こえこもれるごと

塚本邦雄
山河(さんが)のこゑこもれるごとし井戸深く寒の紅葉(こうえふ)を沈めたれば  (汨羅變)
冬紅葉まゆずみいろに昃(ひかげ)れり晩年より百歩ひきかへさむ  (不變律)

大野市。
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篠山紀信写真集パリ (1977年)が届いたけれど、期待はずれ。
ここには、アジェはいるがベレニス・アボットはいない。
篠山紀信という”アジェ”はいても、それを世に出した”ベレニス・アボット”のような存在がない本。
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もっと、アジェ頌とか、ブラッサイ賛といったものを期待していたのに、編集が写真をだいなしにしています。
月刊芸術新潮の延長のようなつくりかたで、写真集の態をなしていません。
かわいそうな紀信。
高校生の時に「篠山紀信集 nude」(毎日新聞社 1970年)を、どきどきしながら買った当時、広角レンズの歪も造形に取り込んでしまう才能に圧倒されました。
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その後、秋山庄太郎のようになってしまったけれど、いつかまたすごいことをやってくれると期待をしています。

霜は錫のひびき

塚本邦雄
茄子紺の旅行鞄を鋪道までなべて鞄商の霜月  (歌人)
あらぬ世にもみぢぞさやぐ子を生(な)さばいもうとは霜あねはあさぎり  (感幻樂)
霜は錫のひびき昨日かわれを描き男一人(いちにん)の愛に果つること  (蒼鬱境)

大野市。
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凛凛(りり)として

塚本邦雄
萬象に今朝凛凛(りり)として霜白しつつましくひとりの棲家たづねよ  (透明文法)
焔(ほむら)だつ詩歌棄てなむ初霜にうるむ桔梗のさみなしにあはれ  (されど遊星)
好色の父は湯に醉ふ霜の夜をわがこころ螢石よりもろし  (感幻樂)

大野市。
名水と朝市のまち越前おおのとして、国土庁(現在の国土交通省)の「水の郷百選」に、
代表的な湧水「御清水(おしょうず)」が環境庁の「名水百選」に選ばれています。
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人を去り人を去らしめ

塚本邦雄
人を去り人を去らしめて霜月にみる淡彩の夢二夜三夜  (花劇)
神は片歌たまひわが添ふ十二音霜月の星千千にくだけて  (されど遊星)

大野市。
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霜月の衢(ちまた)

塚本邦雄
霜月の衢(ちまた)一瞬にくづるるをきみみどりごに綺羅まとはせつ  (歌人)
戀に死すてふ とほき檜のはつ霜にわれらがくちびるの火ぞ冷ゆる  (感幻樂)
霜月の蠅の複眼わが前に萬斛(ばんこく)の涙たたへむとして  (汨羅變)
蠟燐寸すりて娼婦の乳房より赤き凍蝶(いててふ)よみがへらしむ  (透明文法)

大野市。
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忘られぬわれ

塚本邦雄
忘られぬわれもてなすと人妻は炭俵の腹刀もてひらけり  (詩歌變)

越前、大野市で。

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ちょっと急ぎ足で大野を散策。撮影においで、と40年前にさそわれてからずっと気になっていた町でした。



紅葉散りおえて

塚本邦雄
人をとことんまでうたがひてこころよし紅葉(こうえふ)散りをへて眞裸(まはだか)  (黄金律)
病みつつ老ゆる一人二人を思ひをりすさまじ落つる鮎のきらめき  ( 〃 )

勝山市平泉寺白山神社。
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秋終るべし

塚本邦雄
秋もすゑつかたあがなはむ猩紅のかはごろもおとろふる母に  (歌人)
秋終るわがてのひらに沈金(ちんきん)の千筋(ちすじ) チマブエ伝(でん)模糊として  ( 〃 )
秋終るべしをはらねばならぬなりわが手の切符茗荷谷まで  (黄金律)
うつしみのうつろひ繁したとふれば肺腑沛然(はいぜん)たる雨の中  ( 〃 )

勝山市平泉寺白山神社。
午後になって、まさに沛然たる雨になりました。

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ふわりと霜月の香

塚本邦雄
なんぢ他生に袖ふりあひし一人てふふはりと霜月の女人の香  (豹変)
文化の日コスモスの空よく晴れて天網のほころびが見えかくれ  (黄金律)
晩秋の霜消えぎえに旅行くとさびしきよろこびの禁煙車  ( 〃 )

きのうに続き勝山市平泉寺。現在は「平泉寺白山神社」。
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ここは
白山信仰の拠点の寺院の遺構が、時代の変遷を経て残されているとして、『美しい日本の歴史的風土100選』に、
白山神社境内菩提林のスギと蘚苔が、日本各地の自然や生活、文化に根ざした香りのある地域の一つとして、『かおり風景100選』に、
道の日(8月10日)制定を記念し制定された、日本の特色ある優れた道路の一つ「中宮平泉寺参道」として、『日本の道100選』に選ばれています。

さゐさゐしづみ

塚本邦雄
霜月のさゐさゐしづみ新幹線食堂車より突如醋の香が  (黄金律)
霜月三日のわれの冒険八百玄のおやぢとチャイコフスキー聴きに  ( 〃 )
『女の一生』に男の半生を讀む霜月の夜に湯冷めして  ( 〃 )

ひと月振りにカメラを握りました。もう使い方忘れていました。
福井県勝山、平泉寺で。
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何もないまどの中

塚本邦雄
愛しつつまたちぎらずはありあけの紅葉(こうえふ)のうらしきりに蒼き  (星餐図)
契るてふことばみだりに紅葉(こうえふ)のありてそびらのあつきたそがれ  (豹変)
霜月二日花崎遼太出奔すたしかに塋域にきらめくもの  (詩歌變)
.
とうとう1か月写真を撮れずに、近江八幡だけでここまできたけれども、もう何もないまどの中。
近江八幡。
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酸漿(ほおずき)の皮の色

塚本邦雄
霜月の雨薄明におとづれて無惨なる名よ「朝妻団地」  (風雅)
天才の父とはなべて唇(くち)嚙みて霜月の猩猩緋(しやうじやうひ)の没陽(いりひ)  (豹変)
他界より無音つづきて霜月の酸漿の皮紅羅のごとし  (詩歌變)
.
近江八幡。
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評論家はしばしば嘘をいう。
これも40年前の「美術手帖」([特集]写真の座標 神話の定着と拡散)より。

肉眼の疎外と写真家の可能性
「写真文化」の構造について

 職業写真家と大衆の写真との断絶とは、商業資本の論理の介在が、その正体である。そこにある「写真文化」とは「商業資本の文化」以外の何ものでもなく、写真家は否応もなく、商業資本の論理に組み込まれている。その論理構造こそ、、職業写真家の拠点であり、表現主体のよって立つ地点なのだ。
「写真文化」の正体
 仮にいま「写真文化」というものがあるとすれば、それは空気のような存在なのであって、われわれの生活に不可避に紛れ込んできている
 「写真文化」の構造について、総カメラマンである大衆を底辺に、アマチュア写真家を中間に挟んで、その上層部に職業写真家が乗っている、という見取り図が描けそうな気がする。

アマチュア写真家の状況
 アマチュア写真家に、果たしてよく写真の自立性を探し求めうるだろうか。
 しかし、結論を先に言えば、商業資本の論理は手際よく彼らをも組み込んでいた
 自分の目で見ているつもりが、いつの間にか「善良な庶民」の目に転化している。

写真家の可能性
 写真が商業の論理からはみ出て、自立する可能性はまったくないのか - 私はそれこそが、不可避に商業の論埋にとっぷりとつかっている職業写真家の、自らに向けなければならない問いではないかと思う
 反抗さえも反抗的な情緒として受け入れ、のみこんでしまうマス・メディアの恐怖、商業の論理の貧欲さ、絶えざる肉眼の収奪に抗して、「写真家の肉声の獲得」を断念するわけにはいかないのだ。


「写真文化」の正体そのものが間違っている。
ピラミッドはありません。というよりも、ピラミッドこそ商業資本のつくる幻影です。
川島小鳥の「未来ちゃん」や浅田政志の「浅田家」を見れば、あるのは才能の差だけと分かります。
プロと言っても才能のない人は多い。売れる写真をとる人はいますが、40年先、50年先に残っているかどうか。
商業資本に組み込まれ・・・は、今さらの話で、いかに独自の写真を撮ることが難しいかを再確認です。

ぜひ霜月の

塚本邦雄
霜月の古書肆『黄金伝説』の背をさすりつつありける女人  (花劇)
われをおとなふことあらば是非霜月の猪名野の夕霰ひとつかみ  (風雅)
ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事のなかなるピアノ一臺  (感幻樂)
照る月の黄を屋の上にあふれしめ家あはれ男を容るる檻  (靑き菊の主題)

近江八幡。
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50年も前のコンテスト写真が今と変わらないと以前書きました。
コンテストの入賞作品を手本にしていたからと思ってましたが、それだけでもないようです。
いろいろな作例というのもクセものでした。
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40年前の「アサヒカメラ教室」ですが、ここから一歩も前進していない今。
こんな写真見ずに、本物の写真家の本気の「作品」をみていたほうがいいだろうと、つい、また写真集を買ってしまいました。
まだ現物は届いていないけれど、こんな写真。
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文化の日の陽は

塚本邦雄
文化の日の陽は白く照りマラソンの蹌踉ととほざかる靑年  (日本人靈歌)
霜月の風しろがねに標本の風鳥かすかなる屍臭あり  (歌人)
捨榊(すてさかき)つややかにして霜月のやちまたに人絶ゆる刻あり  ( 〃 )

近江八幡。
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秋風す

塚本邦雄
籠(こ)には眠らふ雉子(きぎす)の卵いつの日かかへらなむ霜月のまぐはひ  (感幻樂)
とどめ刺せとどめ刺せてふこゑひびきつつ秋茄子の傷ある紫紺  (靑き菊の主題)
天文の観ればひそかにわが生は他生(たしやう)むしばみつつ秋風す  (されど遊星)

近江八幡。
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