと言えるかもしれません。
 「天才」という言葉にわたしが思いついたのは、塚本靑史「わが父 塚本邦雄」の次の一節です。

(寺山修司が) 野球を全く知らない邦雄に、どういうゲームか解説したという。
「投手と捕手という恋人同士がいてきあ。彼らはボールを投げることによって初めて意思を伝え合えるんだ。それを、バッターっていう横恋慕男が邪魔をしてボールを打つんだ。でも二人には、内野と外野と呼はれる七人の味方がいて、ボールを取って返してくれる。野球ってそんなゲームなんだよ」
寺山修司からこのように説明されて、邦雄は解ったというから恐ろしい。

ふたりとも天才だなあ。かなわないなあ。と、つくづく感じました。



ふしあわせを愛して

塚本邦雄
グレープフルーツに西陽の香なにごとも勃(おこ)らぬふしあはせを愛して   (黄金律)
天災的天才とおもふいくたりかこの世ありて緋の烏瓜   ( 〃 )
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

ヒガンバナにもどって。
ウィンドウズのアップデートに思わぬ時間がかかってしまいました。マイクロソフトの不親切にプンプンです。
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8

りんりんと

塚本邦雄
りんりんと齒の根は痛む夢の底濃きたそがれにとどくばかり   (閑雅空間)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

ヒガンバナの写真にもどる前に、半田赤レンガ建物で。
 赤レンガでは、村井修写真展が開かれていました。入口付近にゴッセンかウエストン(?)の反射式露出計や小さなビューカメラがおいてありましたが、エイト・バイ・テンの大きいのを想像していたわたしは肩透かしをくらった感じでした。モノクロームの端正で諧調豊かな写真は、RCを撮っていても、「日本的」な抒情性を身にまとっていました。
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 17mm F1.8

『りんりん』という言葉は覚えがありました。中学生のころ国語の授業で、三好達治の「乳母車」という詩を読みました。

 (略)
 母よ 私の乳母車を押せ
 泣きぬれる夕陽にむかつて
 りんりんと私の乳母車を押せ

あのときの記憶はあざやかに残っています。

 私的な理由でブログのコメント欄を閉じて半月がたちましたが、ブログを続けていく意欲だけでなく写真を撮る意欲まで低下するのを感じて、”拍手”ボタンを設定することにしました。
”Age of Pen”をご訪問いただいている皆様にはこれからもよろしくお願いいたします。

の果てにわれは

塚本邦雄
駝鳥の檻の中に荒野がしらじらと顯つ その果てにわれは赴きたし   (日本人靈歌)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

ヒガンバナを3日も続けたので、きょうはヒガンバナのはてに見た”ごん”の夢でお茶をにごし。
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 17mm F1.8

しこうしてまた

塚本邦雄
而(しかう)して再(ま)た日本のほろぶるを視む 曼珠沙華畷の火の手   (獻身)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

なお矢勝川。
お地蔵さんに持参したお面をかぶせて撮りました。バチがあたりませんように。
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8

彼岸花を家に持ち帰って叱られた記憶があります。喜ばせようとしたのに、墓場の花だと叱られました。
そのせいか写真はセンチメンタルに流れてしまいます。
言い訳に、スーザン・ソンタグの「写真論」の一節です。

 (略) 写真はすすんで郷愁をかきたてる。写真術は挽歌の芸術、たそがれの芸術なのである。写真に撮られたものはたいがい、写真に撮られたということで哀愁を帯びる。醜悪な被写体もグロテスクなものも、写真家の注意で威厳を与えられたために感動を呼ぶものになる。美しい被写体も年とり、朽ちて、いまは存在しないがために、哀感の対象となるのである。写真はすべて死を連想させるものである。写真を撮ることは他人の(あるいは物の)死の運命、はかなさや無常に参入するということである。まさにこの瞬間を薄切りにして凍らせることによって、すべての写真は時間の容赦ない溶解を証言しているのである。

引用した部分は違いますが、ソンタグの写真論は、次々と著名な写真家の名前が出てきて、かれらの写真のイメージがジェットコースターのように頭の中へ浮かんで、読んでいて楽しい本ですが、エキセントリックな言葉遣いにも身体が左右に思いっきり振り回されてしまうので、長く読み続けられません。体力が無くなったのか、知力が衰えたのか、きっと両方だろうと思います。

平安は光りなく

塚本邦雄
曼珠沙華わが掌に傷み平安は光りなく身より亡(う)するかなしも   (薄明母音)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

愛知県半田市矢勝川で。
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8

薄明母音は塚本邦雄が初期の作品を再録した歌集で、引用した歌は昭和18年の同人誌「紀元」に載っているそうです。およそ30年経った昭和47年に曼珠沙華斷想と題した文を別の同人誌発表しているようです。冒頭は、

 僕は曼珠沙華を好む。合歓にも薊にもダリアにもまして曼珠沙華を愛する。台風の過ぎた草むらにこの花がめらめらと炎え上ると、背中をどやされた様な烈しいシヨックをうけて夏のらんだ(懶惰)が瞬時に消え亡せる。些の胡麻化しもない、八方破れの、ぎりぎりの絶体絶命のこの美しさを見ると完全に「負けたッ」と思ふ。シユトラヴインスキイの音楽を聴くと、この花を思ふ。ビアズリイの絵にこの花の匂ひがする。かつてピエール・シユナアル作の「生けるパスカル」でジネット・ルクレルといふ女優を見た時もこの花を感じた。

ビアズリーは同意、ストラヴィンスキーは納得、でも1936年の「生けるパスカル」は初耳です。ネットでジネット・ルクレールを検索して写真を見ましたが、わたしの感受性が鈍いせいで、そこから曼珠沙華は感じられませんでした。わたしの感受性は、もっとcurvieな女性を連れてきます。

よろこびのために ~矢勝川のヒガンバナ

塚本邦雄
曼珠沙華もつるる蘂の初冠(うひかむり)人はよろこびのために衰ふ   (驟雨修辭学)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

きょうは愛知県半田市でヒガンバナです。
朝から雨がふったりやんだりで、お昼過ぎには一時激しい雨足でした。
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 17mm F1.8
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M.ZUIKO 17mm F1.8

半田は新美南吉の生地ということで、家からキツネの面を持参しました。
ごんぎつねという童話は小学生の時に読みました。

 「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」

胸中に一粒の火

塚本邦雄
あしたありゆふべありけり胸中に一粒の火の言葉ふふみて   (天變の書)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

津市河芸町千里、マリーナ河芸。
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LUMIX G 20mm f1.7
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TOKINA Reflex 300mm F6.3
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TOKINA Reflex 300mm F6.3

明日も

塚本邦雄
ゆふべは秋の西方昏し飛ぶ鳥の明日も屋上を奔れ鳶職   (黄金律)
仲秋の茗荷はじかみ舌刺して村山槐多、下村槐太 ( 〃 )
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

どこへも行けないので我が家の庭で。
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8

 下村槐太を知らず、ネットで検索して、大阪生まれの俳人と知りました。1910年生まれで、42歳でいったん句作を中断し54歳で再開して56歳で死去(ウィキペディアより)。わたしは俳句にほとんど関心がありませんし、俳句を配した写真を見ると嫌悪感すらおぼえますが、下村槐太の句には俳句もすごいなあと感じました。
  のうぜんのかさりかさりと風の月
  人貧し路地の夕三日月金に
  祭あはれ夕焼がさし月がさし
  秋浪のうすき渚が雨の中
  鉄塔があやつる蝶のかずしれず
  死にたれば人来て大根煮きはじむ
  あまりにも菊晴れて死ぬかもしれず
  月光に子の夢はらう咒をしらず
  秋蝉に榧搾めらるる如くなり
  蛇の衣水美しく流れよと

愛ありし辺(へ)に

塚本邦雄
橙紅(たうこう)の空きれぎれに秋きのふ愛ありし邊(へ)に歩みあやまつ   (星餐圖)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

ご近所でお茶を濁し。
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SUMMILUX 15mm F1.7
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LUMIX G 20mm f1.7
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LUMIX G 20mm f1.7
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LUMIX G 20mm f1.7

突風に

塚本邦雄
カロッサ忌なり樂器店開店の花環突風にて總倒れ   (豹變)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

台風です。へたくそな写真。けん怠。鈍感。灯りがほしい。
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Zuiko ED 8mm F3.5 Fisheye
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NOKTON 25mm F0.95
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NOKTON 25mm F0.95
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M.ZUIKO 75mm F1.8

私の町(三重県北勢地方)では午後2時から4時の間に峠を越えましたが、伊勢和台風のトラウマをいまだにひきずる身としては、被災された地方の方々に心が痛みます。あのおそろしい一夜の経験はけっして忘れません。

こころざしうすべにの

塚本邦雄
秋の虹昨日(きぞ)心中(しんちゆう)にねぢふせしこころざしうすべにのこころざし   (黄金律)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

ご近所の海岸へ散歩のふりをして出かけ。
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TOKINA Reflex 300mm F6.3
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SUMMILUX 15mm F1.7
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SUMMILUX 15mm F1.7

半時間ほど撮って、日差しがないにもかかわらず汗まみれになりました。
いつか見たような写真をまた撮っていると思うと、意欲もわかず足取りだけが重くなりました。

月光をつつみ

塚本邦雄
「不逢戀(あはざるこひ)」の歌合果つかへりなむ外套に月光をつつみて   (黄金律)
夜の水呼びかへさむとくれなゐのにはかに荒(すさ)みゆく曼珠沙華   (芒彩集)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

十五夜の帰宅途上でとった記念写真残り物。
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LUMIX G 20mm f1.7
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LUMIX G 20mm f1.7

ヒガンバナが咲いていたら撮ろうと鞄の底にカメラをしのばせましたが、花のかわりに十五夜の月に出会いましたので少し回り道をして、ジョギングをする人だけが黙々と走る夜の公園へいって空を撮った残り物です。暗闇のうえ一日の仕事の疲れ目でピントが合わず困りました。(夜間撮影では、露出補正値やISO値、測光モードの変更に加えて、ピント合せをマニュアルにしていますので。)
きょうも雨が降ったりやんだりで雲におおわれていて、3日前の十五夜の晴天がもうずっと前のことのような気がします。

家の中でじっとしている日は本を開いています。
まえに引用した「伝わる写真」にこんな一節があります。

  写真を撮るということは、なにか自分の目で見るということだろうけれど、そうであればその目を鍛えることは重要なことだと思う。そのために僕にとって有効だったのは、なにかを読むことや撮ること以上に、写真を見ることだった。

著者が見ているのは写真集です。 べつのところで、図書館にこもって写真集を読みあさっていたと書いてあります。
まったく同感のわたしは、だから、家の中でじっとしている今日は写真集を見ています。

記憶にこころを支ふ

塚本邦雄
雲生(あ)れて地上のわれら翳らへる葡萄月(ウインデミア) 死も結實(みのり)に到る   (水銀傳説)
硝子建築芯まで夕映えて今も惻惻とマヤコフスキーの死   (日本人靈歌)
秋の蛇舌ほのかなり人はなほ戀の記憶にこころを支ふ   (天變の書)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

「葡萄月」(Vendémiaire ヴァンデミエール)は、仏革命暦のなかの秋のひと月だそうです。
この言葉を知って、革命っていうのはすごい事だと、改めて驚きました。
まともな撮影行にでかけてないので、トリエンナーレの残り物で。
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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NOKTON 17.5mm F0.95
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NOKTON 17.5mm F0.95
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

ガラスは見飽きることがありません。
固体なのに液体というアンドロギュヌス。透過し反射する光に見入ります。

金曜のよひ

塚本邦雄
若月(みかづき)のパンもとめ來る金曜のよひ たちまちにして欠けそめつ   (豹變)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

トリエンナーレ栄会場で。
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

おまけに長者町駐車場の壁画も。
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

カラス

塚本邦雄
壯年緩徐調にすぎさりつつを火の色のラベルの音盤(デイスク)のカラス   (綠色研究)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

トリエンナーレの動物たち。
カラス
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NOKTON 17.5mm F0.95
ウシまたはウマ
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
ネコ
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NOKTON 17.5mm F0.95
ウマ
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NOKTON 17.5mm F0.95
ヒト
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8


きょうは十五夜だそうですので、今夜の18時30分ごろに、帰宅途上で記念写真を一枚。
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LUMIX G 20mm f1.7
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TOKINA Reflex 300mm F6.3 (トリミング

かすめとる

塚本邦雄
身體髪膚は父母より享けてその他(ほか)の一切は世界からかすめとる   (魔王)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

性懲りもなくトリエンナーレ2016。今度は愛知芸術文化センターへ。
これまでの長者町会場や栄会場もふくめて、一部の作品を除き撮影可でした。
でも勝手な撮り方をして、作者の方々に失礼だったかもしれません。すみません。
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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NOKTON 17.5mm F0.95
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

現代美術はチンプンカンプンですが、本物の色、形、光に接して、見に行ってよかったと思いました。
色にも形にも、わたしは羨望と嫉妬に固まりました。
もちろん光もです。せめてかれらのあやつる光の一筋でもかすめとれないかと心底願っています。

明日のわれをあはれみ

塚本邦雄
晚餐の卓に濃霧がたちこめて待て!これは糜爛性ガスのにほひ   (獻身)
歌一首ひとり創(つく)るを試みつわが歌が明日(あす)のわれをあはれみ   (歌集未収録)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

名古屋港金城ふ頭。
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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TOKINA Reflex 300mm F6.3
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TOKINA Reflex 300mm F6.3
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

大型コンテナの集積場は日常にない風景でした。わたしは一人のエトランジェでした。
 彩度を上げコントラストを強調して、異邦に立っていることを強調しました。
かなたの遠景はかすんでいました。はっきり見えない遠方も異邦です。
 超望遠のミラー・レンズがフラットな画像をつくりました。
日没の景色はだれが撮ってもドラマチックです。遠く名古屋港にかかる橋「トリトン」のひとつが見えました。
 橋を渡ればもとの世界に戻るのだと思いました。
今回は大型客船を見に行き、
船に乗る人たちは異邦人で、わたしも乗船すれば仲間になれるのだろうか
と考えながら撮ってきました。

無能無才

塚本邦雄
目に見えぬ無數の脚が空中にもつれつつ旅客機が離陸せり   (日本人靈歌)
無能無才にしてつながれる二筋のひとすじは詩といへど 蜉蝣(かげろふ)   (天變の書)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

ダイヤモンド・プリンセス。
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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TOKINA Reflex 300mm F6.3
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8

無関心の関心と、自己流の自己満足のつづきです。
関心がないと言いつつ、カメラを持てば、ついアングルを探してしまう写真好きの性(さが)がすこし悲しいですが、自己流でといいつつ創造性のカケラもないものの、撮った写真には自己満足しています。また進歩無しですね。

死後の蜜月 ~金城ふ頭ダイヤモンド・プリンセス

塚本邦雄
採油塔の脚しなやかにむらがれるバクーとぞ死後の蜜月の町   (綠色研究)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

いつも誘ってくれる友人に連れらて昨日は名古屋港金城ふ頭へダイヤモンド・プリンセスを撮りに。
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NOKTON 25mm F0.95
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TOKINA Reflex 300mm F6.3
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

関心を持てない被写体に自己流が通じるのか試すつもりで、
引きこもりにならないように誘ってくれる友人に感謝して、
ぼちぼち撮ってきました。

ブログはコミュニケーションの場であり、私がここを始めたのも、歳とともに交際範囲が狭まっていった行く末をいくつか見て危機感を覚えたせいでしたが、ブログの自滅行為と知りつつ、個人的事情でコメント欄を閉鎖させていただきます。

飽きたころ

塚本邦雄
鹵獲品中の薔薇油やオパールに妃が飽きたころ、またいくさ   (水葬物語)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

トリエンナーレ2016。
もう飽き飽きかもしれませんが。
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NOKTON 17.5mm F0.95 (カメラの設定を間違ったのでExif情報がちがいます)
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NOKTON 17.5mm F0.95 (カメラの設定を間違ったのでExif情報がちがいます)
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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NOKTON 17.5mm F0.95 (カメラの設定を間違ったのでExif情報がちがいます)

二人の恋

塚本邦雄
死して二人の戀始まると晴天の庭の叺(かます)の灰いろの鹽   (水銀傳説)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

愛知トリエンナーレ2016のつづきをふたたび。
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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NOKTON 17.5mm F0.95 (カメラの設定を間違ったのでExif情報がちがいます)

ほとほとに ~四日市コンビナート夜景

塚本邦雄
ほとほとに凌霄花(のうぜんかづら)萌(も)えをはるひとつまみ鹽(しほ)ほどの愛がほし   (花にめざめよ)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

四日市港霞埠頭。
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Zuiko ED 8mm F3.5 Fisheye
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Zuiko ED 8mm F3.5 Fisheye
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NOKTON 25mm F0.95
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M.ZUIKO 75mm F1.8

にがてな夜景と三脚にチャレンジ。
ビギナーなのでピントが合ってブレていなければ合格、と自分に甘くしています。
この歳にしてチャレンジできるものがあるのはうれしい事です。

かさなりて撮られ

塚本邦雄
黑葡萄のごと累なりて撮られゐるうから等しき死はもたざるを   (水銀傳説)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

なお四日市港ポートビル。
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NOKTON 25mm F0.95
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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NOKTON 25mm F0.95

一日を集中して写真を撮らなかった8月のつけは大きくて、
短時間だったけど久しぶりに意識を集中して撮ったのですが、
あきらかに「腕」がダウンしていました。
「腕」といっても、
技術的なことはカメラがやってくれる今日この頃ですから、
技術ではなくカンが働らかないのです。

先日の大和田良「伝わる写真」から、反省を込めて、また引用します。
  考えて分かることもあるかもしれない。けれど、僕の経験した限りでは、写真は撮ることで分かってくるということもとても多かったように思える。
   (中略)
  ただレンズを振り回すだけではなく、意識的になにかを探す、自分なりのアンテナを張り、写真に写り込んでくることとはなにかと考えながらシャッターを切っていく。そうすることで、勘のようなものが鍛えられていく。撮れる日もあれば、撮れない日もあるということにも気づくだろう。量を撮るということは、写真に関する様々なことを知る良い方法なのだと思う。

埠頭の石に

塚本邦雄
炎天を移民ら發てり 翳ふかき埠頭の石に沁みゆく油   (装飾樂句)
父は漁色の頸あからひく 一夏(ひとなつ)を砂糖斷ちそのまなこ澄みたり   (靑き菊の主題)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

四日市港ポートビルで。
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NOKTON 25mm F0.95
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NOKTON 25mm F0.95
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M.ZUIKO 75mm F1.8
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M.ZUIKO 75mm F1.8

秋暑きかな

塚本邦雄
カリグラ傳あるとき愉快なることにおのれ愧ぢつつ秋暑きかな   (黄金律)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

トリエンナーレはまだ続くのですが、気分転換に、近くの四日市港へ「お散歩写真」を撮りに行きました。
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NOKTON 25mm F0.95
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NOCTICRON 42.5mm F1.2
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NOKTON 25mm F0.95
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

脂肪しづかにまき

塚本邦雄
脂肪しづかにわかものを繃(ま)き高音の曇れりし弦樂四重奏   (靑き菊の主題)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

愛知トリエンナーレ2016長者町。
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NOKTON 17.5mm F0.95
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
3LR6-_F670450-2.jpg
NOKTON 17.5mm F0.95
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NOKTON 17.5mm F0.95
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NOKTON 17.5mm F0.95

NOKTONで撮った写真のExif情報が、カメラの設定を間違ったので誤った情報が記録されてしまいました。
ちゃんと写真を撮り続けていないとこんな始末です。

百日の遠景に  ~ 愛知トリエンナーレ2016

塚本邦雄
渇いて候 夏百日の遠景に眞紅のチェッコスロヴァキアの變   (黄金律)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

今日は名古屋へ。愛知トリエンナーレ2016を見に長者町へ行きました。
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8
3LR6-_F670435-1.jpg
NOKTON 17.5mm F0.95 (カメラの設定を間違ったのでExif情報がちがいますが)
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KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8

8月30日、あのチェコスロバキアのチャスラフスカが亡くなりました。

信うしない果て  ~ ティルトールの三脚

塚本邦雄
人の信うしなひ果てて炎天の薄き屋根瓦に水撒ける   (装飾樂句)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

三脚もニュー・ギア。
LD-1000に加えて、Tiltall TE-01もニュー・ギアです。
見た目でゴールドを選びました。
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ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro
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ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro
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ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro
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ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro

Tiltall TE-01はamazonで7月末に注文して届くまでひと月かかりました。
イライラしながら待ちましたが、届いた品を手にしたとたん不平不満も雲散霧消しました。
70年代の米映画にも出てくるそうです。(1978年「Girl friend」)
カメラマン志望の女性がこの三脚をかかえた映画ポスターを見ました。

先日の大和田良「伝わる写真」から、また引用します。自分自身への励ましのつもりです。
  目の前を通り過ぎていく様々な光景のなかで、それをつかみ取ることができるかどうかというのは、選び取るために必要な自分独自の視点を持っているかが大変重要になる。それは、勘や嗅覚と言われるものかもしれない。そして、なんらかのことを意識して世界を見つめるようになるということが、テーマを持つということの一つの方法になるだろう。
   (中略)
  それではそのような独自の視点を得ようとしたとき、どんなことが自分の糧になったかと考えると、その一つは既に書いた通り、作品を見ることだったように思う。

風のかなたに

塚本邦雄
風のかなたに散りまがふもの花と鳥こころと言葉殊にわが戀   (源氏五十四帖題詠 野分)
(塚本邦雄の短歌は写真と無関係です。塚本邦雄を尊敬していますが、引用した歌はブログの護符かお守りのつもりです。)

ニュー・ギアの記念写真を。
ブログ「遊遊爺的なボクの時間」に紹介された定常光LEDライト LD-1000がカッコ良かったので、マネして購入しました。
遊遊爺的なボクの時間」が最近「操業停止」になってガッカリしたので、ブログへのオマージュを撮って、ブロガーを応援しているつもりです。
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ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro
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ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro
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ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro
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ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro